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第十七話:約束

毛布にくるまりながら、あたしはコーヒーカップを手に床に座っていた。

あたしたちが止まっているフロアにあるロビー。そこにみんな集まっていた。

ううん、いない人が一杯いる。みどり、沙織、久美子、始君、そして……和広君。

和広君は今個室で御医者様に看てもらっている。……あたしのせいだ。

あたしを温めるために、和広君は必要以上に身体を冷やしてしまったの……まだどういう具合かわからないんだけど……。

あ、先生が出てきた。

「あの、どうなんですか?」

由兄が聞く。

「ああ……命に別条はないよ。今はまだ眠っているが、明日には大丈夫だろう」

「そうですか!」

あ……よかった……涙が出てきちゃったよぉ……。

「とりあえずこれで一安心だな……」

由兄がほっとした声で言った。そしてあたしの方を睨み付けるようにして言った。

「まったく……何事もなかったからよかったようなものの……おまえ、自分がなにやったかわかってるんだろうな?」

「う……わかってる……つもり……」

「お前が馬鹿やったおかげで、一体どれだけの人間に迷惑かけたかわからんだろう?」

「……うん……ごめんなさい」

「それは俺に言う言葉じゃないぞ」

「う、うん……わかってる……」

なにも……なにも反論できない……そりゃそうだよね。あたしがあんなとこにいかなけば……さっさと帰っていればこんなことにはならなかったんだもん……。

「由布ちゃんだけが悪いんじゃないよ」

「春日君……」

「僕にだって責任はある……」

「ああ、それはそうだが……」

と、由兄。

「甘やかしちゃ駄目だ。こいつは注意したことをすぐ忘れるんだから」

「そ、そうかもしれないけど……今度はしっかり見てるから……」

「それで直るといいけどなあ」

……なんか言いたいこと言われてるみたいだけど、今のあたしには信用無いから仕方ないよね……。

でも、和広君、本当に大丈夫なのかな……あとで、お見舞いにいかなきゃ……。


医者が出て行くと、みどりと沙織はのしかかりそうな勢いで和広の眠るベッドに近寄った。

「よかったね」

「うん、本当に……」

その姿を、久美子は暗い目で見つめていた。

「おい……どうした?」

始が不審に思って声をかける。何かを感じているらしい。

「……なんでも……ない、わ」

押し殺したように久美子は言って向きを変えた。

「ちょっと……出てくる。ここ……お願いね」

「……」

始は何も言わず、久美子を送り出した。

……何する気か知らんが……無茶はしないでくれよ……。


あ、久美子が出てきた。こっちに来る。

「久美子……中の様子は、どう?」

床に座りながらあたしは声をかけた。

「……ああ、普通よ」

「そ、そう」

久美子……なんか様子が変……まだ動揺してるのかな……。

「ごめんね……あたしが無茶したせいで……その……あんなことになっちゃって……」

「……そうね」

「く、久美子……?」

なんか様子が……と、思ったとき。

「……あたしね……今まで和広に全部任せっきりでいたの……」

「……え?な、なに?」

「だから、何も言わないでずっと見ていた……でも……もうやめにするわ」

そう言って久美子は、右手を振り上げて、そして……。

……ぱしっ!!

「……え?」

あたしはなにが起きたのか一瞬判断できなかった。そのうち左の頬が熱くなって、痛くなってきて、初めてあたしは久美子にはたかれたのだと気がついた。

「な……んで……?」

由兄も春日君も、あっけに取られてあたしたちを見ていた。

「……やつあたりだってわかってる……由布には理不尽なことだともわかってる……でも……我慢できなかった」

久美子はしゃがみ込むと、あたしの顔をのぞき込むようにして言った。

「ねえ……どうして和広は危険を冒してあなたを助けに行ったか、わかってる?」

「え……」

「本当なら、あの時和広は降りていっちゃいけなかった……和広はそれ用の訓練を受けてないんだもの。あの時和広はただ後続を待つことしか出来なかったの」

「え……じゃ、じゃあ……」

「あれは和広の独断……なぜそうまでしてあなたを助けに行ったのか……わかる?まして自分の生命を脅かしてまで……なぜあなたを助けようとしたのか……わかる?」

「……わからない……わかるはずないよ……あたしには、久美子がなにを言ってるのか……わかんないよぉ……」

「そう……わかるはずないわよね。和広は何も言ってないもの。でも……あたしと始は全てを知っている……みどりも沙織も知ってはいる……」

みどりと沙織も?なんで?……あたしだけ、知らない?

「……教えて……教えて久美子……なんで?なんでなの?」

「ここまで言って……少しもわからないの?」

その時の久美子の目は、とっても怖かった……。でも、その後の言葉は、もっと衝撃的だった。

「和広はね……由布のことが会ったときから気になっていた……そしてずっとあなたのことを見ていたの……」

「そ、それって……まさか……」

いくら鈍いあたしでも……さすがに、その後に続く言葉は想像できた。身体全体が一瞬震えた。

「そう……和広はね、由布のことが好きなのよ」

……何も言えなかった。そんなこと、考えてもみなかった。

痛いほどの沈黙。何かが突き刺さってくる……。

「……ほんと、なの?」

「そうよ……それでずっと……悩んでいたの」

「悩んでいた?」

久美子は……久美子は涙を流していた。

「久美子……」

「由布が悪いのでも……ましてや和広が悪いんでもない……だから……だからこそ、悩んでいた……」

「わるく……ない?」

「そうよ……でもそのわけを、あたしからは言えない……言っちゃいけない……それは和広が自分で答えを見つけなくちゃいけないことだから……」

そう言って、久美子は立ち上がった。

「……叩いたりして、ごめんなさい。和広が回復してからだったらどうしてもかまわないから……今は……放っておいて……」

久美子はきびすを返すと、和広君の部屋に向かい、そして中に消えていった。

後の残されたあたしたちは、しばらく呆然としていた。

……そんなに……危険な目に遭ってまで、あたしを助けてくれたの?してはいけないことをしてまで?……あたしが……好きだから?それも会ったときから……?

……あ!……あの時はあたしの方からぶつかっちゃって……不思議そうな顔してたんだよね……あの時から……か。

その時友子が来た。

「ねえ、由布!コーヒーにおかわりい……どうしたの?」

なんか雰囲気に呑まれているみたい……当然よね。

「ああ、いや……なんでもないよ」

そう由兄は言って、友子からコーヒーポットを受けとる。

「いらないとさ。俺が呑むよ。春日、由布を部屋まで送ってやってくれ。もう休んだ方がいいだろう」

「あ、うん……」

「俺も寝る。友子も休んだ方がいい」

「う、うん……」

由兄は友子と一緒に行ってしまった。

後には……あたしと春日君が残った。なんだか寒々としている……。

「あの……由布ちゃん、部屋に戻って休んだ方がいいよ……ね?」

春日君が声をかけてくれる。

「うん、そうだよね……」

あたしは毛布を肩にかけたまま立ち上がる。う、足がまだ痛い……。

「大丈夫?」

よろめくあたしを、春日君が支えてくれた。

「うん……」

春日君の顔を見る。とても心配そうな顔……あたしの身体を気遣ってくれてるの?それとも……不安なの?……なにに?

「いこ……」

春日君に支えられて、あたしは部屋の方に歩き出した。一歩一歩がとても重い。でも、部屋の前に来るのはあっと言う間だった。ドアを開けて中に入り、ベッドの方まで連れていってもらって、そこに腰を下ろした。

「……ありがとう」

「うん……」

春日君は目の前に立ったままあたしを見つめていた。

「あの……昨日はごめん……助けられなくて……」

悔しそうな声。

「ううん……あたしが悪いんだから……気にしないで……」

「自分が……情けなかった」

「春日君……」

「彼は……芹沢君は……あんなに頑張ったのに……なのに僕は……」

「春日君!」

あたしは足が痛いのも忘れて、立ち上がって彼に抱きついていた。

「由布!?」

「あたし、助けを待ってる間ずっと春日君のことだけ考えてたの!だから春日君を見たとき、とっても嬉しかったの!……だから……そんな風に考えないで……あたしは……あたしの気持ちは……」

ぎゅっ……春日君に抱き締められる。苦しいけど……嬉しい……。

「僕だって……」

「春日君……」

そうやってあたしたちは、いつまでもいつまでも抱き合ったままで、時を忘れて立ち尽くしていた……。


……ねえ。なに見ているの?

……海……。

……くすくす……そんなことわかってるわ……海の、なに?

……波……かな?

……波?

……そう。

……なにがおもしろいの?

……繰り返しているようで、同じじゃないってところかな……。

……そうね……人と同じね……。

……人か……。

……そうよ……何も変わらないように見えて、何かが違っている……。

……ゆくかわのながれはたへずして……ひさしくとどまりたるためしなし……。

……よどみにうかぶうたかたは、かつきえかつむすびてひさしくとどまりたるためしなし……

……ひとのよもすみかも、これにおなじ……うふふふ……。

……でも……。

……ん?

……いつまでこうして……一緒にいたいよ……。

……あら?ずっと守ってくれるんじゃなかったかしら?

……うん……やくそくしたから。

……そ、やくそく、ね?……和広……。

……洋子……俺は……俺は……。


うすぼんやりとした世界……それが和広の見た最初の光景だった。

……ああ……夢を見てたのか……。

視界がはっきりしてくると、ホテルの天井だとわかった。

と、左手になにか触られている感じがした。視線を向けると、ベッドの傍らに久美子がうつむいて目をつぶりながら座っているのが見えた。手を握っているのは彼女のようだった。

わずかな動きを感じとったのか、久美子は目を開けると、和広の顔を見て微笑みかけた。

「よかった……目が覚めたのね」

「心配かけたみたいだね……」

部屋の中を見ると、ドアの前に始が座っており、ベッドの近くにはみどりと沙織が同じ毛布にくるまってかわいらしい寝息をたてていた。

「そうよ……みんな心配してたのよ」

「……森村さんは……?」

一瞬久美子の表情が陰ったが、すぐ元の表情に戻って言った。

「……大丈夫よ。なんともないわ」

「そっか……よかった」

とてもすっきりした表情で和広は言った。それを不思議そうに見つめる久美子。

「なんだか……変わったわね、和広」

和広の手を強く握りしめながら久美子は言った。

「そう……かな?」

「なにか……うん、やっぱり変わったわ、和広」

「……そうだといいな」

楽天的に言う和広。その顔を見て、久美子は思い詰めた表情で言った。

「あの……あたしね……」

「ん?」

「……由布に、言っちゃった……好きだってこと……なんだか我慢できなくて……おまけに叩いちゃった……」

「そっ……か……」

一瞬昔の顔に戻る和広。

「……でもあのことは言ってないわ……あたしが言えることじゃいないもの……」

「……いいさ……当然だよ……」

「和広……」

「もう、いいんだよ」

さっぱりとした表情に、久美子はなにか救われたように感じた。

「和広……やっぱり変わったのね……」

その時始が起きて立ち上がった。そして和広と久美子の方を見ると、軽く肯いて部屋の外に出ていく。そのドアの音に、みどりと沙織が目を覚ます。

「ううん……あ!?」

「和広君!?」

「やあ」

二人は和広を幽霊でも見るかのように見た。さりげなく、久美子は和広の手を離す。

「よかったぁ……目が覚めたんだ!」

「もう大丈夫なの?!」

二人はもつれるようにしてベッドサイドに来ると、口々に声を上げた。

「うん、なんとか大丈夫みたいだよ……ちょっと背中が痛いけど……」

「当たり前よ、シャツ一枚で岩壁に寄っかかっていればね」

久美子がいたずらっ子を諭すような口調で言った。

「あ、そだ、お医者さん!」

「始が行ったから……」

「そかぁ……でもよかった、心配したんだよ〜」

みどりが目を潤ませながら言った。

「ごめん……返す言葉は無いよ」

「だめよ、みどり。まだ病み上がりなんだから」

「あ、ごめん……」

「いや、もう大丈夫だから……ほんとにごめんね」

「ううん、和広君が無事ならあたし……」

沙織が感きわまって口元を押さえてむせた。その背中をみどりが優しく叩く。

「さあ、ようやく起きたばっかりなんだし、もうすこし休ませて上げましょう」

久美子の言葉に、みどりと沙織は肯いた。


「え?和広君の目が覚めた!?」

「ああ、今医者が見てるって」

由兄がそう言ってあたしの顔を見た。隣には心配そうに春日君がいる。

「それで具合は?」

「悪くはないそうだ。これで一件落着……かな?」

「そう……よかった」

本当にそう思う。これでもし何かあったら、あたしは……。

「それでさ」

「え?」

「あとで部屋に来て欲しいって……芹沢君からの伝言だそうだ」

「……そ、そう」

動揺は、さすがに隠せないね……一体、話ってなんだろう……。

ちらっと春日君を見る。ちょっと不安そう……あたしは大丈夫って意味を込めて笑いかける。春日君は、ちょっとこわばったままの顔で肯く。

その時ドアがノックされて、久美子が部屋に入ってきた。

「今……御医者様が帰ったわ。特に問題はないって」

「そう……よかった」

あたしは不思議と平静に言えた。多分、もう心が決まっているからだと思う。

「で……和広が呼んでるんだけど……いい?」

探るような目であたしを見る久美子。

「ええ、いいわ」

あっさり答えたのが不思議だったのか、久美子は首をかしげてあたしを見る。

「じゃあ、行ってくるね」

由兄と春日君に向かってそう言うと、あたしは部屋から出た。後に久美子が着いてこようとしたけど、あたしは首を振ってそれを断った。

「え……」

「大丈夫、一人で行けるから」

にっこりと笑うあたしに、久美子はますます不思議そうな顔をしたけど、結局何も言わずにあたしを見送った。

……さて、行きましょうか。


さすがに部屋の前に立つと緊張するなあ……でもここでいつまでも待ってるわけに行かないし……。

恐る恐るドアをノックする。するとどうぞって声がした。和広君の声だ。

ドアを開けて中に入ると、ベッドの上で上半身を起こしてこちらを見ている和広君の姿が目に入ってきた。ちょっと顔色が白いけど、大丈夫そう……。

「やあ、大丈夫そうだね」

「和広君も……げんきそうでよかった」

あたしはベッド脇の椅子に座って和広君と向き直った。

「まずは……大変な目に遭わせちゃってごめんなさい……そして、助けてありがとう」

あたしは頭を膝にすりつけるようにしてそう言った。

「よかったよ、助けられて……さ、頭上げて」

「う、うん……怒って、ない?」

「んー……」

考え込むようにして首をかしげる和広君。

「まあ、監視員の一員としては……お小言ものだけど……それよりも、君が助けられたことが一番嬉しいから……いいんだ、それは」

う……やっぱりなんだか胸が苦しい……。

「……久美子から聞いたよ」

ぽつりと彼は言った。胸がちくっとする……。

「僕が……君のことが好きだったっていうのは……本当のことだよ」

優しそうな目であたしを見ながら、和広君はそう言った。

……面と向かって言われるのは……胸が締めつけられて……苦しかった。

「おどろいた?」

「……う、うん……だって……全然気づかなかったから……」

「そうだろうね……」

「初めて……初めてあったときからって……聞かされたんだけど……」

「うん……その時は……とても驚いた」

「え?」

「だってさ……あまりにも君は似すぎていたんだ……」

そう言う和広君の表情には、苦痛の色が現れていた。

「だ、だれになの?」

「それは……」

一瞬顔を歪ませた後、和広君は言った。

「昔好きだった女の子に……彼女は……もうこの世にいないんだけど……」

ムカシスキダッタオンナノコ?

「そ、その人って……和広君の……」

「うん……恋人同士だった、僕たちは」

そう言って彼は虚空に視線を浮かべた。なにかを思い出すかのように。その横顔はとても悲しげで、寂しそうだった。

「僕は昔……今以上に自信がなくて、内にこもりがちな人間だった。なにをしていいのかわからずに、ただ時を過ごしていた。……そんな僕のことを励ましてくれたのが彼女だった……あなたにはなんでも出来る力があるんだ……て。最初はそんなこと信じられなかった。なんで僕のことをそんな風に言えるのか、全然わからなかった。でも……彼女に見られているということが、僕の何かを変えたんだ」

「なにかを……」

「信じられなかったよ。それからはなんでもうまくいくようになった。なんていうのかな……自信が生まれてきた。自分の意見が言えるようになった。色々な活動に参加するようになったし、それが楽しくなっていた。その度に、彼女に言われたんだ。ほら、言ったとおりでしょう?あなたには、思ったことを実現するだけの力を持っているのよ、て。……本当にそう思えた。彼女がそばにいてくれると、なんでも出来る気がしていた。そして……僕が彼女に惹かれるのにそれほど時間はかからなかった。そして僕らは……愛し合うようになったんだ……」

そこまで言って、和広君はため息を一つついた。その表情は切なそうに揺れていた。

「一度……なんで僕にあんなことを言ったのか、聞いてみたことがある。彼女は、自分の夢を実現してくれる人だと思ったからだと言っていた。その夢がなんなのかは、結局教えてもらえなかったけど……そしてそれは永久にわからなくなった。……彼女は、居なくなってしまたから」

ぎゅっ。彼はシーツを力任せに掴んだ。血の気が無くなって、真っ白に見えた。

「それは……去年、いやもう一昨年になるのか……の十一月九日……その日はデートの日で、夕方まではなんてこと無い一日だった……でも、母親から連絡があって、父親が事故に遭って入院したから早く戻ってこいというんだ。もう帰ろうとしていたときで、事情を知った彼女は、自分のことはいいから早く帰るように言ってくれた。いつもはどんなときでも家まで送っていってたから、とても不安だったんだけど……彼女は大丈夫だと言って僕を見送ってくれた……それが、無事な彼女の姿を見た最後だった……」

深く、彼はため息をつく。あたしは、息をすることも苦しく感じられるくらい身体がこわばった。

「……交通事故だったんだ」

ぽつりと和広君は言った。

「別れた直後だった。相手は……飲酒運転の大学生か何かだったかな?自動回避システムも効かないくらいの大暴走だったって。……事故を知ったのは、病院について父親の無事を確かめたその直後……急患として彼女が病院に運ばれてきたんだ……その時の衝撃は……良く覚えていない……覚えられないくらい、ひどい状態だったんだと思う……。そして結局……彼女は意識を回復しないまま、逝ってしまった……それが十二日だった」

「……え?……十一月十二日?!……そ、そんな……じゃあ、あの日遅くなるって言ってたのは……」

「うん……彼女の墓参りだったんだ」

……これはくるものがあった……そんなに偶然が重なっていたなんて……。

「それからは……まるでふぬけだったね。最初は……事故を起こした奴を殺してやろうかと本気で考えたこともあった。でもそれは相手が別の事故を起こして死んでしまってどうにもならなくなってからは……本当に何もしたくなかった。それくらい……彼女は大きな存在だったんだ。それでも……それでも……なんとか努力しようとはした。そのおかげか、乙夜に入れるくらいまでには回復できた。でも……その初日に……」

「あたしと……会った」

「そう……」

和広君はあたしの顔をじっと見つめた。物悲しい目で。

胸が……胸が痛いよぉ……。

「でも……そんな驚いているようには見えなかった……」

「うん……驚きを通り越して、時間が戻ったような感じだった。その日から……君のことだけ見ているような、そんな生活が始まったんだ。けど……それはとても苦しい毎日だった。僕は自信を無くしていたから、たとえ恋人同士にはなれても、そのあと君を守れる自信がなかった……だから告白なんて考えもしなかった。でも、君に僕を見て欲しかった。……矛盾もいい所だった。おまけに……どういう風が吹いたのか、天城さんと秋吉さんには告白されるし……なんか、とってもうまくいってないと感じだった。幸せなことだとも思っている。二人はとってもいい子だし……僕にはもったいないくらいの人達だし。でも……僕の目は君にしか向いていなかった」

「……」

「いつかけじめはつけなければいけないと、いつも思っていた。なにかきっかけが欲しかった。そしてそれが……ここで起きた」

「吹雪……」

「そう……でもまさかそれが、遭難騒ぎだなんて、予想もしていなかった。あのときはただ助けたい一心で、規則を無視して谷底へ降りたんだ」

「そして……あたしは助かったわ」

「うん……本当によかったと思っている。実は……あの時、告白する気だったんだよ」

「え!?」

「こんなときになにをと思うかもしれないけど……そこまで追い込まなければ言えないくらい、勇気が必要だった。でも……その時、君は危険な状態になってて……そんな暇はなかったんだ」

「そう……だったの」

ごく。つばを飲み込む。いよいよ……言われるのかな……。

告白……。

「そして……みんなが助けに来てくれたとき……森村さんが、春日君に抱き締められているのを見たときに……これは、かなわないなって……そう思ったんだ」

「え!?……かなわ、ない?」

「うん。春日君は本当に森村さんのことが好きなんだって……わかったから。そして、森村さんも……春日君のことが好きだって、思い知らされたから……」

「和広君……」

そう言う和広君の表情は、とってもさわやかですっきりしていた。

「だから……もういいんだ。自分にも出来ることがあるんだってわかったから……君を、助けることが出来たから……きっと洋子も喜んでくれていると、思えるから……」

「洋子……さん?」

「うん……彼女の名前……ほんとに君のそっくりだったんだ。……でも違うだよね。そんな当たり前のことにこんなにかかるなんて……。ずいぶん遠回りしたけど、でも、これでよかったんだ、これで……」

なんだか……言いたいこと一杯あったんだけど……特に、春日君が好きだってことははっきり言うつもりだったんだけど……和広君には、全部お見通しだったんだね……。

「……やっぱり……やっぱりすごいよ、和広君」

「そんなことないさ……逆に迷惑だったんじゃないのかい?」

「ううん。……和広君いい人だもん……春日君が居なかったら……あたし、和広君のこと好きになってたかもしれない」

そう笑いながら言うと、和広君は難しい顔をして、

「んー……それは、すいぶんと問題発言のような気もするけど……聞かなかったことにするよ」

「そうかも、ね……うふふふ」

思わず笑ってしまった。つられて和広君も笑い出す。屈託のない、素敵な笑顔。

ひとしきり笑った後で、あたしは言う。

「もう……大丈夫?」

「うん。多分大丈夫だと思う。ゆっくり身体を休めながら、もう少し考えてみるよ」

「そう……」

あたしは立ち上がって和広君に顔を近づけた。

「じゃ、あたしいくね」

「うん……」

「ね、和広君……」

「ん?なに?」

首をかしげる和広君に、あたしは……えい!

ちゅ。

「あ……」

和広君はほっぺたに手を当てて、呆然としてた。あたしはにやっと笑いかけながら言う。

「これは……助けてくれたお礼……ね?」

「……まいったね」

緊張感のない笑顔を浮かべて、和広君は言った。

「諦めるんじゃなかったかな?」

「さあ……それはどうでしょう?だって……あたしは春日君が大好きだもん」

そう言ってあたしはドアに近づき、ドアを開けた。

「わっ!」

「うわ……って、ちょっとみどり、沙織!?」

開けた途端、みどりと沙織が雪崩れ込んできた。

「何してんのよ?」

「それはこっちのセリフだわよ!こんなに長い間和広君と二人っきりで〜。一体何話してたの!?」

みどりが抗議する。

「なにって……助けてくれたお礼とか色々……」

「あやしい……」

「なにがよ〜!あんたたちこそ立ち聞きして……」

「あたしたちはいいの!あーん、和広く〜ん……」

もう、騒々しいんだから……あ、沙織まであたふたと……しょうがないなあ。

「あ……久美子……」

心配そうな顔であたしを見てる。

「……和広と、ゆっくり話せた?」

「うん……話せてよかった。でも……あたしは、春日君が好きだってちゃんと伝えたから……もう、大丈夫だって、和広君、言ってたよ」

「そう……」

ようやく笑い顔になる久美子。でも……。

「由布……昨日あたし……叩いちゃったでしょ?あれ……あたし、叩いてもいいから……気の済むようにして……おねがい」

そう言って久美子は目を閉じて唇をかみ締めた。

あたしはしばらく彼女を見つめていたけど、意を決して両手を挙げて、そして……。

むにゅうう。

「!ひゅ、ひゅう!?」

久美子は驚いた顔であたしを見た。あたしは両手で彼女のほっぺたをつまんで横に引っ張る。

「これで、おあいこ」

そうしてぱっと手を放した。

「ゆ、由布……い、いいの、そんなんで?あ、あたし……」

「いいのいいの……久美子、必死だったんだよね。和広君のことで……だから、いいの」

「由布……ありがとう」

そう言って久美子はみどり達の後を追って和広君の居る部屋に入っていく。

それを始君が見ていた。

「あ……始君……久美子、いいの?」

そう……久美子も、和広君のことが好きなんだよね。でも……始君と付き合ってるものとばっかり思ってたんだけど……。

「ああ……仕方ないさ。惚れた弱みって奴」

そう言って始君はぎこちなくウインクした……って、目が細くてよく見えなかったけど。

「でもまだ勝負はついてないからさ」

そういって彼はどこかに行ってしまう。うーん……勝負はついてない、か。

やっぱりポジティブじゃないと駄目ってことだよね。

あ……春日君……向こうから近づいてくる。ちょっと不安そう。

「……終わったんだ、話」

「うん……終わったよ」

「それで……どうだった、芹沢君?」

「うん……もう大丈夫だって……そう言ってた。あたし言ったよ。春日君のこと好きだって。それで……わかってくれたの、和広君。もう大丈夫だよって……」

「そっか……」

「だからもう心配しなくていいよ」

あたしは春日君に身体を預けながら囁いた。

「だって……あたしが好きなのは、春日君だけだもん」

「由布ちゃん……」

春日君はとっても優しくあたしを抱き締めてくれた。

いつまでいつまでも、そうして抱き締めていて欲しいと、心から願わずにはいられなかった。

……大好きだよ。


こうして、波乱に満ちたスキー旅行は終わった。今年はこれでみんなともお別れ。今度会うときは、新年を迎えて心機一転、なにか新しいことが起きそうな、そんな予感がする。

今年は色々とあった一年だった。高校入学……春日君に出逢えて……和広君とも出逢った。ほかにも大切な人達と知り合うことが出来た。なんてすばらしい年だったんだろうと思う。

来年もどうかいい年でありますように……おやすみなさい。





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