I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

手書きとワープロ書き その1

 ちょっとバイト先で事故があって、ニュース・ピックアップも含め、しばらく時間の掛かる記事は扱わない可能性が多い。素早く取りかからなければならないことが多い時期のトラブルで、正直困惑しているが、そういった事情なので、やっつけなところがあっても何卒ご容赦願います。
 そんなわけで、数回に分けて話を挙げていきたいと思います。
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 さて。今回の記事は『村上春樹の手書き原稿流出』に絡めて。3年ほど前からyahooオークションにも出品されていたので、知っている人は知っている話ですね。むしろ報道が遅すぎたくらい。
 何しろ活字本ですら初版なら嘘みたいな値段でやり取りされている村上春樹。これが直筆原稿となれば、相当いい値段のはず。主に二種類のソースがあるので、二つをピックアップ。
毎日新聞;
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060310k0000m040171000c.html

朝日新聞;
http://www.asahi.com/national/update/0310/TKY200603090524.html

 ――で、ここで扱うのは別にモラルなんていう堅苦しいことではないし、そもそもそんなことは古書店関係者にでも好きなだけ裏話をさせたらいい。
 文章を志す人間としては、“手書き”と“ワープロ書き”がどう文章に及ぼすか、ということ。
 確かに「ダンスダンスダンス」という作品を機に、村上春樹が大きく転換したことに間違いはないと感じる。そもそも「ダンスダンスダンス」はあまり感心するような作品ではない。
 他の作家はどうかというと――

 いきなり海外へ飛ぶが、ヘミングウェイは『地の文は手書き、会話文はタイプライター』だったという。会話はテンポ良くリズミカルに、地の文は重厚に書くためだろう。
 しかし海外ではやはりタイプライターが主流。一つびとつのアルファベット自体には何んの意味もないため、日本語の漢字とは随分存在が異なる。しかも口述筆記という形を執っている場合さえ考えられ、日本語の煩雑さと同様に比較は出来ないように思う。しかも、日本語は“変換”しなければタイプ出来ないという独特の文字なので、日本語におけるワープロの欠点は、アルファベット系の文字を使う言葉の欠点とは一致しないかもしれない。

 日本においては“言霊”のことを殊更に採り上げたがる。倉本聡ドラマの「玩具の神様」は、偽物の脚本家と本物の脚本家が登場するが、偽物が手書きで、本物がワープロ書き。本物(館ひろし)の薄っぺらさと、偽物(中井貴一)の重厚さとのアベコベが面白い作品だった。
 その中で、脚本家を志す無名の女性(永作博美。風俗にて手でご奉仕シーンあり(笑))に向けて、偽物の作家は『直接書かないと言霊がこもらない気がする』と教えるのである。言霊、と文字に書いて見せる姿は、実際何んでもないのだが、ワープロ/パソコンに振り回されている自分としては、とても懐かしいような感動を覚えた。
 “言霊”に限らずとも、井上ひさしは戯曲において『言葉のリズムというか、“ナニカ”が違う』(註:紫陽による意訳)として、一旦はワープロ書きになりながらも、手書きに戻ったという。これは顕著な例。
 一つ一つ文字をかみしめて“書く”ことは何よりも重厚さを生み出すことは間違いないと思う。

 もちろん、ワープロにはワープロの良さがある。慣れれば、頭に浮かんだ言葉を、そのままの速度でタイプ出来ること。手書きの場合はこうはいかない。頭の中に流れる言葉を手書きのスピードに遅める必要がある。
 そういえば、中島敦は「かめれおん日記」の中で『書くといふことは、どうも苦手だ。字を一つ一つ綴つてゐる時間のまどろつこしさ。その間に、今浮かんだ思ひつきの大部分は消えてしまひ、頭を掠めた中の最もくだらない殘滓が紙の上に殘るだけなのだ』と述懐しているので、もしかするとスピーディに打つことの出来るワープロをありがたがるかもしれない。

やっぱり流出の方に興味のある方への参考:
高橋輝次の古書往来;自筆原稿流出の謎を追う

Posted at 2006/03/10(Fri) 09:42:01

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この記事へのコメント

 僕がこの件で言いたいことは、村上春樹は顔を出しちゃいけないし、HPもやっちゃいけないし、変な雑誌を創刊しても駄目だし、直筆の文字も世間に見せてはいけない、という事でして。
 …幾ら文章で洒落た事を書いても台無し(苦笑)。

Posted by ス at 2006/03/11(Sat) 00:22:19

君にはガッカリしたよ(by碇ゲンドウ

まさにその通り。(笑)
春樹の顔写真を見て1段ガッカリ。直筆文字の幼さを見て2段ガッカリ。
――というか、下らん自己主張とか、やらん方がマシ。春樹は既に世界の春樹。どーんと構えていればいい。こせこせしたこと言ったって、ミソが付くだけ。
 むしろ覆面作家をやった方がいいかもねぇ。正体不明の。読者の夢を壊さないのも作家の仕事のうちの一つとか。
 そういえば筒井康隆は……自分の書いたドラマに主役級で出演しているそうです。(笑) あの人はねぇ……ぁゃιさ爆発だから。ただ『時をかける少女』で比較するとあの容貌はガッカリだけど。(笑)
http://www.gyao.jp/drama/souri/
 私は……どうなんだろ。(笑) ばりばりのプロ志望ですので、容貌には気を付けないトナーと思っていますが。芥川賞の写真が美男美女というだけで売り上げが50万部は違いそうですし。(笑)
 高校時代の学生証の写真はさすがプロの撮影で実物以上に写りが良くて、自分で言うのもなんだけど、ずばり美少年でした。やつれているのがバレなければ、女子校の生徒が見とれるほど。ラブレターも3回ほど貰いました。でも、やつれてるのがバレて、いつもガッカリさせますが。(笑) あの映りがいつでも再現出来るなら、かなり武器になると思うのですが(笑)、わざとアラを強調しているんじゃないかと思えるスピード写真からは眼をそむけたくなります。
 もう少し色男だったら、病弱・生涯独身(?)という一見敗け組要素でさえプラス材料となるでしょうけど。

Posted by 紫陽 at 2006/03/11(Sat) 09:50:47

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