I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

村上春樹作品への感想

 何かを作品を読んで感想を表現するときに、点数を用いることはあながちバカげたことではない、と私は思う。作品をどう捉えたか、を客観的に比較することができるし、同時にそれは自分の鑑賞眼そのものを知ることにもなる。
 もしも鑑賞眼に偏りを感じたら、それを心の端に置いておくことで、自分の考えを修正しやすくなる。もちろん、修正したからといってどうとなるわけでもないのかもしれないけれど。
 ただし、ある作品に対して感想を持つとき、1つには客観的評価――要するに新人賞的評価の仕方と、主観的評価、つまりは好き・嫌いが全く一致しないことがある。
 とても上手に書けていると感じても、全く好きになれない作品があれば、逆にとても好きだけど本当に下手だな、と感じる場合が多々ある。

 そこで点数を付けてみるにあたって、両方の点数を記してみた。巧いな、という評価と好きかどうかの評価を5段階で表現したものだ。
 日本を、そして世界を代表する大作家の作品に点数を付けるなど何事だ、と思う方もいらっしゃるかもしれない。しかし、私はそうした権威にかしこまるような人間を心の底から軽蔑しているし、何より不誠実だと思っている(在学中も、他の生徒よりも20年近く年齢を重ねていながら、有名な先生に媚びへつらい、一方で自分の都合で他人を貶める、自慢をする、無闇に出しゃばるような真似をする人を私はこの目で見てきた。作家を目指しているそうだけれど、作品からはそうした性格が滲み出ていたと思う。決して悪い人ではないけれど、器量があまりに小さい。そしてそれが抜けない限り、読者の心を搏つことは決してできないと思う)

 年代順もわからなくなっているので、思い浮かんだ順で、いい加減にならべてみた。それから短篇やノンフィクションまで挙げるととんでもない量になるので、割愛。

○風の歌を聴け
今一←1 2 3 4 5→凄い  多分こういうのは
   |--|--|--*--|    二度と書か(け)ないのだろうと思う。
嫌い←1 2 3 4 5→好き 素晴らしい小説。
   |--|--|--|--*

○1973年のピンボール
今一←1 2 3 4 5→凄い  本心からこれはイマイチだと思う。
   *--|--|--|--|    酷い、というほどではないけれど
              内容も薄っぺらだし、ごまかされている感じ。
嫌い←1 2 3 4 5→好き でも双児は好きだし、
   |--|--*--|--|    部分部分の表現力は凄い。

○羊をめぐる冒険
今一←1 2 3 4 5→凄い  ここから物語性の高い作品群が続く。
   |--|--|--*--|    それを思えば
              ピンボールは一種の過渡期だったのかな。
嫌い←1 2 3 4 5→好き
   |--|--|--|--*

○ダンス・ダンス・ダンス
今一←1 2 3 4 5→凄い  とにかく登場人物が魅力的。
   |--|--*--|--|    それだけでぐんぐん読み進められる。
              ただし、ほとんど必然性もなく人が死んだり
嫌い←1 2 3 4 5→好き 投げっぱなしな部分が多すぎる気がした。
   |--|--|--|--*    もう少し伏線を回収しても罰は当たらないだろうに。

○ノルウェイの森
今一←1 2 3 4 5→凄い  これが大ベストセラーとなったことは
   |--|--|--*--|    時代的には納得がいく。
              だけど、個人的には大傑作とは思えない。
嫌い←1 2 3 4 5→好き 主人公に一定の共感はできるのですけれど
   |--*--|--|--|    そこまでですね。ただの女好きじゃん、とか。

○国境の南、太陽の西
今一←1 2 3 4 5→凄い  私から見ると携帯小説と変わらない……
   |--*--|--|--|    恋愛至上主義すぎて辟易。
              この作品を読む場合、『TVピープル』収録の
嫌い←1 2 3 4 5→好き「我らの時代のフォークロア」は
   *--|--|--|--|    後回しにした方が無難。ネタバレになるので。

○スプートニクの恋人
今一←1 2 3 4 5→凄い  変わったことに挑戦していることを評価。
   |--|--|--*--|    作品内作品がちゃんと書いてある作品は
              個人的に大好物です。
嫌い←1 2 3 4 5→好き  私の好きな人が男性に興味がないそうで
   |--|--*--|--|    なんとなく重ねて読んでしまったりなど。

○アフターダーク
今一←1 2 3 4 5→凄い  これといった印象は残らなかった。
   |--|--*--|--|    でも、『他人を思いやる心』のようなものを
              強く感じたし、それは大事なことだと思う。
嫌い←1 2 3 4 5→好き 小説においても、人生においても。
   |--*--|--|--|

○世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
今一←1 2 3 4 5→凄い  この本は持ってないんですよね。
   |--|--|--|--*    内容も忘れてしまっているし、買ってこないと。

嫌い←1 2 3 4 5→好き ただ、凄かったっていうのと面白かったという
   |--|--|--*--|    印象だけはぼんやりと。

○ねじまき鳥クロニクル
今一←1 2 3 4 5→凄い  春樹作品の中で心から『舌を巻いた』
   |--|--|--|--*    のはこの作品だけかもしれない。
              重厚な描写がとにかく凄かった。
嫌い←1 2 3 4 5→好き 井戸の存在も多くの読者の人生にとって
   |--|--|--*--|    重要な意味を持っているかもしれない。

○海辺のカフカ
今一←1 2 3 4 5→凄い  猫の会話描写が耐えられないという人も
   |--|--*--|--|    いるようですけれど、面白かった。
              長篇では最も大好きな春樹小説。
嫌い←1 2 3 4 5→好き 色々と中途半端な終わり方をしているけれども。
   |--|--|--|--*

 こうして見ると、私は意外と春樹作品を客観的に評価していないということがわかった。これはちょっと自分でも驚いた。自分ではてっきり逆だと思っていたのに。
 しかもかなり好き嫌いが激しい。さすがに春樹作品なら何でも……とはいかない。客観的評価と主観的評価も、完全に一致する作品は少ない。

 やらない、と言っておきながら、短篇も少しおまけで。これは好きが5の作品だけ挙げてみる。

△象の消滅
今一←1 2 3 4 5→凄い  これは教科書に最適だと思う。
   |--|--|--|--*    巧い書き方だし、思いやりもあるし
              何より含蓄がある。
嫌い←1 2 3 4 5→好き
   |--|--|--|--*

△踊る小人
今一←1 2 3 4 5→凄い  ベタだけど面白いわー。
   |--|--|--|--*    内容は本当にベッタベタだけど。

嫌い←1 2 3 4 5→好き
   |--|--|--|--*

△眠い
今一←1 2 3 4 5→凄い  電車でうとうとするとき
   *--|--|--|--|    いつもこの小説が頭に浮かぶので……。

嫌い←1 2 3 4 5→好き
   |--|--|--|--*

△図書館奇譚
今一←1 2 3 4 5→凄い  カフカってるよ。
   |--|--|--|--*    羊男も出ることだし
              この作品から三部作へと繋がるのかな。
嫌い←1 2 3 4 5→好き それはどこかの記事で否定されていた
   |--|--|--|--*    気もしますけれどどうだったかな。

△めくらやなぎと、夾竹桃のある家
今一←1 2 3 4 5→凄い  初期に掲載された長い方について。
   *--|--|--|--|    ぶっちゃけこの作品は下手なんだけれど
              物凄く好きになれる世界観。
嫌い←1 2 3 4 5→好き 甥っ子もかわいいし。
   |--|--|--|--*     短い方よりも長い方が好きだ。


 短篇については長篇よりもずっと気楽に5を打てる。短篇というのはそれだけ、凄いか凄くないかが一目瞭然となるジャンルなのだ。それから、私はどうやら象のことが好きみたいだ。象にまつわる作品が出てくると、ついつい評価が甘くなってしまう。

Posted at 2009/03/25(Wed) 22:15:37

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村上春樹エルサレム賞受賞講演全文

毎日jp;村上春樹さん:イスラエルの文学賞「エルサレム賞」授賞式・記念講演全文
 上下ではなく、同じ記事に編集をかけて5ページもの全文が来ました。携帯電話対策でしょうか。
 前回と同じつっこみ処ですが……

乾いた文体で現代人の喪失感を描き、人気を集めている。

 何より、村上春樹氏の今回の講演の内容とはかなりベクトルが違いますね。
私が小説を書く理由はたった一つ、個人の魂の尊厳を表層に引き上げ、光を当てることです。物語の目的とは、体制が私たちの魂をわなにかけ、品位をおとしめることがないよう、警報を発したり、体制に光を向け続けることです。小説家の仕事は、物語を作ることによって、個人の独自性を明らかにする努力を続けることだと信じています。生と死の物語、愛の物語、読者を泣かせ、恐怖で震えさせ、笑いこけさせる物語。私たちが来る日も来る日も、きまじめにフィクションを作り続けているのは、そのためなのです。

 どこにも乾いた文体で現代人の喪失感を書こうと思った、だなんて書いてありません。
 そして私は出版された村上春樹作品はほとんど目を通していますが、乾いた文体と喪失感を覚えたことはありません。むしろ暖かさとやさしさと、(本来の意味とは違いますが)ヒューマニティがそこには籠もっていると思います。
 そして優しすぎるがゆえに、文学の大家から挑発されたりもするのでしょう。
 文学の世界ではプロレスよろしく、論争を行うのもまたパフォーマンスの一貫となっています。しかし春樹氏は論争には載らずに「やれやれ」と言わんばかり。
 そこがまた好かれる理由でもありますけれども……。

 村上春樹氏の掌編小説の中に「とんがり焼きの盛衰」という作品があります。
 伝統はあるけれどもとても不味い『とんがり焼き』しか食べないとんがり鴉という生き物が出てきます。こいつらは口うるさく、口に入れたものが少しでも『とんがり焼き』ではないとわかると、とたんに大騒ぎをしてそいつを吐き出してしまうのです。
 ところが、主人公が持ってきた新しくて美味しい『とんがり焼き』を与えたところ、若いとんがり鴉の中にははそれに満足する者もいたけれども、年寄りのとんがり鴉はそれに満足せずに、吐き出してしまう。
 また、その吐き出したとんがり焼きを食べた鴉を他の鴉が喉頸を切って殺してしまったりと大混乱になってしまう、というお話しです。

 さて、この『とんがり焼き』を『小説』に、とんがり鴉を『文壇』の連中に置き換えて読むと、なかなか愉快なことになるのです。
 主人公は賞金を諦め、とんがり鴉からは踵を返して、逃げ去ってしまうのですが、これが村上春樹氏による論争への答えなのでしょうかね。
 確かに、文壇の人間を相手にまともに応対していたら身が保たないかもしれません。

関連:
負荷;とんがり焼きと利己遺伝子

Posted at 2009/03/06(Fri) 01:22:32

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村上春樹エルサレム賞受賞講演

毎日jp;村上春樹さん:イスラエルの文学賞「エルサレム賞」授賞式・記念講演全文/上

 作家の村上春樹さんが2月15日、イスラエルの文学賞「エルサレム賞」の授賞式で行った記念講演が大きな反響を呼んでいる。体制を「壁」、個人を「卵」に例え、「私はいつも卵の側に立つ」と、作家としての姿勢を語った内容だ。イスラエル軍の攻撃によってパレスチナ自治区ガザ地区で1000人以上が死亡した直後だけに、受賞拒否を求める声も挙がったが、村上さんは「語らないよりは語ること」を選択した、と出席を決めた理由を明言した。そこで、村上さんが英語で行った講演の録音を文章にし、全文を2回に分けて掲載する。(翻訳は学芸部・佐藤由紀)

 ◇小説家は、隠れている真実をおびき出してしっぽをつかみます
 ◇壁が正しく、卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます

 海外ニュースでも引っ張ってきて翻訳・比較でもしようかと思いましたが全文載っているところは見つかりませんでした。
 単に探し方が悪かったからかもしれませんけれど(ニュースサイトごとに記事の配置にクセがあるので)
 内容についてはまぁ、春樹的かつ無難ですね。強い力を持っているわけじゃない。
 歴史上何度も繰り返されてきたように、こうした場面ではやはり作家というのは無力です。その活動はあくまで草の根レベルでしかありえない。
 読者の耳許でささやき続けることはできるけれど、マクロ的に何かを大きく変える力というのは作家にはないですね。そういう力は政治家や徒党をなした団体しか持っていないものです。
 官憲は強し、人民は弱し、です。
 皮肉にも、村上春樹氏も個人の力の域を出ることは決してないわけです。

 それにしても

乾いた文体で現代人の喪失感を描き、人気を集めている。

 ここが意味不明。そんなもん狙って書く作家がいるものかよ。(笑) まぁ社会派作家ならあり得ますけれど……。

Posted at 2009/03/03(Tue) 09:54:34

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文芸公募の選考者が本読まないとか

yahoo/毎日;<勝毎>掲載の公募小説は盗作 向田邦子作品の大半丸写し

 同社によると、問題になったのは、市内の無職男性(78)が「お伽噺(とぎばなし)」と題し、同社の文芸作品コンクール「新年文芸」に応募した作品。社外の選考者1人が計9作品の中から佳作に選び、紙面に掲載された。しかし、社内の指摘で、向田邦子さんの短編集「父の詫(わ)び状」に収められた「あだ桜」の前半部分の大半を丸写しした内容であることが分かった。男性は盗作を認め、同社は佳作を取り消した。

 向田邦子の『父の詫び状』って、エッセイ本の中でも名作中の名作本……というよりも、向田邦子のエッセイなら教科書にもいやというほど載っています。
 要するに、教養の基本中の基本。文系なら誰でも知っていて当たり前。知らない方が異常。
 ――で、この選考者って何なのさ? 向田邦子すら読んだことのないアルバイトだったのか、たまたまド忘れしていたのか。
 向田邦子の文章に対して、この選者の批評があったら是非とも読みたいね。(笑)

 男性は「素晴らしい文章だったので多くの人に知ってもらいたかった。もう応募はしない」と話しているという。

 向田邦子なら、こんな奴からお奨めされなくても、まともな教養のある人なら誰だって読むよ。

Posted at 2009/02/10(Tue) 05:05:39

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小説はもう

もう

全部

スイーツで

いいよ

みたいな

なんか

紙媒体

だと

詐欺

じゃん

みたいな

スクロール

大変だから

もう

やめ

にしとく

Posted at 2008/09/26(Fri) 00:55:58

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星新一公式サイト開設

星新一公式サイト

2008.03.12 星新一公式サイト開設

2008.03.05 星新一、初のオーディオブックス「きまぐれロボット」 コレクションが、日本語版、英語版共に世界22ヶ国のiTunes Storeなど5つの配信サイトで販売開始いたしました。英語版の翻訳は次女星マリナ。日本語版語り手は、演技派俳優・大杉漣 英語版語り手は、知性派タレント・パトリック・ハーランが担当です。

『きまぐれロボット』より
「新発明のマクラ」「試作品」「薬のききめ」「悪魔」「災難」「九官鳥作戦」6編


 ネタ元はmixiコミュニティから。知らないうちに開設されていました。
 トップの写真が若すぎて「誰この…誰?」状態です。現在はまだプロフィールくらいしか見られませんが、作品リストが実装されれば便利そうですね。

 星新一作品については、ショート・ショートはコンプリートしていますが、それ以上に文壇から評価されているエッセイの方は揃えるのはなかなか大変です。
 絶版エッセイは神田の古本屋で2000円くらいします。 地方のブッコフへ行くと稀に100円で見つけられますけど。

 昔は学校で星新一なんて読んでいたら教師からコケにしたような目で見られたものですが、今はどうなんでしょうね。
 若い先生方は星新一さえ読んだことないかもしれない。

Posted at 2008/03/20(Thd) 06:17:40

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新聞に載ってた読書感想文に突っ込んでみた

毎日.jp;許されざる者:読者の声 かつらぎ町・無職、木村忠司さん /和歌山

私は時代小説をよく読みます。

 急に自己紹介されても……その、なんだ……困る。

「許されざる者」では長さをメートルで表現されていますが、明治時代が舞台ですので、尺貫法で書き、かっこ内にメートル表示したほうがよいと思っていました。最近になって尺寸で表記されることが増え、やっぱりこのほうが雰囲気が出ると感じます。

 新聞小説の少ない字数、特に桁を消費してまで意味をなさない括弧書きをするのはキツいかと思います。
 現代の小説では科白を
「科白」
と書きますが正しくは
「科白。」
です。この句点が消えたのは実は新聞小説が由来。
 新聞小説は1行の桁が少ないために、字数稼ぎとして句点を消したわけです。
 10個の科白があれば10文字分も浮くわけですし、何よりぶら下がり処理が可能となりますので行換えも少なくて済みます。

ほかにも、あの時代のインテリが、このように横文字の表現を多用していたのかなと考えたり。

 明治のインテリといっても、革命思想持ってるような、大杉栄とか大石家とかあの辺の連中のことなので……。

作者の個性や筆法も癖もあるでしょうけれど、各賞を総ナメにした実力派作家ゆえに気になります。

 わけわかめのお味噌汁

 うん。学生の書いた拙い感想の方がまだいいです。
 感想文を書かせると、学生の中でも早稲田とか早稲田とか早稲田みたいなプライドとコネばかりしかないところの学生よりも、フリースクールのように中卒同然の学力のところの方が、もっと良い感想を書きます。
 技術は本当に拙いんですけどね。


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 余談ですが、最近の小中学生の読書感想文はインターネットでgoogle検索→ブログ(笑)から丸々コピペが大部分だそうです。
 学校から選り抜いた作文が送られてくるのですが、適当な部分をgoogle検索すると約8割以上がヒットするのが現状です。
 教師はせめて検索してから送るようにしないと……。コピペするような子は要領がいいので、恐らく成績は優秀でしょう。それを笑って見過ごすのではなく、徹底的に叱らないと、これから先は今以上のトンデモ大学生が量産されることになりそうです。

Posted at 2008/03/17(Mon) 13:20:32

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