I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

『論より証拠』は本当か?

 新しい科学の発見があった場合、それが認められるかどうかは『実験室で再現出来るかどうか』が決め手だという。決して客観性などというものは科学的ではない。これは要するに証拠を示せ、ということであろう。他の学者も同様にして実験を再現できたなら、科学的と認めても良いというのである。
 それと似たようなことに『論より証拠』という言葉がある。これをもっともだと思うか問われると、一瞬誰もが頷いてしまうことだと思う。しかし中谷宇吉郎「千里眼その他」によれば、これが案外危険な考え方なのだという。
 何んでも、明治の末期頃に千里眼事件というのがあって、あろうことか、帝大のお偉いさん方が実験をした結果、透視能力を『事実だ』と表明してしまったのである。実際には透視トリックを見破ることが出来なかっただけの問題なのだが、ともあれ証拠が提示されてしまった。そうすると、どうなるであろう。れっきとした証拠がある場合には、先に挙げた『論より証拠』の考え方から、論が置き去りにされてしまうのである。どれだけ理論に適っていなくとも、証拠だけを一人歩きさせて人々を惑わし、時にはヒステリックにさせてしまう。
 古代ギリシアの頃から、人は論を重視することで、哲学を生みだし、その哲学から科学が生み落とされた。その起源を見ても、決して“論”が軽んじてはならないものであることは明らかなはずである。一見絵空事のように見える量子力学も、相対性理論も、まずは論だった。新しい科学のためには、実は証拠よりも論の方が遙かに大事なのである。

x51.org;反重力物体浮遊現象 ― "ハチソン効果"は実在するか
 x51.orgでハチソン効果の話題が扱われていたが……。こちらは後の実験で確かめられなかったために失笑を買うのみとなったが、万が一他の実験でも再現出来ていたらどうであろう? 全く別の要素で物体が浮き上がっていたり、或いは再現できるように巧妙なトリックを仕掛けていたとしたら? そこで科学は一つのつまづきを経験することになる。
 ここで私が問題視するのは、ハチソン効果には『全く理論が存在しない』ことである。私は先進的科学が好きだし、何より眉唾なあやしい科学の方にもかなりの魅力を感じる。しかしそれは独特の理論に得るところがあるからであって、論理の鎖が全く断ち切られた――つまり“本当にオカルト的な”現象には全く魅力を感じない。
 ハチソンはこれらの現象をまったくの偶然によって得られたものだというが、もしそれが事実であるなら、彼がすべきことは実験の再現ではなく、理論を突き止めることであった。インチキなことというのは、インチキな理論にしかならないし、正当であれば理解してくれる人が必ず現れるはずである。ただ単に事実だけを挙げたところで、一体誰がどのように同調したらいいだろうか? いざという時に大事なのは、論である。
 科学の世界も分業化が進み、実験屋は実験だけやって、理論屋は理論だけ振り回すようになったが、これは良くない傾向である。数は少なくてもいいから、両方をしっかりと把握できる人間が必要とされている。
 ところで、ハチソン批判をするのに『と学会』の本を挙げる人があるが、あれは戴けない。あくまでエンターテイメントとして読むべき本である。いかがわしさについてのみいえば、実はいかがわしい実験をする人達と『と学会』とでは理論の振り回し方においてそれほどの差が無い。あの本を鵜呑みにするのもまた『論より証拠』の考え方と似ていて、危険である。大事なのは、各人が正しい知識と判断をもって物事に当たること。そのためにも、論は欠かせないのである。

 最後に中谷宇吉郎の話に戻すが、「千里眼その他」には付記がついている。千里眼についてのことが書かれたのは昭和十七年の頃だが、ちょうどその頃『日本式製鉄法』というのが軍の中で真面目に扱われていたという。その『日本式製鉄法』というのは、砂鉄から簡単に鉄を得るというもので、日本の環境にとても合ったものであった。それを見せられた海軍のお偉い様が騙されてしまったのである。
 この『日本式製鉄法』――実は鉄を精錬するのに十倍ものアルミニウムを消費する。アルミニウムを精錬するのは鉄よりも遙かに電力などの資源を要し、そして何より原料のボーキサイトは日本では全く取れないことをちょっと考えれば、これがいかにトンチンカンであるかということは、誰にでもご理解戴けるだろう。
 これが『論より証拠』の恐ろしいところである。簡単に鉄が精錬できるという証拠さえ見せられれば、人は簡単に騙されてしまうのだ。

Posted at 2006/06/23(Fri) 16:29:56

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この記事へのコメント

実験屋さんもある程度は理論をやりますよ。

Posted by 白のカピバラ at 2006/07/18(Tue) 03:36:40 URL

どうもありがとうございます。
仰るとおりです。全く理論が無いと実験すらできませんしね。
 理論と実践、両方を兼ね備えたスーパーマンが出てきて、物凄い発見でもしてくれれば、世の中少しは面白くなるのでしょうけど。このところはキナ臭いニュースばかりで、まるで昭和初期にタイムスリップしたような気分です。思い描いていた未来図とはかなり違っていて、がっかりさせられます。

Posted by 紫陽 at 2006/07/18(Tue) 21:43:32

 

今頃なんですが...
迷信調査協議会編『日本の俗信2 俗信と迷信』
という昭和27年だかに発行された本の復刻版
をこないだ読了したので

簡単に言えば
当時の文部省で迷信の調査を行なっており
その結果を纏めた本です

しかし非科学に人々が騙されるというのは全く変わってませんねー
そういう非科学(例えば最近ではホメオパシー)を信奉する人が反撃するパターンも上記の本に書いてあるとおりです

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Posted by 伍玖肆 at 2010/12/29(Wed) 19:58:16

 

>伍玖肆さま
今も昔も変わらず……ということなのでしょうね。

 現代でも、未だに昭和的高額なカーアクセサリーやオーディオ向けアクセサリーに騙される人達はいなくなりませんしね。
 カーアクセサリーもオーディオアクセサリーも理論付けは抜きでいきなり『音質が良くなる』とか『燃費が30%向上する』など結果だけが先に書かれています。
 このような宣伝法に引っ掛かると、もうプラセボ効果で実際に効果があるように感じるのが人間というものです。

 そしてそういった人達は否定されると「現実に結果が変わったのだ!」とやはり牙を剥いてきます。錯覚とは恐ろしいものですね。

Posted by 紫陽 at 2011/01/10(Mon) 22:43:45

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