I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

プーシキン美術館展@東京都美術館



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 今日か来週に行かなければ後が辛い、と思ったら今日はよりによって勤労感謝の日。どうりで向かいの小学校がシンとしているわけだ。普段なら休日は外すのだが、yahoo0学占いの結果が良かったので敢えて今日にした。別に占いに頼っているわけではないが、別に右でも左でもいいような、考えてもまず答えが出ない問題の時は占いが一番解りやすく決めてくれるのでありがたい。自由意思なんて幻想に過ぎない。
 さて。記憶に残ったのは、モネの「睡蓮」と、マティスの「金魚」と、ルソーの「セーヴル橋とクラマールの丘、サン=クルーとベルヴュの眺め」。
 モネの「睡蓮」はまだあまり分解されていない睡蓮。睡蓮のバリエーションを全て集めて眺めれば、なかなか凄味があるのだが。
 マティスの「金魚」は可愛らしい色彩とユーモアのある画。しきりに「小学生の絵だ」と言っている客がいたが、これだけの色彩感覚のある小学生はどこか厭なものがある。
 ルソーの画ははじめ見たとき「ルソーみたいな絵だな」と思ってよく見たらルソーだった――という妙な工合だった。何しろ『ピカソとキュービズム』コーナーにあったので心の準備が出来ていなかった。さて、肝腎の画の方は熱帯植物画ではないので迫力は無かったが、気球が画面中央よりやや上方というあまりにわざとらしい配置で、とにかく眼に留まった。実物を近くで見ると、本気でルソーはアカデミックなものを目指していたのだと解る。とにかく“塗り”が印象派画家と較べると遙かに精緻である。
 逆に全く記憶に残らなかったのはセザンヌ。一目でセザンヌだと解るくらいに存在感が無い。正直、学生の絵を見ていた方が遙かに心が沸き立つ。存在感の無さがセザンヌの特徴なのかもしれない。
 他にはピカソ、ルノワールなどの画があった。
 ルノワールも好きなのだが、少し見飽きたような気がする。それでも暗い美術館で、遠くから見て一目でそれと解るくらいに明るい色彩にははっとさせられるものがある。
 今日は充実した時間をゆっくりと過ごすことが出来た。



 館内ではフランス印象派画の展示がやっているのに、館の前ではロシア民芸品売りやテルミン演奏会をやっていた。幾らロシアの至宝とはいえ、フランス人が創ったものを見たあとにロシア文化を見せられても、どうにも違和感がある。
 テルミンは私も所持しているが、座って演奏するのは初めて見た。私はふらつき病を患っているので立って演奏するのが辛いし、クオリティが落ちる。今度から座って演奏するようにするか。

Posted at 2005/11/23(Wed) 18:50:34

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