The Da Vinci Code〜ダ・ヴィンチ・コード

 全世界で5000万部以上を売り上げて社会現象にまでなっている小説『ザ・ダ・ヴィンチ・コード』を映画化したこの作品。キリスト教の歴史の根底を覆すような大胆な内容にキリスト教信者は大反発し、映画化する前から色々と話題になっていた作品。また、この大胆な内容(仮説)も「私が考えついたアイディアだ!」と、盗作騒ぎが起きて現在も裁判沙汰になっている問題作でもある。それだけに、この作品が「カンヌ映画祭」で初披露された時も賛否両論に分かれ、カトリック教徒が多い国では上映禁止や不買運動が起きるなど話題は尽きない。
 私も原作が話題になった時点で読もう!」と思ったんだけど、映画化が既に決定していたので、「映画を観てから読んだ方がいいかも…」と思い、今日の今日まで原作を読むのを我慢。タイミングよく文庫本化されて、ハードカバーの時よりも読みたい気持ちが強まったけど、ホントによく我慢したぞ、自分!


 この話は現代のフランスが舞台。ルーブル美術館の館長であるソニエールが何者かによって殺害され、ソニエールが自分の身体を張って奇妙なダイニング・メッセージを残していたことから、ハーバード大の教授で宗教象徴学の権威であるロバート・ラグドンをフランス警察のベス・ファーシュ警部が殺害現場まで呼び出した。グランドンは事件の当日にソニエールと会う約束をしていただけに、警察側が当初からマークしていたのだった。殺害現場で鉢合わせたフランス司法警察の暗号解読官でありソニエールの孫にあたるソフィーから、「あなたは、ファーシュ警部に犯人だと決めつけられている。彼はあなたを投獄するのが目的よ」と教えられ、彼女と共に現場を逃亡。ファーシュ警部によって連続殺人犯として逃げ回るハメに…。しかし、ソニエールが命懸けで自分とソフィーを引き合わせることを確信したラグドンは、自分の汚名を晴らす為にソニエール殺害の真犯人と、彼が残した謎のダイニング・メッセージを解くことを決意した。
 そして、さまざまな暗号を解読していくにつれ、キリスト教の隠された歴史に触れていく2人に、ソニエール殺害の真犯人の魔の手が忍び寄っていたのだった。

 …という話で、天才画家レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画には、キリスト教の闇の真実が暗号として隠されている、そして、その隠された真実を守る者と暴く者の対立によって殺人が起きている、という感じで謎解き&サスペンス作品でした。
 この「キリスト教の隠された歴史の真相」に対して、カトリック教徒が激怒しています。この作品の話題を扱った雑誌にも、その歴史の真相がネタバレしているし、あちこちでもその真相が話題になっているので、もう堂々と書いてしまうけど、「イエス・キリストはある女性と恋仲になり、その女性はイエスが磔になった時には子供を身篭っていて、今もなをキリストの血を継承する者が生きている」というものだった。それを証拠付けるものが、ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」に描かれているとまで力説しているのだ。イエス・キリストを普通の人間として扱い、しかも子孫を残して今も血族が生きているっていうことは、キリスト教の2000年の歴史や威厳を覆されかねないものなだけに、カトリック教徒が「とんでもないでっち上げだ!神に対する冒涜だ!」と、激怒しているわけですな。

 この作品を観て感じたのが、私がカトリック教徒じゃないっていうかキリスト教に詳しくないからだけど、カトリック教徒が目くじら立てるほどキリスト教の闇の部分を細かく描写していないと感じました。もちろん、これは映画化に当たってカトリック教徒の反発を極力抑える為にそういう演出になったのかもしれないけど(実際、エンドロールのラストで「この内容はフィクションです…」というテロップが出る)、原作を既に読んでいた友達が「小説に核である部分がボヤかされている」と観終わった後に言っていました。
 ダ・ヴィンチが絵画で示していたのはは、(キリストに恋仲の女性がいて子供もいたと仮定するなら…)「男女の営みの尊さと神聖さ」ではないだろうか?ソニエールが身体を張って示したダイニング・メッセージもダ・ヴィンチが「男女の調和」を描いた「ウィトルウィンス的人体図」だったわけだし、キリストは男女の営みを神聖なものとし、最も大切なものとしていた…ということではないのだろうか?しかし、映画ではその辺がボカされ、「現代にキリストの血を継ぐ人間が存在している」ことだけが強調され、その人間の存在が現在のキリスト教の威厳を根底から崩すと目論んだ人間達によって連続殺人が起き、その黒幕は誰で…狙いは何なのか?の方が重点が置かれていたような気がします。
 そのせいか、黒幕が誰か判り暗号も解読した後、「キリストの血を継ぐものが誰か」という核心部分に迫ったシーンは、あまり面白味を感じなかったんですよね。

 もちろん、内容が内容なだけに宗教要素は強かったですね。十字軍がテンプル騎士団を結成してエルサレムへ向かったのは(いわゆる聖地遠征)、エルサレムを守る為だけではなく、キリストの「聖杯」を探していたっていう有名な仮説も登場して、ちょっと『キングダム・オブ・ヘブン』を思い出させる映像も登場していました。あと、「魔女狩り」が行われていたのは、イエスの血を継ぐ女性を抹殺する為だったというのも、後付ぽいけど妙に(この作品上では)説得力があり、興味深かったです。
 カトリック教徒は「この作品によってキリスト教が世界の人々に間違った認識をされるのが遺憾だ」みたいなことを言っているけど、この作品によってキリスト教に興味を持つ人々が多いんじゃないかな。それは、決して悪い意味ではなく、神格的で雲の上のような存在が少し身近に感じるキッカケになるのでは…?もちろん、身近に感じてしまうことがカトリック教徒には不快なのかもしれないけど、何事にも「関心を持つ」、「興味を持つ」というのは大事じゃないかな。ポール・ベタニー演じたシラスのような狂信的な信者ばかり居ると思われるのが嫌なのかもしれないけど、どんな宗教にも狂信的な人間は何人か出てきてしまうだろうし、恐れるようなことではないような気がする。

 …なんか感想というか論点がズレてしまっているけど(笑)、そういうことを語りたくなるような内容でした。何度も書いているけど、私はキリスト教信者でもないし、原作を読んでいなかったので、キリスト教が事件の軸になっているサスペンス作品として楽しめました。少しずつ黒幕の存在が明らかになっていく展開ところとか、狂信的なシラスの悲劇とか、見応えがありました。


 宗教要素がふんだんに含まれている作品なので、キリスト教の歴史、キリスト教におけるバチカンの存在、、オプス・デイの存在やダ・ヴィンチの絵画や聖杯伝説などを理解していないとキツイ部分もあるけど、謎解きをしながら真相に近付いていく展開はまさに「トレジャ^−・ハンター」で、私はエンターテイメントとして楽しむことができました。
 役者陣も見事でしたからね。トム・ハンクスの髪型は前評判ほど気にならなかったし(笑)、狂信的な殺人鬼と化していたシラスを演じたポール・ベタニーの怪演ぶりや、宗教史学者で熱狂的な聖杯論者であるリー・ティービングを演じたイアン・マッケランはさすがの存在感でした。まぁ、誰が黒幕から配役でなんとなく判ってしまう部分はあるけど、物語の展開としてかなり見応えがありました。

 キリスト教徒の歴史だけでこうも簡単に殺戮が繰り返されるのであれば、宗教の違いで戦争が起きてしまうのも当然か…とも思ってしまったり、なかなか感じるものが多かったですね。
 しかし、思ったほどダ・ヴィンチの『モナリザの微笑み』の出番が少なくて意外でした。告知ポスターとかでメインに扱われているのに、作品上での『最後の晩餐』の扱いと比べると、ダ・ヴィンチの存在を示す程度だったなぁ。それ以前、実際にルーブル美術館で撮影されたのだから、もっと名画を堪能できる映像が欲しかった〜。




 …で、本来だと、こっからミーハー語りをするんだけど、ミーハー語りをする内容でもないような気がするが、書いちゃえっ!

 そもそも、この作品のテーマの割にアッサリ観られた感があるのは、登場人物の心理描写が全然無いとまでは言わないけど、すっごく浅いところで終わっちゃっているんだよね。だから、誰かに感情移入して観る…というのは若干辛いかも。良い役者を揃えていただけに、その辺は勿体無かったな〜。


 主演のトム・ハンクスは可もなく不可もなくって感じでしたね。公開前から髪型だけが話題になって不憫でしたが、作品では思ったほど違和感がありませんでしたね。ただ、髪型をハッキリ見せないアングルが多かったような気がするが(笑)。別に今までの髪型でも彼の演技力なら十分学者に見えたと思うけどなぁ。

 ヒロイン役のオドレイ・トトゥは『アメリ』の印象が強いですが、ここでは勝気でありながらも繊細な女性ソフィーを好演していました。ただ、暗号解読官という役柄のせいか、ファッションといい全体的に地味でしたね。キャストが全体的に地味だったから、もう少し華のあるファッションをして欲しかったような気もしました。

 宗教史学者リー役を演じたイアン・マッケランはさすがの存在感でしたね。胡散臭さとかへ理屈を言うところとか最高です。「カンヌ映画祭」のプレス試写会では批評家達に不評だった作品ですが、その時の記者会見で「キリストはゲイじゃないってことだねっ」とジョークと飛ばしたイアンは最高だ!と思いました。このコメントを聞いて、「どんなに批評家が批判的なことを書いても観に行くぞ!」と決意しましたもん。

 オプス・デイを崇拝し司教のことならどんな行動でもとる狂信者シラスを演じたポール・ペタニーはさすがの存在感でした。『ファイアー・ウォール』でも、冷酷な犯人役を怪演していましたが、こちらでもスクリーンに登場しただけで「うわっ!」と思うような存在感。「信じる者の為になんでもする」という行為と、自分を天使だと言ってくれた司教への忠誠ぶりは、怖いと感じると同時に悲しくも感じました。特にラストなんてな〜…。唯一悲しく感じた場面だった。
 しかし、シラスは色素欠乏症でああいう風貌だと大抵の雑誌に書かれていたのに、作品上ではその説明は一切ナシでしたな(笑)。

 自身もオプス・デイ信者で執拗にグランドン達を追うフランス警察のファーシュ警部を演じたジャン・レノは、前半こそはその執拗さが脅威に感じたけど、後半のフェードアウトぶりは…ちょっとあんまりなんじゃ?原作でもファーシュ警部てこんな扱いなのかな?オプス・デイに利用され、グランドン達に振り回されただけの存在だっように感じました。

  シラスが崇拝するアリンガローザ演じたアルフレッド・モリーナは、厳格なカトリック教徒集団のオプス・デイの存在を誇示するあまり道を誤ったというより、カトリック教徒を崇拝するあまり聖杯の伝説に振り回された哀れな人のように感じました。前半こそは、「こ、こいつ何もじゃ?」という怪しい感じプンプンでしたが、後半でファーシュにシラフの安否を聞くシーンは普通の司教に見えて切なかった。

 あと、名前確認してなんだけど、リーの執事役の方がイイ味出していましたね。彼の存在がこの物語のサスペンス要素を、更に重厚にしていたと思います。



 思っていたよりアッサリ風味の内容でしたが(もっと重い作品だと思っていたので)、サスペンス作品として十分に楽しめました。これで、落ち着いて原作を読むことができます。たぶん、原作を読んでから、またこの作品を観直したら、また違った感想を抱くと思います。

 ま、それが映画…エンターテイメントの醍醐味ってもんでしょう!


 


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