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『芥川賞作家』という呼称なんて恥じるべき

j-cast;芥川賞作家がサッカー批判? ファン刺激、ネットで熱い論戦

サッカーを「乱暴で無精なスポーツ」などと芥川賞作家が新聞コラムで書いたことが、波紋を呼んでいる。野球を持ち上げるため、半ば冗談で書いたようだ。しかし、サッカーファンらを刺激し、ネット上で熱い論戦が繰り返されている。

 辻原登はアンチネットの典型的な人ですので、ネットで幾ら叩かれようが毛ほども痛くないでしょう。これからもガンガン鋭い表現をして戴きたいもんです。シャレのわからん人達はそれで大騒ぎしては、恥を晒すだけですから……。
 辻原登はスタルヒンの記録を元に枯葉の中の青い炎という短篇を書いたくらいの野球好きですから、野球びいきになるのも仕方ありませんね(どんなに冗談でも、サッカーびいきならああいう表現はしないですから)

 まあ、そんなことは実はどうでも良くて、私が気に掛かったのは、この表題。芥川賞なんて下らないものを受賞したために、辻原登は一生「芥川賞作家」としか書かれないんです。
 芥川賞は所詮は新人賞。他の賞の方がずっと価値があるにも拘わらず、です。
 知名度の低い作家はこうなる傾向が強いです。村上龍や池澤夏樹レベルでも、名前の前に『芥川賞作家』と付いてしまいますね。
 こっ恥ずかしいのは元より、作家はそのことをもっと恥じるべきだと思う。これでは、しょせん芥川賞のための駒みたいにしか見えません……。
「ボクは芥川賞作家であること以外に何も価値はありませんよ」
 と自己紹介しているようなもんです。もちろん本当はそうじゃない。
 今や芥川賞なんて形骸化しているし、芥川賞を受賞しなかったからこそ成功している作家は大勢います(もし村上春樹が芥川賞作家だったら、その呼称によってイメージを縛られて、今のようには書けないでしょう。村上春樹はあくまで村上春樹であって、○○賞作家だなんてバカな表現はされません)
 重要なのは作家個人なのに、日本では賞の名前が先に来てしまう。これは本当に良くない傾向だと思います。

Posted at 2010/04/15(Thd) 20:06:16

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