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文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

車に乗る村上春樹と乗らない村上春樹

 車の免許を取得する以前の村上春樹と、免許を取得し、世界中を車で旅するようになった村上春樹とでは、文章がまるで違うと思う。
 特にエッセイ方面で顕著な影響が出ていますけれど、車に乗るようになってからは、どこかしら自信のようなものがみなぎっている。逆に免許取得前はどこか青臭く、人間的にまだ幼い所が前面に出てきている気がする。
 やはり自動車に乗って行動範囲・方法が増えたことで、世界観が大きく拡がったんだと思います。現実的にもなる。

 ぶっちゃけ、大人になるってそういうことよね。


 ところで1Q84ですが、もし1Q84を映像化・漫画化した場合、観念である少女との性交はやっぱり児童ポルノになるのかしら。あるいは、文章だけでも過激であるとして児童ポルノとされる日はさほど遠くない気もしますけれど。
 もちろんフィクションですから、そこに児童ポルノ被害者なんて存在しないし、さらにフィクションの中でも性行為を持つ少女はあくまで「観念」の存在です。
 あるいはふかえりと主人公の交わりも、法律的に見れば違法でしょう。

 こういう風に現実世界の法律違反を、フィクションの世界にまで持ち込もうとすると、急におかしな話になります。
 表現への規制はどんどん進んでいくでしょうけれども、文学小説で、芸術としてこのような表現は許されて(娯楽小説・官能小説ならば出版社の自粛が入るはず)、漫画・アニメでは絶対に許さないよ、となったなら、やっぱり日本の文化の定義って曖昧なんだな、と思います。

 逆に1Q84がノーカットで漫画・アニメ化されたなら凄いことなんだと思う。

Posted at 2009/09/03(Thd) 10:34:55

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