先週のことですが、55周年記念平和美術展へ行ってきました。
単純に平和を表現するのにも色々あるんだな、と。
ただし言葉による表現はどうしても弱いですね。『憲法9条守れ』では日本共産党のマニュフェストに過ぎません。
しかも憲法9条が守られれば平和か? というと決してそういうわけではなく、国際情勢の変化により、「戦力不所持=平和」が通用した時代はもう終わってしまいました。
永世中立国スイスなどは国民全員が兵隊で、小銃を持っているような国です。平和というのは力なくしては成り立たないというジレンマが必ず付きまといます。
かつてのチベットのように防衛力が事実上皆無の状態であれば、他国から好きなように蹂躙され、結果的に平和は崩れ去ってしまいます(米国は極秘介入しましたが、中国との協調路線が構築されたためになかったことにされています)。生き残っても占領下の民俗差別により強制不妊手術や奴隷同然の人生が待っています。
そうした経験から、現ダライ・ラマも防衛のために軍事力を持つことは容認しています。
しかも中国はチベットの地を使って核開発を進め、軍事力を強化しています。捨て駒として使える兵士まで手に入れました。チベットがろくな軍事力を持たなかったことが平和どころか、より戦争の危険を加速してしまいました。
このように大変難しい問題なので、言葉で平和を訴えるのは、至難の業です。『本当にそれで平和になるの?』と尋かれれば、二の句が継げません。政治家はスイスの例を好んで挙げますが、先述の通り国民全員がいつでも兵隊になれる国と、(比率上)ほぼ全員が銃に触れたことのない国民である日本とは比較ができません。
その点、絵画や造形は言葉を持たない分だけ、より雄弁に見る者へ語りかけることが可能です。
権利問題がありますし、画像を掲載できないのが残念ですが、一応感想めいたものも書いておきます。
出展物の一覧もなく、しかも先日メガネを失くしまして、メモが読めない部分があります。その部分は●で示しています。申しあ在りません。
谷口正和「幽霊」
東京大空襲時、火に囲まれて逃げられないところを、自分の赤ちゃんを守るために自分のお乳で冷やし、さらに全身の毛穴という毛穴から血液を吹き出させ、最後は紙のようになって風に散っていった母親の話を絵にしたものでしょう。
実際にそういうことが可能かと問われて「人間というものは、時に人知を越えたこと起こすものです」と言った医者の談が忘れられません。
乳は血液と成分がほとんど変わらないそうなので、限界を超えると血液が出るかもしれませんしね。
この絵は隅の方にひっそりと飾られていましたが、充分すぎるほどの迫力がありました。
星●沢子「アンネのバラの咲く頃」
アンネのバラ教会とかその関係でしょうか。
素朴な女の子とバラの花壇が描かれている学校のデッサン画でした。インパクトは強いですね。
ところでこういう素朴な女の子、都会ではめっきり見なくなりました。みんなどこかしら病んでるのですよね。
親も悪いのでしょうが、子供に妙に色っぽい服を着せたり、無闇やたらとファッションに拘って、性犯罪を煽っているのではないかと思えるほどです。
子供はそんなものを気にせず、できるだけ素朴に生きるのが一番しあわせだと思います。
大竹和子「夢中」
何かに夢中になっている、白人のおじいさんの写真でした。こういう平和の光景はいいですね。面白いです。
反戦をヒステリックに訴えるよりも、こうした作品の方がずっと効果は高いと思います。反戦はやりすぎると、却って憎しみを生みますから。
ウスルスンガイ(水墨画・墨書)
モンゴル自治区からの出品です。モンゴル自治区も中共からの差別、政治腐敗、文化破壊の著しい地域です。
最近の中共は幾分マシになっていますが(だからこそ怖いものもある)、文化活動をする人々には頑張って戴きたいものです。
ALAIN LAPIERRE「感情は無数のイメージを生む」
カナダからの出品です。
色々な表情が描かれているのですが、崩された絵柄なのでアルツハイマーの人が描いた自画像(グロ注意。見る人の気分を害する怖れがあります)を連想して、ちょっと怖かったです。
人間の顔というものは本当に迫力があります。
浅野琢也(ネズミが走りパトランプが点滅しているオブジェ)
タイトルを失念してしまいましたが、会場では子供ホイホイになっていました。触って遊んでも良かったでしょうに、親はなかなか詳しい解説までは読んでくれませんね。
ネズミということで、アメリカをコミカルに批判した作品でした。愉しいネズミのおもちゃの下には犠牲となったアメリカ兵のオブジェが……。
安藤武雄「阿」「吽」
阿吽(あうん)の呼吸などといいますが、狛犬のことです。口の開いている方が「阿」。閉じている方が「吽」です。
この作品はその狛犬を撮ったもの。迫力のある写真には、ぐっと何かを訴える力があります。
●●恵子「白い花1・2」
鉄砲百合の花を描いた油絵だったと思います。大判の作品でしたが、近くで見るよりも遠くで見た方がずっと印象が強かったです。
――平和のために何をしたらいいのか――
余談になりますが、考えてみましょう。
まずは何か間違ったことをしたときに、自分が悪かった、と認めることは基本です。
以前私が図書館島という知人のサイトでイラク戦争を否定したときに、そこの管理人氏は「どう考えてもアメリカは正しい。大量破壊兵器も必ず見つかる。お前はイラク人が親戚か何かに違いない」「イラク戦争によって差別はなくなる」など怒り心頭の状態でしたが、彼の言ったことは結局何一つ当たりませんでした。戦争は何も生み出さないのです。戦争によってなくなる差別なんてものも存在しません。
彼からは謝罪の言葉一つかけられたことはありませんし、むしろ逆に荒らし認定されたほどですが、恐らく本人はもうすっかり忘れていることでしょう。
感情や、単純な利害関係でしか物を見られなくなると、人はそういう風に意固地になりがちです。
憎しみの連鎖を断つには、まず自分が間違ったときに悪いと認めることです。
私は匿名掲示板でも普段から、間違ったと思ったらすぐ謝ることにしていますが、不思議と険悪だった流れが良い方に変わるんですよね(もちろん、相手に悪意があるなら通じませんけれども)。個人に起因する利害関係がないぶんだけ、匿名の方がより人間の本質が見えますね。
意固地になると、すぐ場が荒れますし、何より自分自身の気分が悪くなってしまいます。
その点、謝ってしまえばスッキリして、気分もかなりよくなります。いつまでもグズグズ過去のことに拘るよりも、解決してしまった方がわだかまりがなくなります。
ただし、謝罪によって物事を終息させるのは日本的な感覚であり、世界的には全く通用しません。なぜなら間違ったことを認めないどころか、次々と嘘の上乗せをしてくる人々もいるからです。
間違ったことを謝罪するだけでなく、正しいことをしっかり主張することも必要です。
実際、日本の低姿勢外交は親日派中国人・親日派韓国人双方から強く批判されています(反日派に媚びへつらい、親日派の立場を悪くしているのは、他でもない日本です)。
中国のある重鎮はオーストラリアで「日本も朝鮮半島もあと20年後には、中国の領土となっている」と発言しています。韓国では小学生が学校の授業で「日本に攻め込めばいい」と発言し、しかも教師は戦争を否定しません。まさに反日教育の賜物ですね。
明確な悪意を抱いている相手に対して、謝罪が平和を生むことは決してありません。今まで日本が中国・韓国に行ってきた謝罪は、金額に換算すれば国が一つ買えるほどですが、これで平和になったでしょうか? むしろ相手は逆に態度を険悪にしているのではないでしょうか?
戦争は何よりもバカげたことですが、だからといって「不戦であれば平和」「軍隊を持たなければ平和」というのは詭弁に過ぎないわけです。
悪意を持つ人々にとっては恰好の餌となってしまいます。何より世界中の経済に関与している日本が簡単に軍事占領される結果となれば、便乗して戦争をはじめる国や、利害関係が崩れて世界中で火の手が起こるかもしれません。小さな極東の紛争で終息するのか、世界大戦となるのかの分かれ目であるとすれば、責任重大です。
しかも日本が占領されれば、日本人は兵隊として徴兵されることになります。これが果たして平和でしょうか?
毎日MSN;韓国:「親日派」第2次10人の土地没収を決定
wikipedia;親日反民族行為者財産帰属特別法
憎しみはさらなる憎しみしか生みません。併合当時は韓国人のほぼ全員が親日派だったことは揺るぎのない事実ですから、この記事の法律は恐らく政治的に目障りな人間を排除しているだけだと思います。
恩や幸福はすぐに忘れ去られますが、憎しみの連鎖は永遠に続きます。もし親日派と呼ばれる人達が実権を握れば、今度は反日派の人達が似たような目に遭うことでしょう。
これは平和ではなく、戦争と何ら変わりません。
なぜ韓国が反日を行うのかはこちらでどうぞ。
韓国は“なぜ”反日か?
作っている人が多分VIP関係なので仕方ないですが、ネチズン(韓国内でも嫌われている鼻つまみ者達)の発言をあたかも一般の韓国人の発言であるかのように引用して批判したり、誇張の酷いところや、都合の良い記事の選定、差別発言もありますが、ネットでよく見る定番の資料です。
残念なことに、この資料を裏付けるかのように、韓国では現在進行形で反日を否定した親日派韓国人学者が逮捕されたり、親日ブログが閉鎖に追い込まれたり、キナ臭い臭いが漂っています。
あとは極右の人間が大統領になるか、軍事クーデターでも起これば、いつでも戦争の危険があります。アメリカさえ動かなかったら日本が軍事占領されるのに、現在では1日かかりません(交戦許可が出てからでは遅い)。国際情勢よりも、時には嫌悪感情が勝ることもあります。
日本は自国がどれだけ危険な状態にあるか、もう少し認知してもいいかと思います。そしてその平和を守るためには何が必要で、何が必要でないのかをしっかり見極めないといけません。
日本が平和であるためにまずやるべきことは、憎しみの芽を煽る存在の除去です。
南京大虐殺で300万人が犠牲になったとか、当時の人口を全く無視した大袈裟な煽り文句が飛び交っています(先日350万人に増えましたので、来年くらい500万人に増えるかもしれません)。どんなにでたらめなことでも、映画を観た世界中の大衆はそれを素直に信じてしまいます。それが映画の効果です。スターウォーズを真実と言ってしまうのがアメリカ人ですが、大衆というものはいつでもそういうものです。
早稲田大学医学部(笑)(当時の早稲田大学に医学部など存在しない)出身の自称元731部隊の人が出てきて、まことしやかな嘘(液体窒素で冷凍した人間の腕は重機でも用いない限り砕けることはない。嘘だと思うなら鶏肉でやってみるといい)をついたことも、つい最近ありました。
人間というのは、簡単に暗い感情を煽られる生き物です。
現在、世界中の人々が感情的になっています。理詰めではなく、感情の善し悪しで事実かどうかを判断するようになってしましました。
そのために、声の大きい人の主張がまかり通るようになると、ブレーキの壊れた機関車のようになってしまい、どこまでもエスカレートしていきます。その行き着く果ては争いです。最終的には力によって感情を解放しないと、気が済まなくなってしまいます。
まずは何が正しくて、何が間違っているかを国際社会にしっかり提示することが必要です。それは相手がグウの音も出ないくらいに、徹底しなければなりません。それで相手が困ることはありません。本来あるべき姿に戻るだけです。
一時的な反撥は起こるかもしれません。しかし、そうしなければその先に待っているのはエスカレートしていく憎しみの連鎖だけです。
Posted at 2007/08/14(Tue) 11:22:00
芸術 | コメント(2) | トラックバック(0) | この記事のURL
この記事のトラックバックURL ->