チケットを購入してから随分経ったが、ようやく岩波ホールへ、黒木和雄監督の「紙屋悦子の青春」を観に行くことができた。
まず始めに抱いた感想は、俳優陣がとても巧いということ。
全身のみならず、バストアップの撮影でこれだけ長廻しをする作品は、現代の日本映画には他にない。細かく寸断された、ハリウッド式のカメラワークがほとんどだが、そもそも、俳優が長回しに堪えられないはずである。それでもしっかり自然な演技をした俳優陣には拍手を送りたい。原田知世ってこんなに巧かったんだぁ、などと妙に感心してしまった。
黒木和雄監督作品は「音」の扱い方に特徴があるのだが、今回は以前までよりも、音の質がより自然になった。もちろん以前までも巧かったのだが、効果音集から抜いたような音色だった。しかし、今回はより自然な音へと近づいたように思う。音だけでなく、光の工合など、細かいところまで行き届いた配慮に、映画監督としての思いやりと、良心とを感じた。
この、作品へ注がれる無限の思いやりというものが、時に天才を生み出す。黒木和雄は天才だった。これが未完とならなかったのは、何か神懸かったものを感じる。同時に、神懸かったところまでついに到達できたということだろう。惜しい人を亡くした。
反戦映画ではあるが、ストレートに反戦を訴えることはなく、薬臭くない。
会話のやり取りも非常に巧いのでだが(一部、非常にまずい部分もありますが)、原作である戯曲を読んでいないので、違いを較べることはできないが。原作者の松田正隆氏は「美しい夏キリシマ」のときも、共同脚本という形で参加していた。
Posted at 2006/09/28(Thd) 20:52:36
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