I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

高齢の当たり屋に注意

 高齢者というと、急いでもいないのに電車から一番に降りて、しかもすぐに立ち止まって後列をつかえさせたり、道のど真ん中を横列に並んでとろとろ歩いたかと思うと突然方向を変えて走り出したり、歩行一つとっても危険行為が多いが、今後はそうした場面に遭遇した場合は気を引き締めなければならなくなる。

産経web;http://www.sankei.co.jp/news/060616/sha002.htm


 歩いている高齢者にぶつかってけがをさせた歩行中の若者に賠償責任があるかが争われた訴訟の判決が15日、東京地裁であり、大嶋洋志裁判官は「高齢者は交通弱者。若者には注意義務がある」として、若者に約780万円の賠償を命じた。

 高齢者といっても、残念ながら正直で人の良い人ばかりではない。他人から絞り取るだけ絞り取ってやろうという汚い人間は幾らでもいる。
 特に人間、身体が衰えて来た時にはカネが物を言う。カネさえあれば安楽な余生を送ることが出来るだろう。

 当たり屋という商売は、走行中の車にわざと当たって治療費を脅し取ったり、示談や裁判で払わせたりする商売だが、何しろ車に当たるのはかなりの危険を伴う。
 しかし、歩行者が相手となればどうだろう。少ない危険で、同様の効果を得られるとしたら……。別段骨折までしなくとも、診断書なんて「痛い」とさえ言えば病院はどうとでも書く。それなりの額を脅し取ったり、示談金を取ったり、裁判で賠償させることは簡単だろう。
 もちろんこんなことがまかり通るようではいけないのだが、残念ながら裁判所が認めてしまった。裁判というものは、一度判決が下ると、類似した事件は同様に裁かれることが多い。
 この判決の問題点は交通の『注意義務』を裁判官の勝手な判断で作り上げてしまっているところだ。そのために、高齢者と若者が歩いていてぶつかった怪我をさせた場合、より若い方には『ぶつからないようにする義務』が与えられ、怪我をさせた場合にはほとんど一方的に『賠償責任』が生まれるわけである。

 これは何んといっても、高齢社会であることから、高齢者へ、そしてマスコミ受けを狙った判決ではないか。最近は実にそういった判決が多いのである。
 よく、裁判批判で加害者ばかりを保護している――とあるが、裁判所は被告が本当に加害者であっても、どちらの味方であってもならない。或いは両方の味方でなければならない。そうでなければ公正な裁判など出来るはずもない。
 今回は明らかに『弱者の味方』をしているわけだが、果たして公正な裁判と言えるかどうか。
 被害者は被害を受けたのだから、自分に味方して欲しいと感じるし、加害者は裁かれなければならないと考えるだろうが、それは偏った独善的な世の中に過ぎない(簡単に言ってしまえば「DEATH NOTE」でキラがやったことと変わらない。キラは自分に敵対するものは例外だが、犯罪者だけの一方的な敵である)

 道を歩いていて人とぶつかって怪我をさせた……。その時には、交通事故云々ではなく、ただ単に怪我をさせた事実にのみ絞って、治療費支払いなり示談金なりに留めて、注意義務や賠償責任などというものは埒外として考えるべきだと思う。

Posted at 2006/06/16(Fri) 18:25:46

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