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村上春樹エルサレム賞受賞講演全文

毎日jp;村上春樹さん:イスラエルの文学賞「エルサレム賞」授賞式・記念講演全文
 上下ではなく、同じ記事に編集をかけて5ページもの全文が来ました。携帯電話対策でしょうか。
 前回と同じつっこみ処ですが……

乾いた文体で現代人の喪失感を描き、人気を集めている。

 何より、村上春樹氏の今回の講演の内容とはかなりベクトルが違いますね。
私が小説を書く理由はたった一つ、個人の魂の尊厳を表層に引き上げ、光を当てることです。物語の目的とは、体制が私たちの魂をわなにかけ、品位をおとしめることがないよう、警報を発したり、体制に光を向け続けることです。小説家の仕事は、物語を作ることによって、個人の独自性を明らかにする努力を続けることだと信じています。生と死の物語、愛の物語、読者を泣かせ、恐怖で震えさせ、笑いこけさせる物語。私たちが来る日も来る日も、きまじめにフィクションを作り続けているのは、そのためなのです。

 どこにも乾いた文体で現代人の喪失感を書こうと思った、だなんて書いてありません。
 そして私は出版された村上春樹作品はほとんど目を通していますが、乾いた文体と喪失感を覚えたことはありません。むしろ暖かさとやさしさと、(本来の意味とは違いますが)ヒューマニティがそこには籠もっていると思います。
 そして優しすぎるがゆえに、文学の大家から挑発されたりもするのでしょう。
 文学の世界ではプロレスよろしく、論争を行うのもまたパフォーマンスの一貫となっています。しかし春樹氏は論争には載らずに「やれやれ」と言わんばかり。
 そこがまた好かれる理由でもありますけれども……。

 村上春樹氏の掌編小説の中に「とんがり焼きの盛衰」という作品があります。
 伝統はあるけれどもとても不味い『とんがり焼き』しか食べないとんがり鴉という生き物が出てきます。こいつらは口うるさく、口に入れたものが少しでも『とんがり焼き』ではないとわかると、とたんに大騒ぎをしてそいつを吐き出してしまうのです。
 ところが、主人公が持ってきた新しくて美味しい『とんがり焼き』を与えたところ、若いとんがり鴉の中にははそれに満足する者もいたけれども、年寄りのとんがり鴉はそれに満足せずに、吐き出してしまう。
 また、その吐き出したとんがり焼きを食べた鴉を他の鴉が喉頸を切って殺してしまったりと大混乱になってしまう、というお話しです。

 さて、この『とんがり焼き』を『小説』に、とんがり鴉を『文壇』の連中に置き換えて読むと、なかなか愉快なことになるのです。
 主人公は賞金を諦め、とんがり鴉からは踵を返して、逃げ去ってしまうのですが、これが村上春樹氏による論争への答えなのでしょうかね。
 確かに、文壇の人間を相手にまともに応対していたら身が保たないかもしれません。

関連:
負荷;とんがり焼きと利己遺伝子

Posted at 2009/03/06(Fri) 01:22:32

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