I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

池内紀

 昨日10月31日月曜日、「香水」カフカ全集の翻訳で知られるドイツ文学者池内紀がウチの学校に講義しに来ていたらしい。私は聴講しそこねた。がっかりだ。今日まで講義のあることは知らなかった。以前から講義予定表を見よう見ようと思いながら、見逃していたのだ。終わってから確認するとはいかなることか。せめて来週だったらどんなにいいことだろう。
 そもそも、その日は学校へ行く予定だった。諸々の用事や個人的に会いたい人があり、必ず行かなければならなかったのだ。なのに、私は動けなかった。――というのも、夜勤明けで2,3時間仮眠するつもりが、疲れのせいか10時間ぶっ通しで眠っていたのだ。起きたときにはもう全ての講義は終了していた。こういうのも、運命かもしれない。ツヴァイク的運命論だ。この場合は致命的な失敗として、刻みつけられるばかりだ。今更悔やみようがない。運命を変えるほどの“何か”がある時ほど障害はつきものだ。いざという時にはその障害を乗り越える意思力が必要である。寝坊や弱気のせいなど、一番情けない理由だ。
 因みに、辻原登は池内紀のことが大嫌いらしい。池内紀の翻訳は直訳とも言えるくらい原著に忠実であり、日本文学的な虚飾を廃した文章である。それが今までの他のカフカ作品の翻訳との決定的な違いとなった。そこのところが気に食わないのかもしれない。
 ――かといって文章に魅力の無いわけではない。香水の文章はまさに匂い立つし、本来事実ばかりを列記し実存主義的とも言えるほどの冷徹な文章だったカフカの魅力は、池内訳で確かに生きている。

Posted at 2005/11/01(Tue) 23:18:16

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