世界標準戦争に負けるな
5年ほど前のことだが、「日本には、JIS規格やTotal Quality Controlがあり、今さらISO 規格なんて必要はない。」と私が提案したISO 9000認証取得活動に対し強硬に反対した同僚がいまは監査員として活躍している。当時、政府機関や産業界は、ISO 9000規格などは無視していたに等しい。ところが、いまや「世界標準戦争に負けるな」である。世の中変われば変わるものである。日本の小規模企業の経営者に講演することがあるが、「ISO 9000やISO 14001認証なんて、さっと取ってもっと高いところに向かって進みなさい。」と発破をかけることにしている。それほどISO 規格で業務を運営することはいまや当然であり、しかも今現在やっていることを文書化するだけのことだから、認証取得は簡単なことである。
さて、前置きが長くなったが世界標準戦争のことを日経新聞の「経営の視点」から転載する。この中で「デジュール標準」と「デファクト標準」と紛らわしい言葉がでてくるが別のページを参照すれば、その違いを理解できる。
市場を制した技術や製品が世界標準になる。この米国型のデファクトスタンダード(事実上の業界標準)に日本企業が目を向けて競争していたら、また新しいルールが登場した。欧州が政府を巻き込んでのデジュール(公的規格)といわれる国際規格攻勢で市場を囲みつつあるのだ。
欧州勢の市場囲い込みの象徴が九十年代初めの携帯電話の標準化だった。EU(欧州連合)は規格づくりの段階から、技術的に優れていた日本標準(PDC)と米国標準(IS54)を排除し、欧州標準(GSM)を採用した。
結果的にGSM方式は世界百カ国以上で使われる事実上の世界標準になり、PDCは日本だけの使用というローカルな地位に転落した。GSMの世界制覇で欧州だけでノキアなどが十万人の雇用を生んだというから、狙い道りといえる。(途中略)
金融や企業評価、企業統治など様々な分野で「グローバルスタンダード」が叫ばれている。最近では経営者の中に、米国流経営の押しつけと反発する声もある。しかし、欧州が主導する国際規格が企業活動に与える影響は大きく逃げようがない。
(オーナーの意見:米国流経営に難くせをつける暇があったら、「いいところだけとって、その上を行く経営」をやればよいだけのことで、それもできないでどうするするのが一番よいかが分からないのが本音ではないかと勘ぐりたくなることがある。)
ISO(国際標準化機構)ショックはいまだに尾を引いている。94年に香港政庁の公共入札で表面化した。品質管理のISO 9000の取得を条件にしたために、日本のゼネコンは入札にも参加できなかった。QC(品質管理)活動はお家芸という日本企業の過信と油断で、包囲網に気づくのが遅れた。
このISO と IEC(国際電器標準会議)で次々に決まる規格によって設計変更、検査費用増などを迫られ、それがボディーブローとなって日本企業に利いてくる。日本が規格を提案しても理事会(約二十カ国)は欧州諸国が多数を占めるため、どうしても欧州企業に有利な形で決まる。(オーナーの意見:日本企業は、欧州を単なる市場としか考えず、一部現地生産の形をとってはいるが、ただただ輸出に明け暮れ、「欧州の一員としての行動を怠った」と反省すべきである。)
さらに95年に締結されたWTO(世界貿易機関)のTBT協定で国内規格はISO 、IECの国際規格に合わせると合意したことも欧州優位の流れを決定づけた。
欧州諸国が決めた規格が世界標準と認められたわけだ。アジア諸国に普及していた日本のJIS規格もISO規格にとって代わられつつある。
企業はどう対応するのか。デジタル携帯電話の規格づくりの際のNTTの戦略が教訓になる。技術開発にあたって規格化を重視し、まずルール作りに参加すること。経営トップの国際標準への理解も不可欠だ。人材不足なら欧米子会社の欧米人幹部を参加させる方法もある。
デファクト優位の米国企業もここ数年はISO やIECの委員会の幹事を出すなどデジュールに大きくシフトした。国際入札で規格を理由に敗れる例が急増したためだ。
情報家電の相互接続、ハイブリッド自動車の燃費測定、生産プロセスシステムなど日本発国際標準を目指し、通産省の支援で十三の民間プロジェクトが今秋スタートしている。
日本では今さら官民合同の時代でもないという風潮だ。しかし、国際規格作りには「欧州株式会社」のような外交力を含めた政治の支援も不可欠だ。弱肉強食、市場原理の特徴という国際標準への対応は重要だが、もう一つの標準戦争にも負けられない。
日経編集委員 永岡 文庸氏は、「技術開発で規格意識を」と題して意見をこのように提起されている。日本人は「標準」というと大量生産された製品をイメージし、価値を下げることにつながるように考える癖がある。やはり、「職人が手作り」するものに高い価値観を持っている。この意識の変革がいま求められていると主張したい。