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中島敦が目指した小説の形

 前回は宇野浩二を挙げて基準そのものが違うと結論した。では、中島敦は一体どのような小説を目指していたのだろう。
『古譚』四篇を見ると、「狐憑」は平凡な青年が突然見たこともない出来事を物語りはじめるという“物語”の誕生――つまり語り手の発生を憑きものになぞらえて描き、「木乃伊」は憑きものよりももう一歩進んだ、蘇る前世の記憶、前世との奇妙な邂逅、そして一体化を描き、「山月記」は転じて詩人が虎となってしまい、「文字禍」は文字によって老博士が殺害されることで終結する。見事な起承転結。鋭いモチーフ性。これは一つの巨大な漢詩(“絶句”と呼ばれる型が起承転結の語源である)と言っても差し支えあるまい。
 これらは決して当時流行していた心理小説や、いわゆる私小説ではない。なぜ、中島敦は流行を追わなかったのか。
「光と風と夢」の中でスティーブンソンの言を借りて述べていると思える箇所がある。

『私一個にとっては作品の「筋」乃至「話」は、脊椎動物に於ける脊椎の如きものとしか思われない。「小説中に於ける事件」への蔑視ということは、子供が無理に成人っぽく見られようとする時に示す一つの擬態ではないのか?』
『性格的乃至心理的小説と誇称する作品がある。何とうるさいことだ、と私は思う。何の為にこんなに、ごたごたと性格説明や心理説明をやって見せるのだ。性格や心理は、表面に現れた行動によってのみ描くべきではないのか? 少なくとも嗜みを知る作家なら、そうするだろう』
『リアリズムの、ロマンティシズムのと、所詮は技巧上の問題としか思えぬ。読者を引き入れる、引き入れ方の相違だ。読者を納得させるのがリアリズム。読者を魅するものがロマンティシズム』
(過度に写実的な作品を評して)『文学とは選択だ。作家の眼とは選択する眼だ』
 これらがスティーブンソンの実際に言葉かどうかは知らない。しかしそもそも共感が無ければ中島敦も書かなかっただろう。ヌーヴォー・ロマン(アンチ・ロマン)や過度の写実主義、心理小説への批判と見えるが、これらはそのまま日本の私小説的純文学への批判にも繋がる。小林秀雄も似たような文学観を持っていた気がするが、とにかくこれでは“大家”はあまりいい顔はしないかもしれない。

 また、「草魚木(たこのき)の下で」というエッセイには次のようにある。
(日本の文学を批評して)『久しぶりで文学作品を読むと流石に面白くはあったが、南洋呆けして粗雑になった私の頭には、稍々微妙に過ぎ難解に感じられることが無いではなかった』
 何よりも“闊達”を愛する中島敦。彼もまた南洋の地にあって、スティーブンソンと同様ツシタラとなったのかもしれない。

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 ところで「木乃伊」が青空文庫に無かった。書見台が届いたら、テキスト化してみようか……。

Posted at 2006/02/06(Mon) 18:37:51

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