I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

阿修羅展見に行ってきました

阿修羅展


 6/6、最終日の一日前に阿修羅展を見に行ってきました。もう会期は終了していますので、次に見られる機会は恐らく50年も後でしょうね。

 ここがお寺だったら拝む人も沢山いたでしょうけれど、博物館の中で拝む人はさすがにいません。
 かく言う私も「この関節の構造だと動かせないよなぁ」「この比率は人間の比率じゃないよなぁ」などと、野暮な見方はしましたけれど、神仏を前にした気分というのはありませんでした。いかにも博物館的な見方とでも言いましょうか。

 やはり、祈りには適切な場所と雰囲気というものが必要です。どうしても造形ばかりに目が行ってしまって、博物館では、祈れません。

Posted at 2009/06/09(Tue) 16:49:52

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荒木飛呂彦氏の作品がルーブル美術館に展示

yahoo|オリコン;『ジョジョの奇妙な冒険』荒木飛呂彦のオリジナル作品がルーヴル美術館に展示

 人気漫画『ジョジョの奇妙な冒険』で知られる漫画家・荒木飛呂彦のオリジナル作品が、フランス・パリのルーヴル美術館で展示されている。1月22日(木)から始まった世界の著名な漫画家の作品を展示する企画展『小さなデッサン展―漫画の世界でルーヴルを』の一環として、日本からは荒木だけが唯一参加している。

 世界で評価される日本人って、どうして日本での評価はいまひとつなんでしょうね。
 荒木飛呂彦氏はコアなファンが多いので日本でも有名な漫画家と錯覚しがちですが、実は日本の漫画全体で見ると、それほどの評価ではないのです。実は比較的マイナーな部類の漫画家として見られています。インターネット利用者と、荒木飛呂彦ファンの数は比例すると思いますよ。要するに評価しているのは広義のオタクばかり、という状況。
 一方、締め切りも守れず描き続ける力もない冨樫の方が、天才(笑)などと言ってちやほやされています。一般的にも冨樫の方が知名度が高い。

 藤田嗣治とか、斉藤とか日本人は何人知ってるかわかりませんが、フランスでは有名な画家。
 小津安二郎の映画なんて日本人の学生は99%見ていないと断言できると思いますが、フランス人学生なら話しが通じるかもしれません。
 村上春樹氏も読者からの人気は素晴らしかったものの、文壇からは認められず。しかも今の10代20代の若者は村上春樹すら読みません。携帯電話のメール打ちだけでも日が暮れてしまいますから、本なんて読んでる暇がないんですよ。返事返さないとイジメられますから。教科書にでも載せてやらないと、本当に読まない。今では30〜50代が主要な読者層となっています。

 まあ、フランスのような国は知識層と下層で教養が完全に分断されていていて、しっかりしているのは上の方だけなのですが、日本の場合は教養も平均的にほぼ全国民に行き渡っているので、そういう意味では凄いことなんですけれどもね。
 ただ、悪く言うと平均的にバカということにもなってしまいますので、時々誰かが警鐘を鳴らす必要があると思います。

 最近はネットのお蔭で少しはマシになってきましたが、かつてはTVなどの巨大マスメディアに気に入られなかった作家やアーティストは全員、社会的に抹殺されたも同然でした。中川翔子なんてネットの力がなければ、いまでもTVに出ているかどうか疑問。
 未だに「ネットなんて信頼できない」なんてことを言っている人もいますが(そういう人に限ってみのもんたや朝日新聞を盲信していますが)、ネットに根幹となる情報を配信しているのは、実際には巨大マスメディア。
 ただし、それがネット普及前と違うのは、情報を受け取った側がかみ砕いて配信しなおすことができる点です。メディア側がおかしい情報を流せば、受け取った側全体でおかしい、という情報を共有しあうことができます。これがTVや新聞なら、完全になかったことにされてしまいますからね。

Posted at 2009/01/27(Tue) 08:48:10

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宮崎あおい

ntp_cover.jpg


今月号のnon-noの表紙、宮崎あおいとは気づかなかったです。子供っぽい印象を前面に出すこともできるのですね……。

東京メトロ;DO!駅チカ!(壁紙DL可)
こちらの印象も、ドラマなどで感じるものとはだいぶ違います。

 かわいいんですけれど、どこか無理してる感があるんですよね……。この人はなんか、脆い。瞳から受ける印象が空虚というか、何というか……。
 俳優さんの笑顔はあくまで売り物ですから、営業スマイルなのは当然といえば当然なのですけれど。

Posted at 2009/01/10(Sat) 10:30:32

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geisai#11

geisai11.jpg


 9/14、すこぶる体調の悪い中、geisai#11へ行ってきました
 ワンフェスで事故のあったエスカレーターは相変わらず停止状態でした。

esca.jpg


 イベントについて、一言で言えば
「アートもオタクも腐女子もサブカルもみんな仲良し\(^o^)/ 」
という感じでしょうか。

 コスプレの方もそこそこいて、コミケやWFでよく見掛ける方が撮影ブースを出してたり、学園祭コーナーをふらふら歩いているイケメンKAITOさんや鏡音リンもいました。
 体調悪かったんでカメコはしませんでしたけれど。

 学園祭コーナーには痛車の展示や――

itasha.jpg


――メイド喫茶や自衛隊コス喫茶もやってましたし、なんかもう完全にオタクイベントと化していました。
 もう一般人(笑)との垣根なんて気にしなくていいのかもしれません。

 球体関節人形は一体しか見つけられず。前回より少なくてちょっと残念。名刺を戴いてきました。

 着ぐるみは一般着ぐるみや頭部のみの被り物をそこそこ見掛けました。美少女着ぐるみはゼロでしたけれど雰囲気的にいて欲しい感じでした。
 このところ、私が注目しているのは美少女着ぐるみの世界です。

毎日jp;キャラホビ:ガンダム一色の中で「初音ミク」健闘 自衛隊も出展

 リンク先はつい先日のキャラホビでコスプレコンテストで賞を受賞していた初音ミクの着ぐるみですが、写真からわかるこの凄さ。コミケでも大人気で、2chでも写真が数多く貼られる(盗撮も多かったですが)ほどの愛されっぷり。
 今まで、美少女着ぐるみは怖い、気持ち悪いなどの声もありましたが、製作側の技術も進んできたらしく、リンク先画像のクオリティを見れば、誰もがうなるところです。
 初音ミクがそのまま現実世界に出てきたかのような出来です。凄いですね。

 ご本人から転載OKを得たので、ワンフェスの時に撮影したものを貼っておきます。

ワンフェス着ぐるミク

 geisaiでも、このレベルの美少女着ぐるみが出品されれば、何か受賞できるかも。(?)
 geisaiで受賞できればかなりハクがつきますし、美少女着ぐるみ製作の人は狙ってみてもいいかもしれません。

参考:
geisai#12

秋のうぇぶさいと

着ぐるみが暮らす世界

Posted at 2008/09/16(Tue) 17:28:31

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第61回アンデパンダン展

nogi_sakura.jpg


 少し手が離せなくて感想を書き終える前に会期が過ぎてしまいましたが、去る3月26日、第61回アンデパンダン展へ行ってきました。会場は国立新美術館。ついでにモディリアーニ展、乃木公園も見てきました。画像は乃木公園の桜。
 上野よりもこちらの会場の方が広くてあっているかもしれません。

 当日メモした中から、特に印象に残ったものを書いてみます。所持金不足でカタログを買えなかったので、メモ間違いなどはご容赦をば。

「道化王女」 樋口雅一
 怖いくらいにインパクトのある作品は、やはり目を引きます。

「眠りのなかにだけ平和がある」 高橋扶美子
 石に着色して作った、コミカルでかわいい動物の置物が沢山ありました。
 眠りは平和のシンボルのようですが、捉えようによっては後ろ向きにも聞こえますし、起きているときも平和であって欲しいですよね。

「しらないおじさん」 高橋扶美子
 さらわれてしまう! 怖い! と思ったらただのおじさんでしたー! というどことなく昭和の匂いがする絵本。
 現代日本では、大人は他人の子供に話し掛けるだけで逮捕されるリスクがあります。しかし児童への犯罪が増えたのかというと、逆に件数は大幅減少しています。昔は児童がレイプされても、よほどの大事件に発展しない限り報道されなかったのです。
 しかし現代は情報社会のために、些細な情報でも、誇張され一人歩きします。結果、社会が過剰防衛に走り、より恐ろしい、ギクシャクした社会となってしまいました。
 昔は、公園でしらないおっさんと遊ぶのもよくあることでしたし、そっちの方が健全な子供に育ちます。ただ、やっぱりリスクが大きいですし、大人の都合でやっぱり「しらないおじさんにはついてっちゃいけません」と防衛するのがベターな選択なんですけどね。

「布の絵本」 森田理知子
 紙の本はどうしても手触りがよくありませんけれど、布の絵本ってのは優しい感じがします。子供が指を切る心配もありませんし、いざとなれば洗えるかもしれません。

「沖縄を旅して」 安西矩子
 抽象画はコメントしずらいですね。恐らくは何も考えずにそのまま感じればいいのでしょうけれど。何か人目をひくものはあったかと思います。
 色遣いと筆致から、ショッキングな印象を受けました。

 沖縄といえば、最近は在日米軍の犯罪や、基地問題が気になるところです。しかし中国は「尖閣諸島をはじめ最終的に沖縄を自国領と考えている可能性もある」そうですから、実は米軍がいてくれるだけでも平和なんですよね。
 日本は良かれ悪しかれ無抵抗の国ですから、米国の後ろ盾がなければ外交的にも苦しいと思います。少なくとも尖閣諸島は確実に中国領になるでしょう。戦争さえ起こす必要はなくて、日本は無抵抗のままどんどん占領されていくんです。これって平和なことなんでしょうか……。

「戦争と人間 銃口」 小松昭夫
 どうにも美化されすぎなきらいがある劉連仁を讃える作品です。劉連仁事件はもはや政治問題ですね。
 一連の強制連行があったことは既に国が認めています。ネトウヨさん達がよく言うように強制ではなく募集に応じて来日したのだとしても、旧日本は外国人はもちろん、自国民に対してさえクレイジーだったことは覆しようのない事実です。上から圧力を掛けられれば、どんな労働にでも従事しなければならなかった時代だったことを忘れてはなりません。日本人の女工だってほとんどは強制と変わりありませんでしたから(拒否すれば非国民です)
 中国側も南京で500万人(また増えました)が僅か一週間足らずで虐殺されたとか、どう考えても物理的に不可能なことを訴えるのではなく、こういう確かなことに留めておくべきかと思います。
 ただし、金銭による賠償を要求するのはいいことではありません。ユダヤ問題を見ても、ドイツから賠償は行われていませんし、お金に換えられる問題ではないのです。
 だいぶ前に南京事件を扱った映画が全米で公開されましたが、「何らかの殺戮行為はあったろうけれど、この数字はあり得ないね」とか「戦争は恐ろしいことだね」という意見が大半だったそうです(尤もより大勢のアメリカ人は「リメンバー・パール・ハーバー」以外あまり興味はないですし、人口の約6割が原爆のことを全く知りません)。話しを膨らませ過ぎて、結局中国側は自分で自分の首を絞めているだけ。1つの嘘があれば全てが疑わしくなるのです。

・ありのままを伝える(美化しない、貶めない)
・誇張しない
・必要以上にがめつくしない

 この三点は過去の事実を掘り返す上で、鉄則だと思います。

「縄文杉」「紀元杉」抽尾はつ江?(メモが不鮮明で読めない)
 迫力があります。こういうのは写真よりも絵の方が伝わってきます。実際に見に行ってみたい気持ちになりました。
 こういう自然をできるだけ多く残せればいいのですけれど。もう無理かもしれませんね。

「笑い爺のもみ治療」「おりんの熱病」 除村 晋
 妖怪のマッサージで熱病が治ったという話。日本の妖怪って平和的に描写されることが多いです。日本という平和な土壌があったからこそ、妖怪というのも生まれたのかもしれません。
 コミカルで、ほのかにえろいです。

「空城の重量」 高野日出見
ノー・ウォー美術家の集い横浜
 無敵のレールガンが日本に設置されたら……というもの。周囲が武器を持っている以上は抑止力なくして平和はありませんが、下手に抑止力を手に入れればそれは権力者側の都合よく使われてしまいます。
 じゃあ抑止力を持たないのが正しいのかというと、それでは簡単に軍事力のある国から植民地化されてしまいます。例えばろくな軍隊を持たずに蹂躙されてしまったチベットが現在平和かというと、未成年の女子が軍隊から無抵抗のまま頭をぶち抜かれたりなど、とても平和と呼べる状態ではありません。
 多くの平和主義者は武器を捨てろ、日本に武器は要らないといいますが、いざ蹂躙されるような状況になったら降伏するか、抵抗して死ぬか、海外へ逃げるかの三つしか選択肢がありません。武器を捨てるのなら、全ての人が同時に捨てなければ何の意味もありません。結局どうしたらいいのでしょうね。

 他にも、今回は立体物のクオリティがやたらと高かったです。

「叫け美空間0803蘇生」 浅野琢也
GEISAI MUSEUM2; 画像などはこちらから
 懐かしい雰囲気の玩具の数々がズラリ。元は壊れた玩具のようです。
 それらを用いて、シュレディンガーの猫を模したものやら、独特の空間が創られていました。お蔭で作品の前では、子連れの母親が長時間お駄弁りしていました。子供の目を逸らすのにうまく使われていたようです。イマドキの子供にはこういうものが却って新鮮かもしれません。すぐに飽きてしまいますけれど。

 解説の多いのが気になりましたけれど、現代アートというのは解釈が難しいですし、作者の意図を理解した上で、もう一つ別の解釈に行き着くことができるような気がしますし、これはこれでいいのかもしれません。
 特に観覧車の悲鳴めいた音が印象に残っています。

 ところで今の子供の玩具は専ら任天堂DS。公園で2〜5人くらい集まって全員でDSやってます。本来はゲームをやらない層である女の子までも、やはりDSを弄っています。wi-fi通信で対戦やったりしているのですね。その光景は一種異様ですが、PCの前で唸りながら原稿を書いている私よりはまだマシかもしれません。
 ゲームウォッチのようなものではなく、初の本格的な携帯ゲーム機はゲームボーイでした。それが登場した頃は、現在のDSほど持っている子供はいなくて、一台のゲームボーイを数人で廻して遊び、待ち時間に野球やサッカーをやったりしていました。持っていなくてもみんなと遊べたのです。
 ですが、現代はDSを持っていなければ遊びの輪に加わることさえ難しいようです。時代の移り変わりは凄まじいものがありますね。

Posted at 2008/04/05(Sat) 06:30:15

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奈良県遷都マスコットにおけるプロジェクトの問題点

J-CAST;「奈良遷都祭」キャラに賛否両論 ミクシィでも大論争

奈良県マスコットにおけるプロジェクトの問題点

(3/7)ちょっと画像を変えてみました。

Posted at 2008/03/04(Tue) 15:26:36

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55周年記念平和美術展

 先週のことですが、55周年記念平和美術展へ行ってきました。

 単純に平和を表現するのにも色々あるんだな、と。

 ただし言葉による表現はどうしても弱いですね。『憲法9条守れ』では日本共産党のマニュフェストに過ぎません。
 しかも憲法9条が守られれば平和か? というと決してそういうわけではなく、国際情勢の変化により、「戦力不所持=平和」が通用した時代はもう終わってしまいました。
 永世中立国スイスなどは国民全員が兵隊で、小銃を持っているような国です。平和というのは力なくしては成り立たないというジレンマが必ず付きまといます。
 かつてのチベットのように防衛力が事実上皆無の状態であれば、他国から好きなように蹂躙され、結果的に平和は崩れ去ってしまいます(米国は極秘介入しましたが、中国との協調路線が構築されたためになかったことにされています)。生き残っても占領下の民俗差別により強制不妊手術や奴隷同然の人生が待っています。
 そうした経験から、現ダライ・ラマも防衛のために軍事力を持つことは容認しています。

 しかも中国はチベットの地を使って核開発を進め、軍事力を強化しています。捨て駒として使える兵士まで手に入れました。チベットがろくな軍事力を持たなかったことが平和どころか、より戦争の危険を加速してしまいました。


 このように大変難しい問題なので、言葉で平和を訴えるのは、至難の業です。『本当にそれで平和になるの?』と尋かれれば、二の句が継げません。政治家はスイスの例を好んで挙げますが、先述の通り国民全員がいつでも兵隊になれる国と、(比率上)ほぼ全員が銃に触れたことのない国民である日本とは比較ができません。

 その点、絵画や造形は言葉を持たない分だけ、より雄弁に見る者へ語りかけることが可能です。

 権利問題がありますし、画像を掲載できないのが残念ですが、一応感想めいたものも書いておきます。
 出展物の一覧もなく、しかも先日メガネを失くしまして、メモが読めない部分があります。その部分は●で示しています。申しあ在りません。


谷口正和「幽霊」
 東京大空襲時、火に囲まれて逃げられないところを、自分の赤ちゃんを守るために自分のお乳で冷やし、さらに全身の毛穴という毛穴から血液を吹き出させ、最後は紙のようになって風に散っていった母親の話を絵にしたものでしょう。

 実際にそういうことが可能かと問われて「人間というものは、時に人知を越えたこと起こすものです」と言った医者の談が忘れられません。
 乳は血液と成分がほとんど変わらないそうなので、限界を超えると血液が出るかもしれませんしね。

 この絵は隅の方にひっそりと飾られていましたが、充分すぎるほどの迫力がありました。


星●沢子「アンネのバラの咲く頃」
 アンネのバラ教会とかその関係でしょうか。
 素朴な女の子とバラの花壇が描かれている学校のデッサン画でした。インパクトは強いですね。

 ところでこういう素朴な女の子、都会ではめっきり見なくなりました。みんなどこかしら病んでるのですよね。
 親も悪いのでしょうが、子供に妙に色っぽい服を着せたり、無闇やたらとファッションに拘って、性犯罪を煽っているのではないかと思えるほどです。
 子供はそんなものを気にせず、できるだけ素朴に生きるのが一番しあわせだと思います。


大竹和子「夢中」
 何かに夢中になっている、白人のおじいさんの写真でした。こういう平和の光景はいいですね。面白いです。
 反戦をヒステリックに訴えるよりも、こうした作品の方がずっと効果は高いと思います。反戦はやりすぎると、却って憎しみを生みますから。


ウスルスンガイ(水墨画・墨書)
 モンゴル自治区からの出品です。モンゴル自治区も中共からの差別、政治腐敗、文化破壊の著しい地域です。
 最近の中共は幾分マシになっていますが(だからこそ怖いものもある)、文化活動をする人々には頑張って戴きたいものです。


ALAIN LAPIERRE「感情は無数のイメージを生む」
 カナダからの出品です。
 色々な表情が描かれているのですが、崩された絵柄なのでアルツハイマーの人が描いた自画像(グロ注意。見る人の気分を害する怖れがあります)を連想して、ちょっと怖かったです。

 人間の顔というものは本当に迫力があります。


浅野琢也(ネズミが走りパトランプが点滅しているオブジェ)
 タイトルを失念してしまいましたが、会場では子供ホイホイになっていました。触って遊んでも良かったでしょうに、親はなかなか詳しい解説までは読んでくれませんね。

 ネズミということで、アメリカをコミカルに批判した作品でした。愉しいネズミのおもちゃの下には犠牲となったアメリカ兵のオブジェが……。


安藤武雄「阿」「吽」
 阿吽(あうん)の呼吸などといいますが、狛犬のことです。口の開いている方が「阿」。閉じている方が「吽」です。
 この作品はその狛犬を撮ったもの。迫力のある写真には、ぐっと何かを訴える力があります。


●●恵子「白い花1・2」
 鉄砲百合の花を描いた油絵だったと思います。大判の作品でしたが、近くで見るよりも遠くで見た方がずっと印象が強かったです。

 

――平和のために何をしたらいいのか――

 余談になりますが、考えてみましょう。

 まずは何か間違ったことをしたときに、自分が悪かった、と認めることは基本です。

 以前私が図書館島という知人のサイトでイラク戦争を否定したときに、そこの管理人氏は「どう考えてもアメリカは正しい。大量破壊兵器も必ず見つかる。お前はイラク人が親戚か何かに違いない」「イラク戦争によって差別はなくなる」など怒り心頭の状態でしたが、彼の言ったことは結局何一つ当たりませんでした。戦争は何も生み出さないのです。戦争によってなくなる差別なんてものも存在しません。
 彼からは謝罪の言葉一つかけられたことはありませんし、むしろ逆に荒らし認定されたほどですが、恐らく本人はもうすっかり忘れていることでしょう。
 感情や、単純な利害関係でしか物を見られなくなると、人はそういう風に意固地になりがちです。

 憎しみの連鎖を断つには、まず自分が間違ったときに悪いと認めることです。
 私は匿名掲示板でも普段から、間違ったと思ったらすぐ謝ることにしていますが、不思議と険悪だった流れが良い方に変わるんですよね(もちろん、相手に悪意があるなら通じませんけれども)。個人に起因する利害関係がないぶんだけ、匿名の方がより人間の本質が見えますね。
 意固地になると、すぐ場が荒れますし、何より自分自身の気分が悪くなってしまいます。
 その点、謝ってしまえばスッキリして、気分もかなりよくなります。いつまでもグズグズ過去のことに拘るよりも、解決してしまった方がわだかまりがなくなります。

 ただし、謝罪によって物事を終息させるのは日本的な感覚であり、世界的には全く通用しません。なぜなら間違ったことを認めないどころか、次々と嘘の上乗せをしてくる人々もいるからです。

 間違ったことを謝罪するだけでなく、正しいことをしっかり主張することも必要です
 実際、日本の低姿勢外交は親日派中国人・親日派韓国人双方から強く批判されています(反日派に媚びへつらい、親日派の立場を悪くしているのは、他でもない日本です)

 中国のある重鎮はオーストラリアで「日本も朝鮮半島もあと20年後には、中国の領土となっている」と発言しています。韓国では小学生が学校の授業で「日本に攻め込めばいい」と発言し、しかも教師は戦争を否定しません。まさに反日教育の賜物ですね。
 明確な悪意を抱いている相手に対して、謝罪が平和を生むことは決してありません。今まで日本が中国・韓国に行ってきた謝罪は、金額に換算すれば国が一つ買えるほどですが、これで平和になったでしょうか? むしろ相手は逆に態度を険悪にしているのではないでしょうか?

 戦争は何よりもバカげたことですが、だからといって「不戦であれば平和」「軍隊を持たなければ平和」というのは詭弁に過ぎないわけです。
 悪意を持つ人々にとっては恰好の餌となってしまいます。何より世界中の経済に関与している日本が簡単に軍事占領される結果となれば、便乗して戦争をはじめる国や、利害関係が崩れて世界中で火の手が起こるかもしれません。小さな極東の紛争で終息するのか、世界大戦となるのかの分かれ目であるとすれば、責任重大です。
 しかも日本が占領されれば、日本人は兵隊として徴兵されることになります。これが果たして平和でしょうか?

毎日MSN;韓国:「親日派」第2次10人の土地没収を決定
wikipedia;親日反民族行為者財産帰属特別法
 憎しみはさらなる憎しみしか生みません。併合当時は韓国人のほぼ全員が親日派だったことは揺るぎのない事実ですから、この記事の法律は恐らく政治的に目障りな人間を排除しているだけだと思います。

 恩や幸福はすぐに忘れ去られますが、憎しみの連鎖は永遠に続きます。もし親日派と呼ばれる人達が実権を握れば、今度は反日派の人達が似たような目に遭うことでしょう。
 これは平和ではなく、戦争と何ら変わりません。

 なぜ韓国が反日を行うのかはこちらでどうぞ。
韓国は“なぜ”反日か?
 作っている人が多分VIP関係なので仕方ないですが、ネチズン(韓国内でも嫌われている鼻つまみ者達)の発言をあたかも一般の韓国人の発言であるかのように引用して批判したり、誇張の酷いところや、都合の良い記事の選定、差別発言もありますが、ネットでよく見る定番の資料です。
 残念なことに、この資料を裏付けるかのように、韓国では現在進行形で反日を否定した親日派韓国人学者が逮捕されたり、親日ブログが閉鎖に追い込まれたり、キナ臭い臭いが漂っています。
 あとは極右の人間が大統領になるか、軍事クーデターでも起これば、いつでも戦争の危険があります。アメリカさえ動かなかったら日本が軍事占領されるのに、現在では1日かかりません(交戦許可が出てからでは遅い)。国際情勢よりも、時には嫌悪感情が勝ることもあります。

 日本は自国がどれだけ危険な状態にあるか、もう少し認知してもいいかと思います。そしてその平和を守るためには何が必要で、何が必要でないのかをしっかり見極めないといけません。

 日本が平和であるためにまずやるべきことは、憎しみの芽を煽る存在の除去です。
 
 南京大虐殺で300万人が犠牲になったとか、当時の人口を全く無視した大袈裟な煽り文句が飛び交っています(先日350万人に増えましたので、来年くらい500万人に増えるかもしれません)。どんなにでたらめなことでも、映画を観た世界中の大衆はそれを素直に信じてしまいます。それが映画の効果です。スターウォーズを真実と言ってしまうのがアメリカ人ですが、大衆というものはいつでもそういうものです。

 早稲田大学医学部(笑)(当時の早稲田大学に医学部など存在しない)出身の自称元731部隊の人が出てきて、まことしやかな嘘(液体窒素で冷凍した人間の腕は重機でも用いない限り砕けることはない。嘘だと思うなら鶏肉でやってみるといい)をついたことも、つい最近ありました。

 人間というのは、簡単に暗い感情を煽られる生き物です。
 現在、世界中の人々が感情的になっています。理詰めではなく、感情の善し悪しで事実かどうかを判断するようになってしましました。

 そのために、声の大きい人の主張がまかり通るようになると、ブレーキの壊れた機関車のようになってしまい、どこまでもエスカレートしていきます。その行き着く果ては争いです。最終的には力によって感情を解放しないと、気が済まなくなってしまいます。

 まずは何が正しくて、何が間違っているかを国際社会にしっかり提示することが必要です。それは相手がグウの音も出ないくらいに、徹底しなければなりません。それで相手が困ることはありません。本来あるべき姿に戻るだけです。
 一時的な反撥は起こるかもしれません。しかし、そうしなければその先に待っているのはエスカレートしていく憎しみの連鎖だけです。

Posted at 2007/08/14(Tue) 11:22:00

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