I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

佐藤泰志作品集

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amazon.co.jp;佐藤泰志作品集
 なにこの辞書サイズ。大きく、分厚く、重く、そして大雑把でまさに鉄塊そ(ry
 手で持って読むと重すぎて手首が痛いのですが、厚すぎて書見台にも設置できないという罠。仕方ないですけれども……。
 読めなかった「星と蜜」「虹」が読めるのが嬉しいです。

 作品一つ一つについてはもう語ることもないのですが、福間健二の解説について。

彼の小説は、どういいのか。どうすごいのか。結局、文学の本来の力がそこにあるということを換言するだけになるかもしれないが、それは、「逃避」か「参加」かといったレヴェルを超えたところで、現実と向き合い、生きる人間をつかまえている。そして、そこには生命の粒子のつまった空気が流れていて、熱と匂いと汚れがそのまま輝きとなるような結晶の瞬間が訪れるのだ。

 綺麗すぎてわかったようなわからないような言い廻しですが、要するにあるものをありのままに表現できている、ということでしょうか。佐藤泰志の作品には確かなリアリティが存在する、と。
 最近流行りの小説にはこれがありません。実話だろうがなんだろうが現実味のないシュールな世界ばかりが描かれています。リアリズムの強い作品は重厚となりがちなので、読者から受け容れられないのでしょうね。
しかし、佐藤泰志の表現は、中上健次のような、神話的な時空への展開をもたないし、また、村上春樹のような、ニュートラルな身ぎれいさにむかうこともない。ひとくちにいえば、等身大の人物が普通に生きている場所に踏みとどまっている。

 要するに昔ながらの、本格派純文学小説家といったところでしょうか。ほのかに漂う第三の新人臭。
 佐藤泰志は自分と戦っている様子がこちらにまで伝わってくる稀少な作家です。本当に痛々しい。不幸系の純文学作家は大勢いるにはいますけど、みんな程度がヌルいですから。病気の鬱となんちゃって鬱くらいの差はあります。
 しかし、自分語りの私小説に留まるのではなく、ちゃんとした物語として作品を完成させています。そこら辺に関しては年譜や、生前のことをよく知っている人の話などと照らし合わせてみるとよくわかります。

 同世代の村上春樹と比較されていますが、彼が売れる作家の典型的スタイルなら、佐藤泰志は売れない作家の典型的スタイルですね。
 作品は確かに芸術だけれども、商品としては弱い。仮に私が出版社の人間だとしたら、やはりプッシュするのは躊躇します。

Posted at 2007/12/14(Fri) 16:38:41

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