I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

人はなぜ“地下”に魅せられるのか。


 人は太古、自然に空いた穴や、人為的に掘った穴に住んでいた。今でも中国黄土高原には、洞窟式住居に住む人々が存在する。
 しかし文明人はアスファルトに隠された大地を見ることは土木関係者でもない限り、まず無い。それはあたかも人々から見られては困るものを隠し通しているようにも思える。もちろんそれは土でも同じことだが、ヒトは道路を舗装するようになってから、地下への憧憬をより強くしているように思う。

http://x51.org/x/05/10/3050.php

 ――地下王国、シャンバラは存在するか。

 人々を魅せてやまない“地下”世界。この言葉を聞くだけでぞくぞくしてくるのは、何もnethackerシレンマニアばかりではない。
 特にオカルティストにとってはおなじみで、オカルト小説家グスタフ・マイリンクも20年ほど前になぜかベストセラーとなった「ゴーレム」の中でドアの無い部屋とそれに続く地下道を書いている。
 地下はもっぱら移動手段として用いられることが多い。ベトコンしかり。地下を通れば、地上を欺いて世界中を繋ぐネットワークを築くことだって出来る。そして場所、地点、時間を越えた神話的な世界はこれによって可能ともなる。
 しかしもしそれだけ大規模な地下道網が築かれていたとするなら、もうずっと昔から発見されているはずであり、隠匿するにしても決して隠し通せない。したがって大規模な地下世界は存在しないと断定して間違いない。
 仮にシャンバラが存在していたとしても、それは最初に挙げた中国黄土高原にあるように、洞窟住居=“窰洞”【ヤオトン】のようなものではないか。ヤオトンは単なる洞窟ではなく、地下住居である。チベットもまた厳しい自然環境の国であり、ヤオトンに類似したものが存在していたとしても何んら不思議ではない。
 またヤオトンは、辻原登「ジャスミン」や同氏の他の短編にも登場しており、天安門事件の地下組織が本当に地下に潜る――という描写がされている。
 ――主人公が小さな村を訪れる。しかしその村では余所者を生け贄として谷へ突き落とすという風習を持っていた。――が、主人公は助かり、谷底のヤオトンで介抱され、その時に地下組織の人間を見つけるのである。村人はもちろんヤオトンの存在など知らない。――
 このようにヤオトンは隠れるのに最適だということだ。テロ組織タリバンも地下にシェルターを作って潜伏しているし、サダムフセインも地下の小さな室に隠れていた。人は何者かから逃れる時、地下にその居場所を求めるようである。穴があったら入りたい――それは人の持って生まれた本質なのかもしれない。


 現在チベットは中共によって支配されており、実質漢化、観光地化されている。農業での成功はあったとはいえ、チベットという国は高い標高と厳しい自然環境により不毛で、中国がその国土に組み入れるのにあまり益は無いように思う(むしろ貧困を拡大するばかりである)
 ここでキバヤシ的考察に入る。果たしてあのずるがしこい毛沢東や周恩来がイデオロギーや歴史上のわだかまりだけで軍隊を動かすだろうか。中共はシャンバラを狙ってチベットに侵攻したのではないか、というのはいささか飛躍しすぎだろうか。しかし第二次世界大戦の時期といえば、かつてナチスが(ヒトラー本人ではない)本気でオカルトを取り込み、占いで軍隊を動かし、聖遺物を求めたり、ハーケンクロイツを党旗に用いたりした頃である。もし世界各地へと繋がる地下ルートを手に入れられれば、圧倒的人海を誇る中共は世界を手中に収めることも可能なわけで、当時の人間が信じたとしてもさほどおかしくはない。

Posted at 2005/10/31(Mon) 19:01:48

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