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インドで単眼症の嬰児が生まれる


 なんでも評点;単眼症で生まれたが元気に泣き声を上げているインドの赤ちゃん、「成長できる見込み高し」と医師たち

 単眼症は胎児期に脳の右脳、左脳への分化が巧くいかなかったために起こる症状とされている。通常は鼻が先に作られ、眼は後に作られる。眼は前頭部の分化に合わせて左右に分かれ、鼻がその間を通って下へさがってくるのだが、眼の分化が行われなかった場合は、鼻は眼の上に付いたまま発達するため、一見象の鼻のようになってしまう(山羊などの哺乳類の場合は同一ではない)。鼻と眼の位置が同じになってしまうため、視覚は機能しないことが多いという。
 この嬰児の脳がどの程度まで分化し、どの程度まで正常なのか、興味のあるところ。こういうことを言うと不謹慎と思われがちだが、私はこうした事例に対し、ドライな感情しか持ち合わせていない。下手な感情論――たとえば、可哀想だから、人間だから、知性があるから、神の意思だから、などといった主張が、メロドラマとヒステリーと争い以外の何かを生み出した事例を私は知らない。
 人間というのは、あるがままにあるものを受け容れる以外には無いのだろう、と思う。変に覆いを被せる必要はないし、存在を全否定することもない。どれだけ証拠写真やホルマリン漬けを見せられても単眼症児の存在を疑う人は多いが、現にこうして生まれてきたのである。

 単眼症の子供は動物の場合には比較的長く生きる例もあるようだが、人間の場合は通常長くは生きられないと言われている。
 だからこそ、こうした発達障害の子供がある程度長生きすることは、医学的・生物学的見地においても大いに価値がある。そもそも脳の機能が発見されたのは、脳に起きた障害(怪我)が発端とされている。障害者と健常者とを較べることで、医学は大きな発展を遂げてきたのである。
 もし単眼症の子供が成人まで生きるとすれば、人間の脳について、数多くの未知の部分が解き明かされるだろう。動物では、どうしても不足なのである。
 左右の脳の連携はどれだけ必要なのか? 運動能力には関係するのか? 精神は? 発達過程は? 疑問はいくらでも尽き果てない。もし言葉を喋ることが可能なら、そこから重要なヒントを得ることができる。

 もちろん人間なのだから本人、及び両親の幸福というヒューマニズムに関連した問題も発生するが、それは本人達が判断すれば良いことであって、部外者は何一つ決めることができない。
 ただ、一つだけ確実に不幸なのは、社会が“蓋”をしたり“隔離”してしまうことである。記事の嬰児が生まれたインドなどは比較的おおらかだが、戦後日本は人権擁護の名を借りて、数多くの障害者を社会から抹殺してきた。そして現在でもそうした人達は大勢いる。この嬰児が長く生きられたとき、そのような事態にならないよう祈るばかりである。

関連:
x51.org;単眼症の幼児が生まれる ロシア

Posted at 2006/08/08(Tue) 00:24:43

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