http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060212-00000016-kyodo-ent
どっちかというとびっくり人間ショーみたいな。ふーん、とは思うけど、別に作品に対する興味はない。解説だけ見れば、青春小説の王道みたいですし。
さらに、携帯電話で書いた――というのも、実は一昨年くらいに携帯電話メールに限定した小説大賞が何度か開催されていたので、二番煎じどころの話でなく。250枚? 正直読みたくないな。(笑)
300枚の小説でも、ただ単に文字を並べるだけなら、一週間で出来ます。それが何ヶ月どころか何年も掛かってしまうのはクオリティを高め、構成や作品のモチーフを表現出来ているかどうかを何度も見直すからです。
中身の問題ではなく、書いた“方法”が着目されるのは一番悲惨なことです。手で書こうが脚の指で書こうが、口で書こうが、おっぱいで書こうが(おっぱい画家というのが昔いましたので(笑))結局全部同じなんですよね。
目立つのは角川ならではの節操の無さ。形骸よりも、意味について一番考えさせなきゃならない年頃の子供を商売のダシに使っているとしか思えない。もちろん択んだのは選考委員でしょうが、本気でお金で出して読みたい本だと思っているのかどうか。インターネット上でやった、皆んなが自由に閲覧できる、というのなら大いに賞賛するのですが、それが商業ベースとなると「電車男」や「のまねこ」と同類みたいでなんだか、厭。
ところで私がよく自分で言い聞かせていることは『俺は今日、どれだけの努力をしただろう』ということ。努力をしない人間には何事をも成す資格が無い、と思っています。携帯電話で書いてみた――試みは面白いけど、作者の少年がその手の方向にばかり走るのではなく、きちんと努力を続けてくれるのなら何も文句はないし、とても嬉しいことです。
参考:
2月号の野生時代
Posted at 2006/02/12(Sun) 07:51:30
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