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第5話:桜咲く野に

乙夜学園内には桜の樹がたくさん植えられている。入学シーズンともなればかなりの桜が花をつけ、それはそれは壮快な光景が展開されるのだ。

だがそんな光景を眺めるゆとりのない者も中にはいた。新入生を迎える側……この場合は、とある人物に面倒を押しつけられた者たちだった。

「おーし、セッティング終わったぞ!」

始は手をはたきながら叫んだ。舞台装置に不具合が見つかって動員されたのだった。

「もう上がっていいよ。あとはなんとかなるさ」

和広はちょっと疲れたように言った。

「しかし、入学式から気合い入りすぎじゃないのか?」

始はあきれたように言った。

「まあ、文句は雪絵さんに言ってくれ。あとは、沙織ちゃんもかな……」

「まだいるような気がするが……あんまり考えたくないな」

「なにを考えたくないって?」

現れたのは久美子だった。みどりも一緒だ。

「あたしは賛成しただけだし……」

「あたしはDJできればそれでいいんだけどね」

みどりは明るく笑った。

「でもこんなにおめかししても、表には出れないわよ?」

そう久美子が言うと、みどりは突然よよと泣き崩れた。

「そうなよね……うう……主役じゃないもんね……ぐすん……」

「まあまあ……じゃ、準備しましょうか。それじゃね」

そう言って、二人は去っていく。

「あ、俺も」

始がどたどたと二人の後を追う。その後ろ姿を眺めながら和広は呟いた。

「さて……僕はお姫様の所に行くとするか」


歓迎される側の新入生の方はというと、新しいクラスメイト達と共に教室で入場を待っていた。以前から知合いだったり、またはこの場で知り合ったもの同士が楽しく会話をしている。その輪のもっとも大きなもののなかに、秋月信雄がいた。

「なあ、それ本当なのか!?」

男子が勢い込んで聞く。すると信雄は余裕の表情で言った。

「本当さ……だって本人から聞いたんだもの」

「本当に会ったの!?」

今度は女子の驚きの声。ますます信雄の表情が鼻高々に、

「本当だよ。近所の知合いと同じクラスなんだ。だから家も知ってるし、話したことだってあるんだから」

「すごーい!」

「おい、今度紹介してくれよ!」

「サインもらってきて!」

信雄の周りはもうすごい人だかりになっていた。軽い気持ちでした自慢話が起こした出来事に多少めんくらはしたものの、信雄はまるで自分が有名人になったような錯覚を覚えていた。

……悪くないなあ、こういうの……全く、沙織さん様々だなぁ。

そう、信雄の漏らした情報は、先月デビューしたての歌手秋吉沙織のライブが、入学式の後の歓迎会で行われるというものだった。

あまりにも突然過ぎるデビューを果たした沙織はあっと言う間に話題の人となり、直後に発売されたデビューシングルは飛ぶように売れていた。ぽっと出の新人とは思えないほど完成されたその美声は、瞬く間に世界を席巻したのだった。

その彼女のライブが行われるとあっては、心穏やかでいられる者はそう多くはない。現にクラスの全員が信雄から更に情報を引き出そうと、またはお願いごとをしたりと、それはまあ騒々しい限りだった。

それは担任が大講堂への移動のために教室に来てからしばらく続いたが、担任までもがその輪に加わっては、おさまるものもおさまるはずは無かった。


しかし式次第はこなされねばならない。

手順にのっとって、新入生は入学式典の行われる大講堂へと向かっていた。その中に信雄の姿もあった。さっきとは違って神妙な顔をして歩いている。

新入生は整然と大講堂に入っていく。中では保護者や上級生たちが新入生の入場を見守っていた。

「なんか去年思い出すなあ」

由布は懐かしそうに言った。

「ほんとねえ……あ、あれ、信雄君じゃない?」

友子が目ざとく見つけて指差した。

「あ、ほんとだ……へえ、真面目な顔してんじゃん。いつもはもっとぼーっとしてるのに」

「信雄君怒るわよ、そんな言い方」

「いいのいいの!でもまあ……結構様になってるな」

新入生の入場が終わって、いよいよ入学式が始まった。とはいっても乙夜のは至ってシンプルだ。余計な来賓の講話もなく、理事長のわずかばかりの訓話が行われるだけ。その間わずか二十分。

事前に聞いていたとはいえ、あまりにもあっけなく終わったことに、信雄は唖然とした。だがまあ、それは今はどうでもよかった。次はいよいよ……新入生の歓迎会を兼ねた秋吉沙織のライブなのだ。

信雄はわくわくしながら待っていた。他のみんなもそうだろう。噂話はすでに新入生達に広まっていた。誰も彼も待ちきれない様子でステージを見つめている。

その時、館内の明かりが落ち始めた。ざわめきも小さくなっていく。

そして突然大音量のアナウンスが流れてきた。

『はーい!みんな、入学おっめでとうっ!!』

ハウリング一歩手前のそれに、みんなは一斉にびくついた。信雄にとっては聞き覚えのある声だ。

……これって……みどりさんだよなあ……。

『入学式、あっけなかったでしょうぉ?でも!ここで気を抜いちゃノンノンノン!あしったからはハードな毎日が待ってるんだよん〜。世の中、そう甘くないネ!でも……今日一日だけは、大判振る舞いしちゃうぞっ!さて、この乙夜学園にはスーパースターがいるの、知ってるかなぁ?さすがにそれ目当てで入学した人はいないだろうけど!今日はその人に、ここに登場してもらうことにしちゃいました!太っ腹でしょ?でしょ?え?まだ誰だか良くわかんない人がいる?おかしいなあ……情報は漏れるようにちゃんとしてあったんだけどなあ……』

……げげ。もしかしてそれって……僕のこと?

『ま、いいや!さあ、それじゃ登場してもらいましょう!そいつの名は……秋吉沙織だあ!!』

一気に明るくなったステージを見て、場内のみんなはどよめいた。スポットライトの中に、やけにふりふりな衣装をした沙織が立っていた。

「皆さん入学おめでとうございます!秋吉沙織です!」

元気そうな声を出して沙織は言った。それは信雄にとってイメージからかけ離れていた。

……あんなに明るかったっけ?

「皆さんは今どんな気持ちですか?新しい生活に期待してる?不安かな?あたしは……不安でした。未来を信じることが……希望を持つことが出来なくて、ただただ不安に思っていました」

少しうつむき、だがすぐ顔をあげて沙織は言った。

「でも、いろんな人と出会うことで、不安は希望に変わりました。今ここに立ってみなさんとお話しできるのも、そのおかげなんです。ですからみなさんも、新しい出会いを大事にしてください」

『それじゃあ』

みどりのアナウンスが始まる。

『彼女に歌ってもらいましょう!曲はデビュー曲……じゃなくて、B面に収録されてる「believe」です!どうぞ!』

曲のイントロが流れ出す。スローテンポで少し哀しげな旋律。でも歌う沙織の声はうららかで、透き通るような声だった……。


信じて信じて信じて……
警笛のようなリフレイン
激しく響く少女の想いは
どこへも届かない
閉ざされた世界の閉ざされた心
哀しみさえも引き裂いて
人は争い続ける

believe...
それでも人を信じ続けることは
彼女に残された最後の希望
どんなにくじけそうになっても
その想いはいつか届くと
小さな胸を震わせながら祈り続ける

おねがいおねがいおねがい……
木枯らしのようなハミング
哀しく奏でる少女の調べは
誰にも聞こえない
光無きそらを包み込む闇
憎しみさえも虚しすぎて
それでも人は争い続ける

believe...
それでも人を想い続けることは
彼女に残された最後の優しさ
どんなにあきらめたくなっても
その願いはいつか叶うと
小さな手を握り締めて願い続ける

believe...
それでも人を信じ続けることは
彼女に残された最後の希望
どんなにくじけそうになっても
その想いはいつか届くと
小さな胸を震わせながら祈り続ける


歌が終わり、しばらくは誰も寂として声も無かった。だがぽつぽつと拍手がおき、それはやがて万雷の拍手となって講堂を埋め尽くした。

信雄も力いっぱい拍手をした。沙織の歌声が頭の中に響き渡る。

……ああ、いいなあ……人を酔わせるってこういう感じなのかな……。

みんなの拍手に、沙織は深々と頭を下げた。

「ありがとうございます!これからも頑張っていきますので、よろしくお願いします!みなさんも、学園生活を楽しくしっかりおくってくださいね!」

『はい、秋吉沙織さんでしたぁ!』

みどりの声に送られて、沙織は舞台のそでに消えていった。

『さあこれで楽しい時間はお・し・ま・い!明日からはもうつらくて厳しい学園生活の始まりだよ!それまでさっきの沙織の歌をかみ締めながら、英気を養ってね!提供は乙夜学園生徒会、アナウンサーは天城みどりでした!See you tomorrow,bye bye!』


「お疲れさん!」

控え室に帰ってきた沙織を、和広が迎えた。

「聞いててくれた?」

沙織は嬉々として和広に聞く。

「うん。ちょっと上がってた?」

「あ……やっぱり気付いてた?」

沙織はちょっと首をかしげながら言った。

「まだステージ慣れしてなくて……やっぱり向かないのかなぁライブ……」

「そんなことないと思うけど」

タオルを手渡しながら和広は言った。

「それこそ、ただ慣れていないだけなんじゃない?気にすることないよ」

「うん、そうだね」

ちょっと潤んだような目で沙織は言った。

「和広君が言うんだったら、大丈夫ね」

「あんまり買いかぶらない方がいいと思うけどなあ……」

「まぁた、そんなこと言って」

和広に近づいて沙織は言った。

「すぐ謙遜しちゃう性格、直さなくちゃね」

そうして沙織は和広に唇を近付けて……。

「沙織ー!よかった……あーーーーーーーー!?」

その時部屋に入ってきたみどりが、二人の姿を見て大声を上げた。

「ちょっと!なにやってんのよ!?」

「あは……うまくいかないものね」

沙織は舌を出して和広から離れた。

「もう、油断も隙もないんだから!」

そう言ってみどりが和広に近づいて彼の腕にしがみついた。

「和広、ガードが甘すぎるのよ!」

「そんなこと言われても……」

「そんなこといって、自分はちゃっかり和広君にくっついてるじゃないの」

「あたしはいいのよ!」

「ま!ずるいわよ、みどり!」

「ずるくないもん!」

「まあまあ二人とも……」

当の元凶である和広はさりげなくみどりの腕を外しながら言った。

「それより沙織ちゃん、次の移動があるんじゃない?」

「あ!いけない!」

「着替え、手伝ってあげてよ」

そう和広はみどりに言い残すと、部屋から出て行こうとした。

「あ、どこ行くの!?」

「雪絵さんとこ。後片づけやらいろいろとあるんだよ。じゃ、よろしく」

そうして和広は部屋から出ていった。

「あーあ、いっちゃった……」

残念そうに言うみどりに、沙織はちょっと寂しげな表情で言った。

「もっと時間取れたら良かったのに……」

「そうだね。なんか最近忙しそうにしているしね」

「あたしもいそがしいから……あ!こうしてらんない!」

沙織は慌てて衣装を脱ぎ始める。それを手伝いながらみどりは独り言のように言った。

「……なんかみんな、ばらばらって感じ」


帰りのホームルームを終わって、信雄はなんとか校門までたどり着いた。沙織のことであれやこれやら頼まれそうになって、それをかわすのに時間がかかったのだ。

「まったく……有名人の知り合いってのは楽じゃないなぁ……」

さっきまでいい気になっていたことを棚に上げて信雄はひとりごちた。

「でもま……なんだか楽しくなりそうだけど」

その時、後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。

「おーい、信雄〜!」

「あ、由姉」

由布は明や由一、友子と一緒にやって来る。

「どうだった、入学式は?」

にやにやしながら由布は言った。

「ずいぶんともてたんじゃない?」

「それはもう……って、それどころじゃないよぉ」

「どうして?せっかく教えてあげたのに……」

「そのせいで身動き取れなくなっちゃってさあ……」

「はっはっは、まるで沙織ちゃんみたいだな」

「笑いごとじゃないよ、由兄」

「ま、せいぜい広報係として頑張ることね」

「……広報係ぃ?なんだいそれ?」

「あれ、言ってなかったっけ?」

由布は白々しい笑みを浮かべた。

「あんたは、沙織の学内広報ってことになってるの。がんばってねぇ」

「ええ!?それってどういうことさ!?」

「沙織の情報を伝えるのに決まってるじゃないの」

「そ、それって……」

「そう。今日みたいな事態になるってことね」

「は……はかったなあ!?」

由布にくってかかる信雄だったが、ずるがしこさでは彼女には勝てない。

「ま、せいぜい情報流してねん」

「まったく……使いっ走りかよ〜」

「まあまあ」

友子が慰めるように言った。

「役得がないわけじゃないみたいよ。第一、あの秋吉沙織とお友達なんだし」

そう言われると、なんだか気分が良くなってくる。

「そ、そうか……そうですよねえ……」

「そうそう。信雄も納得してくれたみたいだし、万々歳ということで」

「……なんか由姉に言われると説得力無くなるんだよなぁ」

「なんですって!?」

「うわわ!」

追いかけっこを始めてしまった由布と信雄を見て、由一はあきれたように言った。

「あーあ……いつまで経ってもかわんねえな。春日、いいのかあんなので?」

話を振られた明は、困ったような表情で言った。

「うんまあ……仕方ないというかなんというか……」

「苦労するな」

苦笑いしながら由一がくっくと笑った。

「ま、あいつの世話は任したから」

「それはひどいんじゃないの?春日君一人じゃ荷が重いんじゃ……」

友子も笑いながら言った。

「ひどいなあ、みんなして……由布ちゃん、本当は……」

「いたたたっ!」

「捕まえたぞ〜!ここの口かぁ、この口が悪いのかぁ〜!?」

明の弁護のかいもなく、由布は信雄を捕まえていじめていた。

「……いいんだ、僕には優しいから」

「……そうだな」

「……そうみたいね」

信雄の悲鳴を聞きながら、三人は深く深く、ため息をついた。





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