I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

子供の人数

 このところは執筆用に美術史の本や歴史書、旧約聖書外典などを読んでいるのだが、こういった本は頭が痛くなるので、息抜きに向田邦子の『父の詫び状』を朗読CDで聴いてみた。生の対談も入っていて、ああ向田さんってこんな声なんだ……と実感。
 それでふと気づいたが、戦前や戦時中の家族というのは、子供が大勢いる。しかしそうした時代の一般的日本人というのは、現代ほど経済的に恵まれていたわけではなかった。まして、戦時中など食べるに事欠くほどである。
 しかし、子供が沢山いるのである。長男、長女、次男、次女、三男、三女……。さすがにここまで揃っている家庭は珍しかっただろうが、それでも弟(兄)がいれば妹(姉)もいる、そんな家庭が当たり前だった。
 もちろん、避妊の問題や、病気で死ぬ可能性があるからこそ、ということもあるかもしれない。しかし現代の家庭が出産を手控えているのは、経済的理由が大きいという。
 今よりも貧しい時代には子供が大勢いた。しかし、裕福になってからはお金が掛かるからといって、出産を手控える……。不思議な問題である。
 大学全入時代となって、学費が掛かる。幼稚園からバカみたいにお受験なんてものをやらなきゃならない。そしてそこまで手塩に掛けて育てた子供はニートでパラサイト。夢探しのなんのととにかく莫大なお金が掛かる。ここまでリスクがあっては気軽に子供を作ることも出来ないだろう。
 中流生活を維持するのにも、大変な努力が必要なものである。しかし、私が子供の立場であれば、お受験の何んのと親の虚栄心に振り回されるようにも、放っといて欲しい、と思う。
 しかし一人っ子ではなかなか放っておいてはもらえない。何しろ、かけがえのない一粒種である。いやがおうにも成功することを期待される。これはちょっと可哀想である。
 兄弟の中では長男を除いた真ん中か末っ子が気楽でいいものだ。末っ子はパシリ扱いされがちなので、それは大変だが、親から特別な期待もなく、叱咤を受けることもなく、小遣いもなくお金の掛かる進路までは選べなくとも、とにかく自由な生き方を選択できる……これが一番生きやすい。
 私の兄は小さな頃から父によって、朝早くから起こされ、スポーツの特訓を仕込まれていた。何しろ、父がスポーツマンなのだから悲惨である。父は、自分だから出来ることと、他人に出来ないこととの区別のつかない人だから、特訓は鬼のように辛い。子供の気持ちなどお構いなしである。そんな兄は中学に入ってグレてしまったが、そうなる気持ちもよくわかる。
 私は次男だし、身体が弱かったからそのような憂き目に遭うことは無かった。

 あまり多すぎるのは問題があるが、子供は三人から四人くらいいた方がいい。それが何より子供のためだし、親自身もそれによって救われることになると思う。
 自由に育てようとしたら、案外お金は掛からない。一流の学校へ行かなくとも、頭のいい人間はいいものだし、悪い人間はどれだけやっても無駄なのである。だから、
「これだけの教育をしたら」
「あの学校へ入れたら」
 このように考えるのは親のエゴに相違ない。お金を掛けたから良くなるものではない。そもそも子供の育つ環境というものはそのように無理をして作るものでもない。もっと自然に育まれていくべきものだと思う。その為には、子供にも人数が必要である。

Posted at 2006/06/23(Fri) 00:22:37

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