時間が経つのは早いもので、年が明けたと思ったらもう二月の節分の時期になった。だが、生徒たちの関心は節分にはないらしい。特に女子生徒は色々忙しいらしい。男子生徒の方は妙に落ち着きを無くしたり、やけになったりする者が現れていた。
そう、ヴァレンタインの季節が来たのだ。
「お菓子業界の策略でもなんでもいいけどさあ……」
みどりはぼやきながら板チョコを手にする。料理用の大きな板チョコだ。
「もうちょっと安くして欲しいよねえ」
「だからこうして手作り用の材料買いに来たんじゃないの」
買い物かごに品物を入れながら沙織は言う。
「それとも、もうやる気無くしたんじゃないでしょうね?」
「だってさあ……こんなに面倒だとは思わなかったもん」
「だから一緒に作ろうって言ってるんじゃない……と、これでおしまい」
最後の品物を買物かごに入れる沙織。
「じゃ、いこか」
二人は清算を済ませて外に出た。商店街はヴァレンタイン・デイを当て込んで様々なディスプレーや商品が並べられている。それに目を奪われる女性たち。もちろん、男性も興味を抱かずに入られない。
「それにしても、なんでこんなのが続いてるのかしらねえ」
みどりはそんな光景を見ながら言った。
「陰謀なんじゃない?」
からかうように沙織は言った。
「あんたねえ……やっぱり変わったわよ、あんた」
「そうかな?」
「そうよ。昔は冗談なんて言わなかったのに」
「そうかもね」
沙織はくすくす笑う。
「やっぱり……恋なのかなあ」
「……やっぱりあんた変わったよ」
みどりはあきれたような表情で沙織の腕を軽く叩いた。
「あたしも負けてらんないなあ……やっぱり手作りチョコ、がんばろっと!!」
「あたしだって負けないんだから」
沙織は背伸びをするように腕を伸ばした。
「さあ、がんばろー!」
「えっと……菜穂子さん、これでいいの?」
チョコレートまみれの由布が言った。
「ええそうね。もうちょっとゆっくりの方がいいかも」
菜穂子がすぐそばで指示を出す。
「材料は均一になるようにね」
「はい……よ、と」
森村家のキッチンはまさしく戦場だった。物の置けそうなありとあらゆる平面が料理の材料や器具で埋め尽くされ、材料の切れ端がそこら中に飛び散っていた。由布のエプロンもチョコレートまみれ、頭に巻いた手ぬぐいも同様だった。
テーブルにはこれまでの失敗作が陳列されていた。最初こそ食べて処理していたのだが、もうお腹は一杯だった。
「……ふう、できた。後は固まるのを待つだけだぁ!」
由布は歓声を上げた。
「あー、もうチョコの匂いかぐのもやだぁ」
「かなり、失敗してたものねえ」
菜穂子が苦笑しながら言う。
「まあ、余り物は信雄にでも食べてもらいましょ」
「そうですね。あ、でもあいつ、今年はもらえるのかなぁ?」
「さあ、どうかしら。どうせ義理チョコしかもらえないとか言ってたけど……」
「もらえるだけましですよ」
確かに、最近は半ば無差別に配るということは無いので、いわゆる本命以外の物はもらえなくなっていた。
「さて、今年は誰が一番もらうかなあ」
「由一君じゃないの?」
「あー、だめだめだめ」
由布は首を振りつつ、
「だって、友子がステディだっての、みんな知っちゃってるんだもん。去年見たくみんなから山ほどもらうって無いと思うなあ」
「彼女がいても、もらうのはもらうんじゃないの?」
「まあそうかもしれないけど……今年は強力なライヴァルがいるからねえ」
「ああ……芹沢君ね?」
「そ!もう年明けからずっともてもてなんだから」
そう……いまや和広は、登校前後、休み時間、昼休み、放課後と、空き時間をことごとく女子に追いかけられ続けていた。
「でもちょっとかわいそうかな……ただでさえ、みどりや沙織や久美子に追っかけられてるのに……」
「へえ。その子たちが本命に近いってこと?」
「うん、それが……まあ、そうかもしれないんだけど、やっぱり決めかねているみたい……」
「いろいろ複雑なのね」
「うん……和広君、優しいから。でもはやく落ち着けるようになるといいんだけど……」
「その人次第だものね。あ、もうそろそろいいかも」
「あ、うん……さて、春日君にはどれをあげよっかな……」
音もなく教室のドアが開いた。少しだけ空いた隙間から、外をうかがうように見る男子生徒の姿があった。和広だ。
彼は外に誰も居ないことを確認すると、身体が通れるだけ隙間を開けて廊下に出た。廊下には誰もいない。が、ほっとしたのもつかの間。
「あ、いたわ!」
叫び声と共に廊下の角から女子生徒が現れる。和広はぎょっとなって反対方向へ行こうとする。
「あ、待ってください!」
呼び止めるのを無視して和広は走った。そして角を曲がる。廊下を直進して、また曲がろうとすると。
「あ、芹沢先輩!」
と、さっきとは別の女子生徒に見つかる。慌てて和広は元に戻ったが、反対側の角からは足音が迫ってくるのが聞こえた。もちろん行きかけた方からも足音が聞こえてくる。
まさに前門の虎、後門の狼。
その時、和広のすぐそばにドアが開いて、彼は腕を掴まれた。そしてそのまま教室の中に引きずり込まれた。
廊下では女子生徒の話し声が聞こえた。そして教室のドアをがたがたいわせていたが、鍵かかかっていたので諦めて去っていった。
「だめじゃないの」
久美子はそう言って和広の顔をのぞき込んだ。
「不用意に出歩いちゃ」
「ああ、すまない……油断してた」
和広は情けない顔でそう言った。
ここは和広の所属する歴史研究部の部室だった。しかしその存在すら忘れていたのだ。
「しかし、ひどい話だ。別に悪いことしているわけでもないのに……」
「いいえ、あなたがいること自体が犯罪よ」
久美子はいたずらっぽく笑って言った。
「最近派手だものね」
「おいおい……精一杯努力しようとしているだけなのに、それはないだろう」
一月に開催された競技会で由一を打ち破った和広は、それ以来追っかけの女子の追いかけられる日々が続いていた。それは体育での華麗なプレーや、何故か漏れ伝わったテストの成績、そしてよく見ればかなりのルックスが後押しして、今では学校内を歩くのも難しいくらいの人気者になっていた。。
「諦めるのね。個人的にはあまり嬉しくないけど……」
久美子は和広に顔を寄せて見つめた。
「あなたはできる人なんだから」
「……ほんとにそうかな?」
和広は暗い表情で言った。
「全然自信ないよ」
「そういう気持ちが駄目なのよ。もっともっと派手にやるべきよ……まあ、その代償は大きいかもしれないけど」
「だね……でもこのままじゃおちおち昼寝もできないな」
「そう思うんだったら、早く決めるのね……なんなら今決めましょうか?」
そう言って、久美子は和広の顔に更に自分の顔を近づけた。一センチと離れていない。
「あたしはいつでも……」
しかし、和広は目をつぶって小さな声で言った。
「ごめん……今はまだ決められない。情けないとは思うけど……」
「そう……」
久美子は残念そうに和広から離れた。
「仕方ないよね……でも、だった余計逃げてるわけにはいかないわね」
「そうだよな……それが一番問題なんだよ」
「ま、十四日までの辛抱よ」
「……なんかその日を想像するのが怖いよ」
「日曜日で良かったかもね」
「ああ、ほんとだ……でも、その日は家にもいちゃいけないような……」
「うふふ、色男はつらいよね」
「由一君……代わってくれないかねえ……」
「へっくし!」
「どうしたの?」
ストレッチ中にくしゃみをした由一に、友子が尋ねた。
「いや、べつに……だれか噂でもしてるのか?」
「ま、そうでしょうねえ……」
友子がちょっと怒ったような口調で言った。
「おいおい、なに想像してるんだよ?」
「なんだと思うわけ?」
「え?あ、いやその……」
「どうせチョコのくれる人のこと考えてたんでしょ?」
「な、なにを根拠に?」
すると友子はトラックの外で見学している女子生徒達を指差した。
「ひいふうみい……ははあ、あそこにいるだけで十個や二十個は固いわねえ」
「な、なんだよ。焼きもちやいているわけ?」
由一は勝ち誇るように友子を見る。しかし、友子は逆に悠然として言った。
「ふん、由一君の方があたしのこと好きなのはわかってるんだから」
「……あの、もしもし?」
「困るのは由一君の方だってこと」
なまじ事実なだけに、由一は何も反論できない。
「で、でもさ、そうなら別に他の女の子からチョコもらってもどうでもいいってことになるんじゃ……」
「だからそれは嫌なんだってば!」
「そ、そんな無茶な……」
「それにさ……今年は和広君で決まりなんだから」
「な、なにがだよ?」
「チョコの数」
「うーむ……やっぱりそうなのか」
「まさか気にしてたの?」
「い、いや、気にしてない気にしてない!」
「ふうん……」
うさんくさそうに友子は由一を睨み付けた。
「ほんとでしょうね?」
「ほ、ほんとだって!」
「……ま、いいでしょ。とにかく程ほどにしてよね。そのかわり……」
「そのかわり?」
「あたしが一杯作ってあげる!」
ようやく晴れやかな表情になる友子に、由一はようやくほっと一息ついた。
「期待して待ってるよ」
「うん!」
二月十三日、ヴァレンタインデイ前日。土曜日だが授業がある日だ。
友子と始は和広を間に挟みながら学校への道を歩いていた。周囲の生徒達、特に女子の視線がいくつも突き刺さってくる。
「しかし……お前も有名人だな」
憮然とした表情で始は言った。
「じゃあ代わってくれ」
「いやだね。だからさっさと態度決めちまえばいいんだ。そうすりゃ少しは楽になるだろう」
「少しはねえ……」
「ほらほらもうすぐだからぼやかないで……あ、みどり、沙織!」
久美子が声をかけると、みどりと沙織は駆け足で近寄ってきた。
「おはよう、和広君!」
「なんだかすごい雰囲気ね」
「まあ、それは……ね、和広?」
「なんか楽しんでない?」
苦笑しながら和広は言った。
「とんでもない!ライヴァルなんて少ない方がいいんだから!」
みどりは首を振りながら言った。
「ただでさえ強敵がいるのに……」
「でもこれだけ注目されても、お眼鏡に叶う子がいないんだからいいんじゃないの?」
「そうかもしれないけど……なんかやだなあ」
「まあ、そのためにも」
久美子が周りを見回しながら言った。
「和広守らないとね」
「おー!」
みどりの掛け声に、周りの女子生徒達はびくついた。
「それはそうと……ちゃんとうまくいってるの?」
沙織がみどりに聞く。
「うん、まあぼちぼち……」
ちらっと和広を見てみどりは答えた。
「ま、期待しててよ」
「何の話?」
「和広君はいいのいいの!」
「そうそう。さ、早く学校に行きましょう」
「……なんだか、いいようにあしらわれているような……」
しかしこの世に完璧な物は無い。クラスの防御網を突破して来る女子は後を絶たなかった。
「あの……これもらってください!」
「芹沢先輩……これあたしの気持ちです、受けとってくれますか?」
「あ、あの……その……あ、あの……こ、こ、これ……」
「これあげる!」
「きゃー、渡しちゃった!」
「競技会の時一目惚れしちゃいました……お願いします!」
結局。
「なんか凄まじかったね」
由布はまるで慰めるみたいにみどりに言った。
「ああ、ほんと……本番は明日のはずなのに〜」
「しょうがないよ、明日日曜だし」
「そうだよ……あ、あしたの準備しなきゃ」
「どうするの?」
「うん……内緒」
「そっか……みんな別々に渡すの?」
「だから内緒だって」
「はいはい……」
「でも、それで決まってくれるといいんだけどな……」
「まあそれは……」
無理じゃないかと言いかけて、由布は口をつぐんだ。しかしみどりはあっさりと言った。
「無理だと思うけど、頑張らないとね」
「みどり……」
「さてと……帰ろっか?」
時計の針は一時を差そうとしていた。
「かなり重いな……」
和広は紙袋を両手にぶら下げながら呟いた。
「贅沢な奴だな」
始は憮然として言った。
「もらえないやつもいるって言うのに」
「それはそうだけど……」
「ま、有名税ってやつだな」
「かなり違うと思うぞ」
「固いこと言うな。そもそもおまえのせいだろうが。はやく一人に決めちまえ。できれば久美子以外で」
「できれば、なのか?」
「……いや、絶対に駄目だ」
「……努力するよ」
翌日、ヴァレンタインデー当日。
由布はいつも通り……寝坊した。
どたどたと足音をたてながらダイニングに走り込む由布。
「うわわあああ」
「何慌ててるの?」
亜衣が聞く。
「ま、待ち合わせに遅れちゃうよ〜」
「ああ、春日君ね」
「そうなの!ああ、もってくものどこに置いたのぉ〜!?」
「これでしょう?」
あきれながら亜衣は、椅子の上に置いてある紙袋を手に持ってひらひらさせた。
「ああ、それそれ!よかったぁ」
紙袋を受けとりながら由布はほっとした表情を見せる。
「そんなに大事な物、忘れちゃ駄目じゃないの」
「ご、ごめんなさい……」
「時間大丈夫なの?」
「え?あ、いけない!!」
時計を見て跳び上がる由布。
「い、行って来ます!!」
騒々しい足音をたてながら由布は家から出ていた。
亜衣は湯飲みのお茶をすすると、ほっとため息をついた。
「あれじゃ……春日君かわいそうよねえ……大丈夫なのかしら?」
その時、和広は家近くの公園にいた。もちろん呼び出されてのことである。
時計に目を向ける。待ち合わせ時間にはまだ少しある。
その時公園に始がやってきた。
「何しに来たんだ?」
そう和広が尋ねると、始は、
「久美子に呼び出された」
と言った。
「お前もか?」
「うんまあ……」
「ふうん……」
少しの待ち時間の後、久美子が現れた。
「おはよう、始、和広」
「おはよう」
「ああ。これからどうするんだ?」
始が聞くと、久美子は笑って言った。
「決まってるじゃない……はい、始」
久美子は手に持っていた紙袋を始に手渡した。
「ごめんね……義理って事になっちゃうけど……」
「……いいさ。くれりゃなんでもいい」
ぶっきらぼうに言う始だが、その声色はまんざらでもないらしい。
「あと和広には……もうちょっと後でね」
「どういうこと?」
「まあ、いいじゃない。さ、いきましょ?」
歩き出した久美子を追いかけながら和広は言った。
「ど、どこへ?」
「それは……着いてからのお楽しみ」
由一と友子は連れだって街を歩いていた。周りには似たようなカップルが何組も歩いている。
「ねえ、これからどうするの?」
友子が聞く。
「そうだなあ……映画に行くには時間あわないよなあ……」
「あたし、お腹すいちゃった」
「そうか……あ、そうだ。沙織ちゃんの家がすぐそばだな」
「じゃ、行きましょ」
そうして二人は店にたどり着いた。店はかなり混雑している。
「どうしよう……入る?」
「うーん、そうだなあ……あれ?」
「どうしたの?」
「あれ……」
由一は二階を指さした。
「あら……なんか空いてる……」
「入ろうぜ」
由一が中に入った。友子が後に続く。
「いらしゃいませ!あ、由一君、友子さん」
沙織の母親がちょうど出迎えてくれた。
「ごめんね〜、いまちょっと混雑してて……」
「あの、二階が空いてるみたいなんですけど……」
そう由一が言うと、母親はちょっと首をかしげて、
「うん、ちょっと貸し切りなのよね」
「貸し切りですか……」
友子はちょっと考え込んだ。
「ああ、二人席なら今空いてるわよ。どうする?」
「じゃあ、入ろうか……友子?……友子!」
「え?あ、な、なに?」
「おいおい……座ろうぜ?」
「あ、うん」
二人はちょうど空いていた窓際の席に座った。
「さてなんにする?」
「……」
また友子は考え込んでいる。
「どうしたんだよ、友子?」
「え?うん……二階の貸し切りのこと考えてたの」
「ああん?そんなの聞けばいいじゃないか」
「まあそうなんだけど……ああ、そういうことか」
一人納得する友子。
「そういうことって?」
「いいのいいの!あたしたちにはあんまり関係ないことよ」
「……あんまり?」
「そ、あんまり。さ、なに食べよっかなあ〜」
楽しそうにメニューを見る友子を、由一はなにか釈然としなかった。
由布は息を切らしながら、明の家までやってきた。予定の時間はもうとっくに過ぎてしまった。
「ああ、春日君待ってるんだろうなあ……」
由布は済まなさそうな顔して店の中に入っていた。
「いらっしゃいませ!ああ、由布ちゃんか」
店の中にいた明の父親、洋介が声をかけた。
「こんにちは」
由布は多少ドキドキしながらそう言った。
「あ、あの……春日君、いますか?」
「ああ、いるよ。おう、明!」
そう洋介が奥の方に声をかけると、どたどたと音をたてて明が降りてきた。
「由布ちゃん!?」
嬉しそうな声を出す明を、洋介がにやにやしながら見た。
「あ、えと……」
「あ、春日君。遅れちゃってごめん」
由布は手を合わせながら言った。
「ううん、そんなことないよ!今行くから!」
明は上着を引っかけると、由布のそばまで行った。
「じゃあ行ってくるから」
「おう、行ってこい」
洋介の言葉に肯いて、明は由布を先導して店を出て行った。
その風景をしみじみと眺めながら洋介は呟いた。
「母さんに見せたかったなあ……奥手だと思っていたんだが……成長するもんだ」
「えへへ……ごめんね、遅くなって」
由布はまた謝った。
「いいよ。気にしてないから」
「ほんとにごめん、あたしの方から声かけたのに……」
「いいって……由布ちゃんに会えたらそれで……」
「春日君……」
などと雰囲気を出しながら、二人は神社の方に向かっていた。
「初詣で以来だね」
「そうだね」
そうして周りに人がいないのを確かめると、二人は社そばの林に入っていく。
「えへへ……悪いことしてるね、あたしたち」
「そだね」
本来は入ってはいけない林を、二人は上の方へと上っていく。そして頂上の開けた場所まで来ると、二人は地面に腰を下ろした。
「はあ……やっぱりいい眺め……」
そこからは街の様子がよく見えた。
「ほんとだ」
そうして二人はしばらくその景色を眺めていたが、やがて由布が思い出したように、持っていた紙袋の中から綺麗にラッピングされた箱を取り出し、明に差し出した。
「はい……春日君」
「あ……」
まじまじとそれを見つめる明。
「ええと……いまさらこう言うのって恥ずかしいんだけど……」
もじもじしながら由布が言った。
「ちゃんと言わないといけないかなと思って……あの……あらためまして、春日君、あたしと付き合ってください!」
そうして由布は頭を下げた。その姿を頬を赤らめながら見ていた明は、包みに手を伸ばして手に取った。
「あ……春日君」
由布が顔をあげて明の顔を見る。すると明は照れくさそうにこう言った。
「こ、こちらこそ、よろしく……」
しばらく二人は見つめ合った後、ぷっと吹き出した。そして二人して笑い始める。
「あはは……はあ……照れくさいね」
「うん……確かに」
「あ、開けてみて」
「うん」
明がラッピングを外してみると、紙でできた箱が出てきた。それを開けると……区分けされた升の一つ一つに、いろんな形をしたチョコが出てきた。
「うわあ……すごいなあ」
「そう?た、食べてみて!」
「じゃあ……」
明はその内の一つを取ると、口に入れる。それを固唾を呑んで見守る由布。
「……どう?」
恐る恐る由布が尋ねると、明はにっこり笑って言った。
「うん……おいしいよ」
「良かった!」
由布は本当に嬉しそうな顔をした。
「手作りだったからどんなになってるか不安だったんだけど……よかった」
「そっか、手作りか……」
明は感激したように言うと、二個三個と口に運んだ。
「うん……いろんな味がしておいしいね」
「ほんとに?」
「うそなんか言わないよ……ほら」
明は一つを由布の口元に近づけた。一瞬由布は顔を赤らめたが、口をあけて、それを食べた……。
「……うん、おいしい」
「そ、そう……」
気まずい沈黙が二人の間を漂う。
「あ……でもよかった、春日君の口に合って」
「ほんとにおいしいよ」
「うん……結構大変で……菜穂子さんとかに手伝ってもらったりしたんだけど……今度は自分だけでやりたいな」
「そうなんだ……期待して待ってるよ」
「うん!」
「あ……」
二人の目線があった。いつのまにか肩が触れるくらいに近づいている。ちょっとでも動けば……。
どちらからともなく、腕が伸ばされ、二人は肩を抱き合った。顔はいまにも触れ合いそうな距離で……そして。
由布は目をつぶった。ちょっとだけあごが上がる。明は壊れ物でも扱うように由布の頬に手をやり、そっと引き寄せて……二人は唇を重ね合うのだった……。
その頃、和広と始は久美子の後について歩いていた。
「なあどこまで行くんだ?」
じれて始が言った。
「もうすぐだって……我慢してよ」
「……この道、もしかして」
和広が思い出したように呟く。
「なんだ?」
「沙織ちゃんの家の方じゃないか?」
「あ……」
始は全てわかったという表情になった。
「おい、和広。秋吉さんと天城さんから誘われたか?」
「え?いや、それは無いんだけど……」
「そうか……少しは期待してたか?」
「え!?……あ、まあ……少しはね」
「お前……なんか鈍くなってるぞ」
「え?」
「ほんとね……」
久美子が少しあきれて言った。
「あの二人が渡さないはずないじゃない。ちゃんと準備してたのよ。だから今移動してるんじゃない」
「……そうなのか」
「おもしろくない顔してんなあ」
「いや……うん、まあいいか」
「いったいなんなんだ?」
「さあさあ……もう着いたわよ」
沙織の家の前に三人はいた。
「……二階席に誰もいない」
「さすが和広、気がつくのはやいね」
久美子は笑いながらそう言った。
「では、一大告白イベント、はじめますか」
二階席に上がると、そこはパーティ会場みたいに飾りつけられていた。アーチ上の入り口の上には、でかでかと「ヴァレンタインデイ・告白大会!」などと書かれている。そしてその奥に、みどりと沙織は思い思いのおめかしをして三人の到着を待っていた。
「あ、和広君!」
「いらっしゃい」
「あ、ああ……どうも……」
「さ、入って入って」
久美子に促されて和広はアーチをくぐった。
「ささ、ここが和広君の席よ」
上座の席に座らせられる和広。その隣にみどりと沙織が座り、和広の向かいに始と久美子が座った。
「ごめんね、和広君。なにも言ってなくて」
沙織が申しわけなさそうに言った。
「い、いや、いいんだよ」
「ほんとはね、一人一人渡そうって決めてたんだけど……」
「いまさらって気もしたし、順番どうのこうのって揉めるのもやだしさあ……」
「それでこういうことになったわけ」
沙織、みどり、久美子の順にしゃべる。和広は若干戸惑いながらも、感謝の意を表した。
「ああ、その……ありがとう、と言うべきなんだろうね……うん、ありがとう」
その一言が、三人の顔に笑顔を生み出す。
その光景を見つめながら、始は思った。
……こいつには、やっぱりどうもかなわんなぁ。
「あ、じゃあ、渡す物渡さないと」
みどりは立ち上がると、後ろに置いてあった紙の箱を取り出す。沙織と久美子も同様に包みやら箱やらを取り出した。
「久美子からわたしちゃいなよ、付き合い長い方からってことで」
みどりが久美子に言った。
「じゃあお言葉に甘えて……」
久美子はそう言って和広の前に立った。
「ああ……あらたまってこういうこと言うのって、なんだか気恥ずかしいんだけど……ちゃんと言わないとね……。前からずっと好きだったの……出逢ったときから。だからこれ……渡します」
そう言って久美子はラッピングされた箱を手渡した。
「うん、ありがとう。でも……」
困ったように和広が言いかけると、あわてて久美子が叫んだ。
「あ、それ以上言わないで!」
「え……?」
「言わなくていいの。いま返事を聞きたいわけじゃないから……今すぐ聞こうなんて、ここにいる誰も思ってないから……だから今は、ただ受けとってくれればそれでいいの」
「久美子……」
みどりと沙織もうんうんと肯いている。それを見て和広は……一瞬顔を伏せて、そして顔をあげて言った。
「確かに受けとったよ。ありがとう」
「……うん」
久美子の次はみどりだった。ちょっと咳払いして、照れくさそうにみどりは言った。
「あ、えと……そういうわけだから、その……あー、めんどくさい!あたし、和広君のことが好き!大体、最初に目をつけたのはあたしなんだし、他の女子になんか負けないくらい和広君の事知ってるつもり!……って、つもりだけなんだけど……でも!そんなことはどうでもよくって!好きだから……だから、これ!」
ラッピングされた箱をえいっとばかりに差し出すみどり。和広はちょっとだけ微笑んで、それを受けとった。
「うん、わかった……確かに受けとったよ」
「あは……」
みどりが極上の笑みを浮かべる。
「最後はあたし、か……」
そして今度は沙織の番だった。
「あたし……和広君にはお礼を言わなくちゃいけないの」
「お礼……?」
「そう……乙夜に入ったばかりの時、街で和広君に助けてもらったことあったでしょ?」
「ああ……あったね」
「その時からあたしは変わったの。ううん、変わろうと思い始めたの。そのきっかけをくれたのは和広君だった」
「……」
「だからあなたのことが気にかかった。気になって気になって……そうして気付いてみたら、あなたのことばかり考えてた……ずっと今日まで。……その想いを形にしてみたの……受けとってください」
綺麗なリボンのついた紙袋を、沙織は差し出した。
「……ありがとう」
和広は大事そうにそれを受けとった。
「……さて!」
久美子はぽんと手を叩いて立ち上がった。
「それぞれの告白も終わったことだし、あとは楽しくやりましょ」
「そうそう、そのために無理言って貸し切りにしてもらったんだから!」
みどりがはしゃぐ。
「ごめんなさい、飯坂君、無視しちゃうみたいな感じになっちゃって……」
沙織が始に向かって頭を下げた。
「あ、いや……俺はいいんだ。一応もらう物もらったし……」
「代わりといってはなんだけど、色々作ったから食べていってね」
そう言ってテーブルの上に並べられた料理を見せる。
「すごいな……これみんなで?」
「沙織と、沙織のお母さんがほとんど作ったんだけどね」
みどりはちょっと残念そうに言った。
「ま、それはさておいて、はじめよ!」
「そうね……まずは乾杯からかな?」
久美子はみんなに紙コップを手渡すと、シャンパンの栓を小気味よく外した。そしてみんなのコップに注ぐ。
「じゃ、和広の音頭ということで」
「え?!」
「ま、当然だな。これだけのことしてもらったんだから」
始のからかい混じりの言葉に、和広は軽く睨み付けると、仕方なくコップを持ち上げて話し始めた。
「ああ、ええと……今日は本当にありがとう。まさかこんな日になるなんて思ってもみなかった。去年の今頃とはすごい違いだよ。本当に……乙夜に来てよかったと思う。まだ立ち直ったとは言えないけど……また迷惑かけるかもしれないけど……よろしくお願いします。……それじゃあ、乾杯!」
「乾杯!!」
全員思い思いにコップを空にした。
「ふぁ〜!さ、たべよたべよ!」
みどりの陽気な声に、その場の全員が声をたてて笑った。
「な、なによ〜?」
みどりは抗議の声を上げるが、よけいにみんな笑ってしまい。
「ふんだ!みんな食べちゃうから!」
みどりはすごい勢いで料理を食べはじめる。
「あ、駄目だって、みどり!」
「ほらほら、早く食べないと無くなっちゃうわよ!」
「あ、これおいしそうだな」
わいわい言いながら食べ始める仲間の姿を、和広は嬉しそうな目で見つめていた。
……願わくは、このしあわせのひとときが末長く続きますように。