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文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

5・6月に買った本その5、『旧約聖書外典・下』

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『旧約聖書外典・下』関根正雄編 講談社学芸文庫

「スザンナ」 新見宏訳
 これはダニエルを主人公としたダニエル書の附録の一。


不法はバビロンからあらわれた。

裁判人である長老から、

民を指導するはずの者たちから

出て来た。

 バビロンにヨアキムという者が住んでいたが、ヒルキヤの娘でスザンナという信心深い妻をもった。
 二人の長老たちはヨアキムの邸にいつも入り浸っていたが、スザンナに欲情するようになった。
 ある非常に暑い日のこと、スザンナが二人の女中を連れて水浴びをしようとしていたとき、二人の長老たちは庭園に潜んでいた。女中の二人がオリーブ油と香料を取りに戻っている間に二人の長老たちは、スザンナに詰め寄り、自分たちと寝なければここに若い男がいたと訴える――と脅した。スザンナは大声で助けを呼んだが、長老も大声で叫び、かけつけた従僕達に作り話を聞かせた。
 翌日、スザンナは人々の前に死罪を言い渡されるが、ダニエルが抗議して長老を一人ずつ尋問することとなった。若者と夫人が何んの樹の下でむつみ合っていたのか問うと、片方の長老は――
「乳香樹(スキノン)の下で」
 と答え、片方の長老は――
「常緑の柏の樹(ブリノス)の下で」
 と答えたため、嘘が露見した。ダニエルは前者には神の御使いがお前を切り裂く(スキセイ)と、後者にはひき切る(ブリサイ)と言い放った。
 二人の長老はモーセの立法に従って死刑に処された。この日から人々の間でダニエルの人望が非常に高くなった。


「ベールと龍」 新見宏訳
 これもダニエルを主人公としたダニエル書の附録の一。

 ダニエルは王の側近であったが、当時バビロニア人はベールという名の偶像を祀っていた。この偶像に供える毎日の供物は、上等の小麦粉12樽、羊40頭、6樽の葡萄酒というもので、王は毎日欠かさず礼拝を行った。しかしダニエルがベールを拝まずに、自分の信じる神だけを拝んでいたので、王がそれを咎めた。
 偶像が食べたり飲んだりするわけがない、と笑うダニエルに王は憤り、命を賭けてそれを証明することになる。
 供物を供えてからベールの神殿を閉ざすときに、ダニエルは神殿の中に灰をばらまいておいた。
 夜の間に秘密の抜け穴から祭司の家族たちがいつも通りに出てきて、供物を全部平らげてしまった。
 翌朝、神殿を開けると女や子供の足跡だらけだったので、祭司とその家族は全員死刑にされ、偶像は神殿ごと破壊された。

 バビロニア人の崇拝しているもう一つの神は巨大な龍であった。王が龍神を崇拝するようにダニエルに促したところ、ダニエルは剣も棒も使わずに龍を殺してみせるという。
 王の許可を得て、ダニエルはピッチと脂肪と毛髪とを混ぜて煮たものを団子にして龍に食べさせた。すると腸が張り裂けて龍は死んでしまった。
 面目を失ったバビロニア人たちは陰謀を企み、ダニエルを引き渡さねば王の一族を殺すと脅した。王はそれに従い、ダニエルを彼らに引き渡した。
 バビロニア人たちはダニエルを、7頭の餓えたライオンを飼っている穴に投げ込んで六日間放っておいた。しかし、ハバククというユダヤの預言者がスープとパンを刈り入れをしている人々のところへ持っていこうとしていると、神の御使いが現れて、彼の髪の毛を掴んでライオンの穴に連れて行き、持っていたスープとパンをダニエルに与えさせた。
 七日目になって王がダニエルの死を悼むためにやってきたところ、ダニエルはまだ生きている。王はダニエルの神を信じ、ダニエルを穴から引っ張り出すと、代わりに陰謀を企んだバビロニア人たちを穴に投げ込んだ。彼らは王の見ている前でたちまちライオンから食いつくされてしまった。


「ソロモンの知恵」 関根正雄訳
 これは要約不能なので、適当に引用してみる。冒頭は次のようになっている。


    義と知恵と使命を求めよ(第1章1−16節)

義を愛せよ、地を裁く者、世の支配者たちよ、

良き心で主について想いめぐらし、

純な心で彼を追い求めよ。

 ソロモン、或いはソロモンの名を借りた者が、権力者達へ信仰の知恵奨めている書物、とでもいったところだろうか。


    知恵の本質(7・22―8・1)

知恵には霊が宿り、悟りに早く、聖く

ひとり生まれ、多様で、非物質、

可動的で、貫通し、穢れなく、

透明で、害を受けず、善を愛し、鋭く、

妨げられず、恵みを施し、人を愛し

堅固で、謬たず、思い煩わず、

全能で、すべてを見きわめ、

すべての霊を容れる。


「第四エズラ書」 新見宏訳
 これには大天使ウリエルらとエズラとの問答が記されている。
『この世の罪と悲惨はどこから来るのか、またイスラエルの苦しみは神の正義と矛盾しないか』
 ――という問いに対し、ウリエルは三つの譬えのうち一つでも解くことができたら、答えを教えてくれるという。


さあ、よいかね。
火の重さをはかってみよ。
風の分量をはかってみよ。
あるいは、すぎ去った日をよびもどしてみよ。

 以降、このような意地悪問題や、質問に質問を返すやり取りがひたすら続く。(笑) 全部で七つの異象があり、そのたびにわけの解らない素朴な問答が続けられる。
 最後は神から知恵の源である火の色をした飲み物を与えられ、知恵があふれ出、四十日間昼も夜もなく語り続けた。五人の書記たちがそれを記したが、その文字は彼ら自身も知らない文字であった。

 
「エノク書」 新見宏訳
 一行に要約するなら――アザゼルら見張り番の天使が地上の女と交わって巨人を生んだので、ノアの洪水が起こされた、という話。
 エノクはカインの子で3代目、もしくはアダムの子、セツの子、エノスの子、カイナンの子、マハラレルの子、ヤレドの子で、7代目の子孫である。
 エノクは天上に行ったり、地上や陰府を巡ったり、生命の樹を見たりする。

「第一の旅」の冒頭部


 やがて天使たちはわたしをあるところにつれていったが、そこにいる者たちは燃えさかる火のようであり、彼らの欲するときには人間の形をとってあらわれるのであった。つぎに天使たちはわたしを暗やみの場所と、頂上が天に達する山につれていった。わたしは天体のある場所を見、星と雷の庫をみた。そのもっとも底深いところには、火の弓矢とえびら、また火の剣、およびいなずまなのどがあった。それから彼らはわたしを活ける水のほとりにつれてゆき、また太陽がいつもそこに沈む西方の火につれていった。わたしは火の川に行ったが、それは火が水のように流れて西方の大海にそそぐ川であった。わたしはいくつかの大河を見、大河と大きな暗闇の地に達し、生きものがひとりも歩いていないところに行った。わたしは冬の暗闇の山々と、深い流れがすべてそこから流れ出る水源とを見た。

「第二の旅」の冒頭部


 わたしはさらにすすんで行って、あらゆるものが混沌としているところに来た。そこではおそろしいことが起こっていた。上には天も見えず、確固として地も見えなかった。ただ混沌としたおそるべき場所であった。

 わたしはそこに天の七つの星が大きな山のように一つに縛られ、火に燃やされているのを見た。そこでわたしはいった。「彼らが縛られたのはどんな罪によるのですか。また何故彼らはここに投げこまれたのですか」。するとわたしの傍にいた聖天使のひとりで、彼らのかしらであるウリエルが答えた。「エノクよ、なぜたずねるのか。なぜお前はそれほど熱心に真理を求めるのか。これらは天の星であって主のいましめをやぶった者たちなのだ。かれらはここに、彼らの罪がすべて精算されるときまで一万年のあいだ縛られているのだ」。

「陰府(シュオール)」の冒頭部


わたしはそこからさらに別のところに行った。彼は西方にもう一つの巨大な高い山と堅い岩を見せてくれた。

 そこには四つの空洞が口をあけ、その穴は深く広く、非常に滑らかであった。なんと滑らかで、深く暗い光景であろうか。

 わたしにつきそっていた聖天使のひとり、ラファエルがいった。「これらの空洞は死人の霊魂をあつめて入れるために、正にその目的をもってつくられたのだ。人間の子らの霊魂はすべてここにあつめられる。これは彼らが審かれる日、大いなる審判に定められた日まで彼らをおさめておくためにつくられたのだ」。

「東北の七つの山と生命の樹」の冒頭部


 わたしはそこから地上の他の場所に行った。すると彼は昼となく夜となく燃えつづける山なみを見せた。それをこえてさらにすすむと七つの壮大な山があり、それぞれみなちがった姿をしていた。その岩石はすばらしく、また美しく、全体としては壮麗なながめであった。そのうちの三つの山は東に向って一つずつつみ重なり、三つは南にのびて、やはり重なり合っていた。いくつかの深い峡谷がまわりをめぐっていたが、それぞれ別々に流れて、どれ一つとして合流するものはない。第七の山は中央にあってどれよりも高く、玉座のような形をしていた。そして方向を放つ樹が玉座をとりまいていた。それらの樹のうちの一本はかつてわたしがかいだこともない香りをもっており、周囲の樹々や、ほかの同様の樹ともちがっていた。その香りはあらゆる香りにまさり、その葉も洟も幹も永遠に枯れることがなく、その実は美しく、なつめやしに似ていた。

「地の中心、エルサレム」の冒頭部


 わたしはそこからすすんで地の中央に行った。そこは祝福された町(エルサレム)であり、そこには枝が残って花を咲かせる樹々があった。

「呪いの谷」の冒頭部


 わたしはいった。「この祝福された、樹々のゆたかな土地と、その間にある呪われた谷は何のためにあるのですか」。すると、わたしに同行していた聖天使のひとりウリエルが答えた。「この呪いの谷は永遠に呪われた者たちのためにある。そのくちびるで主に向ってふさわしくないことばをはき、主の栄光について侮りのことばをかたったすべての呪われた者どもはことごとくここにあつめられるのだ。

「東方への旅」の冒頭部


 そこからわたしは東に向い、荒野の山なみの中にすすんだ。すると人の住まない、さびしい土地があり、多くの樹や草が生えていた。そこには上の方から水がほとばしっていた。あの、東北に向って流れていた豊かな水の流れのように、その水はほとばしっていたるところに雲と露をたちのぼらせていた。

「北方と西方への旅」の冒頭部


 わたしはこんどは北方の地の果てに行った。そこには実に全地の果ての壮麗なしくみがった。天の入り口が三つひらいており、おのおのの入り口から北風が吹いていた。北風が吹くと、寒さ、雹、霜、雪、露、雨などが生ずるのである。一つの入口からは北風がつねに吹いていたが、他の二つの入口から風が吹くとそれは烈しいあらしとなり地上に災いをもたらした。

「南方への旅」の冒頭部


 そこから南方に向い、南の地の果てについてみると三つの天の入口がひらいており、そこから南の風が吹くと露や雨をもたらすのであった。

 さらに二つの異象を見た後、エノクは天に移される(死んだわけではない)

 その後は場面が前後し、エノクの見た夢としてイスラエルの民が羊に譬えられており、ノアの洪水からマカベア反乱までが書かれている。

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 とにかく眠くてたまらなかったが、どうにか読破した。(笑) 大変素朴な話が多いので、どうしても眠気を催してしまう。
 ダニエルの話は他でも見ることができるし、読んで面白いのでご存知の方も多いと思う。この中では「エノク書」が読み物としてなかなか面白いかもしれない。

Posted at 2006/07/26(Wed) 20:38:43

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