オーソン・ウェルズ「審判」(リンク先にあらすじあり)
鬼才オーソン・ウェルズでさえカフカ作品を映像化することは難しかったか。なかなか面白いデキにはなっているのだが、大成功とまでは言えない。
映像・演出には不安感が滲み出ていて、観るとカフカ世界に迷い込んだように感じる。前回紹介したスティーヴン・ソダーバーグの「カフカ/迷宮の悪夢」など問題にならないほどカフカ世界を絶妙に表現している。カメラワークも大人しめで、雰囲気を損なっていない。
ただ、アンソニー・パーキンス演じるヨーゼフ・Kのイメージが今ひとつ違う……。カフカ的人物にしては、俗。主人公演じる役者には、他者の心を見透かすような透徹した眼の力と、どこか脱俗したような雰囲気を漂わせて欲しい。演技が垢抜けすぎていて、ユダヤ人(になりきれなかったユダヤ人)というよりは、フランス人に近いように思う。あるいはただのサイコ。もしかするとこれも『現代風アレンジ』の一環なのかもしれないが……。
十数年前、実家でこの映画をみたとき中学生の私ははじめてカフカ世界に触れ、なかなか面白い作品だと思ったが、うちの親父は『全然審判じゃない。面白くない。がっかりだ』などとのたもうていた。最終学歴は県内下位でスポーツ主体(野球で全国的に有名)の男子高校まで。読書などろくにしたことのない親父なので、(当時)50歳を過ぎてもカフカのカの字も知りはしない。どうやら法廷モノの映画と勘違いしたようだが、世の中に実利的なものしか見いだせない、筋骨隆々の人間がこんな作品を見てもつまらないだけだろう。
芸術家肌で貧弱な私と、貧しい中から身一つで弟達を大学へ行かせ、僅か24歳にして自分の家を持った実利的な父親とは決して相容れることがない――この構図はまさにカフカと父親の関係そのままである。父と子の典型的構図の中で、どうしたことか私もまた文学の道を志し、カフカに対し必要以上の共感を覚えている。連綿と続く歴史の中で、同じような螺旋上に位置しているのかもしれない。これも何かの因縁か。
そんなわけで、原作を知らなくても愉しめるが、元々原作を理解する感性のない人がいくら観てもつまらない作品である。難解な作品は、発信する側と受信する側の周波数が合わなければ、ただ難解なだけに終わってしまう。理解できる人は理解できるし、理解できない人は一生誘眠剤としての効果しか期待できない。こればっかりは仕方ないように思う。
Posted at 2006/08/04(Fri) 17:32:37
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