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文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

狂人の話


 狂人というのは文学の世界ではありふれた素材であり、枚挙にキリがない。ほとんどは作中の人が狂人の日記、或いは狂人の述懐を紹介する――という形で作品は構成される。ただしここで採り挙げようと思うのは、魯迅「狂人日記」のようなまがまがしく、ストレートな社会批判ではなく、もう一つクッションを置いた“物語”であり、人間の本質に訴えるような話である。

 芥川龍之介「河童」
 太宰治「人間失格」
 ツヴァイク「アモク」


 少し偏ってしまった。意外にも数が思い浮かばなかった。夢野久作「ドグラ・マグラ」も挙げようか悩んだが、これは作品そのものが狂っているような気がしたので、やめた。それに全部は読んでいない。今度、一念発起して読破しようかと思う。他にダニエル・キース「アルジャーノンに花束を(まごころを君に)」も挙げようかと思ったが、これもやめた。白痴の精神と天才の精神を書いているが結局はどちらにしても狂人と言って差し支えない。白痴も天才も、正常な人とは違うのだ。コントラストが狂人と正常人ではなく、頭のいいことと悪いことに当てられているために、純粋に狂人の話とは言えない、少し特別な作品である。やはりここでは狂人から見た異色の世界を採り上げたいのである。
 異色の世界――という意味では芥川の「河童」はまさにその通りの作品だ。主人公は『河童の国』に入り込み、そこで河童の国の社会、法律、文化、芸術、思想、恋と、あらゆる美醜をその眼見、その耳で聞く。それだけで現代(当時としても、そしてそれはまさに現在でも通用する)批判になっている。面白く、かつ寓話じみていてはっとさせられるものがある。芥川賞を見ると、なぜこうも芥川の作品から離れたのだろうな、とも思いたくなる。芥川賞作品だってもう少し面白くたっていいんじゃないか(芥川賞選考委員は終身だそうだ)。芥川の持っていた文学的限界ばかり引き継いでいるように、時々思う。
 太宰治「人間失格」――十年ほど前に似た名前のドラマがあった気がするが、ドラマは単なる話題作りに過ぎない酷い出来で、単にタイトルを踏襲しただけのようだ。
 さて、これは周囲を欺き続ける美青年の話である。これだけ『女に惚れられる』主人公は現実にはあり得ないが、太宰の文章で見せら(聞かさ)れると自然に受け容れてしまう。太宰の心の響く言葉は何んとも言えない、甘いささやきに似ている。心に直接響いて魅了するような特別な言葉の力で、現行作家で同じ魅力を持つ人はいない。真似して出来るようなものではない。入水自殺など、太宰の伝記を知っていた方が面白い。誰でも真摯な人は、自分に無いものは書けないものである。そして真摯な言葉だけが、人の心に直接ささやきかける。
 伝記といえば、世界一の伝奇作家シュテファン・ツヴァイクは「アモク」という小説を書いたが、オーストリア人であるツヴァイク自身が第二次世界大戦によってブラジルへ亡命しており、そこで熱帯生活を初体験するに至り、独特のメランコリーに陥っていたようである。アモクとは狂気のことであり、amokと書く。てんかん、集団ヒステリー、暴れ狂って――などの意味であり、熱帯の人が罹る突発的な精神病である。本当に突発である。それまで正常に会話していた人が一瞬間の後に狂人へと変わるのだ。それに、ヨーロッパからやってきた医師が罹ってしまう。実際には罹っていないのかもしれないが、似たようになってしまう。現地人も「アモクだ」とつぶやく。
 特に北欧の、冷たく乾燥した地方に住むヨーロッパ人にとって熱帯の暑気は狂ったように感じられる。そして白人との交友が少なく、肌の色の違う人とばかりに囲まれているのは気が触れんばかりの抑鬱なのだ。
 おおまかなあらすじはこうだ。報酬につられて熱帯で医師をやっていた男は上記のように日々抑鬱を溜め込み、やがて白人同士の会合も避けるようになっていた。そんな折、上流階級の美しい女性が彼の許を訪れる。彼女なはなんと堕胎を依頼しに来たのだ。夫の留守中に若い男を愛し、身ごもった。なんとしても夫が帰ってくる前に隠し通さねばならぬ。これらを遠回しに依頼してきた上流階級の女性に、医師は交換条件として肉体関係を求める。女性は見下したように哄笑し、立ち去る。もはや医師とは話しさえしようとはしない。医師はその女性を狂犬病のように追いかけ回す――というなんともえげつない話である。
 
 さて、あまり狂人のことを書いていたらこちらまでどうにも憂鬱に悩まされそうである。この話しはここまでにしておきたい。

Posted at 2005/11/24(Thd) 17:12:44

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