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恋愛自由な鉄幹先生、教育モラルには厳しく? 書簡発見

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歌人の与謝野鉄幹(1873〜1935)が友人で建築家の西村伊作(1884〜1963)にあてた手紙が、和歌山県新宮市で見つかった。自由教育をめざして西村が創設した「文化学院」(東京都千代田区)での生徒指導をめぐり、同校で教鞭(きょうべん)をとっていた鉄幹が、恋愛やモラルについての見解を記している。奔放な恋愛で知られる鉄幹が教育者としてはモラルに厳しかった一面がうかがえ、研究者は「このような内容の手紙は見たことがない」と注目している。

 (中略)
前半は、同年4月に開学した文化学院の中学部1年に在籍していた西村の長女やほかの生徒の素行について、苦言を呈する内容。後半の記述からは、鉄幹の恋愛観などが浮かぶ。西村による「放縦に妊娠してもそれを祝ふと言ふごとき言葉」を「暴言」と批判。「放縦無秩序の教育を避けて、新しい自由、即ち新しい秩序の教育を実行するのに細心で且つ大胆で無けれバなりません」と主張している。

 西村伊作はぶっ飛んだ性格の人でしたから、怒るのも解る気がします。今で言うなら「空気読めない人」ですね。空気読めないくらいの人じゃないと、大正時代にあんな自由な学校なんて作れません。
 文化学院初期の講師陣は女学生の頬を舐めたり、おちんちんの模型作ったりする変態とか変態とかばっかりですけどね。
 また、佐藤春夫の「小妖精伝」にあるように、西村伊作自身も学生と恋愛沙汰を起こしたりなどあったようです。

サイト内関連:
文化学院の歴史;佐藤春夫編 その2

Posted at 2007/11/19(Mon) 07:47:14

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