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マイク・リンデル自伝「What are odds?」 第1章「シュミッティーズの夏 1993年」あらすじ・日本語訳

「What are the odds from crack addict to CEO」=「こんなことってある? コカイン中毒者からCEOへ」

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※【】内は訳註です。

第1章 シュミッティーズの夏 1993年

1993年、マイク・リンデル32歳の夏です。


 1993年の夏、>シュミッティーズ・ターバンのカウンターに立っていた。私は常連のピーティのためにジャック・ダニエルをハイボールグラスにたっぷりと注いだ。外は27℃もあるというのに、部屋の奥のジュークボックスではエルヴィスがクリスマスを恋しがっていた。建設作業員がシンフォニーの指揮者のように腕を振って、バー中が歌っていた。
ああ、どうして毎日がクリスマスのようにならないんだろう?
もしも毎日がクリスマスのようになれば、この世界はなんて素晴らしいんだろう!

 歌い終わり、客たちは歓声を上げた。

 そして、白いナプキンを天井のシーリング・ファンに投げると、雪のように店の中に降り注いだ。

 マイクの店はビクトリアという人口2,000人ほどの町の、シュタイガー湖の向かいにある。いつも変わった事が起こっていて、人々の話題をさらっていた。
 マイクが目指したのは『どこの国のどんな人でも、自分の居場所だと感じられる場所を作ること』だった。

シュミッティは、個性的な常連客の中から生まれた。例えば、ピーティ。
 彼は、ジェリー・ガルシアが亡くなったときに、とてもショックを受けた長髪の熱心なタダ飲み客だった。彼は、毎日同じ時間に店に来て、同じバースツール【酒場にある腰掛け】に座り、同じ飲み物(ジャック&コーク)を飲んでいた。
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唯一変わっていたのはシャツで、絞り染めのTシャツとグレイトフル・デッドのコンサート用のお茶を毎日午後4時半ぴったりに、大画面テレビのチャンネルを「ジョパディ!」【クイズ番組】に変えさせていた。いつもみんなからうめき声があがったが、30分だけだし、何といってもピーティだからと我慢していた。

 常連客のほとんどはビクトリアで一緒に育った仲間で、スケリー、ピーティ、ポッキー、フライマン、モヒカン、シビーなどがいた。また、トーイング、トム・トーイング、トムの年上のいとこのトニーもいた。彼らはシュミエッグ、ヴォーゲル、シュレムプ、ノーターマンといった名前のドイツ系の血を引いており、1851年にこの地域に入植したとされる男の子孫である詳細も一緒だった。シュナイダーなどの名前を持つドイツ系の優秀な人材が集まっていた。町全体が、カトリックの大家族の兄弟姉妹やいとこ、義理の家族でごった返していた。私は彼ら全員を愛している。

 当時、マイクは数マイル離れたミネソタ州のチャスカで「リーマイケルズ」という別のバーを経営していたが、友人のウェイン・ヒルクに買収できるかどうか偵察に行かせると、まるで『狂気の沙汰』だと返してきて、「シュミッティの店とは一切関わりたくない」と言われる。却って気に入ったマイクは店をギャンブルで巻き上げたのだった。

 真夏にジュークボックスからエルビスが流れてくるのは偶然ではない。月曜のランチでも金曜の夜の外出でも、シュミッティーズは同じように休日の雰囲気を醸し出していた。音楽はその雰囲気に欠かせないものなので、ジュークボックスの曲はすべて私が手ずから選んだ。そのときのヒット曲を入れるのではなく。私たちの両親が聞いていたような70年代以前のヒット曲をたくさん用意した。私のお気に入りのボブ・シーガー、イーグルス、プリンス(彼の自宅であるペイズリー・パークは、この道路から数マイルのところにあった)に加えて、ジョニー・キャッシュの「Ring Of Fire」、リン・アンダーソンの「(I Never Promised You a)Rose Garden」、パートリッジ・ファミリーの「悲しき初恋」など、歌いたくなるような名曲をストックしておいた。


 誰かがこの曲を流すと、「なんでこんな下品な曲を我慢しなければならないんだ」とうめき声が聞こえてきたものだ。しかし、次の瞬間には、テーブルに座ったバイカーたちが、デヴィッド・キャシディと一緒に大声で歌っているのを目にすることになる。

僕は君を愛しているんだと思う!
だったらなんでこんなにも怖いのだろう?
確信が持てないことが怖いのです。
愛が癒しとなるのか……

 昔の歌は人々を幸せにしてくれた。単純な時代に戻してくれた 私はシュミッティーズをそういう場所にしたかった。。しばらくの間、悩みを忘れさせてくれる場所。
 日頃見られないものを見に行くような場所。その雰囲気に惹かれたのか、シュミッティーズにはすぐにファンができた。私はお酒を売っていたが、お酒を売っていたわけではない。 楽しみを売っていたのだ。家族。所属していること。
 それは、子供の頃から、自分の居場所がないと感じていたからかもしれない。私は自分の居場所を感じたことがなかった。

 古き良きアメリカ式酒場の経営という感じですね。村上春樹がバーの経営をしていましたが、方向性がかなり違いますね。
 この後、マイクはバーの経営者をしていた時の眼力を活かして生き延びたりします。それにしても、バーの経営経験はビジネス成功の秘訣かもしれない?
 さて、ついでにショップ用のプロモーション用の言葉があったので、そちらも和訳しておきます。

 こんにちは、私はマイク・リンデルです。マイピロー・ガイとしてご存知でしょう。
 しかし、皆さんは私の物語をご存知ないかもしれません。私は、クラックコカインを含め、人生のほとんどの期間、機能的な中毒者でした。起業家精神が旺盛で、自分のやり方で行動します。14回以上も死にかけて、神の存在を証明するために数学を使ってきました。100万分の1とか10億分の1とか、ありえないようなことが起こるんです。
 でも、それを全部足すと、いつの間にか奇跡になっているんです。誰にでも天職はありますが、神様が私の天職を果たすために追いかけてくれていたことに気づくのに50年かかりました。危うく失敗しそうになったり、ギリギリまで追い込んだりしましたが、最終的には神に身を委ね、神がいればすべてのことが可能であることを悟りました。
 私の物語は、皆さんにインスピレーションと希望を与えてくれるものと信じています。

Posted at 2021/05/09(Sun) 08:22:19

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