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第11話:めぐりめぐりて、めぐりくるもの

放課後、和広と千秋は連れだって生徒会室に向かっていた。これから行われる学園祭実行委員会に出席するためだ。

「実行委員会は、生徒会の下部組織になるのね?」

歩きながら千秋は尋ねた。

「臨時にだけどね。常設という訳ではないから」

答える和広の声には、なにがしかの屈託が感じられる。

「それはそうね」

「……」

「……」

沈黙が訪れる。さっきからこの繰り返し。話の接ぎ穂を見つけるのに千秋は少し苦労していた。

……いい加減差障りのない質問も無くなってきたし……かといって根掘り葉掘り聞くわけにもいかないし……。

ようやく生徒会室の入り口が見えてきた。

……ふう……だめね。こんなことで悩むくらいじゃ、彼を知ることなんてできない……。

二人が部屋に入ると、まだまばらにしか集まっていなかった。

「お、来たわね」

部屋にいた生徒会長の吉村雪絵が声をかけてきた。

「あ、雪絵さん」

「あら、由布ちゃんなの、相棒って?届け出は確か……」

雪絵は千秋をしげしげと見つめた。

「あ、いや、彼女は……」

「は、初めまして、仁科千秋です」

千秋は頭を下げて挨拶した。

「あら、じゃあ由布ちゃんのそっくりさんってわけかぁ」

「雪絵さん、その言い方はちょっと……」

「ああ、ごめんごめん。仁科さんね。生徒会長の吉村雪絵です、よろしく」

「よろしくお願いします」

「ふう、でも調子狂っちゃうわね」

雪絵は頭をかきながら室内を見回した。

「それにしても集まりの悪いこと……ああ、そうだ。相談があるのよ」

「……またですか」

少々あきらめ顔で和広は言った。

「大体どんな相談かは想像つきますけど……」

「あら、それは手っ取り早くていいわ」

雪絵はにやりと笑った。

「実行委員長、やってくれない?」

「実行委員長をですか……そりゃまたひどい役ですね」

苦笑いする和広に、雪絵はウインクしながらあっさりとして言った。

「そ。学園祭に関する全責任をあなたが負うのよ、和広君」

「え、それってどういう……」

千秋は話が見えずに二人の顔を見比べた。すると雪絵が、

「ああ、実行委員長ってね、学園祭に関する限り生徒会長よりも理事長よりも偉いのよ」

「だから文句の一つも言いたくなるよ」

そう言いながら、しかし、和広はそれほど深刻な感じではなかった。

「もし実行委員になってなかったらどうするつもりだったんですか?」

「そりゃもちろん、会長権限で就任要請するつもりだったわよ」

「それは要請じゃなくて強制じゃないですか……」

「あらぁ。和広君だったら絶対きっと必ず受けてくれると思ってたんだけどなあ?」

にっこりと笑う雪絵に、和広は深くため息をついた。

「はいはい、仰せのままに」

「うふふ、お願いね」

そんなやりとりを、千秋はうらやましそうに見ていた。

……こんなに自然に会話ができるなんて……。

その時続々と委員たちが部屋の中に入ってきた。

「さて、始めましょうか」

雪絵は会話を打ち切ると、会長の席に座った。仕方なく和広と千秋は割り当てられた席に並んで座った。

「……大丈夫そう?」

千秋は心配そうに和広に尋ねた。

「それは……実行委員長のこと?」

和広は雪絵の方を見ながら問い返す。その横顔を見ながら、千秋は答える。

「ええ……その……全責任を負うっていうのは、そう簡単なことじゃないんじゃないかと……それも全校行事の……」

突然和広が振り返った。そのひどく真剣な顔に、千秋は胸の高鳴りをはっきりと感じた。

「簡単じゃないと思うけど……大変だからとやる前からあきらめてしまうのは……良くないと思うから、ね」

「……そう……だね……」

千秋はやっとの思いでそう応えた。

……なんか……変わった?前とは……友子ちゃんの時とは全然違う雰囲気……なんでこんなに変わったの?……あたしの、言葉のせい?

じっと千秋が見ていると、和広は突然おどおどしたような表情になって顔をそらしてしまった。

「あ、いや……本当にできるかどうかは……頑張ってみないといけないけど……」

「……」

また隠れてしまった表情を、千秋は立ち上がってでものぞいてみたかった。だが実行委員が全員集合したために、それは叶わなかった。

……なにかが……変わりかけているのに……あともう少しなのに……。

千秋は膝の上で手のひらをぎゅっと握りしめる。

その時、雪絵から会議の開始が宣告された。


実行委員会の作業は多岐に渡る。学園祭の基本プログラムの策定に始まり、各クラスやサークルの催し物の受付に調整、外部業者との打ち合わせ、予算の管理……生徒会主催のものまで扱うことになる。そのために与えられる時間は三週間あまり。決して余裕のある日程ではない。

実行委員に与えられた使命は、クラスから出される要求を取りまとめ、それを実行委員会に持ち込んで認可を受けることだった。認可さえ受けてしまえば、その後は必要な予算や資材の申請をし、クラス代表の責任の元に準備を進めていけばよい。その過程で生じた問題や意見などを随時委員会に図り、お互い協力して解決に当たるのだ。

以上の過程において、生徒会は最大限の支援を行うことになっている。無論学校側もPTAも支援は惜しまない。だが、全てを解決し、そして決定するのは実行委員会なのだ。それゆえに、実行委員長というのは、時には生徒会長や学園理事長以上の権力を持つこともあるのである。

しかし、権力あるところに義務が生じる。この場合の義務とは、学園祭をつつがなく開催し、滞り無く進行することになる。終了後に問題が起こってもいけない。それくらいの重責を担うのが、実行委員長たるものの使命なのだ。


そう聞かされて、千秋はたまらなく不安になった。自分がそういう立場に立たされたのであればこれ程の不安を感じることは無かっただろう。問題は、自分では解決できない所にあることだった。

……こんなに大変な仕事だなんて。

千秋は和広の顔を見ながらそう思った。しかし、相変わらず和広の顔は見えない。

そうして雪絵の話は実行委員の選出にまで及び、和広の名が呼ばれることになった。もちろん最初に立候補者や推薦を求めたのだが、今年は時期生徒会長を狙うような野心家はいないようだった。

「じゃあ私の推薦通りでいいわね……はい、芹沢君、立って」

雪絵に促されて、和広が立ち上がった。そしてゆっくりと実行委員の顔を見回し、そして口を開いた。

「二年B組の芹沢です。皆さんは色々な選ばれ方をしてここに来ていると思います。中には押しつけられてきた人もいるでしょう。この私もそのうちの一人です。しかも実行委員長まで仰せつかることになり、その責任は重大です。ですが悲観はしてません。なぜならここに居る皆さんの力があれば、必ず学園祭を成功に導けると信じているからです。なぜそう確信できるのか……それは、ここに皆さんがただ一人の欠席者もなくこの場に集まっているのをこの目で見ることができるからです。そうでなければこの大任を受けることもなかったでしょう……。皆さん、自信を持ってください。皆で力を出し合えば、必ず成功します。短い間ですが、皆さんのご協力をぜひともお願いします。以上です」

そう話し終わると和広は腰を下ろした。拍手はなかったが、委員達の目にはいくらかやる気が増しているように千秋には見えた。

「それでは本日は解散します。これから毎日なにがしかの作業がありますが、みんなしっかりやってください。以上!」

雪絵の宣言により、今年度初の学園祭実行委員会は閉幕した。


教室に戻るまでの道程を、千秋は和広の後ろにつきながら歩いていた。さっきから顔を合わせようとしない和広に対し、様々な想いが彼女の胸をよぎる。

……避けられてるのかな、あたし……吉村さんとはあんなに楽しそうに話してたのに。

……やだなあたし……焼きもち焼いてる……勝手な思い込みで、芹沢君を恨みそうになってる……何様のつもりなんだろう……あたしはただ芹沢君のことが気になって……。

……いけない。黙ってちゃいけない……行動するんだって決めたじゃないの!

千秋は突然和広に並びかけると、彼の顔を見上げながら言った。

「さっきの挨拶、すごかったね」

すると和広は疲れたような表情を千秋に向けた。

「あ……」

「……すごくは、無いと思うよ」

そうして再び前を向いてしまった。

「できればああいうことはしたくなかったんだけど……場の雰囲気が良くなかったからね。おまけにそれほど効果はなかったようだし」

「……そんなこと、無いと思う」

千秋は少しだけ和広の前に出ると、和広の顔を見上げながら言った。

「だって、みんなの目の色、変わったもの。きっとみんなわかってくれたわ。だからきっと成功すると思うの」

すると突然、和広は立ち止まった。一瞬先に行きそうになった千秋は態勢を立て直して和広の前に立って彼の顔を見つめると、驚いたような、戸惑いの表情が千秋の視線を受け止めていた。

「芹沢君……?」

「そんなに感動的な演説ではなかったさ……」

和広は淡々と言った。

「義務感に訴えすぎてもいけないし、かといってやる気の無さを見せるわけにもいけない。偉そうにしてみせるのも駄目……かといって持ち上げすぎてもいけない。それであんな差障りのない挨拶になった……実際の効果は明日にならないとわからない。正直どれほど効果があったのかは……自信はないよ」

そうして和広は顔を伏せた。

……違う。

その姿を見つめながら千秋は思った。

……さっき吉村さんと話していた時の芹沢君とは全然違う……ほんとうに同じ人?さっきは……とってもいい顔してたのに……なのに、今の彼は……なんでこんなに小さく見えるんだろう?……なにか屈折している……自信がないんだったら、なんでこんなこと引き受けたの?それじゃまるで、このまえの鈴本さんの時と同じ……。

……でも……鈴本さんの時はやり遂げたわ。やっぱり、人から頼られるだけの力を持った人なのよ。そうでなければあんなたいへんな仕事を任せられるわけ……。

……だけど、芹沢君は不安がっている。一体何に?……わからない。今のあたしには、わからない。わからないけど……わからなければ、どうすればいい?……そう、聞けばいい。直接。悩んでいるよりよっぽどましよ。

……でも……どう聞けばいいの?自信がないのにどうして委員長を引き受けたのって?そんな……余計に落ち込ませるようなこと、いえるわけない。もっと別な……もっと別なことをいわなくちゃ……でも、なんて言おう?なんて言えばいいの?

……励ましの言葉……ああ、思いつかない……元気にさせる言葉……やる気を出させる言葉……わからない、わからないよ……。

……って、あれ?

……この状況って……もしかして……芹沢君と一緒?悩んでいることがおんなじ?……自分がなにをしていいのかわからない、どうすればいいのか自信がない……どうすればその人が元気になるか……でも言わなくちゃいけない……そして精一杯に言ったつもりでも、本当にそれが正しかったのかわからない、自信が持てない……そっか、そういうことだったのか……あたしも、どうしたら芹沢君を元気付けることができるのかよく分からない。自信なんかない……あたしと芹沢君の違いは、ただ言ったか言わないかだけ……おんなじなんだ。おんなじなんだ、あたしたち……なぁんだ、そうだったんだ……。

「……なぁんだ」

「え?」

千秋の呟きに、和広は顔を上げた。見れば、そこには微笑を浮かべた彼女がいた。

「あの……」

「うふふ……」

和広が声をかけようとすると、千秋の顔は笑いをこらえるような顔になり、しばらく持ちこたえていたのだが、耐えきれなくなってついには本当に笑い出してしまった。

「うふふふ……あは……」

さすがの和広も呆気に取られて千秋を見つめた。

……そんなに、情けなかったかな……だとしたらやっぱり……。

思考が後向きになる和広を見透かすように、千秋は笑いを押さえながら言った。

「ごめんなさい、わらったりなんかして……でもなんだか嬉しくて……」

「え?」

「あ、いやその……そ、そんなに思い詰めることなんてないと思うの」

まっすぐ、和広の目を見つめながら千秋は言った。

「やってみてわからないんだったら、明日確かめてみたらいいじゃない」

「確かめる……?」

「そう。誰にも明日のことはわからない……だったら、明日になるまで待てばいいのよ。変に考えることなんてない。それよりも、今なにをできるのか考えるべきなんだわ……そうだ、学園祭のこと、もっとよく教えてほしいの。来たばかりだからよくわからないし、それじゃこれから委員として困るでしょう?」

「あ、ああ……」

「じゃあ決まりね」

戸惑うように肯く和広に、千秋はちょっと微笑みかけると、教室の方へと再び歩き始めた。

……そう、あたしと同じ……ヨーロッパを転々と移り変わるたびに抱いていた不安そのまま……頻繁に変わる環境に不安を抱えていたあの頃……でも、なんてことはなかった。最初は戸惑ったけど、すぐに友達もできた。いつもうまくいくわけじゃなかったけど、かえってそれがおもしろかったこともあった……そう、いくら事前に考えてみても、結局はその場になってみないとわからないんだ。だから考えるのは程々に……むしろそんなわからない未来を楽しみにするような、そんな風に生きられたら……怖い物は無い、と思う。

和広も、そう思ったことは何度もあった。しかし、どうしても晴れない思いが彼の心を縛りつけるのだ。

……そう、怖いんだ。今日と違う明日が来るのが怖いんだ。いや、明日なんてものじゃなく、次の一瞬までもが怖いんだ……なにもかも消えてしまうんじゃないかと……彼女のように。だから怖い……なんて臆病なんだろう。自分でもばからしい考えだと思う。でも怖いんだ……ただひたすらに……だけど……。

千秋が振り返って和広を見つめていた。ちょっと不安げな、いぶかしげな表情を浮かべている。だがそれは次の瞬間には満面の笑みで満たされた。

……でも……。

その笑顔に引き込まれそうになりながら、和広は思った。

……でも、なぜだか彼女を見ていると……そんなこと思うのがばからしく思えてくる……洋子に似ているからか?いや、似ているといっても、心までそっくりそのままというわけじゃない。俺は外見だけに惹かれたわけじゃない……じゃあなんだ?なぜなんだ?

「芹沢君!」

「あ、うん……」

千秋の呼びかけに我に返った和広は、曖昧な返事をしながら歩き出した。

……わからない。けど……。

もう一度和広は千秋を見た。相変わらず、嬉しそうな笑顔で和広を見ている。その姿を見ていると、自分まで笑いたくなるような、そんな気がしてくる。

……まあ、いいのかな?少なくとも一人はやる気一杯みたいだし、多少の効果はあったっていうことか……だったらいいのかな?

近づいてくる和広を見て、千秋は一瞬怪訝な表情を浮かべ、そしてまた笑みを浮かべた。

「あ、どうかした?」

不思議そうに和広が聞くと、千秋はおもしろそうな顔になって答えた。

「やっと……笑ってるところ見れた」

「え?」

慌てて口許を押さえる和広を、千秋は更に笑みを深めながら言った。

「ふふ……さ、行きましょう」

そうして再び歩き出す千秋。

思わず、和広は壁に掛けられていた鏡を見た。確かに、口許だけではなく、顔全体が笑っていた。

……はは……参ったな……それにしても……やっとって、どういう意味だろう?

いろんな考えが頭の中を交錯したが、よく分からなかった。いや、あえて気付かないふりをしていたのかもしれない……。

……いいさ。これから考えるさ。今すぐ答えを出す必要は無い……変に考えこまなくったっていいんだ。

そう思うと、和広はなんだか気が楽になってきた。

「芹沢君?」

千秋が立ち止まって振り返る。さっきと同じ笑顔……。

「ごめん……今行くよ」

すこし駆け足で千秋のそばまで来ると、和広は真面目な顔でこう言った。

「あー、結構覚えることいっぱいけど、それでもかまわない?」

「え……そんなに多いの?」

ちょっと不安な表情を見せる千秋に、和広は笑いながら言った。

「でも大丈夫だと思うよ。ちゃんとフォローはするし……というか、逆に僕が忘れそうになることを覚えていて欲しいんだ。できるかな?」

すると千秋は満面に笑みを浮かべながら元気よく返事をした。

「ええ、もちろん!」

「よかった……」

その時、二人の視線が重なり合った。お互い神妙な顔になり、思わず見つめ合う形になる。

……やっぱり……この感じ……違うけど……同じだ……なぜこんなに安心できるんだろう?……こんな気分はひさしぶりだ……。

……あ……合っちゃった……綺麗な目……吸い込まれそう……このまま……このまま見つめていたい……。

しかし、その時チャイムが鳴り響き、二人は我に返った。

「あ……じゃあ、行こうか?」

「ええ……」

そうして二人は並んで教室の方へと歩き始めた。だがその足どりは軽く、そして楽しげだった。


「おはよー!」

千秋が元気よく教室に入ってきたのを、由布はびっくりしたような顔をして迎えた。

「お、おはよ……」

「どうかしたの?」

「え?ああ、いやー、なんでもない」

「そ?」

……うーん、やけに明るいなあ……。

「ねえ聞いて!」

由布の戸惑いにお構いなしに、千秋はしゃべった。

「昨日実行委員会に出たんだけど、芹沢君が実行委員長に選ばれてね」

「ああ……雪絵さんの引きね。いい迷惑よね、和広君も」

呆れたように由布は言ったが、それに気がつかないように千秋は続けた。

「でも芹沢君、全然動じないで、みんなの前で演説して……とってもいい演説だったわ」

「そ、そう……」

「その後で色々学園祭のこと教えてもらったんだけど、教え方がすごく丁寧でわかりやすいの。これなら学園祭は成功間違い無しよ!」

「は、はあ……」

思わず圧倒されてしまう由布。

……な、なに、このハイテンションは!?

その時教室に和広が入ってきた。それに気がついた千秋は、由布をほっぽり出して彼の許へと駆け寄っていった。

「あ、芹沢君、おはよー!」

「あ、おはよう、仁科さん」

そして二人は楽しそうに話し始めた。特に和広の表情は、由布がこれまで見たことのないものだった。

……こりゃあ、一波乱あるなあ。


「なにそれー!?」

みどりはフォークを握りしめながら叫んだ。

「なによそれ!」

「まあまあ……ただ打ち解けたってだけなのかも知れないしさあ」

みどりの勢いに押されながら、由布はつかれたように言う。

昼休みの中庭には、由布達のように昼食を取るグループが一杯いた。最初はもっと大勢誘おうとしていたのだが、色々用事があって由布とみどりの二人だけとなってしまった。そして今問題になっている和広と千秋は実行委員会に参加していた。

「それにしたって……」

「あー、フォークだけかじらないの」

「ふう……やっぱり最初から立候補しとけばよかった……」

「まー、ちょっと小細工しちゃったね」

「に、してもよ」

みどりは由布にフォークを突きつけながら言った。

「なんで友子は賛成したわけ?」

「し、知らないわよ。自分で聞けば?」

「まったく……あたしの気持ち知ってるくせに……」

「うーん……それってさあ……」

言いにくそうに、伏せ目がちに由布が言った。

「千秋ちゃんの気持ちも知ってたってことじゃないのかなあ……」

「え……?」

ぽっとりと地面にフォークを落とすみどり。

「だって……でなきゃあんなに強く言うわけないし……」

「うー……やっぱり……そう言うことになるわけ……」

「みどり……?」

みどりはがっくり肩を落としてうなだれた。

「……やな予感してたのよ……由布そっくりだったし……もしかしたらって毎日毎日……」

「みどり……」

「でも!」

「うわわ!」

やおら立ち上がるみどりに由布はめんくらった。周りにいた生徒たちまでびっくりしている。

「ちょ、ちょっと!?」

「あたし、負けないからね!ぜったい勝ってやるんだから!!」

「あはは……お願いだからそういうのは一人の時にやって……」


ついに実働を開始した学園祭実行委員会。しかし最初から仕事はハードだった。スケジュールの調整に始まり、予算の配分、関係部署への根回し、資材の発注等々……それらを担当の委員を決めて当たらせ、予定通りに事を進める。その全ての責任を担うのが、実行委員長たる和広の仕事だった。

「……こんなにあるのね」

千秋は目の前にある書類の山を見つめながら呟いた。

これらの書類は、出し物の申請から出店の営業許可伺い、企画書等。これらの決済は全て和広と雪絵で行うことになっている。その事前整理を千秋は任されていた。

「模擬店は多いんだ……」

「あんまり認める訳にもいかないんだ。衛生上の問題があるからね」

書類に目を通しながら和広は答えた。

「だから抽選ということになる……それに業者の出入りもあるから食品関係は慎重に決めないとね」

「そうか……あ、はい、これ模擬店の申請分」

「ありがとう。ふうん……24クラスあってその半分か。更に半分位にしないといけないなあ」

「そんなに?」

「うん……本当は全部認めて上げたいけどね。さ、すぐ決めよう」

そうして和広は書類を裏返しにすると、順番を入れ換え始めた。そして千秋の前に差し出す。

「はい、選んで」

「えっ、あたしが!?」

突然のことで目を白黒させる千秋。

「そう……まあ誰でもいいんだけど、誰かが決めなくてはいけない。さあ……」

千秋は差し出された申請書の束をじっと見つめた。

……これって、みんなの思いがつまってるのよね……それを、まるでカードを当てるみたいに決めるなんて……いいのかしら……そりゃみんな認めるわけにはいかないっていうのはわかるけど……でも……。

迷う素振りを見せる千秋を、和広はじっと見つめていた。

……誰かが決めるしかないのよね……そうよね……。

意を決して千秋が手を伸ばそうとすると、和広はそっと書類を手元に引き寄せた。

「え……!?」

「そういうことなんだ」

千秋は和広の顔を見た。その表情は苦渋に満ちていた。

……この顔……良くないときの芹沢君の顔だ……。

「ほんとうは誰も悩まない方がいいんだけどね……僕が引くから君が持ってくれないか?」

「う、うん……」

書類を手渡され、さっき彼がしたようにそれを和広の前に差し出した。

和広はじっとそれを見つめたかと思うと上から、一枚置きに半分……六枚の申請書を引き出した。

「これでよし……落選したクラスに出し物の再申請をするようにしてくれないかな。書類はその右側にあるから」

「ええ、わかったわ」

千秋はいわれたとおりに、再申請書に落選したクラス名を記入して書類を完成させた。

「これ、できたけど……」

「ああ、ありがとう」

受けとった書類を、和広は連絡ボックスの中に入れる。

「これで大枠は決まりかな……あとはクラスの自由にやることを決められる。それでうまくいってくれるといいけど……」

「……いやになる?」

「え?」

「嫌だと、思う?」

千秋は厳しい表情で和広に問いかけた。

「自分が、その自由を制限しているみたいなのが……?」

「それが……責任というものだからね」

和広は目を閉じながら答えた。

「全員が納得するような決定なんて、そうそうできるわけないよ。もちろん努力は必要だけど、どうしても不満を抱く人間は出てきてしまう。それを緩和するためには、手段を公平化するしかない。だからさっきも無作為に当選を決めようとした……さっきはごめん、試すようなことをして」

そうして和広は目を開けた。

……あう……なんてさみしそうな目なの……あ、でもなんだろう?どこか安心したような……落ち着いた感じもする……不思議な目……。

「ただここがどういうことをする場か知ってもらいたかったんだ。そういう選択もしなければいけない場所だってことを」

「じゃあ……あたしは不合格ね」

「え?」

「だって……あたし、迷ったでしょ?それにそういうこと、分かってなかったし……」

「いや……そんなことないよ」

「え?」

和広は嬉しそうな表情になって言った。

「逆だよ。あそこで無造作に引いたりしたら、それこそ不合格だよ。自分がどういうことをしているのか、そしてそれがどういう結果をもたらすものなのか……そういうことを考えることができるということだから」

「か、買いかぶりすぎよ」

千秋は思わず顔を赤らめながら言った。

「そこまで深く考えてたわけじゃ……それに実際決めたのは芹沢君だし……」

「それでもすごいよ」

そう言ってもう一度和広は笑った。

……そう……そうよ。この笑顔なのよ!こんな……こんなに素敵に笑えるのに……どうして普段は悲しそうな顔をしているんだろう?

……ああ、ずっと見つめていたい。ずっとこんな顔で笑ってくれていたら、他にはなにも……なにもいらない……。

見つめられていることに気がついた和広は、戸惑いの表情を浮かべて言った。

「あ……ああ、じゃあ次の仕事を……」

「え?あ、ええ……そうね……」

……まだ……なにか気になることがあるんだろうか?なにが、足りないんだろうか?……あたしじゃ、だめなのかな……?

……だ、だめよ、そんな弱気じゃ!これからどんどん厳しくなっていくんだから……しっかり気を持たなくちゃ……こんなんじゃ、芹沢君の力になれるわけないじゃない……頑張るのよ、千秋……。


三々五々と、委員たちが帰宅していく。今日与えられた仕事をこなし、明日ふたたび役務を果たすために。

和広はそんな光景を眺めながら、ふと思う。

……かなりの仕事量だったけど……なんとかなりそうだな。思ったよりも人の動きがいい……昨日の演説が効いたか?……はは、そりゃ買いかぶりってもんだ……でも……もしかしたら……。

和広は頭を振った。と、視線の先に千秋の後ろ姿が映った。腕が動いておらず、心なしか身体が揺れている。

……初日からこう忙しくてはね。無理もない……いけないな。そんなに疲れるくらいに仕事を割り振ってたなんて……だから俺はまだ……。

和広は立ち上がると、そばに近寄って千秋の肩を叩く。

「……え!?あ、あたし……」

千秋をびっくりして和広を見上げた。

「もう帰った方がいいよ。またあるし……」

「でも……」

「もうみんな帰ったから、僕たちも帰ろう。先はまだ長いからね」

「え、ええ……」

千秋はゆっくり立ち上がると、後片づけを始める。

時計の表示は九時をさそうとしていた……。


和広と千秋は夜の街を歩いていた。きらびやかな灯りは人の心を浮つかせるものだが、今の二人の心の内はそんなものには動かされるゆとりなどなかった。

……疲れた歩き方だな……。

和広は千秋の背中を眺めながら思った。

……この先乗り切れるだろうか?僕自身まだ先の見えない部分が多い……経験がないだけにつらいところだな。一応対応集みたいなものはあるけど、何が起きるか分からないし……。

……ああ、まただ。どうしても考えが後向きになる。性分なのかな?……は、なにを今更。もうずっと前からそんなことは分かってる。分かっているけど……でも……人は簡単に変われないものなのかな?変われると思ったこともあるし、変わろうとしたこともある……いや、本当にそうなのか?本当に変わろうとしたのか?洋子に諭されたときだって、本気で変わろうとしていたのか……その証拠に、彼女がいなくなった途端にあのざまだ。そして今も……。

……一人じゃなにもできないのか?いつも人に助けられてばかりで、自分一人では怖くてなにもできやしない。人の助けを受けてしまったら最後、ずっとその人任せ……そう、今だって、役目を投げ出したくなってしまう……。

……それでも……それでもなんとか持ちこたえているのは……やっぱり……彼女のせいなんだろうな……仁科さん……由布ちゃんと同じ顔。つまりは洋子と……なんの進歩もしてないって言うのか?人の外見だけで動かされてしまうのか?まったく馬鹿げている……まったく、馬鹿げている……。

……でも……なぜか落ち着くんだ。それだけは確かなんだ……でもそれは……いけないことなんだろう……いや、それは本当なのか?いや、人に頼っては駄目だ。頼りすぎては……頼りすぎなければもしかして……いやだめだ。そう言う考えが甘えを生むんだ。それじゃいけない……でもそれは正しいのか?どうなんだ?人は独りでは生きられない……だけどそれも程度問題だ……だとしたら俺は……俺はどうすればいいんだ?

結局答えはたどり着くまでには得られなかった……。

「あ……ここまで来ればもう……送ってくれてありがとう」

疲れたような表情を浮かべて千秋は言った。

「いや……遅くまで仕事させてしまってごめん」

「ううん、いいの。あたしが自分からやり出したことなんだから」

精一杯の微笑み。和広の胸に悔恨の情があふれる。

「いや、本当にごめん……」

「芹沢君……」

頭を下げる和広に、千秋は満足そうな言った。

「どうして……謝るの?確かに今日はちょっと疲れちゃったけど、楽しかったよ?次はもっと余裕を持ってやれると思うの。そうしたら今日みたいなことにはならないわ。だから、あしたも頑張りましょう」

「仁科さん……」

和広は思わず千秋を見つめた。

……くそっ。俺はまた、人に助けられて……そして、なにもして上げられることがない……俺は……卑怯だ……。

和広は視線を切ると、身体を後ろにねじるようにしながら言った。

「じゃあ、また……明日……」

そうして和広は歩き出した。深い闇に向かって……。

千秋はその後ろ姿を呆然と見ていた。

……なんで?どうして……あたし、変なこと言った?ただ一緒に頑張ろうって言っただけなのに……なんで……なんであんなに苦しそうな顔をするの?

……あたしじゃ……あたしじゃ、だめなんだろうか?あたしじゃ力になれないの?まだなにかが足りないの?教えて……教えてよ……。

突然の横殴りの風が千秋の髪を宙に揺らす。それはもつれ、絡み合ったまま彼女の身体に巻きついていた。

……教えてよ……ねえ……教えて……芹沢君……。





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