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中島敦――第十五回芥川賞選評より抜粋

 今や高校生向けの教科書に掲載され、誰もが知るところの中島敦。彼の作品「光と風と夢」が第十五回芥川賞候補作に択ばれたが、結局選無しという結果であった。これからの活躍が期待されていたが、中島敦はそれから僅か四ヶ月後に喘息によって他界してしまう。享年三十三歳であった。
 芥川賞の選考というのは実に不思議(あるいは不気味)なもので、選考委員として選評をすると、普段は物わかりのいい人が途端におかしなことを言い始める。それは現代でも全く変わっておらず、芥川賞発表号の文藝春秋を買って選評を読むと半分くらいは「?」というコメントばかりが並んでいる。
 尚、よく聞かれることに『芥川賞なのに、芥川っぽい作品は受賞できない』という愚痴があるが、芥川賞はあくまで菊池寛らが創設した、出版された本/文芸誌に掲載された作品への新人賞なのであって、芥川はほとんど全く関係ない。
 ともあれ、ここでは中島敦にスポットを当て、第十五回芥川賞選評を書き残しておく。
 なお、太線にした箇所は、私が「?」と思った箇所で、黄色に変えたのは、全くその通りだと思った箇所である。

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瀧井孝作
「光と風と夢」中島敦氏。文學界五月号。
 これは読んでは一寸面白いと思ったが、反訳か何かに似た粗らい文章が創作ではないやうな感じもした。またこの作者の作品で、文學界二月号に「古譚」といふのがあって、これも読んだが、これは衒学的なくさ味があってどうも好きにはなれなかった。この意味で、この作者も尚工夫すべきではないかと思はれた。

小島政二郎
「光と風と夢」(中島敦)は、小説家のスチブンソンを主人公にした長い小説である。伝記や手紙を素にして、これだけに纏め上げるのは大変な努力だったらうと思ふ。が、海洋の風物描写など、文字面だけで、現実の色彩も光線も我々の五感に迫ってこない。その点、私は退屈した。
 同じ作者の「古譚」も読んだ。これはなかなか面白い。しかし、芥川賞に推薦する程の「小説」ではない

室生犀星
「光と風と夢」に私は一票を投じた。「松風」は次席にしたが「光と風と夢」も読んだ作品のなかの秀作として見たのである。達者な作者であるがかういふ作品には真実といふものの俤を捉へることが甚だ困難であつて、読んで面白かつたが、それとは別に私のほしいものが見られなかつた。
 授賞なしといふことになつたが、授賞が得られなくとも、委員の問題となったのはこの二作品が主であつた。

宇野浩二
「光と風と夢」は、題材は変つてゐるけれど、明らかに、冗漫であり、散漫であり、書き方も、安易で、粗雑である。それで、念のために、この小説の作者の別の作品、「古譚」を読んでみると、「光と風と夢」が、仮りに、荒削りの作品とすると、「古譚」は、反対に、細工があり過ぎる。さうして、これも、題材は変つているけれど、書き方は、凝ってゐるやうで、下手である

川端康成
 私は予選委員の一人として、石塚氏の「松風」と中島敦氏の「光と風と夢」との二篇を選んだ。そのいづれかに、或いは二篇共に授賞したかつた。しかし、委員の多数が反対であつた。前にも賞を休んだ例はあるが、今度ほどそれを遺憾に思つたことはないやうである。右の二篇が芥川賞に価ひしないとは、私には信じられない。「松風」や「光と風と夢」とが既往の受賞作に劣るとは、到底信じられない。けれどもただ、「松風」も「光と風と夢」も「文學界」に発表の当時、反響が高く、相当の人々に読まれもしたので、一応世に出て認められた作品であるから、さういふ意味では、作者と共に私も慰められるわけである。勿論、両作とも小説としての欠点はあるので、作者が今回の事を精進の鞭ともするならば、或ひは却つて幸ひであらうか。尚私は先づ「松風」を推し、「光と風と夢」を次とした。

久米正雄
「光と風と夢」は、「松風」と対照的な野心作であり、学究的な才気と、研究者の執拗とをタツプリする程備へた作品で、どちらかと云へば、私などは圧倒され勝ちなものだった。正直なところ、素晴らしく辣腕で、力作なのは分つたが、いいのか悪いのか分らない気がした。只、誰が何と云はうと、賞賛すべきは、これだけの世界的規模を持った作品が、吾が南方研究者の手で、作られていると云ふ事。是は直ちに英訳して、戦時下の英国民に読ませたら、どう感じるだらうと思はれた事
 ――その点で、無理にも推賞したい野心は涌いたが、結局、それは国際文化振興会にホン気で、推薦する事にして、私は卑怯ながら敬遠する気になった
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Posted at 2006/01/28(Sat) 09:51:30

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 「光と風と夢」のスティーブンスンって「宝島」作者の?違うか…。
>宇野浩二
>題材は変つているけれど、書き方は、凝ってゐるやうで、
>下手である。
 この台詞は最近の若手受賞作家に言うべき言葉ではないかと(笑い)。
 しかし総評を読んで作品を想像するのは目隠しをして像の姿を知るような感じでなかなか楽しいです(笑い)。総じて…内容は魅力的だが技巧的に荒削りな部分があるといった感じなのかなぁと。荒削りというのもひとつの魅力なのですが、そこを理解できるかどうかで意見が分かれているような気はします。

Posted by ス at 2006/01/28(Sat) 17:30:06

「宝島」や「ジキルとハイド」のスティーブンソンです。あの人も中島敦と同様に喘息の発作を患っていたようで。
スティーブンソンが南洋の地で喘息の苦しみから解放されたのに引き替え、中島敦はむしろ悪化。おまけにデング熱などのあちらの病気に次々と感染しているのが悲惨ですけど。
 
「光と風と夢」は最近の小説のスタイルからすれば、それほど珍しくもないのですが、当時は随分珍しかったようで、歴史が歪められている、とか色々な評がありました。
 確かに、保守的な純文学の流れからすると、異質ですね。突如彗星の如く道を切り拓いていったかと思うと、まるでその役目を終えたかのように死んでいったわけですから。
 
>目隠しをして像の姿を知るような感じ
 これはなかなか面白い。(笑)

Posted by 紫陽 at 2006/01/28(Sat) 21:47:07

修正

ああ、なんか中島敦とスティーブンソンが混じってしまった。失敬失敬。
スティーブンソンが滞在していたのはサモア(オーストラリアの東方にある群島)で、当時は独英米の三ヵ国が分割して植民地化していました。
中島敦が滞在していたのはパラオ(フィリピンの東方にある群島)です。
ついでにポール・ゴーギャンが滞在していたのはタヒチですが、時々全部が私の頭の中ではごちゃまぜになることがあります。(笑)

Posted by 紫陽 at 2006/01/28(Sat) 22:07:22

>タヒチ・サモア・パラオ
 …ぜーんぶ同じ絵(=ハワイ)しか思い浮かびません(笑い)。

Posted by ス at 2006/01/29(Sun) 02:45:13

日本人はどこから来たか

全部ポリネシア系ですからね。正確にはカナカ族とかあるんでしょうけどそういうのは、あまり詳しくないです。
ただ、あの辺の人達は一体どうやって外洋を渡ったのか未だによく解っていません。(笑)
 
これは余談ですが、多分古代から日本人のDNAにはポリネシア系の遺伝が確実に混じっていると思います。柳田国男「海上の道」説ということで、南から日本列島に渡ってきた民族が、必ずいるはずです。
 薩摩隼人というと、戦国時代では既に九州男児の意味でしたが、本来は隼人といえば王権にまつろわぬ南方異民族のことで、ヤマトタケルノミコトが女装してカワカミノタケルを誅殺しましたが、恐らくこの熊襲と隼人は同一ではないかと。そしてその熊襲・隼人のルーツは、ポリネシア系かもしれません。北のアイヌ族、東の蝦夷(土蜘蛛?)・渡来民、南の隼人……と。蝦夷などは単純に王化に反した大和系民族だった可能性が高いとしても、南の熊襲・隼人はどこか日本人離れした印象があるので柳田ルートにも期待が掛かります。
 まー、現代人の顔見てると、どう見てもポリネシア系としか見えない顔と地肌をした人もいますしね。あ、失礼かもしれないけど(笑)、別にそれを悪いこととは思ってないから。
 
そうすると、ユダヤ人みたいな顔をした人は一体なんだろう、と思いますが。完全にサブカルですが、日本人=ユダヤ人起源説なんてのもあるんですよね……。(笑)

Posted by 紫陽 at 2006/01/29(Sun) 11:23:07

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