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文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

新潟で『冬の蝶』

 星新一のショート・ショートに「冬の蝶」という作品がある。どの作品集に収められていたのかはもう忘れてしまったが、1001篇の中でも特に名作の一つと認識されている。
 あらすじを紹介すれば、ある寒い冬、完全に電化された未来の都市で、大規模な停電が発生する。人々は寒さの前になすところなく、復旧を待つうちに凍え死んでいく――その時女性が着ていたハイテク素材で作られた服の光る模様の『蝶』が動いていたのが、やがて消えていく様子が美しく描かれている。一方、ペットとして飼われていた猿は家具を分解、薪にして火をおこし、暖を取る。日頃人々から野蛮だ、無知だと罵られていた猿だが、どちらの方が賢いだろうか――という筋だ。あんまり簡単な筋にしてしまったが、実に芸術的で、いくつもの解釈ができる作品である。
 星新一が存命中はまだSFに過ぎなかった。しかしこれはもう既に現実でも充分に起こりうることである。

http://www.asahi.com/national/update/1222/TKY200512220794.html


 新潟で最大65万戸の大規模な停電が発生、今朝から夜になっても未だ停電の続く地域はあるようで、完全に陸の孤島と化した。
 近頃は電力会社が『オール電化』などというものを売り出しているが、そんなものに頼っていた人はご愁傷様。『オール電化』は現状ではリスキーとしか言いようがない。それらが可能となるのは、恐らく太陽光パネル発電と燃料電池が一般化されてからだろう。それなら経済的にも、システム的にもそれなりのメリットがある。それを電力会社の勇み足まで付き合った人はごく当たり前の判断力が無いだけだ。最終的な判断はあくまで本人にゆだねられるのだから。
 
 電気というのは大変便利なエネルギー源だが、安定していない。従ってそれ“だけ”に頼るのは危険である。燃料電池が一般化しても、それが故障してしまえば替わりを用いざるをえない。もし、替わりが無ければ「冬の蝶」となるまでだ。いかなる場合でも原始的・シンプルなものの方が最後的には頼りになるのである。

Posted at 2005/12/22(Thd) 21:26:31

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