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第3話:大山鳴動?

「うーん……」

教室で、めずらしくみどりが難しそうな顔をして椅子に座っていた。そこへ由布と明がやって来る。

「どうしたの、みどり?」

「あ、由布に春日君……」

「なんか心配ごと?」

「まあ、そういうのかなあ……」

みどりは頭をかきながらふーっと息をはいた。

「ねえ、最近沙織おかしくない?」

「沙織?」

由布は首をかしげて明を見た。

「そう言えば、最近放課後になったらすぐいなくなるよね?」

「そうなのよ!それに最近朝も寝不足みたいだし……なにやってるんだろ……」

「もちろんみどりはもう聞いたんだよね?」

「うん。でもあの子、なんにも言わなくてさあ……なにたくらんでるんだろ?」

「ははあ……和広君絡みだと思ってるわけだ」

「だってさあ!……あの子が必死になるようなことって、それしか考えられないもん……」

不安そうに言うみどり。

「まあまあ……あたしも聞いてみるけどさあ……そだ!和広君はなんて言ってるの?」


「さあ……なにも聞いてないなぁ」

和広は困ったような表情で言った。

「なにか困ってるの?」

「い、いや、そうじゃないんだけどさ」

慌てたようにみどりは言った。

「そう……でも、確かに行動がおかしいかも」

「え?」

「久美子が街で見かけて声かけたけど気付かず行っちゃったとか……始も似たような経験があるとか言ってたね」

「うーん……あやしいなあ」

由布が腕組みしながら言った。

「なにか隠してるね、沙織」

「変なことじゃないといいけど……」

「秋吉さんはそんなことする人じゃないよ」

「僕も春日君の意見に賛成だな……調べてみる?」

「そこまでしなくてもって気がするんだけど……」

みどりは複雑な表情をしながら言った。

「やっぱ心配だから……」


「あれぇ?」

スポーツ用品店からの帰り道、友子は沙織の背中を見たような気がした。

「どうした?」

隣にいた由一が聞く。

「あれ、沙織じゃない?」

「ん?ああ、そうだな。あの髪の長さからすると……」

「どこ行くのかな?」

「さあ……」

走って追いかけるにはちょっと距離があった。そのうちに角を曲がって消えてしまった。

由一と友子はその場所まで行くと、沙織が消えた方向を見た。そのさきにはエアロビクスのスタジオがあった。

「ああ……通ってるのかな?」

「あたし、聞いたことある。沙織って他にもバレーとかダンスとかやってるんだよ」

「へえ……初耳だなあ」

「あとはピアノとかもやってるんだって。やっぱり両親の影響なのかな?」

「だろうなあ……じゃあ、楽器全般OKなのか?」

「そうじゃないかな。ピアノはあたしもやってるけど、ぜんぜん上手くならないなあ……」

「今度聞かせてもらおうかな」

「だ、だめだって!ほんと、下手なんだから……」

「今からでもいいよ」

「だめだったら、もう!」


「じゃあ結局わからずじまい?」

「そうなんだよね」

みどりと由布は街を歩きながら話をしていた。

「だいたいさ、休み時間はなんとなく聞きづらいし、放課後はすぐいなくなっちゃうし……」

「そうだよねえ……あたしが聞いたのは、お稽古事が忙しいんだって」

「確かにあの子そういうのに通ってるけど……でも最近のはいっぺんにいろんなの行ってるわよ。なんで急にそういうことし出したのか……」

「なにか理由があるはずよね」

「ああ……なに考えてるのよ、沙織は!」

癇癪を起こしかけるみどり。

「気になってしょうがないないよぉ……なにかした方がいいんだろうけど……」

「まあまあ、そう気にしすぎないで……あれ?」

「どうしたの?」

「あそこにいるの、和広君じゃない?」

「え?」

前を見ると、確かに和広の後ろ姿が見えた。そしてその隣には……。

「あれ……女の人だよねえ?」

由布が腫れ物にでも触るように言った。

「う、うん……一緒に……歩いてるんだよねぇ……」

話をしている感じなので、間違いないだろう。

「だ、誰なんだろう……」

「うう……」

みどりは唸った。しかし、ここにいても何も始まらない。

「か、和広君!」

「あ、みどり!」

みどりは急に駆け出して、和広に声をかけた。すると二人は立ち止まって振り返った。

「みどりちゃん!それに由布ちゃんも……」

和広はさわやかな笑みを浮かべて由布とみどりを見ていた。その表情に屈託はない。だがそれが逆に不安になったのか、みどりはいまにも泣きそうな顔をして言った。

「か、和広君!」

「な……なに?」

めんくらった表情で和広はみどりを見た。隣にいる女性は落ち着いた表情で二人の様子を見つめている。

由布は隣の女性を見た。背は和広より低くいが、みどりくらいあるから低い方じゃない。赤のスーツを身にまとい、本革の黒のバッグを小脇に抱えるその姿はとてもスマートに見えた。年の頃は……三十過ぎくらいだろうか?

……でも、すっごい美人……うちのお母さんとどっちが綺麗かな?

由布はそう暢気なことを考えていたが、みどりにはそれどころではないらしい。

「だ、誰なの、この人!?」

「だ、だれって……え?」

「この人よ!」

みどりはびしっとその女性を指差して言った。女性はちょっと驚いたとばかりに小首をかしげた。

「そりゃ、和広君が誰と付き合っても仕方ないことだけど……それがたとえ年上の一でも……でもね……」

「ちょ、ちょっと……」

「それならそうと言ってくれればいいじゃない!それをこんな……」

「あの……みどりちゃん?なにかかん……」

「いいの!言い訳なんて聞きたくない!」

「ちょっと……僕の話も……」

「だから聞きたくないんだってば!」

「あー……」

完全に困った表情をする和広。女性の方はまじめな顔が崩れて、なんだか笑い出しそうに顔をひくつかせていた。

「み、みどり!ちょっと落ち着いて!!」

ようやく事情を理解した由布は、暴れるみどりをなんとか押さえつけた。

「いいのもう!あたしなんかもう……」

「だから落ち着きなさいって!和広君困ってるじゃないの!」

「え!?」

和広の名前が効いたのか、みどりはおとなしくなって和広の顔を見る。

その時、ついに耐えきれなくなった女性はくすくす笑いをはじめた。

「うふふふ……あははは……」

「な、なにがおかしいんですか!?」

みどりはまた感情的になりかけたが、その前に、和広がようやく言いたいことを言ったのだ。

「あの……ね、みどりちゃん……この人は僕の……母親なんだけど」

「……え?」

その瞬間、みどりは完璧に硬直し、そしてそのまま仰向けに倒れた……。


「あはははは……くっくっくっく……」

あの女性……和広の母親、亜梨沙はまだ笑っていた。

「お、お願いですから……や、止めてくださいぃ〜」

みどりはそれこそ消え入りそうな声で懇願した。しかし、亜梨沙の笑いは一向におさまる気配はない。

今和広一向のいる場所は高級レストランの一席であった。周りの客はこの笑い転げる美女と高校生の男女という組合せに戸惑いを隠せないでいて、さっきからちらちらと四人を見ていた。

「母さん、もうやめなよ」

和広はあきれたように言うと、ようやく亜梨沙は笑うのを止めて和広達の顔を見た。

「あー、久しぶりに笑わせてもらったわ!」

「だ、だから勘違いなんですってば!」

みどりはそう抗議するが、それほど強いものではない。

「それにしたってあの思い込み様はちょっとねえ……」

「もう、由布までそんなこと言って!!」

「ご、ごめんごめん。でもだってさぁ、いきなり痴話げんか始めちゃうんだもん」

由布まで思い出し笑いする有り様では、みどりはそれ以上なにも言う気が起きなかった。

「ああもう……好きにして……」

「まあまあ……それだけ和広のこと気にしてくれてるってことだもんね」

亜梨沙はそう言うと、みどりの顔がぱっと明るくなった。

「そう思ってくれますか!?」

「もちろん」

にっこり笑う亜梨沙に、みどりは満面の笑みで答えた。

「あんた、幸せ者ね」

亜梨沙の言葉に、和広は肯いた。

「あ、でも……いいんですか?あたしたちまでご一緒しちゃって……」

由布が遠慮がちに言うと、亜梨沙は笑って言った。

「いいのいいの!別に親子水入らずって程会ってないわけじゃないし、それにみんなで食事する方が楽しいでしょ?」

「それは、まあ……」

「だから気にしないで、好きな物食べてね」

「はい!」

元気よく返事するみどりに、他のみんなは苦笑した。

「本当は母さんが自分で料理作るとか言ってたんだけど……」

和広は少々あきれ気味に言った。

「めんどくさいとか言い出しちゃって、それで外で食べようって話になったんだ」

「えへへ……仕事明けでつらかったんだもん」

「自分で言い出しといてこれだもんなあ……」

「うふふ……あ、お母さん、御仕事なさってるんですか?」

由布が聞く。

「フリーでだけどね。一応はプロデューサーって事になってるんだけど……まあ、企画の便利屋みたいなものね」

「便利屋って?」

「なにかイベントがあるとするでしょう?まあ、普通ならプロモーションも兼ねてだれそれプロデュース!なんて事になるんだけど、そんなに予算がないときなんかに呼ばれたりするのがあたしのお仕事」

「それじゃあ大変ですよね……」

「そりゃもう……仕事探しから始めないといけないし、ギャラだってそんなに良くないしね。ま、最近はなんとかうまくいってるわ。もう少しで自分の会社も起こせそうだし……」

「すごーい!」

みどりが感嘆の声を上げる。

「憧れちゃうなあ、そういうの……。あ、あたし、学校でDJやってて、自分で番組作ったりとかするのが夢なんです!」

「あらそうなの。じゃあ、いつか一緒に御仕事できるといいわね」

「はい!」

場が和んできたところで、いろいろな料理が運ばれてきた。どれも一流シェフの手によるものだ。そしてそれを口に運ぶたびに、由布やみどりは驚きの声をあげるのだった。

そうして食事が一段落して、デザートに取りかかった頃……。

「そういえば……なんであんなに慌ててたの?」

と、和広がみどりに尋ねた。ちょっとばつの悪そうに、みどりは話し始めた。

「え?あ、ああ、さっきの……ね。……実は……沙織のことが気になって、それで負けてられないなと思ってた矢先に、二人で歩いている姿見たもんだから、ついかっときちゃって……」

「ああ、沙織ちゃん……和広を狙っているという子ね」

「狙ってるって……そういう言い方止めてよ」

和広が抗議するが、亜梨沙には受け付けられなかった。

「これは女の子にとっての戦争なんだからいいの。で、あんたはその獲物ってこと」

「なんかひどいいわれ様だな……」

「まあまあ……それで沙織、お稽古事に精を出してるみたいなんですけど、どうして急に頑張りだしたしたのか謎で……」

由布の言葉に、亜梨沙は首をかしげながら、

「ふうん……確かに恋してる時に見せがちな行動みたいだけど……違うんじゃないのかな?」

「え?」

「和広のこと好きになったのはもっと昔でしょ?」

「はあ……そういやそうですね」

みどりは頭をかきながら答えた。

「だとしたら、今頃やり始めるっていうのって、なんか変だと思わない?」

「でも、今年は色々あったから……」

みどりが由布の方をちらっと見ながら、ちょっと言いにくそうに言う。

「本格的に争い出したのって、年明けてからなんですよ。だから……」

「だとしたら、その時から頑張り出すんじゃない?あ、そだ、そのお稽古事って最近始めたものなの?」

「え?いや……小さい頃からずっとやってますよ」

「でも、こんなに頑張ったのは初めて?」

「ええ……」

「まあ、一念発起ってことはあるかもね」

亜梨沙はこめかみに人指し指を当てながら言った。

「でもなんかありそうだなあ……ちなみにお稽古事の中身ってなに?」

「ええと……ダンス、バレー、ピアノ、スポーツジム……かな?」

「ふむ……和広を悩殺しようってわけじゃないみたいね」

「の、悩殺!?」

みどりがすっ頓狂な声をあげる。

「まあ、一番手っ取り早い方法でしょ?」

「母さん!」

「あら、あんただって嬉しいくせに」

「あのね!」

「まあまあ……でも、ちょっと数多くない?あたしだったら、一つだけでも駄目」

「由布はそういうの似合わないもんね」

「ちょっと、みどり!それどういう意味よ!?」

「まあまあ……でも、恋人に振り返ってもらおうっていうには、ちょっと気合い入りすぎって感じがするのよね」

亜梨沙は眉をひそめながら言った。

「もっと大きな何か……そう、彼女自身のことに思えてならないの。それだけのレッスンをこなすのはかなりハードよ。なまじな目的意識じゃできないわ。……近々、なにか発表があるかもよ」

「発表か……」

和広は考え込むような表情を見せた。それをみどりが不安そうに見つめる。


食事を終えた帰り道。

楽しそうに話す和広とみどりの後ろ姿を見ながら、亜梨沙は言った。

「……なんかいいわねえ」

「え?……ああ、あの二人ですか?」

「うん。あの子も普通に話せるようになったんだなって……」

しみじみという亜梨沙。そして由布の顔をじっと見た。

「……ほんとう、そっくりね、あなた」

「ええ……このまえ写真見せてもらったんですけど、確かに……」

「あの頃はひどかったわ……あたしも、父親もかまってあげられなくてね……それがよくぞあそこまで……」

亜梨沙はちょっと涙ぐんでいるらしい。

「やっぱり乙夜に行かせてよかったわ。あんなにいい子に好きになってもらえて……でも優柔不断なのはいただけないわね」

「仕方ないですよ……みんないい子だし」

「そうね……でも、どうせ決められないならハーレムでも作って……」

「は、はーれむ!?」

「あはは、冗談よ。あの子にそんな勇気あるわけないじゃない」

「ゆ、ゆうきですか……」

そういうものじゃないと思う、と由布は思ったが、由一ならやり兼ねないな、などと思いもする。

「ま、あの子が落ち着いてくれてると、あたしたちも安心して仕事できるからいいんだけど……」

「そういえば……和広君のお父さんてなにをしてるんですか?」

「ああ、旦那?……まあ、物書きということで」

なんか言いたくなさそうに亜梨沙は言った。

「そ、そうなんですか……」

「そ、そういえば、あなたのお父さんってあの森村画伯なんですってね?」

「ええまあ……」

「このまえうちに見えられてね……って、お正月なんだけど」

「え!?ほんとですか?」

「なんでも冬山のお礼ということで」

「うわあ……」

由布は恥ずかしさで身体中真っ赤になった。

「概略は和広から聞いてたけどね……いいご両親ね。あなたのことをちゃんと思ってらっしゃる……」

「ええ……あたし、大好きなんです」

そう言って笑う由布を見つめながら、亜梨沙は言った。

「……あたしも見習わなきゃね」


その日日直だった明は少し早めに家を出た。手には今朝摘んだばかりの花束を持っている。教室に飾るのだ。

「今日は何しようか……特に用事ないから……」

などと独り言を言いながら、明は教室のドアを開けた。

「由布ちゃんを誘って……」

「由布を誘って?」

「誘って……ええっ!?」

明はいきなり声をかけられて跳び上がった。

「あ、あきよしさん!?」

「なにもそんなに驚かなくてもいいじゃない」

笑いながら沙織が言った。彼女は窓を背にして明を見ていた。

「それで?今日は由布をデートに誘うわけ?」

「い、いや、それは……」

明は顔を赤くしてしどろもどろになりながら、花を花瓶に生け始めた。

「由布喜ぶと思うわ」

「ど、どうも……」

まだ戸惑いを隠せない明に、沙織は言った。

「ああ、ごめんなさい、変な言い方して……あたし今ちょっとハイになってるから……」

「ハイって……」

「その内わかるわよ」

謎めいた笑みを浮かべると、沙織は出口に向かって歩き出した。

「あ、そういえば……天城さんとか由布ちゃんが心配してたよ?」

明がそう声をかけると、沙織は振り返って言った。

「そう……でももう大丈夫よ」

「え?」

「じゃね」

沙織はそう言い残して教室から出ていく。その姿を、明はあっけに取られて見ていた。


「それで沙織どこ行ったの?」

明から朝の話を聞いて、由布は言った。

「さあそこまではわからないよ」

「それもそうだよね……でもなんでいないの?」

もうすぐ一限目が始まるというのに、まだ沙織の姿は無かった。

その時みどりがどたどたと現れた。

「ちょっとちょっと!」

「なによ、騒々しいわねえ」

「そんな暢気なこと言ってる場合じゃないわよ!」

なんかむちゃくちゃ慌てている。

「沙織、しばらくお休みするんだって!」

「ええ!?」

由布も明も驚きを隠せない。

「どうして!?まさか病気?」

「いや、そうじゃないけど……二三日は来ないって……」

「ええ〜……いったいどうしちゃったんだろう……」

「あたし、今日おばさんに会ってきて話してこようと思ってるんだ」

「そうね……その方がいいかも。あ、でもあたし今日美術部の会合だ……」

「いいよいいよ、あたし行ってくるから……和広君誘っていこっと」

「……ほんとはそれが目的なんじゃないの?」

「えへへ……ま、半分はね〜」

「じゃ、結果電話してよ」

「おっけ〜」


和広は今日何件目かの店巡りを終えて一息ついた。沙織の行ってる稽古事の場所全てをまわっていたのだ。

「しかし、まるで探偵のまねごとだな」

付き合わされた始が皮肉まじりに言う。

「なにもそこまでやらなくてもいいんじゃないのか?」

「気になるのよね、和広?」

久美子がいたずらっぽく笑って言った。

「沙織の謎の行動が……それってもしかして?」

「いや……別にストーカーになりたいってわけじゃないんだけど……」

「あたしはそれくらい積極的になったかと思って感心してのに……」

「ストーカーになるのがか?」

「ばかね……好きな子のことをなんでも知りたいと思う心がよ」

「……頼むから勝手に話を進めないでくれ」

頭を抱えながら和広が言った。

「とにかく色々な情報が集まったわけだけど……」

「あまり参考にはならないみたいね」

「それじゃあ俺たちはただ働きか?」

「なってもただ働きよ。……それで?なにか気になったことはあった?」

「特にないというか、なんというか……」

和広は残念そうに言った。

「彼女が何かしようとしているのは確かだけど……一杯ありすぎて、焦点がぼやけている感じがするんだ」

「そうねえ……詩吟やら茶道やらもあるしねえ」

「資格マニアに目覚めたとか?」

「どれもこれも特に資格なんていらないものばかりよ。師匠になるとかなら別だけど……こんなにあれもこれもじゃ、焦点がぼやけていると言うか無いというか……確かによく分からないわね……」

「これは……直接本人に聞かないとならないかな?」

「でもしばらく留守にするって話だけど……」


「え?何も分からない?」

由布は髪を乾かしながら電話に向かって言った。

『そうなのよ。なんでもちょっと旅行に行くとか言い出したんだって』

電話口のみどりは早口で言った。

『だから両親も理由しらないんだって。すぐ戻ってくるって言ってたらしいんだけど……』

「そうなんだ……じゃあ、帰ってくるまで待つしかないのかぁ」

『そだね……ま、うだうだ言ってても始まらないから、とりあえず考えるの止めるわ』

「そだね……無事に帰ってくることだけ考えてよ」

『うんうん……』


そしてそれから数日後。

和広はいつものように久美子と始を従えて学校に向かった。卒業式も近づき、あたりはすっかり春の気配に包まれていた。

「もうそろそろ卒業式ね」

久美子が言う。

「三年生には特に知合いないから関係ないだろ?」

始はおもしろくなさそうに言った。

「それはそうだけど……もっと情緒ってものを考えてよ」

「情緒ねえ……」

「情緒と言えば……ホワイトデーよね?」」

久美子は和広の方を見て言った。

「え?あ、うん……そうだねえ……」

「期待してるわよ」

目をきらきらさせながら見つめる久美子に、和広はしどろもどろになった。

「え、と……いや、その……」

「あたしも期待してるわ」

「え!?」

三人が振り返ると、そこには沙織は笑いながら立っていた。

「沙織ちゃん!」

「おはよう、和広君」

「すいぶんと……久しぶりのような気がするよ」

「あら……そんな風に言ってくれるのって、少しは気にしてくれてたんだ」

「そりゃ……みんな心配してたんだよ」

和広がそう言うと、沙織はずいっと彼に詰め寄る。

「あたしは……和広君が、あたしのことをどう思ってたかの方が気になるわ」

「そ、それはもちろん……」

「もちろん?」

「心配してたさ……色々と調べてもみたし……」

「……そうなんだ」

沙織は和広から離れると、ちょっと考え込むようなしぐさをした。

「……何を?」

「え?」

「だから……なにを調べたの?」

「あーえっと……沙織ちゃんの、今回の行動の意味について……」

「意味?」

「そう……でもわからずじまいだったよ」

そう言って笑う和広に、だが、沙織は真剣な目で和広を見つめた。

「……ありがとう」

「え?」

「ますます……和広君のこと好きになっちゃった」

「ええ!?」

「じゃ、教室でね!」

驚いて硬直した和広を置いたまま、沙織は学校の方へ小走りに駆けていった。

「あらあら……ずいぶん大胆な告白だったわねえ」

そばに来た久美子があきれたように言った。

「……一体どういうことなんだ?」

始はわけがわからんという顔をしている。

「さあて……ね」

和広は頭をかきながら苦笑して言った。

「教室行けばわかるんじゃないの?」

そうは言ったものの、面映ゆさが先行してまともに考えることができなかった。


沙織が教室に入ってくると、みどりが目ざとく発見して大声を上げた。

「沙織!あんたってばもう!!」

「みどり……何怒ってるの?」

「なにって……あたしになんにも言わずに旅行なんて行っちゃって!」

「ああ……でもみどりに別に迷惑かけてるわけじゃ……」

「かけてるわよ、充分に!」

「そんなこといわれても……どうかけたの?」

「そ、それは……」

まさか変に勘ぐりすぎたせいだとは言えないみどり。

「と、とにかくよ」

ごまかすようにみどり。

「あんまり変なことしないでよね!」

「変なこと……ね」

なぜだか沙織はくすくす笑い出した。あっけに取られるみどり。

そこへ由布がやって来た。

「ど、どうしたの?」

「ああ、由布……あはは……」

笑い続ける沙織に、由布も言葉を失った。

ひとしきり笑った後、沙織は言った。

「ご、ごめんね……いや、ちょっと思い出し笑いしちゃって……」

「……あんた、やっぱり変だわよ」

みどりはもはや処置無しといった感じで両手を上げた。

「ああ、そうそう……お父さんの知合いから聞いた話なんだけどね」

沙織は唐突にそんなことを言い出した。

「こんど新人歌手がデビューするんだって」

「新人歌手ぅ?どこから?」

みどりが不審そうな声で聞く。DJをやってる関係上、そう言うことにはうるさいのだ。

「アコンカグヤってレーベルなんだけど……」

「アコンカグヤか……そりゃまた大手だねえ」

アコンカグヤ・レーベルは国内屈指、国外でも躍進中のレーベルだった。

「でも新人が出るなんて話、聞いてないわよ?」

「そこが……裏話的なのよね」

沙織は声を顰めて言った。

「これは内緒の話なんだけど……デビュー当日まで秘密なの」

「秘密ぅ?プロモはしないの?」

「デビュー当日、朝発表があってね、その時放送されるチャネルが決まるんだって」

「へえ……いきなりテレビ放映なんだ」

「そうなの。ディスクの販売はその翌日からなんだって」

「ふうん、今どきじゃ珍しいねえ。少しくらいは情報が漏れててもいいんだけどなぁ……」

「どうもそういう方針じゃないみたい」

「そりゃ相当自信があるんだね」

「あ、でも内緒だよ?他の子に言っちゃ駄目だよ?」

「わかってるって。でさあ……その日っていつ?」

「明後日だって……あ、だ、駄目だよ、他の子に話しちゃ?」

「わかってるってば、信用しなさいよ」

みどりは胸をばんっと叩いてそう言ったが、由布はなんだかとっても不安だった。

そして……翌日、それは現実のものとなった。





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