I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

何でも白黒つければいいわけじゃないさ

MSN産経;大江健三郎氏「軍命令説は正当」と主張 沖縄集団自決訴訟

 一方、大江氏に先立ち尋問があった原告の一人で元座間味島守備隊長、梅沢裕さん(90)は「(自決用の弾薬などを求める住民に対し)死んではいけないと言った」と軍命令説を強く否定。もう一人の原告の元渡嘉敷島守備隊長、故赤松嘉次元大尉の弟、赤松秀一さん(74)は「大江さんは直接取材したこともないのに、兄の心の中に入り込んだ記述をし、憤りを感じた」と批判した。

 岩波新書の問題です。推測推測言われていますが、書籍なんてものは本当のことが書いてあるとは限りませんし、普段トンデモ本ばかり読んでいる私からすると、なぜここまで叩かれているのか、さっぱり理解できません。
 大江はその主張を通したいわけだからしょうがないでしょう。戦争体験者がより正しい主張をしたいのであれば、同様に本を出すなどして主張していくしかありません。

 これは当時の人々一人一人の心情が問題なのですから、どちらが本当に正しかったのかなんて、一部の人間による証言だけでは証明できないでしょう。

 問題の要点は結局、これが日本の卑屈な歴史観を変えようという最近の流れに触れてしまったこなのでしょうか。
 今までは軍国主義旧日本を悪の象徴として書けば、大抵のことは事実として認識され、絶賛されたものです。
 しかしネットが発達して情報交換が豊かになったことで、数多くの嘘が露呈。さらに中国の経済・軍事的発展に伴い脅威が増大。過去の歴史を見直そうという動き起こりました。
 日本は教育現場をはじめとして、特に人文系は左翼天国(彼らは幼い生徒の前で天皇侮辱発言を我慢できません。その内容は酷いもので普通の国なら侮辱罪で逮捕されているところです)ですから、右傾化がはじまったとか危険視する人も多いですが、実際にはようやく真ん中になってきただけです。
 確かに右へ行きすぎている人達も沢山いますけれども、それは今までの反動と見た方がいいかと思います。

 どちらの側にも、一理あると思うのですけどね。

 ただ、ちょうどドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」第4巻のコーリャ・クラソートキンのところを読んでいたのですが、どうにも大江がコーリャに見えて来ました。
 体験のある者に対し、体験のない者が強気に仕掛けていくという構図、似ていると思うのですけれど。

 小説の場合も、似たような問題を孕みます。
 古代歴史のミステリー本なら9割以上推測だけで書くことも許されていますが、ほんの六十年前の出来事について事実(とされていること)に反することを書けば袋だたきに遭います。
 それは小説の場合でも同じ。なぜなら小説にはジャーナルとしての意味もありますから。
 もちろん戦国読売巨人軍みたいなファンタジーは別な話し。


 ところで、amazonのレビューにも毎度おなじみ●●●●が涌いています。(笑) ネットは怖いねー。

Posted at 2007/11/10(Sat) 10:01:27

文学・歴史・民俗学 | コメント(0) | トラックバック(0) | この記事のURL

この記事のトラックバックURL ->

↑ページの先頭へ

この記事へのトラックバック

「何でも白黒つければいいわけじゃないさ」へのトラックバックのRSS

この記事へのコメント

名前

E-mail(※スパムトラップですでの何も書かないでください)

コメント


コメント本文以外は全て入力不要です。

何でも白黒つければいいわけじゃないさへのコメントのRSS