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文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

著作権保護期間延長は決して作者を守らない

産経web;著作権保護期間延長 国民会議が発足 議論求め要望書

 最近(というっても数年前ですが)、中島敦全集が文庫版で発売されました。分厚い本なのに非常に安くて、売れ行きも好調です。
 演劇では「山月記」が演目に択ばれたり、小説中にも登場人物として登場したり、現在中島敦はちょっとしたブームになっています。ポイントは中島敦の作品が全てパブリックドメイン=公共物である点にあります。だからこそ、中島敦の影をどこでも沢山目にすることが可能になっているわけです。

 中島敦は売れる作家でしたが、当時はほとんど無名のまま病気で亡くなりました。中島敦のファンになる人は、ほとんどの人が教科書で読み知ってのことです。
 売れるならまだしも、売れない作家の全集、及び電子図書が登場するためには、著作権保護期間の終結をもってしか行われません。死後50年であれば、ギリギリで時代の風潮に間に合うこともあります。資料や生き証人もまだ残っていることでしょう。
 しかし、一世紀近くも待った場合は、記録は散佚し、コピー元とする原稿も劣化してしまい、国会図書館のマイクロフィルムからサルベージする以外に方法がなくなる可能性が極めて高いです。
 そんな手間なこと、普通はやりません。死後50年というのは、時代的・物質的にもギリギリの期間なのです。
 たとえば佐藤泰志のように若くして死んだ作家なら、比較的時代の壁が薄いので、死後50年後に本が出版されたり、映画化へ望みをかけることができます。しかし、著作権が生きているかぎり、それは商業的に実現することはまずありません。
 しかし死後70年以上が過ぎた頃には佐藤泰志を記憶している人はほとんどが墓の中です。全く知らない、しかもほとんど無名に近い作家のことなんて、掘り下げてみようとする酔狂な人はいないでしょうね。
 文学世界においては、作品が残るか消滅するか――の死活問題にあります。

 創作方面においても、純粋な意味でのオリジナルなんてコノ世には存在しません。
 まず、言語という発明された物を使って、共通認識上のものを作るという行為は常に二次的なものです。
 絵画も同じで、見た物を描く。つまり、見る物がなければ、描く物もないわけです。リアリティとは一般的にはどれだけ、現実を正確に写し取るか、ということです。これはやはり二次的で、オリジナルではありません。

 純粋に一次的創作なんて不可能なんですよ。過去の作品からの積み重ねがあって、やっと物語や作品というスタイルが発明されてきたわけです。
 それはどんな人にも、決して否定できることではありません。もし完全なオリジナルを作れる、という人は神様以外にありえませんから。

 また、以前このサイトで芥川龍之介や中島敦の話をしましたが、一流作家と呼ばれる人間は全て過去の作品を下敷きしたものを一度は書いています。「杜子春」や「山月記」など、下敷きのある作品ほど、名作として讃えられています。
 つまり、作品の神髄というのは、オリジナルかどうか、という部分には存在しないわけです。ただのアイディア一つで名作と褒め称えられたら、それは作者にとって不名誉なことでしょう。真の手腕というものは、そういうところに発揮されるべきものではありません。
 実はオリジナル要素なんて、どんな分野でも大した価値なんてないんですよ。ただの妄想に過ぎない。一世一代の物なんて、ただのワンアイディアに過ぎません。

 もちろん、現行作家からのトレース行為はいけませんけどね。それはたんなる盗みにすぎない。
 下敷きとするのは、過去からの積み重ねでなければ、あまり意味がありません。


 さて。――そんなこんなで、真っ当な見識を持つ人なら、著作権保護期間延長には当然、反対するでしょうね。
 しかし、世の中は真っ当な人ばかりでは構成されていません。自分だけが正しくて、他の60億人全ては間違っていると考える人が実在するように、自分だけがオリジナルで、他の60億全てはパロディと考える人だっているのです。

 そうした延長派の人には、松本零士がいます。氏の「銀河鉄道999」は誰がどう見たって、「銀河鉄道の夜」のパロディです。
 しかも発表された当時、宮沢賢治の著作権は有効でした。賢治は1933年没。「銀河鉄道999」は1978年にテレビ放映されていました。宮沢賢治作品の著作権は1983年まで存続していたということです。パブリックドメインではない物をここまであからさまにパクッて非難されなかったのは松本零士くらいなものでしょう。しかし、ご本人はどうやらそのことを、すっかり忘れてしまっているご様子。死人の口なし、というわけですな。“盗人猛々しい”という言葉がぴったりです。(笑)
 他にも「ヤマト」や「ハーロック」にもオリジナリティはほとんど感じません。誰でも思いつく設定の中に、意外なものを持ち込むことで新鮮さを生み出しているに過ぎません。
 また、そこで使われている全ての技法は、漫画やアニメのみならず、小説や絵画などあらゆる分野で様々な人達が培ってきたノウハウが活かされており、決して松本零士一人が編みだしたものではありません。
 そういったことを踏まえずに『この言葉は俺が発明したんだ』と言う人がいたら、どうでしょう。

スポニチ;槇原敬之に「999」盗作騒動


漫画家の松本零士氏(68)が代表作「銀河鉄道999」のフレーズを盗作されたとして、歌手の槇原敬之(37)に抗議していると、19日発売の「女性セブン」が報じており、松本氏はスポニチの取材に「私の言葉を奪われた。どうしてごめんと言えないのか」と怒りが収まらない様子。槇原側も「盗作呼ばわりされて嫌な気分。法廷で争ってもいい」と不快感をあらわにし、全面対決の様相だ。

 問題のフレイズについては、松本零士の言葉がやや陳腐なのに対し、槇原敬之の言葉の方がより新鮮ですな。やはり時代の風化というのもあるでしょう。
 大体、時間と夢の関係なんて、誰だって思いつくことではないでしょうか? ごくごく当たり前のことを言葉にしているだけで、一体この言葉のどこに創意があるのか、理解できません。
 ただのウィット、でしょうね。

サイト内関連;
著作権の話

Posted at 2006/11/09(Thd) 12:32:24

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