I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

宇野浩二

 前回の中島敦の芥川賞落選評の件について、一番手厳しかったであろう、宇野浩二について。

20061628184731563.jpg


 1919年「蔵の中」で文壇に本格デビュー。処女作は「清二郎 夢見る子」。代表作は「枯れ木のある風景」「思い川」など。“文学の鬼”との異名を持つ。ゴーゴリを敬愛。作品は幻想的な色合いを含むものも多く、現代でも根強いファンがいる。
 非常に括弧書きの多い作家で、全集サイズになると酷いときには見開きページに七、八箇所の括弧書きがあり、しかも括弧書きと次の文章とが繋がっていないので、音読が困難。選評は概して厳しく、容易に受賞作を認めなかった。

 ではそこで、選に厳しい宇野浩二の実力を測るために、作品を抜き出してみる。公正な比較をするために、実質上のデビュー作「蔵の中」の書き出しを記す(旧字体は新字体に変換、かな遣いはそのまま)。太字は、バッテンを付けたい箇所。
----
 そして私は質屋に行かうと思ひ立ちました。私が質屋に行かうといふのは、質物を出しに行かうといふのではありません。私には少しもそんな余裕の金はないのです。といって、質物を入れに行くのでもありません。私は今質に入れる一枚の着物も一つの品物も持たないのです。そればかりか、現に今私が身につけてゐる着物まで質物になつてゐるのです。それはどういう訳かといふと、私はこの着物で既に質屋から幾らかの金を借りてゐるのです。したがつて、私は、外の私の質屋にはひってゐるもののために、六ヶ月に一度づつの利息を払っているほかに、現在身につけてゐるこの着物のためにさへ、これは一月に一度づつ、自分の着物でありながら、損料賃として質屋の定めの利息の三倍を持っていかねばならぬ身の上なのです。
 そして私が質屋に行かうと思ひ立つたのは――話が前後して、たびたび枝路にはひるのを許していただきたい。どうぞ、私の取り止めのない話を、皆さんの頭で程よく調節して、聞きわけして下さい、たのみます。
 それは今年の夏の蟲干しから思ひついたことなのです。今年の夏の蟲干しなどといふと、毎年それをするやうに聞こえますが、実は自分の手でそんな事をしたのは、これが初めてなのです。着物が相当に自分の手元にあった時分には、ずぼらな私はそんな面倒な事はみんな余所の人がする事のやうな気がして、自分などにはてんで思ひもよらなかつたことでした。ところが、自分の愛する着物どもが、みんな私の手元をはなれて、質屋の蔵にはひつてゐる折柄、ある日、私は、向こうの家の二階に、明けはなつた部屋の中に、縦横に綱をわたして、赤い紅絹裏の中年の女の着物や、数へたてると限りがないが、さういふものが古着屋の店のやうに掛けならべられてあるのを私の部屋から眺めた時、私は、それ等の着物よりは確に大分上等であるところの、私の手元にない着物どもをたまらなく懐かしく思ひ出したのです。私は早速質屋に走つて行きました。
----
 どうやら“巧い文章”の基準が違うようである。
 イマドキの三十代前後の若手芥川賞受賞作家に、何も知らせずに全く無名の新人の作品として読ませたら「文章がへた」と評するかもしれない。そのくらい、現代ではこういう小説は受け付けられない。
 しかしもちろん当時としてはごく一般的な文章であり、決して下手というわけではない。いわゆる「心境小説=私小説」として当時は流行っていた。全作品から評価すれば『並の上』の作家と言えるだろう。
 それに「清二郎 夢見る子」や「枯れ木のある風景」などは読んで素直に面白かった。ただ、そういう作家なら、中島敦の作品にシンパシーを覚えてもおかしくはないはずだが。あるいは“文学の鬼”として恥ずかしかっただけかもしれない。

 ところで余談だが、向田邦子の「思い出トランプ」直木賞選考の際には、彼女が肝臓病や乳癌の後遺症などで執筆が難しく、また死期の近いことを知っていた審査員の『もし向田がこれで受賞を逃せば、二度と向田は直木賞を受賞出来ないんですよ!』という意見が決め手となって、受賞が決まったそうな。
 これはこすずるい話かもしれないが、もし中島敦の死期の近いことを選考委員が知っていたら、少しは評価も違ったかもしれない。選考委員の大部分は候補作でない『古譚』にまで言及するなど、期待は大きかったものの、中島敦という作家を見極めるためにあえて授賞しなかったように見える。
 恐らく中島敦がもう少し長生きをしていたら、生前から名誉を手にしていたものと思う。しかし早逝したからこそ、特別な作家として死後もなお読まれ続けているのかもしれない。

Posted at 2006/01/31(Tue) 06:24:19

文学・歴史・民俗学 | コメント(0) | トラックバック(0) | この記事のURL

この記事のトラックバックURL ->

↑ページの先頭へ

この記事へのトラックバック

「宇野浩二」へのトラックバックのRSS

この記事へのコメント

名前

E-mail(※スパムトラップですでの何も書かないでください)

コメント


コメント本文以外は全て入力不要です。

宇野浩二へのコメントのRSS