今朝は親子3人、水入らずで目覚めました。なっちゃんの蒲団の足元に僕らが寝て、なっちゃんのかわいい足をすりすりしながら寝たのです。本当は横に並んで寝たかったのだけど、折角の花やおもちゃをどかすのも可哀想だったから。でもさ、家に帰ってきた時より足が伸びているような気がする。指を押すと押し返すような気もする。胸が小さく上下に動くような気がする。まだ生きているんじゃないかと思っちゃうのです。鼻や唇も頬も手も柔らかいし。
しかし、いつまでもなっちゃんにくっついていられません。今日は葬儀屋さんが昼過ぎにやって来て納棺し、葬儀会場へ運ぶことになっています。お昼前に親戚もおぜき家に到着して、それぞれにお別れをして貰いました。なっちゃんの周りには豪華な果物篭が増えました。そうこうしているうちに葬儀屋さんが来ました。そこで最後のお願い。棺に入れる前になっちゃんを抱っこして庭に出たい。葬儀屋さんも半ばあきれていたかもしれない。それでもなっちゃんは外に出たことがないから。お日さまを浴びたことがないからね。パパとママで抱っこして庭に連れ出しました。日は陰り気味だったけど充分暖かかった。太陽のパワーがなっちゃんにも伝わったでしょう。やっぱりなっちゃんは冷たくなっちゃったね。重いね。でもお散歩できてよかったね。
棺にはなっちゃんといっしょに洋服の着替えを入れてあげました。オムツもちゃんと入れたから汚れたら取り換えてもらうんですよ。ウンチを漏らすときれいにするのが大変だから、気を付けて下さいね。パパママの写真も入れましょう。なっちゃんのお雛さまの写真も入れてあげるね。いつも一緒にいたお人形のウサコとワンコも入れてあげたいけど、これはパパとママがなっちゃんの代わりと思って大切にするから、これも写真で我慢してね。フタが閉まるとちょっと暗くなっちゃうけど、恐がらなくてもいいよ。
しばらくして家に寝台車が到着しました。棺を納めて葬儀会場へ出発です。車にはかみさんが乗り込み、僕らは自分の車で移動します。丁寧な物腰で運転手さんに出発する時クラクションはどうしますかと聞かれました。軽くお願いしますといったら、一回だけ、ファーンという音を鳴らしてくれました。悲しい音です。
葬儀会場は相武台前の相武台総合斎場。昨年末に出来たというきれいな建物でした。なっちゃんはすでに祭壇の真ん中に置かれています。遺影の周りはきれいなお花が飾られて賑やかです。子供だからあまり湿っぽくならないようにとの配慮です。生花も洋花を並べる形にしてもらったので、カラフルな祭壇になりました。遺影に使った写真は昨年の11月に撮った写真。前を向いてアングリ口を丸く空けている写真です。意識がないので当然表情もない子でしたが、この写真の中のなっちゃんは何か訴えかけているような気がします。背景は無理に消さないようにお願いしました。病院で抱っこしている時の写真だったのですが、それが分かるほうがいいと思ったからです。でもよく見ると呼吸器の回路が一部修正してあったり、唇の色が赤くなっていました。プロとしての意地だったのでしょうか。
当日は棺を開けて、参列の方々になっちゃんを見てもらおうと思っていました。病院暮らしで誰も会ったことがなかったのですから。更に加えて、今まで撮ってきた写真も見てもらおうと、iBookを持ち込んでスライドショーを流しました。千と千尋の物悲しい音楽とともに、なっちゃんが生まれてから死ぬ数日前までの写真を並べたものです。
法要は葬儀屋さんを通じて町田のお寺さんにお願いしました。葬儀が始まる前にご挨拶したときに、なっちゃんに付けられた戒名を教えてもらいました。「玉泉妙美嬰女」と言うそうです。玉のようにかわいい、命がわき出て帰るところ、永遠の美、、、、とかいう意味だそうです。そのお坊さんの読経も途中でご詠歌を混ぜたりした、可愛らしいものでした。
読経中のお焼香は、お坊さんのすぐ後ろの焼香台で行うようにしてもらいました。なるべくなっちゃんの近くに来てもらえるようにです。ということで、焼香台の真横に親族が正面を向いて並ぶことになりました。会葬の方々は後方の席にいて、そこから焼香台まで来られます。僕らがどなたに来て貰えたのか確認できるのはその時が初めて。次は誰なのか、なんとなくドキドキしました。仙台から駆けつけてくれた大学のゼミの仲間とか、10年ぶりに会った後輩とか、かつて一緒に仕事をしていた会社の先輩とか。なっちゃんのプライマリーナースKさんが見えたときにはグッと来てしまいました。僕らと同じようになっちゃんのことを心配して、僕らと同じように涙を流してくれた病院のお母さんです。一緒に来てくれた他の看護婦さんも涙を流してくれていました。一人ひとりにご挨拶したかったのですが、お通夜の席ではそれができないのが残念ですね。流れとしては焼香が終わってからお清めの席に招いて、そのまま解散となっていたので、お坊さんが退席して僕らが動けるようになったときには既に帰られてしまった方も多数いました。
結局、夜11時を過ぎるまでお客さんが訪れてくれて、100名を越える方々にお焼香をいただきました。僕らの予想を遥かに上回るものでした。病院で一緒に戦ってきたお子さんとそのパパママにも大勢来ていただきました。感謝の念でいっぱいです。お坊さんが退席されてから、棺を開けてなっちゃんの顔を見ていただけたし、例のスライドショーも、その隣に置いておいた看護婦さんと我々の交換日記も好評でした。もっとも、一番熱心に見ていたのは当の看護婦さんだったという話もありますが。
通夜の席の喪主は忙しいと、身をもって感じました。お清めの席に腰を落ち着けたのはほとんどの人が帰った後。それでも挨拶できなかった人のことを思うと残念でなりません。その間に、なっちゃんは祭壇から僕らが泊まる控室に移されました。そこで最後の一晩を一緒に過ごさせてくれることになっています。なっちゃんの隣に僕、その隣にかみさんが寝て、これが川の字ってやつですかね。
それにしてもこの葬儀場はきれいなことはもちろんのこと、設備もよく整っていて感心しました。下手な旅館よりよっぽど快適です。