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第四話 Stay on Mark!!〜「部活しよ!!」3

最近陸上部は大入り満員で実に盛況である。その原因が森村由一にあるのだとしたら、それはそれでけっこうなことだった。彼らが観客でなければ。

放課後ともなれば、陸上部専用トラック周辺の金網には生徒たち(そのほとんどが女生徒だった)が群がり、由一の登場を待ちわびるという状況が続いていた。

当の本人は我関せずと言うか、大して気にした風も無くウォーミングアップやストレッチに余念がない。その態度に反感を持つ男子陸上部員もいないではなかったが、由一のあまりに堂々とした態度に、馬鹿馬鹿しくて何もいう気が起きないというのが実情で、もはやあきらめの境地に達しているといえた。

そんなわけで、あまり普通と言えない状態の中、陸上部員たちは決められた練習メニューをこなしていた。由一も他人のそれよりはよっぽど入念にストレッチングを行っている。そこへトラックへ向かう途中の男子部員が彼のそばを通りかかり、声をかけてきた。

「やってんねえ、今日も!」

由一は顔をあげてその表情を見ると、にやっと口元をゆがめて言った。

「まあな。もうメニューに入るのかい?」

「ああ、今日はひととおり流してみようと思ってさ」

新堂学は肩にかけていたカバンを地面に置くと、座っている由一のそばに立った。

彼は由一とは中学時代の同級生で、十種競技の選手である。かつては同じスプリントで由一と競い合った仲だったが、とある理由で十種競技に転向したのだった。

「相変わらず、すごい人気だねえ?」

学は辺りを見回しながら言った。

「嫌みならやめてくれ。もううんざりだよ」

「またまたぁ。内心はうれしいくせに。そろそろ身を固める気はないのかい?」

「莫迦な事言うなよ。お前さんみたいに、安易に決めたくないだけさ」

「ぬかせ。付き合ったことも無い男がよ」

その時女子部員が一人、彼らのそばを通りかかった。彼女は二人を見ると、怒った顔でにらみつける。

「また悪い相談でもしているのかしら?」

「おやおや、たいそう地獄耳で……」

由一がおどけたように言うと、大下美紀は腕組みして言った。

「別に安易に決めたわけじゃないのよ?時間は十分にあったわけだし。まあ、このままじゃいけないなあ……とは思わなくも無かったけど」

「おいおい、そんな言い方は無いだろう?由一に説教できんのは、これが唯一なんだぜ?」

学が天を仰ぎながらそう言うと、由一と美紀は顔を見合わせて笑った。

新堂学と大下美紀は中学の陸上大会で知り合い、以来交際を続けていた。その彼女は七種競技の選手で、それが彼をスプリントから十種競技へ向かわせる原因になったといのは本人が認めている事である。

「さあさあ、無駄話はさておいて、練習に入りましょ。このまま由一君と話してたら、あとで女子に何されるかたまったもんじゃないもの!」

「全く、はた迷惑な奴だぜ」

「俺だって半分は被害者みたいなものさ」

由一は立ち上がりながら言った。

「じゃ、残りは自分の責任じゃ無いってのか?」

「お前のせいにしといてやるさ、色男」

「やめてくれ。俺は美紀だけで十分だよ。あんなに相手するのは身が持たねえ」

「当たり前よ。そんなこと、誰が許すもんですか」

「おお、こわ」

などと無駄口をたたきながら、三人はトラックの方に向かっていった。そこではトレーナーやコーチ、そしてマネージャーたちがストップウォッチやボードを手に選手の練習をサポートしていた。

乙夜学園陸上部では全員が同じメニューをこなし、全く同じペースでそれを消化すると言ったたぐいの画一的な訓練方法は全くそれを取らない。選手自らが作るメニューを評価し、その実行をサポートすることが指導者の役目となっている。そのため、コーチ陣には陸上経験の他に、スポーツ科学全般に対する知識を持つものが当てられ、人に言わせると、それはオリンピック並みの陣容を誇るらしかった。

とはいえ、全ての選手がその指導を受けられるわけではない。選手、コーチの双方が互いを理解できないのではそれこそお話にならないからだ。

彼ら(そして彼女)は、その対象となり得る者たちだった。おそらく国体レベルは楽にクリアできるだけの実力と、世界で活躍できる才能を持った彼らは、陸上部始まって以来の逸材と誰もが考えていた。

とりわけ重視されているのが森村由一だった。彼は100mで高校記録を上回る記録を中学二年で記録したほどの選手で、この先十年以上は現役トップを維持できるだけの才能と体力を持ち合わせていると思われていた。

由一はジャージを脱ぎ捨てると、短パンTシャツ姿になってスタートラインに立った。周囲から歓声の起こる。学と美紀はその姿をじっと見つめた。

まずは軽いダッシュからはじめた。数回それを繰り返した後、いよいよスタートラインにつく。スタートブロックに足を乗せ、クラウチングスタイルでトラックに手をついた彼は、顔を上げゴールラインを見据えた。

「Stay on Mark!」

スターター係がコールした。そして号砲。

多少遅めのスタートを切った由一は、それほど加速せずに50mラインを通過する。その後もピッチは上がらず、そのままフィニッシュラインを越えた。タイムは11秒8。ウォームアップとしては速い方だ。

「さすがに記録は狙わないんだな」

まだウォームアップ中の学が言った。

「やはり、競技の中でなければ、ね。ただ出せればいいというもんじゃない」

「ま、そりゃそうだな。さて、俺もスプリントから入るか」

学もトレーニングウェアを脱ぐと、スタートラインについた。

一方、美紀はすでに何本か50mダッシュを行っていた。一休みしようとスポーツドリンク片手に周囲を見回していた彼女は、長距離陣が最初のロードワークから戻ってくるのを見つけた。

「お〜、やっぱり友子が先頭かあ!」

由一が見ると、小柄な女子の姿が目に入る。

思わず彼女のフォームに見入ってしまった。身長は150半ばながら、すらりと伸びた手足を小気味よく振り上げるその姿は神々しくさえあった。

「どうしちゃったの?見とれて〜」

にやにやしながら美紀が声をかける。

「いや……考えてみれば、すごい奴ばかりいるな、ここは」

「そうね。女子長距離期待の星だからねえ、友子は」

鈴元友子は由一と同じクラスにいる。5000mでの記録保持者である彼女は、美紀とはかつてクラスメートだった。

「でも大変よ、彼女。由一君はずぶといからいいでしょうけど、繊細なんだから、あの子。結構露出度高いしね。お父さんが出版社の社長だってのもあるけど」

「……ずぶといって言うのには反論したいけど、彼女が繊細だって言うのは認めるな」

由一はそう言って立ち上がると、スタート位置に向う。

美紀が友子に向かって手を振っているのが見えた。それに気づいたのか、友子も手を振る。その視線が動いて、由一の方を見た。が、すぐ視線をそらしてしまう。

嫌われてるのかな?

眉をしかめつつ、彼はスタートラインに再び立った。


視線をそらした本人は、そんな単純な理由でそうした行動を取ったわけではなかった。

鈴元友子はタオルでぬぐいながら、再び視線を由一の方に向けた。

乾いた音と同時スタートラインを飛び出していく彼の姿を、見入られたように見つめる彼女。

……一緒に走れたらいいのにな。

それは今彼女が願う、ささやかな夢の一つだった。

幼い頃から小柄なことを馬鹿にされてきた彼女は、そんな連中を見返してやることを固く心に誓っていた。

特別反射神経に恵まれていなかった彼女は、球技や体操といった競技は避け、陸上競技に目を向けた。しかしながらもっとも望んだ短距離は筋力の無さから断念せざるを得なかった。幸い、持久力は人一倍だった彼女は、長距離競技にその目標を定め、その力を開花させていった。

不幸にも運動によって成長が促進される事は無かったが、周囲の人は掌を返したように、彼女のことを小さな巨人などと褒めそやしたが、彼女自身にはなんの感情も呼び起こさなかった。

そんな彼女がいささか陸上への興味を失い出した頃、森村由一なるスプリンターに出会う事になった。暇つぶしに見ていた男子100mで彼の走りを見た彼女は、その絶対的な力に魅せられたのだ。そこには、彼女がかつて望んだことを実現させている男の姿があった。

それは、従来敵としてみることが多かった男子を、別の意味で認識した初めての機会だった。

以来、彼と同じ立場になることが彼女の目標になった。彼女は他の誰にも負けなかったし、彼もまた同様だった。そしてそれは、入学した乙夜学園で同じクラスになったことで、一応の達成を見たのであった。

しかし、まだろくに話したことは無い。二人ともそれなりに有名で、特に由一の方は他の女生徒の人気も高かったから、友子が近づく時間もあまり無かった。それに彼女自身が引っ込み思案となってはなおさらだった。さばけた性格の美紀と違って、男子に話しかける行為はひどく精神に負担をかけるのだ。

友子は由一の姿を目で追いながらストレッチを続けた。今日はあと五千は走らなければならない。孤独な30分の始まり。走ることが喜びでは無くなってくる。

……でも、頑張らなくちゃ。

友子は立ち上がった。誰のためでも無い。自分自身のために。


練習時間は概ね二時間程度であった。それ以上は自主裁量の範囲である。大会が近づけばその時間はおのずと延長されるのだが、今はまだ体力作りの時期であり、無理をすることは無かった。

「友子、一緒に帰ろ!」

着がえを済ませた美紀が声をかけてきた。

「えっと、もう少し走ってこうと思うから、先に帰ってて」

友子はトレーニングウェアのまま答えた。

「あ、そうなの……」

「おい、美紀!」

そこへ帰り支度を終えた学がやってくる。

「一緒に帰ろうぜ」

「あら、由一君は?」

「ん、あいつ、まだ練習するってさ」

「ふうん……そう」

美紀は視線を友子に向けた。友子は屈伸運動を繰り返している。

「あなたも練習した方がいいんじゃないのぉ〜?」

「いいの、俺は。どうせ家帰っても練習するんだし」

「あ、そ。……じゃあね、友子!」

「お先〜」

「あ、うん、さよなら」

二人連れだって行く学と美紀を、友子はうらやましそうに見つめた。

……いいな。仲良くって。

何故自分が練習を続けるのかを考えたとき、友子は自分が恥ずかしくなった。

もっと自然に、美紀みたいに、そうして自然に接することができいなのだろう?こんな、こっそりと遠くから見るようなことなんかしないで。

ロードワークを開始した彼女の視線に、ダッシュを繰り返す由一の姿が映る。

それだけで満足な気もする。でも、何かもの足りない。

それはなに?

二周目。再び戻ってきた時、由一のそばに誰かがいるのが見えた。制服姿の女生徒。確か、一年生のマネージャーだ。由一目当てでマネージャーを志望した生徒の中の、ただ一人の勝利者。名前は江島清海だった。

彼女はタイムの計測をしているらしかった。ときおりタオルやらドリンクを由一に差し出している。その間にいくらか話もしているらしい。

腹が立つと同時に、虚しさがわき起こってきた。

……マネージャーの方が近づくことは簡単だよね。それは確かに楽かもしれない。けど、やっぱりずるいと思う。……って、あたしが言えた義理は無いわね。あたしも、一緒だもの。

三周目。彼女の姿は見えなかった。そして、由一の姿も無い。

帰っちゃったのかな?……一緒に。

思わずため息がついて出る。結局、自分一人なわけか。

友子は気を取り直して、ロードワークのピッチを早めた。一周2kの周回コースを全く同じピッチで、正確に刻んでいく。

四周目。後一周で終わろうと考えた時、背後から人の近づく気配がした。一瞬、痴漢でもいるのかとぎょっとした友子は、少しピッチを早めると、コーナーを利用して後ろを振り返らずに視界だけでそれを捉えようとした。

見たことのあるような、トレーニングウェアが見える。あれは確か……。

今度はしっかりと後ろを振り返ってその人物を確認した。

「も、森村君?!」

友子がピッチを落すと、由一は肩で息をしながら彼女に近づいていった。

「はあはあ……やっぱり速いなあ」

「いったい……どうして?」

夢見心地といった感じで友子は尋ねた。

「いや、走っているのが見えたから、ついてけるかどうか試してたんだけど……さすがだなあ」

由一は苦笑いすると、大きく息を吐き出した。二人の速度はジョギング程度にまで落ち込んでいる。

並んで走ると、由一の大きさが感じられた。友子とは20センチ以上違うために、肩のラインまで彼女の頭は届かない。

「俺、瞬発力はあるけど、持続力はないからね。200mくらいだったら何とかなるけど、それ以上はちょっとつらいかな」

「そ、そうなの?」

友子は彼が100mのみに出走していることを思い出した。

「唯一の取り柄ってとこかな、100mが」

そう言って笑う由一の姿を、友子はぽーっとして見つめた。

「ねえ、いつまでやってくの?」

唐突に聞かれ、彼女はめんくらった。

「え?!あ、き、決めてないけど……」

「じゃあ、もう上がらない?一緒に帰ろうよ」

ええ〜!?

友子は驚きを声に出すことさえできずに、走るのをやめてしまった。

うそ。そんな。まさか。

「ど、どうしたの?」

由一も驚いたような顔をして友子を見る。

「……あ、ううん、何でもない」

再び二人は走り出す。

けして速いペースでは無いのに、友子の胸はラストパートのごとく鳴り響いていた。

どうして?どうしてあんなこと言ったの?……で、でも、あれよね。単なる親切心で言ってくれてるだけよね?でも……。

「それともまだやってくの?」

もう一度、由一が尋ねた。

どうしよぉ……こんなチャンス、滅多にあるわけないし……。

その時ゴールが見えてきた。これをもう一度過ぎれば、由一は上がってしまうだろう。

……今だけでもいい。そばにいたいの!

友子は走るのをやめた。由一も止まってストレッチを始める。彼女もそれに習ってストレッチを始めた。

「もう、上がるわ。今日は、疲れちゃったし」

「うん。じゃあ、俺は部室の方に行ってるよ」

由一がトラックの方に駆け出していった。先に荷物を取りに行くのだろう。

少し長めにストレッチをしてから、友子はトラック脇に建てられた部室に入った。そうして手早く着がえをすると、荷物を持って部室の外に出る。

そこにはもう着がえを終えた由一が、バッグを肩に担いで待っていた。

「早かったね」

「え、ええ」

「それじゃ行こうか」

そう言って先に歩き出した彼を、慌てて追い出しだ。

「ええと、鈴元さんは、家はどの辺りなの?」

歩きながら由一が尋ねた。

「ええと、高台の方よ」

つまり学校に向かう坂の方へ向かう事になるが、それは由一とは逆方向にあたる。

「そっか。ちょうど逆だね」

それを聞いて、友子は少し暗い気持ちになった。逆方向に付き合わせちゃうのって、良くないよね。

「あ、あの、だから、校門を出たらもう……」

先程の決意は何処へやら、先を見越して、一人で帰れるからと言おうとしたのだが。

「ああ、いいよ、気にしなくって。もう遅いし、ちゃんと家まで送ってくから」

「え?で、でも……悪いし……」

「いいっていいって!女の子を守るのは男の義務だから……って、父親の受け売りなんだけど」

そう言う由一に、悪いと思う気持ちと、一緒に歩けてうれしい気持ちとがない交ぜになった複雑な表情で、友子は彼の顔を見つめる。その一方で、やっぱり親切心なのかな?と思わずにはいられなかった。

だが、彼女がロードワークを始めた頃にはまだいた江島清海のことが思い出された。

どうして帰っちゃったんだろう?あの子も、こんな風に一緒に帰るつもりだったはずだったろうに。

「あ、あの……江島さんはどうしたの?さっきまでいたでしょう?」

「え?」

意外なことを聞かれたという顔をして、由一は言った。

「よ、よく見てたねえ。確かにいたけど、もう少し練習をやってくって言ったら帰っちゃったよ」

あはははとわざとらしい笑いをする由一を見て、友子はなんか変な気分になってきた。

……まさか、ね。そんなことって、あるわけないわよね。……あたしを、待っていたなんて。

うぬぼれと言うほか無かった。言葉にして思うことすらはばかられた。

しかし、現実に由一と一緒に歩いているのは彼女で、こうして話をしている。それ以上何を望めばいいのだろう!

「あのさ、走るの、好き?」

「え?う、うん、好きだけど……?」

どうしてそんなこと聞くのだろうと、友子は首をかしげた。

「そうか……いや、じつ言うとね、ほんとはあんまり好きじゃないんだ、走るのって」

「え?!」

それはあまりに突然な告白だった。それを、ほとんど初対面の相手に話すというのはどういうつもりなのだろう?

「ど、どうしてなの?」

「自分が本当にやりたくて始めたものじゃ無かったからさ。走ってて、速かったから、ただ走っていただけなんだ。そんな自分が時々嫌になるよ」

「……」

「でも、なにか見つかるんじゃないかって思いながら、いつも走ってる。ランナーズハイもいいけど、そこが行き着く先だとは思えないんだ。まだまだ先があるんじゃないかって……まあ、無い物ねだりなのかもしれないけど」

その遠くを見るような目に、友子は引き込まれた。

……この人には、陸上競技は単なる通過点に過ぎないんだわ。もっと遠いところへ行くべき人なのよ。

それに比べて私は……彼に追いつけたなんて、とんだ思い上がりだわ。

黙り込んでしまった友子に、由一はまずったかなと顔をしかめた。

「あ、いや、ごめんね、へんな話しちゃって」

「う、ううん。そんなことない……」

友子は彼の顔を見上げて言った。

「やっぱり、すごい人なんだなって思った」

そう言ってしまってから、友子はなんだか恥ずかしくなって、顔を背けてしまった。

やだ、あたしったら……前から彼のこと意識してたって、言ってるみたいじゃない。

「ああ……そりゃあ、どうも」

なんだかこちらも気恥ずかしそうに、由一は答えた。

しばらく二人は無言で歩き続けた。

それは友子にとって至福の時だった。いつまでもこの時が続けばいいと願ったが、彼女の家はもうすぐだった。

「あ……ここ、あたしの家なの」

そう指し示すその家は、三階建ての立派な建物だった。

「すごいなあ……うちなんかマンションだから、憧れちゃうね」

「そ、そうかな?」

友子は由一と向き合うと、ぺこっと頭を下げた。

「あ、あの……送ってくれて、ありがとう」

「いや、これくらいどうってことないよ。それに……一緒に帰れて良かったし」

「え?」

一瞬その言葉の意味を理解できなかった友子が目を白黒させていると、由一は照れくさそうに手を上げて言った。

「じゃあ、またあした!!」

そうして彼は暗闇の中に消えていった。後には呆然としたままの友子だけが残された。

一緒に帰れてよかったし……確かに彼はそう言った。

じゃあ……じゃあ……やっぱり森村君は?

自然と、口元はほころんでくる。思っても見なかった幸運。それも向こうの方から近づいてきた。

彼女は鼻歌を唄い出すと、門の扉を開けた。

……なんか、頑張れそうな気がしてきた。森村君だって、頑張ってるんだもん。まけらんない。それに……このチャンスを逃がさないためにも、もっと遠くへ……もっと速く。


「ねえねえ、なんで昨日は遅かったの?」

坂の手前くらいで、あたしは由兄の背中に声をかけた。

「いいだろう、別に」

「ふうん……ま、いいけどさあ」

その時、道の向こうから歩いて来た女生徒が駆け寄ってきて、そして、由兄に声をかける。

「森村君、おはよう!」

「あ、おはよう」

えっと……確か同じクラスの鈴元さんで、由兄と同じ陸上部の人よねぇ。おやぁ?

「今日も頑張りましょうね」

そう言って彼女は笑った。ふむ。教室ではそんな顔見たことないのに……これはもしかしてひょっとすると……。

「ああ、もちろん」

おーおー、なんか張り切ってるよ、この人は。

なんか二人はあたしなんかいないみたいに先に歩いていっちゃった。それがあまりに自然なので、突っ込みをいれる気力も出なかった。

なんか、おもしろくなりそうだねえ。





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