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ダンテの「神曲」――どれなら読める?!

 以前岩波版(山川訳)を読んで数十ページで挫折した苦〜い記憶がある。挫折した本といえばトーマス・マンの「魔の山」(それでも3分の1程度は読んだ)などもあるが、こちらはあくまで“冗長さ”のために読むのをやめた、というだけのこと。冗長なストーリーの作品というのは、要所とあらすじだけ知っておけば教養として充分である。一方で「神曲」はその訳文のあまりの難解さのために読むことさえできないのである。
 私が難解過ぎて読めないのだから、およそ日本国民の8〜9割が読めないに違いない。いや、読めるのだが意味が全然理解できない。これはまさにお経である。
 しかも脚注が親の仇のように執拗に散らばされており、1ページを操るのに、何度も註釈ページとを往復しなければならない。これでは読書という“運動”にならない。100m走のとき、一々走り方のマニュアル本を読み返すようなものである。それは研究ではあっても、読書ではない。
 まして、当時はダンテの用いた言葉は当時は俗語であり、しかつめらしく書くことの意味は無いはず。こういうのを衒学という。衒学の意味は『学問のあることをひけらかし、自慢すること(広辞苑第四版)』学者の訳など、読みたくもない。

 さて、どの「神曲」なら読めるかと思ってamazon.co.jpのカスタマーレビューを参考にしてみたが、これが使えない。なぜ使えないか、というと違う訳者の作品なのに、全てのレビューを共通にしてまとめてしまっているのである。つまり、レビュアーが「これはおススメ」と言った場合、レビュアー本人は平川訳を推しているつもりでも、山川訳の本にも同じレビューが適用されてしまうのである。これでは比較に使えない!! amazonのサイト管理者は一体何を考えているのだろうか。

参考;
ダンテ「神曲」(山川訳・岩波版上)

ダンテ「神曲」(平川訳・河出版)

ダンテ「神曲」(寿岳訳・集英社版)

 ところで、電子書籍版も見つけた。
ダンテ「神曲」(北川冬彦訳)

 私はとりあえず、平川訳・河出版でもう一度トライしてみたい。

Posted at 2006/06/03(Sat) 17:27:27

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