家の近所のコンビニが突然閉店してしまいました。朝、通りがけに何か中がスッキリしてるなと思ったら入り口に貼り紙が。それはその日の午前9時をもって閉店するというおしらせでした。あと数時間で閉店というタイミングだったようです。ふと数えてみると、おださが周辺で閉店したコンビニは結構あります。この業界の生き残り戦争は厳しいようです。ところで、おださがのサンザンロードに99円ショップなるものがあって、時々利用しています。いわゆるダイソーなどの100円ショップとは違って、日用品から生鮮食料品まで扱うスーパーです。扱う品は店名の通りほとんどが99円。実はよくよく見ると99円で売れるように小分けにしたものだったり、質をうんぬん言えるものではなかったりする。それでもコンビニに比べれば圧倒的に割安感があります。しかもここの店は24時間営業。僕は突然夜になってデザートが食べたくなったりするのだけど、そんな時はコンビニではなく、99円ショップに行っちゃいます。コンビニにとって嫌な競争相手だろうね。
週末恒例の(?)夜のドライブは、新しい東京名所、ただいま旬真っ盛りの六本木ヒルズに向かいました。52階の展望室は25時までやっている。28時まで営業しているスタバができた。そのスタバは本屋と併設している。駐車場は台数もたっぷりあり、24時以降は30分100円になる。とこれだけ情報を集めたところで、東京の夜景を眺めにレッツゴー!六本木に着いたのは23時前でした。車を停めてまずはぶらぶら歩きながら展望台へ。期待通りの見事な夜景に感動です。たまたまやっていた街の開発に関する無料の特別展示も意外と楽しめました。下界に降りてから、またぶらぶら歩いてスタバへ。スタバは代わり映えしませんが、併設の本屋が面白かった。マニアックな本がたくさん置いてあるのです。時間をかけてゆっくり見たくなりました。今日はそれだけで帰ってきましたが、充分街の雰囲気を堪能できました。昼間に来れば、食事をしたりショッピングをしたりできるでしょう。でもしばらくはすごい人込みのはず。週末の夜、こんな感じで行くのが穴場かも。
テレビのチャンネルを回すというのは、もう死語なんでしょうか。僕が子供の頃はダイヤル式のチャンネルがありました。チャンネルを変えるためにはテレビの前に行かなくてはならなかった。それを変えたのがリモコンです。そのリモコンはテレビのみならず、ビデオにもミニコンポにも付いています。見回すと家にはリモコンだらけ。数が多すぎてうざったく感じます。それにリモコンのボタンがわかりにくい。テレビはボタンが少ないからまだいい。でもコンポのリモコンはどうでしょう。先日DVDプレーヤーを物色しているときに感じましたが、リモコンを使いやすくなんてほとんど考えられていないようなんです。国内製品に英語だけの表記しかないリモコンってありますか?ボタンの数も多く大きさが同じで配置も適当。パッと見て上下も分からないんです。夜寝るときに暗くしてからコンポを操作しようと思っても目的のボタンはまず見つかりません。機能が増るのは歓迎です。でもそれらの操作性も、リモコンの使い勝手ももっと考えてください。
F1も5戦目を迎えました。今年はレギュレーションが大きく変わりました。あまりに勝ち過ぎるフェラーリを抑えるための変更だったのですが、その正否がはっきりする頃です。大きく変わったのは予選のやり方です。一発勝負になったので失敗は許されません。また予選終了後から決勝開始までマシンの整備が禁止されたので、これまでのように予選スペシャル仕様のセッティングができなくなりました。予選で勝負をかけるか決勝を無難に戦うか。作戦の選択肢が広がったわけです。主催者のFIAのもくろみどおり、開幕3戦まではフェラーリはパッとしませんでした。去年までは考えられないようなミスも出て、今年のチャンピオンシップは混戦だとも言われました。しかし前回のサンマリノでミハエル・シューマッハがようやく今年の一勝目を挙げたのに続き、満を持してこのレースから投入した新車でもあっさり優勝をさらってしまった。ライバルが自滅しているのだから情けない。このままフェラーリが勝利街道をばく進して行きそうな予感です。
結局、六本木以外は特にでかけなかった今年のGW。それでも近場をウロウロしていただけであっという間に終わってしまいました。4月はずっと調子を落としていた娘もここに来てようやく回復してくれて、毎日の看護記録も平穏を示すまっさら状態になっています。呼吸器を使っている子は季節の変わり目は調子が悪いものなんだそうです。よく先生にも言われるのですが、呼吸器はフィルターの役目をする口や鼻を通さないで、直接気管に空気を送るので、ばい菌が入る可能性が高い。そんなことも調子を落とした原因なのかもしれません。今日もうにょうにょしつつも穏やかな顔をしていたなっちゃん。最近ウンチもちゃんと出ているのに、お腹に力が入るとブッという臭くて豪快なオナラもしてくれます。なっちゃんが落ち着いていると僕らも気分的に楽です。今夜は久しぶりに鶴間でマッサージを受けました。肩から腰にかけてのコースをお願いしたのだけど、上半身が軽くなった分、足の疲れを余計に感じます。やっぱり下半身を頼めばよかったかな。
三谷幸喜ファンとしては、昨年秋から3月まで放送された日本初のシットコム「HR」は欠かさず見ていました。ビデオ録画もばっちりです。録ったのはかみさんだけど。そういや最近、自分でビデオ録画しないなあ。話を戻して、その「HR」のDVDが発売されています。全4巻。順序から言えば1巻目だけ先行発売されて、次いで2〜4巻が出ました。3巻がボックスに入ってDVD売り場に並んでいます。ちゃんと1巻目の分のスペースが空けてあって、ここにお手持ちの分を入れてくださいとなっています。4巻全部揃えると2万円を超えます。ウチには録画したビデオがあるんだから、買う必要はありません。でもDVDならではの特典映像も見たいな。DVDだとコマーシャルが入ってないし、映像もきれいだろうな。いやいやそんな誘惑に負ける僕ではない。とりあえず1巻目を買って様子を見ることにしよう。って買ってるじゃん。1巻目に入っている6話分を見たらそれ以降も見たくなってビデオを出して見てるけど、これでいつまで我慢できるか。。。
一昨年に放映された「救命病棟24時」の再放送の最終回のビデオをかみさんが見ていて、「こち亀」を読みながらそれを横目で見ていたら、ついつい引き込まれてしまいました。話はドラマの舞台である大学病院にある救命病棟の医局長が、くも膜下出血で倒れるところから始まります。一命はとりとめたものの、40分間の心停止の影響は大きく脳死状態。本人の強い希望もあって、臓器移植のドナーになりました。ドラマとはいえそのプロセスを映像として見ると、脳死は人間の死なのかと考えさせられますね。難しい問題です。移植を受けて助かった人もいる訳だし。ストーリーの中では、学長選挙がかかった教授が、赤字の救命病棟に儲けを出させてポイントを稼ごうとしたり、その渦中に有毒ガスが発生して大量の患者の処置をすることになったりと、盛りだくさんでした。なっちゃんが生まれてから、こういう病院の話は気になっちゃいます。気がつくと食い入るように見ていました。悪者だった教授が最後にいい役になって、気持ちいいラストでした。
SARSの勢いは一向に収まりません。身近なところでも、特に病院では対応にピリピリしているようです。各入口に、SARSにかかった疑いがある人は特定の機関以外で治療をすることができない。感染のおそれがあるから建物の中に入るなという注意書きが貼ってあります。ドアノブ感染の可能性もあるんだとか。建物や部屋の出入口はもちろんのこと、電話、電車やバスのつり革や手すり、お金、レストランのテーブルや椅子などなど、考えられる感染経路はいくらでも思いつきます。幸いにしてまだ日本での発症例は報告されていませんが、それはまだ見つかっていないだけかもしれない。電車で隣に座った人が潜伏期間中だという可能性もあります。ゴホンなんてされたらちょっとびびっちゃいますね。なんでも、予防には消毒が有効なんだそうです。毎日病棟に入るときはきちんと手を洗っていますし、中にいても事あるごとに手をアルコール消毒をしますので、普段からこれくらい気をつければ大丈夫かな。根が神経質だから、気になるときりがないんだよね。
先の岩手県議会議員選挙でトップ当選を果たした覆面プロレスラーのザ・グレート・サスケさんが、マスクを着けたまま議会に出ることの是非を問われています。本人曰く、着用は選挙の公約の一つであったこと、表情が見えやすくなるようにデザインを変えたこと、知事が容認の方向の発言をしていることなどから、そのまま議員活動を続けるつもりなんだそうです。サスケさんを除く他の県議のアンケートを河北新報社が取ったところ、会派の見解を超えて意見が分かれているそうです。「本人確認ができない。テロリストが本人になり代わる可能性もある」という意見がありました。なるほど。議場に入る際にマスクを取って本人確認できるとしても、どこでもそれが通用するわけではない。僕はマスクを着けて議会に立つことは反対です。人と人とのコミュニケーションの中で、素顔を晒さないことはマイナスだと思いますし、マスクをつけないと意見が言えないようなら、彼はその意見に責任が持てない、あるいは中身が無いのだと感じてしまいます。
近所になかなか繁盛している八百屋さんがあります。薄利多売を旨としていて、お世辞にもきれいなお店ではありません。だみ声で気前のいいおやじと計算の早いおばちゃんがいる。子供の頃母親の買い物にくっついて行ったのはこんな八百屋さんでしたっけね。確かに、店内に所狭しと並んだ野菜や果物はどれも安い。段ボール箱ごと買っても安いので、かみさんはよく友達と分け合っています。そんな感じなのでお店はいつもお客さんで一杯。それどころかバスも通る店の前の車道にはみ出しそうな勢いです。ということで僕らも家に野菜が無くなると、まとめ買いによく行きます。入れにくい駐車場が一応5台分あります。でも停められないこと多いので、近所の住宅に申し訳ないと思いつつ路駐をしてしまう。僕が車に残っていて、買い物が終わる頃合いを見計らって荷物を取りに行くという案配です。今日の成果は買い物袋2つにトマトが1箱。よく熟れて赤々としたトマトが整然と並んでいました。我慢できずにそのまま頬張ったら、美味しかった。
めずらしく日曜日に床屋に行きました。待たされるのは時間の無駄なので、開店と同時に入ろうと早起きを目指すも寝坊してあえなく断念。それでもお昼前に様子を窺いつつ店に行ってみると、予想に反してすぐにやって貰えました。午前中のピークが収まったいいタイミングだったようです。ところで、まったく話しかけられない床屋さんも気詰まりですが、とにかく色々話しかけられる店も煩わしい。今日行った店はどちらかというと後者です。ちなみに今日話しかけられたことは、「今日はお休みですか?」「GWはどこかに行きましたか?」「実家にお住まいですか?」「実家はどちらですか?」「仕事場はどちらですか?」「お仕事は何をしているんですか?」「今日は朝ごはん食べましたか?」「最近なんか楽しいことありましたか?」等々。無視するのも何なので、いちおうちゃんと答えたんですよ。でもその後まったく話が広がらない。みんな聞き逃げなんです。興味が無いなら聞くなよって感じ。中身がない会話をするくらいなら黙って下さい。
一時期より朝の電車が混んでいるような気がします。ダイヤ改正があって、新学期が始まって、GWが過ぎて、そろそろ通勤通学のペースが固まってくる頃。だからこの時期に電車が混むということは、これからずっと混むってことなんでしょうか。朝の電車はいつも座りたいと思っています。体の疲れというより単に眠いから。短時間でもシートに座って横揺れに身を任せるとよく眠れるんです。僕がおださがから乗るのは10両編成の各停本厚木行き。本厚木で降りると、6両編成の小田原行き始発電車が反対側のホームに待っています。この本厚木行きも少し前までは余裕で座れたのに、ここ何日かそれが怪しくなってきました。一番空いている先頭車両に乗るのに、です。今日はとうとう座れなかった。ならば本厚木で乗り換えるとは確実に席をゲットしよう。ところが10両編成の先頭車両に乗っていると、本厚木では小田原行き車両よりはるか前に止まってしまう。そんな事を考えながら途中駅ごとに車両を移動している自分が、ちょっと情けなかったりして。
スカッシュを始めたとき、専用のシューズとラケットを買いました。その時に選んだ理由は、一に値段、ニに評判でした。初心者に微妙な違いまで分かりませんからね。それから早5年ほどが経ち、今使っているラケットは3代目です。年に何回もラケットを変える強者もいるなかではどちらかといえば一つに固執する方でしょうか。自分なりにラケットを選ぶ基準があります。軽さとか、振り抜いたときのバランスとか、ボールが飛び方とか、ほとんど好みですけどね。今のは使い始めてもう2年以上経ったかな。この間にも各メーカーから新しい製品がたくさん出ています。時々借りて試し打ちもしてきたんだけど、どうも欲しくなるようなラケットはなかった。ところが、今年の新製品で登場したラケットは違います。メーカーの本国の国旗をあしらった変わったデザインのラケットなんですが、これが素晴らしい。今まで使ってきたのは何だったんだろうと思うくらい。いやー、いい道具に出会うと、俄然やる気がでてきちゃいますね。まだ買ってないけど。
インターネットプロバイダーから毎月利用料金のお知らせのメールが届きます。固定料金なのでいつも同じ金額なんですが、とりあえず中身は確認しています。先日、ふと気づくと口座管理費なる妙な手数料を取られていることに気がつきました。何だろうなと思ってホームページで契約料金をざっと確認してみたのですが、なかなか見つからない。細かく見ていくと、支払い方法を銀行引き落としにしていたためにかかる手数料でした。当然カード払いならかからない。わざわざ銀行引き落としにする理由もないので、早速変更手続きを行いました。話は変わって、積立型家財保険の満期が来たというお知らせが、振込依頼書と契約更新の契約書と共に届きました。次も同じ条件のおすすめプランでいいいやと思いつつ中身をみると、何故か借家人賠償なるオプションが付いています。今の保険を契約したときに設定した項目のようです。もちろんはずしました。いずれも大した金額じゃないけど、無駄なお金を払い続けるって悔しいよね。確認してよかった。
ネットでCDが簡単に買えるようになった昨今、店で予約をするのはナンセンスなのでしょうか。ネットで買えば検索も簡単だし、24時間受付だし、家まで配送してくれるし、何と言っても早い。かたやCD屋さんに行けば、予約表に手書きで住所と名前を記入して、欲しいCDの題名や販売元を伝える。へたに製品管理コードを伝えると、とんでもないモノが届くことも考えられます。あとは家に電話がかかってくるのを待って、再び店に取りに行く。手間と時間がかかります。それでもまだ僕は対面での予約を優先しています。ネットだと買いすぎそうで怖い。実際に財布からお金を出すわけではないからね。そんな訳で先日も相模大野のCD屋さんに予約を頼みました。まだ連絡が来ていないけど、遅いなあと思って会社帰りに店に寄ってみました。すると何故かもう入っていますよと。おととい留守電に連絡を入れたということです。家に帰って確認すると、やっぱり録音されていないし電話機も壊れてない。アナクロな予約方法はもうダメなのかしらん。
TBSテレビで「ブラックジャックによろしく」というドラマが放映されています。題名から分かるようにお医者さんの話で、原作は漫画です。医療ドラマというだけで興味はありますが、さらに今日から4回はNICUすなわち新生児集中治療室を題材にしたお話です。これは見るしかない。どうやら話のテーマは、双子の未熟児を生んだ夫婦が障害を乗り越えてその子供と本当の「親子」になれるかどうか、というところのようです。放送ではNICU病棟を再現したセットで研修医の妻夫木君やベテラン医師役の鶴瓶師匠がなかなかいい演技をしていました。でもウチの病棟と比べるとかなりきれいな部屋で、おそらく意識的に物を雑然と配置したんだと思いますが、それでもやっぱり本物の緊迫感は出ていません。部屋の中で鳴る音も、音色は同じでも全然頻度が違う。実際はいつでもどこかで何かの音が鳴っていますからね。でも細かいところにこだわっても仕方がない。この先の展開は期待できそうです。NICUの雰囲気を味わいたい?なら、ぜひ一度ご覧遊ばせ。
車に乗りながらオーディオを聞いている時は、液晶画面に広域地図を表示していることが多い。するとVICS機能が近くの渋滞情報を受信して、地図上に混んでいる道を赤や黄色の表示で示してくれます。週末の夕方なんか嫌になっちゃいますよ。16号線、行幸道路はもちろん、あっちこっちが真っ赤っかですから。このように渋滞が事前に分かっていればそこを避けて走ることもできるので、無駄にイライラしなくて済むはずです。そんな渋滞情報の中で、ずっと気になる道がありました。大通りでもないのに、ほかには渋滞が無いような時間帯でもいつも赤くなっているのです。おかしいなと思って、今日わざわざ確認しに行ってしまいました。すると、その時もNAVIの地図上では渋滞となっているのに、その先頭で信号待ちしている車は0台。全然空いているのです。よく見ると、道路の上方に設置してあるセンサーに道路脇の街路樹の葉がかぶさってしまっていました。誤った情報を送っているんでしょうね。NAVIの渋滞情報も必ずしも正確とは言えません。
三谷幸喜作・演出、市村正親、浅野和之、戸田恵子出演で、2002年の春に三軒茶屋で行われた舞台「You Are The Top〜今宵の君」をDVDで見ました。作詞家と作曲家と一人の死んだ女の、楽しくて切ないすてきなお話です。実は最初はあまり興味がありませんでした。ちょっとストーリー的に暗いのかなと思ったもので。しかし三谷氏のエッセイ本第2集でこの舞台裏が描かれていて、がぜん興味をもちました。出演者の一人、浅野さんは代役です。当初は鹿賀丈史さんがキャスティングされていました。しかし開演1週間前になって急きょ病気降板となって、浅野さんに白羽の矢が立ったそうです。2時間半の3人芝居。セリフの量も半端ではありません。公演中止もやむを得ない状況から、1週間の稽古で完成までこぎ着けてしまった。初日のカーテンコールは感慨もひとしおだったそうです。その難産の舞台をぜひ見てみたいと思ったわけです。そしてそんな裏事情は別にして、期待以上のいい舞台でした。特に市村さんの演技が最高です。生で見たかったな。
1週間の始まりは気分が重い。これからしばらく祝日がないので、きっちり5日仕事に出なければならない。こんな時の週末はあっという間に終わっちゃうんですよね。やりたいことはいろいろあるんだけど、その10分の1もできないまま日曜日が終わってしまう。時間の使い方が、また悪くなっています。せめて気分転換くらいできていればいいのだけどそれも怪しいな。朝はいっつも寝坊。原因は分かってます。夜遅くまでだらだら起きてるから。そう、週末の夜は大抵酒を飲んでいますが、それもどうも惰性で飲んでる。美味しいお酒が飲めばいいのに、その努力もしない。一汗かいて来るとかお腹を空かすとかね。ただ週末だから飲まなきゃと思いながら、冷えてないビールを飲んだり、目に付いたお酒を適当にグラスに注いでるだけ。酔っぱらいもしないし、いい気分にもならない。ひょっとすると今何を飲んでるのか、ちゃんと分かってないような気もする。これじゃ却ってストレス溜めるよね。そうして迎えた月曜日。天気と同じように気分も暗い。
すっかり人気が影を潜めてしまった大相撲。気がつきゃ幕内最高位にはハワイとモンゴル出身の二人が座っています。若貴時代が終わり、日本の国技はどこへ行くのでしょう。昨日の取り組みで、その横綱が同じモンゴル出身の先輩力士との対戦し、横綱の品格を損なうような振る舞いをしたと非難を受けています。結果としては土俵際で逆転負け。悔しさは人一倍でしょう。でもその後でガンを飛ばしたり報復宣言をしたりといった態度が横綱らしくないと言うのです。確かに今までの横綱ではあり得ない言動です。むしろ自分に素直で正直だとも言えなくもない。彼はまだ22歳。各界でこそ誰しもが頭を下げる存在ですが、世間で22歳といえば若輩者です。これまでの横綱に求められていたような、黙してそれでいて強い、そんな理想像を演じるのは無理があるんじゃないかな。できないとは言いませんけどね。大相撲の横綱は心技体が揃わなければ資格がない。いくら強くてもダメなんです。その伝統が活きているかぎり、相撲は日本の国技なんでしょうね。
とうとう買ってしまいました。Newラケット。入荷したてのホッカホカのやつ。早速使ってみました。新品は気持ちがいいですねえ。今まで使っていたものとは感触が全然違います。軽いんだけど薄っぺらくなく、振り抜けがよくて打球感が力強い。買って正解でした。とかくスカッシュのラケットは壁にぶつけることが多い。壁際すれすれのボールでも打ち返さないとなりませんので。さすがにまだ新しいラケットで無茶ができず、おっかなびっくりです。じきに前のラケットと同じようにボロボロになるでしょう。スカッシュラケットはほとんどガットが張られたままで納品されます。最近はガットの種類も増えましたし、張り方の強弱にも好みがありますから、すぐに張り替える人も多い。でも勿体ないからしばらくそのまま使おうかな。張りたては固めなので、こなれた様子をみてから替えても遅くないし。それからグリップテープ。僕は左手でラケットを握るので、テープのらせん巻きの方向が普通とは逆になります。これは替えないと仕方がないかな。
この日の出来事は、これからの人生で忘れることができません。そして娘がこの世に生を受けてその短い人生を全うするまでの年月を、僕は誇りに感じて、胸を張って生きていけると思います。僕らには世界一美しい女の子が生まれた。その子は生まれてすぐにばい菌にかよわい身体を蝕まれてしまった。呼吸を奪われた。意識を取り戻すことができなかった。医者には限りある時間を大切にと言われた。涙を流した。何度も何度も。しかし娘と新米ママパパはくじけなかった。できる限りの愛情を注ぎ、そして娘もそれに応えた。最初は脳死と同じと言った医者も、医学では説明できないことがあると言ってくれた。いつしか1歳の誕生日を過ぎ、体重が10キロを越え、次にどんな奇跡が起こっても不思議じゃないと思っていた。そんな矢先、みんなに愛され見守られながら、ついに娘は力尽きてしまった。泣いた。また泣いた。しかし娘がいなくなってから、僕らには勇気が備わっていることに気づいた。世界一美しく愛すべき我が娘。夏心美に会えてよかった。
親戚その他に限らず、今までにお通夜やお葬式の場でご遺体のお顔を拝見したことは幾度もあります。しかし積極的に触ってみたいとは思いませんでした。しかし不思議なもので、自分の娘の場合は違いました。生きているときと同じように触れた。顔も手足もお腹もドライアイスで冷たくなっているけれど、その感触は充分に柔らかいものです。それどころか、病院では固まってしまったなっちゃんを抱き上げて、いっしょに記念写真を撮っちゃった。これが通俗的にいいことなのか悪いことなのか分かりません。でも自分の娘は、例え心臓が止まってもかわいいのです。はく製にして家に置くのも考えたくなります。看護婦さんに抱いて貰えたのも驚きでした。他の子のようになっちゃんを抱いたことがないから、抱っこさせて欲しいと言ってくれたのです。これも嬉しいね。そして一日家にいた今日も、会いに来てくれた友達から抱っこさせて欲しいと言われました。蒲団がいっぱいの花やおもちゃで囲まれているので遠慮しましたが、これも驚きです。
無宗教の人が多い日本人は、人が亡くなると仏式で葬儀をすることが多い。僕らも葬儀屋さんにお願いするときにまず聞かれたのはそのことです。僕も普段は無宗教です。正月は神社に初詣に行って、法事でお坊さんの説諭も聞けば、クリスマスも祝う。にわか信者みたいではありますが、夏心美の供養はよく世間一般で行われる仏式でお願いすることにしました。近くにお寺さんの知り合いなんていませんから、これも葬儀屋さんまかせ。これも何かの縁と言われましたが、そういうものなのでしょうか。まあこちらとしては、とにかく型通りの葬儀を行って、自分たちにも世間様にもケジメを付けるという意味がありましたから、葬儀屋さんには終始無難なところでお願いすることになりました。これが結婚式で、準備の時間もたっぷりあるとなれば話は別ですけどね。そうは言っても、来ていただいた人になっちゃんのことが少しでも分かって貰えればと思って、主張したいところはしっかり言わせてもらいました。来ていただいた方に満足して貰えたかな。
告別式が終わって火葬場まで、生まれて始めて霊柩車に乗りました。運転手になるか、棺に入るかしないとなかなか乗れるものじゃありません。見た目通り、中がゆったりできていることに感心しました。それよりも、ゆっくりゆっくり運転するの驚いてしまった。道が空いていても30km/h以上出さないのです。道中ずっと黙っているのも気詰まりなので、信号待ちのタイミングを計って運転手さんにポツリポツリ質問しました。まだ年格好の若い運転手さんは、霊柩車を専門に運転しているそうです。丁寧に運転するんですねと聞いたら、やり直しのきかない仕事ですからと言われました。なるほど確かに。プロですね。家から葬儀場へなっちゃんを運んだ昨日の寝台車と霊柩車は何が違うのか尋ねたところ、寝台車はストレッチャーを積んでいて、棺にはいる前、例えば病院からご遺体を運ぶことにも使えるんだとか。霊柩車は葬儀場から火葬場まで棺を運ぶのを専門としているそうです。なるほどなるほど、勉強になりました。霊柩車の運転手も大変そうです。
今週いっぱい会社から特別休暇をいただきました。仕事が暇なわけではありませんが、いい機会ですから今までの看病の疲れを癒し、心を整理させてもらうつもりです。なっちゃんが入院してから、なっちゃんが僕らの生活の大きな部分を占めていました。買い物に行けば子供服の店に目が行って自然と前開きの90cmの服を探していた。病院のロッカー代に必要なので、かならず小銭で100円玉を用意していた。トイレのカレンダーになっちゃんの体重とか、ミルクの量とか、細かい出来事をメモしていた。病院で使っていた僕らのお弁当箱が洗い桶にある。なっちゃん専用の洗濯物カゴに汚れ物が溜まっている。面会の時間を基準に決めていた毎日のスケジュール。そういうことも、もうしなくていいんだなあと思うと、寂しさがふっと心を横切ります。これから生活のペースががらっと変わるでしょう。病院に行かなくていいのは楽だけど、看護婦さん達に会えなくなるのは寂しいな。なっちゃんを看てくれていた小児科以外の先生方にも挨拶できなかったし。
なっちゃんが戒名を貰ってお骨になって、この後は何をすればいいのだろうか。 これもまた勉強しなくてはなりません。仏式の場合、一般的には49日までに位牌を本位牌に作り替えて仏壇を用意する。それと同時にお骨をお墓に収めるための準備も必要。まだ先のようにも思えますが、余裕をみて考えるとそんなに時間はありません。なになに、お墓にはお寺のお墓と民営霊園と公営霊園があるのか。それぞれ利点があるんだなあ。位牌も仏壇もピンからキリまでいろいろだ。でも待てよ、そんな杓子定規にしなくちゃいけないのかな。位牌はまだしも、納骨するまたなっちゃんと離れ離れになっちゃうんじゃないか。なっちゃんの病院の友達で、なっちゃんより先に天国に旅立ったお友達のママに聞いてみました。まだお骨は家にあるし、仏壇もちゃんとしたものではないって。子供なんだからすぐに納骨せずに、しばらく家に置いてあげたらどうですかとお寺さんに勧められたそうです。そうだよね、そりゃそうだ。生まれてずっと病院暮らしだったんだもん。
なっちゃんがこの世から旅立って、たくさんの励ましの言葉をいただきました。自分たちの中では、むしろなっちゃんが大学病院に移ったばかりの方が遥かにつらかった。明日はどうなるか分からない緊迫した状況。幸せの絶頂から不幸のどん底に落とされた気持ち。事実を受け入れるのにもっと時間がかかりました。最悪の事態は回避できたものの、呼吸はできないし意識は戻らない。しかしそれがはっきりしてからは、開き直ったと言うのもおかしいけれど、なっちゃんに僕らが出来ることを精一杯やってあげる、そういう気持ちになりました。特になっちゃんにわずかながら体動が出てきてからは、それが反射だとかケイレンだとか言われようとも、僕らはなっちゃんからのメッセージだと思って勇気づけられました。やがてなっちゃんの生活のリズムも表情も分かるようになった。家族の中では耳に聞こえない会話が出来ていたのです。できる限りのことはしてあげられた。なっちゃんから元気を貰った。そういう気持ちがあるから今は満足感でイッパイです。
娘がNICUに入院してからほぼ毎日、面会に行きました。平日は仕事が終わってから、休日はお昼過ぎに行く事が多かった。年間の登院回数だけなら新人の看護婦さんより多かったはず。新生児病棟に似付かわしくない長期入院でした。よく言われました。毎日毎日大変でしょうって。そりゃそうですよ。体力的にも精神的にも疲れないはずがない。一日仕事で疲れて帰ってきて、そのままバスに乗って病院へ。バス停を降りてから病棟に向かって歩く時にことさらテンションが下がりましたね。何でこんな目に会わなきゃならないんだって。そんな時は病棟に入ってからも不機嫌にしていたので、看護婦さんにも気を使わせてしまったようです。でも不思議と、なっちゃんの顔を見て手を握ってボーッとしていると、元気が戻ってきていました。仕事が長引いた日も、遅くなってでも頑張って病院に行くと、一日の疲れが癒されていました。最後の方は面会時間が短くなってできませんでしたけどね。毎日の面会は疲れるけど、娘に会って貰えるパワーは大きかった。
夏心美が髄膜炎になり、自発呼吸を失って脳波の検査に反応が認められなくなってから、医者からは大人で言えば脳死ですと言われました。日本では6歳未満の子供に脳死とする判断基準はないのですが、状況はそうだというのです。脳死を人の死とするか、それは今だに議論が尽きないそうですが、自分の子供のことだと思うと、脳死は人の死では無いと言いたい。例え意識は無いかもしれないけど、心臓その他の臓器は元気に動いているし、刺激に対して何らかの反応を見せていました。脳死と認められると、生体臓器移植のドナーとして臓器を提供することができるようになります。だけど自分の娘が6歳になって脳死と認定されても、臓器を提供する気になったかどうか。健康な内臓があれば長生きできるお子さんがいる。それは分かります。だけどそのために自分の娘の臓器を提供する気になったかと聞かれたら、Noと言ったと思います。だって娘は生きているんだから。医者に見放されたとしても親は決して見捨てない。頑張って生き続けていたのです。
1年10ヶ月に及ぶなっちゃんの闘病生活は意味があったのだろうか。それはいつも自問自答していました。脳死と同じ状態ですから、客観的に見れば僕らのことを認識できていないのかもしれない。水槽の中で泳ぐ金魚と同じじゃないかと。でも僕らが病院に通い続けられたのは、心のどこかでなっちゃんと繋がっていたと思っていたから。近づくと目を動かすのは気のせいではない。声をかけると身体を動かそうとしたのは偶然ではないと思っています。呼吸器を付けて無理やり生かされていたなっちゃんは、医者の目から見ればどうみえたか分かりません。でも少なくとも、ただの親バカかもしれないけど、僕らはなっちゃんのその日の気分は分かったし、僕らに目で何か訴えようとしていたと思うのです。なっちゃんを愛してくれた担当看護婦さんの努力もあって、抱っこされたりお風呂に入ったり、なっちゃんはちゃんと人間らしく生きていました。僕らは病院に面会に行くのではなく、自分の家族に会いに自分の家の離れにでも行くように感じていました。
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