I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

少なくとも、ゲイと平和は無関係

cnn.co.jpエルトン・ジョン、「宗教組織はゲイを敵視」と


ロンドン――英国の人気歌手、エルトン・ジョンさん(59)が12日、英オブザーバー紙(電子版)とのインタビューで、宗教組織について「常にゲイの人々を憎悪するよう仕向け、差別を助長してきた」と批判、「自分なら宗教を完全に禁止するのに」とした発言が波紋を呼んでいる。

 ゲイと世界平和に何か関係があるかのように書かれているのが問題だが(笑)、実際問題として、現在存命の宗教指導者でまともに平和活動を行っているのはダライ=ラマ14世くらいなもの(東京講演のレポートはいずれ)
 マハトマ・ガンジーにしろ、宗教者が平和を発信するにはアジア世界から行うより他にないのかもしれない。

 それに較べて先代のローマ教皇ヨハネ・パウロ台下はともかく、現在のローマ教皇ベネディクト台下は何を仰るか知れたものではない。
 ローマカトリック教会は間違いなくムスリムを敵視しているので、そこから平和が生まれるなど、とても考えられない。
 この期に及んでイスラムの感情を煽られたのではたまらない。

 カトリックにはマザー・テレサという人がいたが、彼女はイスラム教徒の多い地方で生まれ育った、アルバニア人であった。
 その活動のスタート地点はインドにあるカルカッタである。


さらに、音楽界も1960年代にコンサートなどで平和運動を繰り広げたミュージシャンらのようにやるべきことをしていない、としっ責、「もし、ジョン・レノンが生きていたら、率先して平和を訴えていただろうに」と残念がった。

 ジョン・レノンといえば「イマジン」の神を否定した歌詞が波紋を呼んだことが最も有名。
 ジョン・レノンは四十歳のとき、マーク・チャップマンとい名の男から射殺された。
 一九八〇年十二月八日、マンハッタン西セントラル・パーク七二番通りでのできごとである。
 チャップマンは狂信的にレノンを崇拝していたが、それ以上に神を信仰していた。
 神を否定したレノンを、許せなかったのだ。

 レノンを殺害した後、彼は逃走するでもなく、サリンジャーの本を読んで暇を潰していた。筆者は村上春樹の訳で、その本を読んだことがある。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」といった。

 ――いけない。村上春樹の話をするつもりはなかった。


 宗教の話に戻す。旧約聖書には聖典に異民族虐殺が美談として書かれているのだから、とんでもないものである。イスラムには聖戦。
 それに較べ、神を持たない仏教や、多神教・アニミズムがいかに平和的か。一寸の虫にも五分の魂――このアジア的宗教観こそが、世界平和に最も近い。
 一神教とは民族のため、戦いのための宗教であって、その力を用いて平和を呼び込むことなど、そもそもが矛盾している。

Posted at 2006/11/14(Tue) 20:35:09

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この記事へのコメント

 旧約聖書には現代社会において有益な事もかかれていますよ。
 「偶像崇拝の禁止」ね。
 神様に会った事が無ければ神様だって偶像なんだから、むやみに崇拝するもんじゃない、と(笑)。
 加えて、権威や名声に目がくらんじゃうのも偶像崇拝と言えない事も無い。

 宗教といっても「賢くあれ」と説くか「僕となれ」と説くかで大違いですよね。西洋宗教のタテワリでトップダウン式の価値観はどうにも好きになれません。

Posted by ス at 2006/11/15(Wed) 03:23:28

一神教より多神教の方が、経緯的にまし。
な、だけではなかろうか。
対立したら、〆て、格下の神か悪魔にしときますね、って感じだし。

多分、一神教でも引篭もれてたら問題は無かったんじゃないかのー。
ま、宗教だけで平和とかも何も無いとは思うけどねー。

Posted by arima at 2006/11/15(Wed) 15:00:13

なるほど。
やっぱ神様なんていないのがベストですかね。
メガテンで言うなら、メシア教徒もカオスもイヤな感じですし。
でも、クー・フー・リンじゃ頼りないけど。

一定のヒューマニズムさえ備わっているなら、宗教になんて属していなくてもいい人だし、平和的な人のはずなんですが、海外で『特に宗教なんて信じていない』とか『神様なんていない』というとアナーキーみたいな、危険人物と見られます。これもなんか宗教による陰謀だよな、とか。

Posted by 紫陽 at 2006/11/15(Wed) 16:41:56

必要な人にとっては必要なのでは無いですかネ。
沸点低くて沸騰時に危険度が高いってだけで。
おまけに宗教団体なるなんか力のありそうなオプションもあると…。

>一定のヒューマニズムさえ備わっているなら、宗教になんて属していなくてもいい人だし、平和的な人のはずなんですが、海外で『特に宗教なんて信じていない』とか『神様なんていない』というとアナーキーみたいな、危険人物と見られます。これもなんか宗教による陰謀だよな、とか。
これについては…
凶行に走った人→自分のアイデンティティを叩き壊されたと思い
陰謀を企んだ・・・の人たち→自分たちの象徴を否定されては色々困る
程度の問題ってだけで、今の世の中に日常茶飯事の事では無いかと。
どっかの市民団体を誹謗中傷すると、身元割れると危険だぜ!みたいな・・・。

なんか今更だが、所々ずれてる気がしないでも無いけどw
まぁ、あれですよ。
メガテンで遊んだり、スプリガンとかで古代の神は宇宙人なんだ!とか、そう言う話見て喜んでるレベルなわけだけどねw

Posted by arima at 2006/11/15(Wed) 18:51:35

心のよりどころを宗教に求めるしかないって人も大勢いますからね。
 無敵とも言えるボクサーほど信心が強かったり。たとえばジョージ・フォアマンはアリに敗けるまで無敗でしたが、熱心なキリスト教信者で、世界中の貧しい子供達のタメに戦う、哀れなパンチドランカーでした。
 屈強なプロレスラーでも、ロードウォーリアーズのホークは信仰に目覚めて涙を流して歓喜したそうです。
 とはいえ、
「だから信仰というものは誰にだって必要なんだ」
 と単純に考えるアメリケンにはついていけないけれど


 スプリガンとかメガテンとか、面白い宗教観なんだけど、迂闊に外国人には見せられない怖さがありますよね。
 小学生が「うっしゃぁ、ヤハヴェ倒したぜー」なんて会話してた日にゃ、卒倒しそうな奴らが……
 皮肉が効いていて、本当は宗教どっぷりの奴にこそやって欲しいけど。

Posted by 紫陽 at 2006/11/16(Thd) 08:01:11

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