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第十四話 誕生会

文化祭も終わると、上級生は修学旅行や卒業に向けての準備に掛かり出した。由兄や友子も陸上の大会で忙しそうに練習してるけど、美術部は特に無いのであたしは暇してる。なにかいいことないかな……そんなことを思っていた頃。

「……ねえ、由布姉、そろそろ老けるんだよね?」

そう不躾なものいいする奴は、近所ではこいつくらいしかいない。

「ちょっと……人聞きの悪いこといううんじゃないわよ、信雄!!」

「あれ?年とるんじゃなかったけ?」

「そうだけどっ、老けるなんて言い方するんじゃないわよ!!!」

この小生意気な奴、名前は秋山信雄!いわゆる幼なじみで年はいっこ下だ。家は隣同士で、家族ぐるみで付き合ってる。信雄の両親がうちの両親と深い付き合いだったからだそうだ。どうして親しくなったのかはまだはっきり聞かされていない。気がついたときには、秋山のおじさま・おばさまを両親と同じくらいに好きだったし、信雄はまさしく弟分って感じだったから、過去のいきさつはどうでもいいんだけどね。

ちなみに、お父さんは世界的に有名な言語学者で連邦大学の名誉教授をしてる。身体がおっきくってとっても優しい人。お母さんは普通の主婦なんだけど、料理とかすっごく上手なの。うちの母さんも昔はだいぶお世話になったんだって。

信雄は背は低くなく高くなく、見てくれは……まあ、見れる方じゃないかな?お父さん譲りなのか、メガネしてる。コンピュータが趣味でいっつもノートPCを持ち歩いている。

「へいへい……そんなにむきにならなくても……」

「なんか言った?」

じろっ。

「いえ、なんでもないです……」

昔っからこうなんだよなあ……よくつっかかってくるんだけど、すぐ引っ込んじゃう。ぜんぜん進歩無いね。

「で、なんでうちに来たのよ?」

「べつにいいじゃん。昨日今日の仲じゃないんだからさ。あ……もしかして彼氏でも来るわけ?」

「ばか!そんなわけないでしょ?!」

「ふうん……ま、いいや。で、今年もやるんだろ、誕生パーティ?」

「ああ、うん、多分ね」

誕生パーティっていうのは、あたしと由兄の誕生パーティのこと。いつも秋山家を巻き込んで行われる。生まれてからずっと続いている年中行事だ。ちなみに、誕生日は11月12日だよ。

「もう呼ぶ人とか決めた?あ、当然彼氏も来るよね?」

「あ、あんたになんの関係があるのよっ」

「いやあ、どんなもの好きかって……うわ!」

信雄の頭の上をクッションが通りすぎる。もちろんあたしが投げつけたやつだ。

「なにすんだよ〜」

「あら、固い物じゃなくって良かったじゃない」

にっこり笑ってやる。おーおー、青ざめちゃってまあ。

「お、おに〜」

「だったら突っかかってくんじゃないの。あんたこそ、彼女いないの?」

「え……うん、まあ」

「まったく……家にばっかりいるからよ。もっと外に出なきゃ」

「わかってるけどさあ……なんか面倒と言うか……」

はあ……だめだこりゃ。

「べつにいいけど……でも、もっと元気出していかなきゃだめだよ」


……とはいうものの。

元気になるためにはなにがしかのきっかけがいるというもので……なんか最近は、みんな元気ない。別にくらい顔してるってわけじゃないけど、なんか雰囲気が重いんだ。

でも沙織はなんか吹っ切れたみたいな顔してる。いいことあったのかな。

いいこと……でもそれって和広君のこと……ってわけじゃないな。和広君の雰囲気は、いつものようになにか遠くを見るような目をしている。

わからない……なんにも。なにをしていいのかも。

あややや……こんなことじゃいけないよ、うん。

とりあえず、なにかこう、ぱーっとしたことしよう!


「というわけで、こんどの創立記念日に、うちで誕生会開くんで、和広君も来てね」

「誕生会って……森村さんの?」

なんかめんくらったって感じの和広君。

「まあ、由兄もなんだけど……ま、あいつはいいや……来てくれるよね?」

「うん、まあ……あ、えと、何時から?」

「三時には始めようと思ってるんだけど。それで、みんなで晩ご飯食べようって」

「ああ、だとすると……時間始めにはいけないな。午後はちょっと用事があるんだ」

「え、そうなの?じゃあ、来れない?」

「夕方には多分大丈夫」

少し笑いながら和広君は言った。なんかほっとする。

「そっか、よかった〜。じゃ、待ってるからね!」

「うん」

良かった……なんだか元気そうで。

さ、この調子でみんなを誘おうっと!


「あのさ……春日君」

「ん、なに?」

帰り道、一緒に帰りながら話しかける。なんだか照れくさい。

「今度創立記念日あるじゃない?」

「ああ、そうだね」

「でさあ……その日……うちであたしと由兄の誕生会あるんだけど……来てくれない、かな?」

ああ、とうとう言っちゃった〜。

「え!?そういうのやるんだ?」

なんだかびっくりしたように言う春日君。

「う、うん……ずっとそうやってたんだけど……ど、どうかした?」

すると春日君、ちょっと残念そうに言った。

「その日……由布ちゃんを誘おうと思ってたんだけど……」

「あっ?!」

ああ〜……考えててくれたんだ、春日君、あたしのこと……。

「それってさ……一杯来るんだよね、人?」

「う、うん……うちの人とかお隣さんとか……もちろんみんなも呼んであるよ」

「そっか……じゃ、仕方ないよね」

うーん……うーん……そりゃ二人っきりにはなりたいけど……けど……うーん。

「それにさ」

にっこりと笑って春日君は言ってくれた。

「そのあとにでも一緒にいけばいいんだし、みんなと楽しくやるなんていいじゃない」

「あ……」

ああ、なんかじーんときちゃうなあ……とっても嬉しい。

「うん、そうだよね……みんなでぱーっとやろう!」

「うん」

なんかやる気出てきたぞ〜!


さてその当日の朝。あたしはいつもより早く起きた。おやすみの日はもっとゆっくりするんだけど、今日は大事な日だからね。

キッチンに行くと、母さんが朝御飯の準備をしていた。

「おはよう、母さん」

「あら、早いのね」

「そりゃそうよ、今日はパーティだもん」

「いつもこれくらい早起きしてくれると母さん楽なんだけどなあ……」

「そ、それはいいっこなしだよぉ〜」

「はいはい……今日はおめでたい日ですものね」

母さんはそう言って笑った。

そのとき玄関のチャイムが鳴った。

「はーい!」

あたしがドアを開けると、そこには秋山のおばさまと信雄が立っていた。おばさまってとってもかわいらしい人で、おじさまの方は熊みたいな体格なんだけど、並ぶとそれこそ大人と子供って感じになっちゃうの。でもとっても仲がいいんだよ。

「あ、いらっしゃい!」

「色々準備してきたわよ、由布ちゃん」

おばさまは手に持った袋を見せてくれた。中にはいろんな食材が入ってる。

「うわー、すごい!さあ、あがってあがって!」

「それじゃ」

そう言っておばさまは中に入った。信雄も後に続こうとしたけど、あたしがその前に立ちふさがった。

「ちょ、なんのまねさ?」

手を出す。

「なんかくれって?」

「当たり前でしょう。今日はあたしの誕生日なんだから」

「そんなあ……プレゼント渡すのまだ先でいいじゃん」

「じゃあ、身体で払ってもらうしかないわね」

「げげ」

「飾りつけとか、買い出しとか……今回はたくさん来るから、いーっぱい仕事があるからね」


春日明はひまそうに店番をしていた。店の主人たる父親は商店街の会合で店にはいない。今日は学校が休みというだけでただの平日だから、特に客がやって来るわけではない。

……本当はこういうはずじゃなかったんだけどな。

椅子に座りながら心の中で思う。

……二人だけでって考えてたのに……ま、仕方ないんだけど。

時計を見ると、もうすぐ三時になろうとしていた。誕生パーティの開始はもうすぐだ。

……おまけに店番までまわってくるなんて……ついてないなあ……早く帰ってこないかな。

その時、店の中に客が入ってきた。

「いらっしゃいませ!」

立ち上がりながら声をかける。そして振り返った客を見て少し驚く。

「あれ?芹沢君!?」

「あ……春日君か」

和広の方も意外という感じで明を見ていた。

「なぜここに?」

二人同時に同じ問いを発した。苦笑い。

「僕は見ての通り留守番……おかげで開始時間には間に合いそうもないよ。芹沢君は?」

「僕は……用事があってね」

ちょっと複雑な笑みを浮かべて和広はいう。

「そっか……あ、で、なににする?」

「え?」

「花だよ……?」

「ああ、そうだよね」

和広は頭を振りつつ、店内を見回した。

「ええと……薔薇はあるかな?赤い色の」

「そりゃあ、定番だからね、贈り物の」

そう言って明は床に置かれた樽の中の切り花を指さした。

「うん……いいね。じゃあそれを三十本ほど」

「はい。あ、そうだ。包装は贈答用とかのあるけど、どうする?」

「いや……特別のはいらないよ。ふつうのでいい」

「そう……」

「どうして?」

「え?」

「いや、不思議そうな顔してるからさ」

「あー、いや、てっきり誕生会に持っていくものだと思ったから……」

「それは……君がするんだと思っていたよ」

そう言って和広は微笑んだ。明にはなにか不思議な感じがした。

「ああ、うん、勿論そのつもりだけどさ……はい、でき上がり」

かなり大きな花束を片手で抱えると、和広は料金を支払う。結構な額になった。

「どこかに持っていくの?」

お釣りを渡しながら明は尋ねた。

「まあ、そんなところ……それじゃ、森村さんのとこで」

そう言って、和広は店を後にした。

その後ろ姿を見送った後、明は薔薇を入れた樽を見た。半分以上減ってしまっている。

……あんなにたくさん……誰かにプレゼントするのかな?

そのとき父親が帰ってきた。

「ああ、お帰り。遅かったね」

「ちょっと長引いてしまってな、悪い」

明の父親は頭をかきながら言った。息子と同じような顔立ちをした、優しそうな男だった。

「じゃあ、僕行くね」

店用のエプロンを外しながら明は言う。その時父親が尋ねた。

「ああ……そうだ、さっきお客さん来たか?」

「え……あ、うん。クラスメイトがね」

「そうか……」

「どうかしたの?」

「いや……前にも見たことあるなと思ってな」

「前にも?」

「ああ……春先だったかな。薔薇を山ほど買っていったぞ」

「薔薇……?」

怪訝な表情で明は言った。

「それってもしかして赤の?」

「ああ、確かそうだ!あれで無くなったから覚えてる。……また同じのか?」

「うん、まあ……」

曖昧に答えると、明は再び薔薇の入った樽を見た。

もう残りはわずかしか残っていなかった。


「はあ〜、やっとついたぁあ」

みどりが息を乱し気味に部屋に入ってきた。沙織も一緒だ。

「おそいよ!みどり、沙織!」

「だってさあ、ゲーム探すのに手間取ってさあ」

確かにみどり、なんか一杯持ってるなあ。

「あれ?和広君まだ来てないの?」

みどりが部屋の中を見回しながら言った。今部屋には由兄と友子とあたし、それに信雄と始君と久美子がいた。

「遅くなるって言ってたじゃないの」

そう沙織が言ったけど、みどりは納得いかないらしい。

「ええ〜、でももう30分も過ぎてるじゃない〜」

「そう言えば春日君も来てないのね?」

「そうなの、沙織……」

「もしかして来るのが嫌になったとか?」

信雄がいらん口を出す。

「そんなこと言うのはこのくちかあああ!?」

「ひょ、ひょっと〜」

「由布、やりすぎだよ〜」

「ふん!これくらいでちょうどいいのよ!」

「仲がいいのね」

クスクス笑いながら沙織が言った。

「あ、はじめまして」

とたんまじめな表情で信雄が沙織に向かって言った。

「由姉の幼なじみの秋月信雄です!いやあ〜、聞いてたよりずっときれいですねえ。由姉とは段違い……」

「こら!なまいってんじゃないわよ!」

でこぴん一発!

「いたっ!や、やめてよ〜」

「やかましい!」

「うふふふ……」

「なんかいいコンビだね〜」

「いいわけないわよ!」

「ほどほどにしとけよなあ」

由兄があきれたような声を出す。

「これ以上先延ばしにするのも何だし、そろそろ始めないか?」

「さんせー」

信雄が手を上げる。こいつの意見は置いとく!

「で、でも〜」

「どうした?」

「だって……」

「由布は春日君待ってるんだよね〜」

「みどり!!」

「別に隠すことないじゃん」

みどりの言葉にみんなの視線が集中する。うう……はすかしいよぉ〜。

そのとき、部屋のドアがノックされて、母さんが顔を出してウインクした。

「由布、春日君が来たわよ」

「ほんと!?」

あたしがそう叫ぶと、ドアがもっと開いて、春日君が顔をのぞかせる。

「いやあ、遅くなってごめん……」

「う、ううん……」

あたしはぶんぶんと首を横に振る。すると春日君は後ろの方から持っていたものをあたしの目の前に広げた。

「うわあああ!」

それはものすごく大きな花束だった。いろんな花が入ってて、それこそこぼれんばかりに咲き乱れてた。とってもきれいだった……。

「あ、ありがとう……うれしい……」

「よかった……」

見つめ合う二人……ああ、最高のシチュエイション〜。

「あの〜、もしもし〜?」

ずっとこのままだったらいいなあ……。

「ちょっと由布!」

「え、あ、ああ?」

まぬけた声で振り返る……うあ、みんな呆れ顔だぁああ。

「もうよろしいでございますでしょうか、お姫様?」

ばか丁寧に言うみどり。

「あ……は、はい……よいです」

うう、あたしも真っ赤だけど、春日君も真っ赤だよぉ〜。

「それじゃあ始めるか」

そう由兄が言うと、今度はみどりが抗議した。

「まだ和広君きてないよぉ〜」

「……奴は、きっと夕方になるよ」

ぼそっと始君が言った。隣で静かに久美子が肯く。

「な、なんで?」

「あ、あたしにも夕方になるって言ってたんだ」

「そういうことは早く言ってよ、も〜」

「まあまあ、そうむくれないで……来ないとは言ってなかったからさ〜」

「もう、しょうがないなあ……」

と、とりあえず落ち着いたところで……。

「それじゃあ、始めますかぁ!」


暗くなりつつある空の下を、和広は歩いていた。その手には先程明の店から買ってきた薔薇の大きな花束がある。しかし、それはこの場にふさわしい花とも思われない。

彼の周りには幾つもの墓碑が鎮座していた。日本式もあれば欧米式もある。つまり無宗教的な共同墓地というわけだった。宗教は未だこの世界に存在していたが、個人的なパーソナリティとしか見なさないという風潮がある。

それらの墓碑を縫うようにして和広は進んでいく。そして、ある区画にさしかかったとき、彼は人の姿を認めて立ち止まった。

二人の夫婦と覚しき中年の男女が一つの墓碑を前にして静かに佇んでいた。死者を弔うとはこういうことなのかと、そう思わせるような真摯さにあふれたその姿に、和広は身が引き締まる思いがした。いや、震えたというべきか。

しかし、意を決して、和広は二人に近づいていった。

「おひさしぶり、です」

和広は声をかけると、二人は振り返って彼の顔を見た。

「ああ、久しぶりだね」

「元気そうね、和広君」

それぞれに声をかけられ、和広は二人の顔を交互に見た。そして女の顔を見て、何かを思い出すかのような表情をした。

「来てくれたのね」

「ええ……」

「さあ」

二人は和広に道を開けると、彼は墓碑に歩み寄り、そして跪いた。

それは地面にはめ込まれたプレート状の黒の御影石のでできていた。周りには既に二人が持ってきた花束が置かれている。その中に、和広は持ってきた花束を加えた。そして、墓碑に向かって手を合わせると、頭を垂れて黙祷する。その後ろ姿を、じっと二人は見つめた。

そうして十分近くは過ぎただろうか、ようやく和広は顔を上げ、墓碑に刻まれた文字をじっと見つめた。墓碑には英語で安らかに眠れと言う定番の言葉と共に、死者の名と享年が刻まれていた。

『Yhoko Takagi』

『UC1-UC16』

「……もう一年たつんですね」

ぽつりと和広は言った。あまりの声の低さに、女は雷に撃たれたのかのように身を震わせた。

「ええ……そうね……もうあれから……一年……」

「早いのか遅いのか、全然わかりません」

ぼそぼそとした声。

「いいえ……そんなことがあったのかと思ってしまうくらいに……実感がわかないんです……」

「……」

「本当なんでしょうか……?」

夢でも見ているかのように和広は言う。

「本当に彼女は……愚問だとはわかっていても……でも……」

「和広君……」

しかし、彼にかけるべき言葉を、彼女は知らなかった。

「……愚痴ですね。ただ、甘えてるだけなのかも知れません」

和広は立ち上がりながらそう言うと、二人の方を振り返った。それほどひどい表情とは言えなかったが、無理をしているのは二人にはよく分かった。

「それに今は、それほど悪いことばっかりじゃないですしね」

「たとえば……」

言葉を慎重に選びながら彼女は尋ねた。

「学校では、新しいお友達は出来たの?」

「ええ……みんないい人ばっかりです。勿論、あの二人も一緒ですけど……」

「そう……それで、その……今付き合っている人はいるのかしら?」

一瞬男の方の表情が険しくなる。そんなことは聞くなと言わんばかりに。だが女の表情からは覚悟の上の質問だったらしい。

「……いいえ、いません」

和広は少し逡巡するように答えた。

「本当に?」

「ええ……」

「だめよ」

「え?」

女のきつめの声色に和広は驚いた。

「いや、あの……」

「もし……あの子のことに責任を感じているというのなら、そんなのはやめてちょうだい。あの子だって望んでいるはずないわ。あの子はおとなしい子だったけど、前向きに進んでいこうといつも頑張っていた。そんなあの子が今のあなたを見たら……きっと哀しむ。あの子のことを本当に想ってくれているのなら……今は……今はあの子のことは忘れてあげて……あなたがしあわせになれるまでは……お願い……」

そう言って、女は両手で顔を覆った。その方を男がそっと抱き締める。

「和広君……差し出がましいことは重々承知しているのだが……」

男は和広を見ながら言った。

「彼女の言うとおりにしてやってくれ。生きている者には生きている者の義務があると私は考えている。我々自身、そうやって生きていこうとしているのだ。……君にはよく分かっていることと思う。……あの子は命は短かったのかもしれないが、少なくとも不幸せではなかったのだ」

男はそこまで言うと、女の肩をぽんぽんと叩いた。女は何度かそれに肯くと、男に連れられて墓の前から歩み去っていく。

その姿が消え去るまで見送った後、和広は再び墓碑の方を見た。

墓碑は何も答えてはくれない。ただそこにあって、和広の視線を真っ向から受け止めていた。

「……本当に……本当にしあわせだったのか?……洋子」

どこか遠くから、チャイムの音が響いてくる。和広には泣いているように聞こえた。

「ほんとうに?」

答えは、ない。


「うわちゃああ、また負けたあああ!」

みどりがトランプを宙にぶちまけた。

「なんでえ〜?!」

「だって見え見えなんだもん」

あたしはくすくす笑う。

「あーもうやってられない!」

みどりは天井むいて黙っちゃった。

「みどりね、ゲーム好きなのになぜか勝てないのよね」

沙織がクスクス笑いしながら言った。

「ちがわい、和広君がいないからだい」

こっちに向き直ってみどり。

「まだ来ないのかなあ……もうすぐ六時になっちゃうよ〜」

「そうねえ……夕方にはって事だったけど」

「電話した?」

「……うーん。電話でないの」

ちらっと始君と久美子の方を見た。由兄達と話してる……。

その時ドアが開いて母さんが入ってきた。

「あ、由布、芹沢さんが来たわよ」

「え、ほんとですか!?」

みどりが目をきらきらさせて聞く。やれやれ。

「え、ええ……」

「あ、上がってもらって!」

「はいはい」

ちょっと間を置いて和広君が入ってきた。あ、なんか手に持ってる。

「ごめん、おそくなって……」

「ううん、いいのよ!」

うわ、みどりがいうか。

「はは……あ、これ差し入れ」

なんかお重の包みみたい。

「おはぎだって、母親が持っていくようにって」

「わあ、ありがとう。ささ、座って座って」

和広君が座ると、さすがに十人じゃ狭いかもね。

「これで全員そろったね」

由兄が言う。

「じゃあ、あらためてまして……今日は来てくれてありがとね。えーと、あたしと由兄は今日で16才になりました。今年は高校に上がって不安だったときもあったけど、みんなと知り合えてほんとよかった」

「春日君、の間違いじゃないの〜?」

「み、みどりっ!!」

ぬー、きっと今顔真っ赤だぁ……春日君はどうかな……でもみれないよぉ。

「あー、話を続けてだね」

と、由兄。

「まあ、大体は由布の言った通り。掛け値無しに本当だね」

「由一君は友子ってわけね」

「あたっ」

「み、みどりぃ〜」

あ、友子、顔から首まで真っ赤っかだ。

「ま、まあ……それはそれとして……ほんとありがとう」

ぱちぱちぱち。

と、その時、ドアが開いて母さんとおばさまがおっきな皿をもって現れた。

「さあさあ、お腹すいたんじゃないかしら?」

「一杯食べてね」

「わあ、すっご〜い!」

毎年のことながら、二人の作る料理ってすっごいの!それこそ世界中の料理が全部あるんじゃないかってくらい、量と種類が一杯あるの。

「すごいねえ〜、おいしそう〜!」

みどりなんか、それこそかぶりつくみたいに見てる。他のみんなも、見慣れてる由兄と信雄以外はびっくり仰天って感じ。

「ほらほら、見てないで、冷めないうちに食べてね」

おばさまが促すと、みんなやっと我に返って、皿とかを回し始める。

「それじゃあ……」

「いただきま〜す!」

みんな思い思いの料理を取って口に運ぶ……すると。

「……おいしい〜!」

みどりが驚くの声を上げる。

「すっごくおいしいよ、これ!」

「でしょう?」

「いいなあ、こんなおいしいの毎日食べられるなんて……」

他のみんなは声も出さずに食べてる。なんだか無視されたような気もするけど…ま、いっか。おいしいのは確かだもんね。

そんなこんなで、誕生会は進んでいったのだった。

なんか後半は食べてばっかだったけど、みんなと楽しく過ごせたので、まあいいのかなと思う。


由兄は友子を送るって先に出ていった。和広君達も同じくもう帰ってしまった。信雄は母さんたちと一緒に片付けをしてる。

あたしは……春日君と一緒にマンションの一階のロビーにいた。ようやく二人っきりの時間が取れた……とってもうれしい……。

「今日は……楽しかったね……」

「うん……みんな盛り上がってたしね……」

「春日君は……楽しかった?」

「もちろん。料理もおいしかったしね」

「こ、こんどね……こんどはね……あたしが、作るから……料理……母さんやおばさまほどまだうまくないけど……でも……」

「由布ちゃんの作ったものだったら、なんだって食べるよ」

「うん……あ、でもそれって、おいしくないんじゃないかとか思ってない!?」

じっと春日君の目を睨み付ける。すると慌てて春日君は言った。

「お、思ってないよ!そんな……」

「ほんとに〜?」

「ほ、ほんとだよ」

「うん、ならばよし!……ふふふ」

思わず吹き出しちゃった。つられて春日君も。

「ははは……」

「あははは……はぁ〜」

「……」

と、春日君と目が合う。胸が鳴る。なんだか顔が火照ってくるのを感じる。

「……かすが、くん」

「……あ、あの……これ」

ちょっと視線を外して、春日君はジャケットのポケットに手を入れて包みを取り出した。

「な、なに?」

どきどき……。

「パーティじゃちょっと渡しづらくって……遅くなっちゃったけど……誕生日おめでとう」

「わあ……ありがとう!とってもうれしい!……あ、開けていい?」

「うん、もちろん」

包装を丁寧に外すと、透明のケースが出てきた。中には、ワンポイントの飾りが付いた金色のネックレスだった。

「うわぁ、きれい……ありがとう!大事にするわ!」

「よかった……気に入ってくれて」

「あ、でもこれ……高かったんじゃ……」

「あ、いや……僕の店番のバイト代くらいじゃ、そんなに高いもの買えないから……大したことないかもしれないんだけど……」

「ううん、そんなことない!」

あたしは首を振りながら言った。

「だって……春日君があたしのためにってくれたんだもの……大事にするわ」

「よかった」

春日君はにっこりと笑う。また胸が苦しくなる。

じっと春日君の顔を見つめた。春日君もあたしの顔を見つめる……目が合う。

「……春日君」

あたしはちょっと前に進んで、あたしは春日君の肩におでこをぴたっとくっつけた。春日君の腕があたしの肩をそっと抱き締める……あったかい……。

「由布、ちゃん……」

肩を抱き手の力が強くなる。……やっぱり男の子なんだな。なんだかとっても安心できるような、そんな気がする。

あたしは顔を上げて、もう一度春日君の顔を見た。とっても近くに春日君の顔がある。彼もあたしの目を見つめてる。見られてる……でも恥ずかしいなんて感じない。もっともっと見つめて欲しい……。

「好き……」

そうなんだ……あたしは、春日君が好き。春日君は?

「僕も……好きだよ、由布ちゃん」

うん……うれしいよ。

ちょっとあごを上げて、身体を彼にもたれかける。息遣いを感じられる距離……彼の鼓動を感じる。そして……あたしは唇に、直接彼を"感じ"た。

……とっても……とっても、あたかかったの。

……大好き。


街灯の光に隠されながらも、夜空の星は彼らの上で煌めいていた。

「今日は良く食べたなあ」

みどりは満足げに言った。

「食べすぎよ……太っても知らないから」

からかうように沙織が言う。

「そうなんだよねえ……ダイエットしなきゃ」

そうしてみどりは後ろを振り返ると、和広に向かって言った。

「ねえ、料理おいしかったね」

「……」

しかし、和広はうつむいたままなにも答えない。

「和広君?」

「え、あ、なんだい?」

完全にうわの空だったようだ。

「ああ、えーと……料理おいしかったねって」

「ああ、そうだね……」

「……」

みどりと沙織はお互い顔を見合わせた。不安な表情。

「あ、ねえ」

つとめて明るくみどりは言った。

「今日はどこ行ってたの?ずいぶん遅かったね」

「うん……ちょっと人と会う約束があってね」

「そうだったんだ……」

その後の言葉が続かない。沙織も押し黙ったままだった。

「……さ、行こう。遅くなるし、夜道は危険だよ」

そう言って、和広は歩き出した。それにあわせてみどりと沙織も歩き出す。

気温が下がっていく。この時期にしては刺すような冷え込みだ。吐く息が真っ白になっている。

無言の三人の行進は、交差点にさしかかったところで終わりを迎えた。

「あ、あたしここでいいや」

みどりはそう言って和広を見た。

「送ってくれてありがとう、それじゃあね」

みどりは手を振ると、沙織の肩をぽんと叩いて走っていった。

「あ……みどり……」

「あー……行こうか……」

「……ええ」

そうして二人は歩き出した。寂しさが増していく。

沙織は後ろを振り返りつつ歩く。和広はうつむきながら歩いていた。

ほんの少し、沙織は歩幅を広げて速度を上げた。すると、和広の歩みもそれに合わせるように、その間隔を合わせていた。

沙織は足どりを止めて振り返った。和広も足を止め、顔を上げて沙織を見た。

「……どうかした?」

「……いいのかな」

「なにが……?」

「いいのかな、こままで」

沙織はじっと和広を見つめる。その視線に耐えられないのか、和広は空を見上げてしまった。

「……いいとは思っていないよ」

「……」

「でも……」

「……よくないわよ、絶対」

「……」

「……」

沈黙が辺りを支配する。風が二人の間を吹き抜けていく。

「……あたし」

沙織はだらりと降ろした腕の、掌を力いっぱい握りしめながらうめくように言った。

「諦めないから……」

「……」

「和広君みたいに、諦めたりしないから……絶対に……絶対によ」

そうして沙織はきびすを返すと、走り去って行く。

「あ……」

その姿を、視界から消えてからもずっと、和広は見つめていた。

「……諦めない、か」

和広はしばらく立ち止まったままだったが、ようやく前に向かって歩き出した。

夜空に雲がかかって、星が欠けて見える……。


久美子はそんな和広の姿を見つめていた。傍らには始がいる。

「……かわんねえな」

始は吐き捨てるように言った。それを横目でちらっと睨み付けて言った。

「今日は……日が悪すぎるもの」

「まあそれは……うん、わからなくは無い。だが……気に入らん」

そう始は言って和広の方に歩きかけたが、久美子がそれを制した。

「……今は、そっとしておく方がいいの……せめて今日だけでも……」

「そうして延々それを繰り返すのか?」

「始……」

「そんなのいいわきゃねえだろう……どこかで切らないと」

「……わかってるわよ、そんなこと」

久美子は悲しげに言った。

「和広だってわかってる……でも……そこから抜け出すには、なにかのきっかけが必要なのよ……」

「待ってるだけじゃ駄目だ……待ってるだけじゃ……」

「……そうね。そうよね。それはあたしが一番よく分かってるわ……でもね……わかってても、どうにもできないってのは……もっと……」

「久美子……」

始はコートの中に久美子の身体を包み込んだ。

星が、雲の合間から輝きかけていた……。





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