中小企業の持つ悩み

人手にたよる仕事が多い

もともと家内工業として発足した企業が多く、少量多品種の製品を製作しているので、最新の大型設備で大量生産する業種ではない。しかも 制作段階も少なく単純な工程であるために簡単な構造の機械を使う人手による直接作業がどうしても多くなる。したがって、大企業と違って人手によって付加価値を生み出していると言える。すなわち、労働集約型の生産である。このような企業に品質管理の活動のような即効性のないものをすると、生産額が下がり利益が少なくなるので 作業者を生産以外の仕事に従事させることが難しい事情がある。しかも、最近の傾向は、若い人達のなかでは中小企業での単純な仕事を嫌がる人が多くなっている。

中小企業の管理職の人達にも問題がある。これは昔一年ほど勤めた中小企業での経験であるが、大変失礼だが優勝な人材が集まらないのが中小企業だと思った。たとえば、管理職は、将来の販売予測に基ずく生産計画を立てたり、作業分析による合理化案をつくるのが本来の仕事である。にもかかわらず、現場が忙しくなると現場作業をして、それが気にいった仕事だと分かれば、本来の仕事をほうりだして現場作業にせいを出す人がいた。ようは、「動くことが仕事」とする風土が日本の中小企業にはあるように思う。このような状態を米国と比べてみると、大変な違いがある。中小企業に勤めたりしている人や、大企業の作業員には相当の知識を持った人がいる。大学を卒業した人が単純な実験を毎日する仕事についてることがある。なかには、難しいコンピュータのプログラムをつくることが出来る人までいた。これは、職業はあくまで生活するためであって、仕事そのものに生きがいをもつ人は少なく、会社とまったく異なる趣味(それが本業に見えることもある)を持っているからだと思った。<戻る>

同族経営による非合理性が組織に出てくる

中小企業では従業員数が少ないにもかかわらず高い地位は同族が占めていることが多い。能力よりも血縁重視の結果だとしか思えない同族の人が取締役についていることなどはしばしば見受けられる。このような人達が他の人達より業務を行う能力が優れていれば問題にはならないが、そうでないときには、働く者としてやはり不満の原因になり、やる気を失うのはありうることとしなければならない。このような中小企業では従業員のモラールが低くなりやすい。そもそも、組織を作るにはまず業務の内容がさきに決まり、その業務を遂行する人は誰かを次に決定するのが規模の大きな会社で行われている方法である。とは言え、なかには「先に人ありき」の決定もあるが、稀である。いずれにしろ、血縁重視は他の国、たとえば韓国や台湾でも見られることであり、日本でも避け得ないものかもしれない。

同族経営による中小企業には大企業にはない悩みがある。それは後継者へのバトンタッチである。企業は永遠とは言わないが、世代交代をスムースに行う必要な時がかならず生じる。その時には慎重な配慮が求められる。なぜなら、社長交替によって社内には人心の動揺が起ることは最低有り得ることだからだ。それだけですめばよいが、ときには得意先や仕入れ先の心情にも変化が現われることもある。さらに、最悪のことも有り得る。すなわち、融資をしてくれていた銀行や出資者から新社長の経営に対しての批判が起こることもよく聞く話しである。だから、社長の座を次の世代に譲る準備を慎重にしておかなければならない。<戻る>

職務の権限と責任が明確になっていない

中小企業では、一人でいくつかの業務を兼務するのが一般になっている。しかも強制されたわけでもないのに、善意と協力精神によって自然発生的に兼務が行われていることも多く見られる。これは、中小企業では大なり小なり曖昧さや良識に期待する所があるからで、かならずしも悪いことではない。考えれば、大企業のなかで起こる官僚主義による分業化と比べれば助かる面の方が大きいとも言える。当然のことながら、このような会社に職務規定などある訳がない。それどこか、親会社は緊急事態が起これば、下請負業者の社員を自社の要員のごとく緊急事態対策要員として使い、その人件費も支払わないことなどは当り前になっていることが現実あると聞いている。このような中小企業の実態を知るならば、資質の高い人材が集まらないのは当然の結果かもしれない。<戻る>

不十分な人材育成

従業員と接触する密度.頻度に目を向けると、中小企業の経営者は、大企業の経営トップと違って格段の差があり、従業員との接触は非常に多い。これは中小企業の強みとなっている。アメリカのIBM社の研究所での実験結果により、物理的な距離が10メートル離れると社員同士のコミュニケーションは極端に少なくなるが証明されている。したがって、このIBM社は研究所職員の部屋(一般に研究職の部屋は個室になっている)のレイアウトをこの結果に基づいて変更したことをある文献で報告されていた。この観点からも中小企業の経営者は従業員とのコミュニケーションを取りやすくなっている。だが、こと従業員の能力を向上させるための教育となると、直接生産に結びつかないので、実施していないように思われる。もっとも重要な安全・衛生の教育・訓練が実施されていないことを知ったときには、正直に言ってショックを受けた。これでは全員参加の意識を高めることが難しいだけでなく、言われたことだけを何とかこなす従業員にしていることになる。このような不十分な人材育成が中小企業の離職率が高い要因になっているのではないだろうか。やはり、十分でなくとも教育・訓練に時間を割くことが中小企業に求められていると考える。この教育・訓練による効果は短時間には現われないが、地道にしかも根気よく実行するしかない。<戻る>

人材に乏しくモラールも低い

資質の高い人材が中小企業に集まらない理由はこれだけでなく、まだある。企業の安定性に欠けることである。通常の能力と知識のある人は、出来るなら定年になるまで勤めのできる会社に入りたいと考えている。日本以外の国でも同じなのだろうか?事情はすこし違いがあるようだ。たとえば、アメリカやドイツでは、一流大学を卒業する多くの生徒は、会社の規模は関係なく自分の能力を発揮させてくれる会社を選ぶ傾向が強い。また、優秀大学の生徒には、最終的には企業を起こすことを目標にしているものも多くいると聞く。日本でも最近の大卒者の意識が変わってきて、能力主義を望むものも増えてきているようだが、まだ本格的に定着しているとは思えない。これはベンチャー企業が日本では育たない理由と同質ではないかと思う。すなわち、職業を決めるにはその安定性を優先する思考が強いことである。中小企業の安定性は、大企業と比べれば悪いことは常識としてある。最近は、大企業でさえ危ないところがあるのだから、ましてや中小企業となると不利となるのは当然である。

安定性のみならず労働条件を大企業と比べても、中小企業のそれは貧弱である。労働条件とは、賃金、休暇日数、労働時間、退職金などである。貧弱な労働条件のもとに働く中小企業の従業員のモラールが低いことは否めない。したがって、中小企業の従業員の定着率も、大企業にくらべ悪いことこともいろいろなメディアで報道されている。とはいっても、残業時間が多く、休日出勤もいとはないのはなぜなのか?それは、自分の生活を守るためであって、けっして愛社精神からではないと思う。

以上、中小企業の経営者が弱点として認識していることをのべてきたが、このような弱点を持たない企業も多くあることも重々承知している。当然のことであるが、中小企業の悪さ加減を測るために述べたのでもない。このような悪条件があることを認知した上で、ISO9000のマネージメント・システムを導入することの意義と効果を明らかにしたかっただけなのである。

品質に関わる問題を解決出来ないで困ることがある

最近のことだが、小規模企業を訪ねたとき、製品品質の問題が起きても原因不明のままにしていることを再認識させられた。特に、異物混入のように、原因を特定するが困難なものでは、ほとんどの場合原因究明が出来ていないのだそうだ。そこで、問題解決法であまり知られていないが、効果的な手法を紹介したい。この手法は、「ケプナー・トレゴーの問題解決法」と呼ばれ、アメリカのNASA計画に携わった2人の心理学者であるケプナ−氏とトリゴ−氏がロケット開発、航海時の潜在的問題想定に用いたものをビジネスに適用したものです。紹介の前に、一つだけお断りしておきたいことがあります。退職した会社で、この手法の訓練を受けたのは、20年ぐらい前のことだから記憶がうすれしまっています。詳しいことは忘れているので、要点だけを説明させていただきます。そして、この文は、退職した会社の元人事担当重役と労務担当人事部長の助けを受けて作成したことを付け加えたい。

まず、例題を出します。ある有名な腕時計メーカーが、新製品として金製の高価な腕時計を発売したが、発売後2ヶ月たって時計が止まってしまうと言う苦情が3人の利用者からよせられた。これだけしか、情報はありません。原因を見つけだすためには、これらのお客様に、あなたならどのような質問をしますか?

やってみましょう。一人のお客様に会って答えているのは、腕時計メーカーの品質保証担当者です。

「いつ時計が止まったのですか?」
「飛行機に乗ってパリまで行った時です。」
「それはいつですか?」
「先週の水曜日です。」
「それまでは、この腕時計を使っていましたか?」
「いいえ、仕事には使っていません。二度ほどパーティに出席したときに付けただけです。」
「飛行機はビジネス・クラスを利用されたのですか?」
「いいえ、バカンスでしたからエコノミー・クラスでした。」
「座席は、通路よりですか?」
「いいえ、三人がけの中央でした。」
「幾度ほどメンズ・ルームに行かれましたか?」
「そんなことが、この腕時計となんの関係があるのかい。もっと真剣に考えてくれなと部長に言い付けるぞ。」
「そう思ってお尋ねしているのです。メンズ・ルームには2、3度は行かれ、その度に、腕に力をかけて隣の乗客の上をまたいだのではないでしょうか?」
「当然だよ!」
「分かりました。当方の設計がまずかったので、早急に新しい製品を製造して必ず あなたさまにお届けいたします。2ヶ月ほどの時間をいただきますが、その間は、この腕時計をお使いください。誠に、申し訳ありませんでした。」

さて、この品質保証担当者は、どんな原因だと分かったのでしょうか?皆さんは、どうですか?

原因は、純度の高い金を使って厚さの薄い腕時計を製造したので、力がかかり、ほんの少し時計が曲がったと判断したのです。この担当者は、時計の使われかたを「is」 「is not」の手法で原因を究明しようとしたのです。「ケプナー・トレゴーの問題解決法」には、もっと多くの手法が組み合わされているが、この「is」「is not」の手法が一番有効です。

原因をしらべるには、適切な情報を得る必要があることは誰でも知っている。だから、顧客の使用状況を十分に調べるのだが、このときに、問題が発生した状態についてだけでなく、起こらなかった状態も同時に調べることがこの手法の特徴なのです。これを「is」「is not」の手法と呼ばれています。一枚の用紙を横置きにして、問題点を表題にして、用紙の上に「is」「is not」の欄を作ります。 問題が発生している方の状況・範囲の情報を正確に「is」の欄に、起きていない状態の情報を「is not」の欄に記入し、その差異を分けていきます(分離)。そこで何が特異であったか、変化のあったものは何か、極めてはっきりした対照のある情報に注目する訳です。そうすると、原因の想定が容易になります。

「is 」 「is not」の整理には、対象、場所、時、程度の点について考えてみます(明細化)。例えば、異物混入の場合には、時間、気候(風の方向なども)、作業者、作業者の性別、当然使った機械(問題を起こさなかった機械も)、通常は行わない作業、などなどを一覧表にすると自然に原因が分かってくることが多い。一度試してみてください。<戻る>

世界標準戦争に負けるな

5年ほど前のことだが、「日本には、JIS規格やTotal Quality Controlがあり、今さらISO 規格なんて必要はない。」と私が提案したISO 9000認証取得活動に対し強硬に反対した同僚がいまは監査員として活躍している。当時、政府機関や産業界は、ISO 9000規格などは無視していたに等しい。ところが、いまや「世界標準戦争に負けるな」である。世の中変われば変わるものである。日本の小規模企業の経営者に講演することがあるが、「ISO 9000やISO 14001認証なんて、さっと取ってもっと高いところに向かって進みなさい。」と発破をかけることにしている。それほどISO 規格で業務を運営することはいまや当然であり、しかも今現在やっていることを文書化するだけのことだから、認証取得は簡単なことである。

 さて、前置きが長くなったが世界標準戦争のことを日経新聞の「経営の視点」から転載する。この中で「デジュール標準」と「デファクト標準」と紛らわしい言葉がでてくるが別のページを参照すれば、その違いを理解できる。

 市場を制した技術や製品が世界標準になる。この米国型のデファクトスタンダード(事実上の業界標準)に日本企業が目を向けて競争していたら、また新しいルールが登場した。欧州が政府を巻き込んでのデジュール(公的規格)といわれる国際規格攻勢で市場を囲みつつあるのだ。

 欧州勢の市場囲い込みの象徴が九十年代初めの携帯電話の標準化だった。EU(欧州連合)は規格づくりの段階から、技術的に優れていた日本標準(PDC)と米国標準(IS54)を排除し、欧州標準(GSM)を採用した。
 結果的にGSM方式は世界百カ国以上で使われる事実上の世界標準になり、PDCは日本だけの使用というローカルな地位に転落した。GSMの世界制覇で欧州だけでノキアなどが十万人の雇用を生んだというから、狙い道りといえる。(途中略)

 金融や企業評価、企業統治など様々な分野で「グローバルスタンダード」が叫ばれている。最近では経営者の中に、米国流経営の押しつけと反発する声もある。しかし、欧州が主導する国際規格が企業活動に与える影響は大きく逃げようがない。

(オーナーの意見:米国流経営に難くせをつける暇があったら、「いいところだけとって、その上を行く経営」をやればよいだけのことで、それもできないでどうするするのが一番よいかが分からないのが本音ではないかと勘ぐりたくなることがある。)

 ISO(国際標準化機構)ショックはいまだに尾を引いている。94年に香港政庁の公共入札で表面化した。品質管理のISO 9000の取得を条件にしたために、日本のゼネコンは入札にも参加できなかった。QC(品質管理)活動はお家芸という日本企業の過信と油断で、包囲網に気づくのが遅れた。
 このISO と IEC(国際電器標準会議)で次々に決まる規格によって設計変更、検査費用増などを迫られ、それがボディーブローとなって日本企業に利いてくる。日本が規格を提案しても理事会(約二十カ国)は欧州諸国が多数を占めるため、どうしても欧州企業に有利な形で決まる。
(オーナーの意見:日本企業は、欧州を単なる市場としか考えず、一部現地生産の形をとってはいるが、ただただ輸出に明け暮れ、「欧州の一員としての行動を怠った」と反省すべきである。)
 さらに95年に締結されたWTO(世界貿易機関)のTBT協定で国内規格はISO 、IECの国際規格に合わせると合意したことも欧州優位の流れを決定づけた。
 欧州諸国が決めた規格が世界標準と認められたわけだ。アジア諸国に普及していた日本のJIS規格もISO規格にとって代わられつつある。

 企業はどう対応するのか。デジタル携帯電話の規格づくりの際のNTTの戦略が教訓になる。技術開発にあたって規格化を重視し、まずルール作りに参加すること。経営トップの国際標準への理解も不可欠だ。人材不足なら欧米子会社の欧米人幹部を参加させる方法もある。

 デファクト優位の米国企業もここ数年はISO やIECの委員会の幹事を出すなどデジュールに大きくシフトした。国際入札で規格を理由に敗れる例が急増したためだ。
 情報家電の相互接続、ハイブリッド自動車の燃費測定、生産プロセスシステムなど日本発国際標準を目指し、通産省の支援で十三の民間プロジェクトが今秋スタートしている。
 日本では今さら官民合同の時代でもないという風潮だ。しかし、国際規格作りには「欧州株式会社」のような外交力を含めた政治の支援も不可欠だ。弱肉強食、市場原理の特徴という国際標準への対応は重要だが、もう一つの標準戦争にも負けられない。 

 日経編集委員 永岡 文庸氏は、「技術開発で規格意識を」と題して意見をこのように提起されている。日本人は「標準」というと大量生産された製品をイメージし、価値を下げることにつながるように考える癖がある。やはり、「職人が手作り」するものに高い価値観を持っている。この意識の変革がいま求められていると主張したい。


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