「ちょっとまってよ〜!」
靴を引っかけながらあたしは由兄を呼んだ。
「早くしろよ……まったく」
ドアにもたれながら、由兄はじと目であたしを見た。
「ちゃんと朝起きないからだぞ」
「だぁって……」
ようやく靴が履けて、あたしはカバンを掴んで走り出す。
「行ってきます!」
外は快晴だってのに……朝から憂鬱ぅ。
「やっぱり俺と一緒にロードワークしたらいいんじゃないのか?」
「えー、冗談!朝五時起きなんてやだもん」
「そうだな。それにいくら身体揺すったって起きないし。もう手遅れかもね」
ムカッ。
でも……反論できない自分が悔しい。あ〜あ。
……ん?あれはなに?
「ねえねえ由兄、あれなんだろ?」
「うん?」
あたしが指さした方に、校門の前で群がる生徒たちの姿があった。
「ああ、部活の勧誘だろ?昨日先生が言ってたじゃないか」
「あ、そだっけ?」
良く見れば柔道着や野球のユニフォーム姿なんかが見える。
「ねえ、やっぱり陸上部に入るの?」
「ん?さあ、どうしようかなあ……」
「どうしよっかなって……日本期待の星が何言ってるのよ」
実は、由兄は100mを九秒台で走れる、世界トップクラスの選手なのだ!(えっへん)。
そのせいでいろいろと周囲がうるさい。走ることは強制されないまでも、その期待の大きさは今まで以上なわけで、さっきの台詞みたいになるわけだ。
「そう言うお前はどうするんだ?美術部なのか?」
「うん、まあね!やっぱりちゃんと勉強しないとさ」
「ふうん……他の勉強の方が問題なんじゃないのか?」
「ほ、ほっといてよ!!」
その勧誘の波を抜けていく途中、由兄が呼び止められた。
「ああ、やっぱり……森村由一君だね?」
その人はえらく体格のいい男子生徒で、夏でもないのにもうずいぶんと日焼けしていた。
「あなたは?」
「俺は杉下章輔。陸上部の部長をやっている。君の名前を入学者名簿に見つけたときは驚いたよ」
「それはどうも」
「それで、どうするつもり何だい?俺としてはほうっておけないんだけどなあ」
「ああ、それならご心配なく。放課後伺いますから」
「本当かい?!そいつはすばらしい!待ってるよ!!」
たいそう喜んだ様子で、杉下さんは去っていった。
「なあんだ、結局入るんじゃない」
「まあな。さ、行こうぜ」
あ、でも美術部の人は見かけなかったなあ。はて?
教室に入ると、なんかすっごくいい匂いがしてきた。
「うわああ……花だあ!!」
教壇の上の花瓶に、きれいなチューリップが一杯活けてあった。花がすっごく大きくて、立派なものだった。
「きれい……誰が持ってきたお花なのかな?」
「少なくともお前よりは早起きな奴みたいだな」
「ふんだ!どうせあたしはねぼすけですよっだ!!」
なによなによ!あたしだって頑張れば……しくしく。
その時、声をかけられた。
「その花なら、春日君が持ってきたものよ」
「え?あ、秋吉さん」
読んでいた本から顔を上げて、あたしを見ていた。
「なんで知って……そっか、秋吉さん、今週週番だからか」
「ええ、あたしが花瓶に活けたから……あ、名字よりも、名前で呼んでくれた方がうれしいな」
ちょっぴりはにかんだような表情が、なんかとっても素敵だった。
ほんと、彼女はとっても素敵なの!顔形、スタイル、どれをとってもトップモデル並み。んなもんだから、もう男子は色めきだっちゃってもう大変なんだから!
でも彼女……沙織ちゃんは引っ込み思案らしくって、断るのに苦労してるみたいなの。いつもはそばにお友達がいて色々面倒見てるみたいなんだけど、今はいないみたいね。
「でもなんで春日君が持ってきたの?」
「お家がお花屋さんなんですて。それでね」
「ふうん、そうなんだ」
あたしは振り返って春日君の方を見た。あ、本読んでる。
眼鏡をしてて、おとなしそうな子だなあ。でもま、花を持ってくるくらいだから、きっと優しい人なんだろうな。
「そだ!沙織ちゃんは、部活とか入るの?」
「うーんと、考えてはいるんだけれど……踏ん切りがつかなくて」
「そう。あ、あたしはねえ、美術部なの!」
「誰も聞いてないって」
「由兄は黙ってて!!」
「ふふふ……」
あ、笑われちゃった。
「仲、いいんだ」
「誰がこんな……」
その時、校内放送のスピーカーから元気のいい声が聞こえてきた。
『Goodmorning,everyone!!This is IBS's MORNNING CALL!!』
「あら、みどりだわ」
沙織ちゃんは声を聞いてそう言った。
「みどりって……天城さん?へえ、もうDJ任されるなんてすごいねえ!」
天城みどりさんは、沙織ちゃんとは親友で、放送部に所属してるんだって。まだ新入生なのに番組任されるなんてすごいなあ。
『は〜い、みんな調子はどお?あたしは朝から絶好調!だからみんなも元気一杯に、勉強はほどほどに、がんばって行きましょう!まず一発目は、スタンダードに「yesterday」……』
さてとお昼だお昼!え〜と、おべんとおべんと、と〜。
「一緒に食べない?」
「あ、久美子ちゃん」
お弁当袋を下げた久美子ちゃんがやってきた。
「まだ、ほかの人と慣れなくて……」
「うん、いいよぉ」
早速机をひっつきあわせてお弁当を広げる。
「ねえ、久美子ちゃんは自分で作ってくるの?」
「ええ、たまにはね。今日は作ってもらったの」
「ふうん。あたしはねえ、あんまし得意じゃないんだあ。隣のおばさんがね、両親と付き合い長いんだけど、めちゃ上手でさあ、いっつも作ってもらっちゃうの」
「自分ではやらないの?」
「え?あははは、早起きできたらやりたいけど、低血圧なのか朝はからっきしだから」
「みたいね」
あう〜、また笑われちゃった。
「でものんびりしてる方がいいわよ。あくせくするのが人生じゃないわ」
なんか妙に実感がこもってるなあ……
「でののんびりしすぎるというのも、ねえ?それにあたしの場合、逆にのんびりできないような気がするんだけど……」
なんか落ち込み気味で、お弁当があんましおいしくなかったなあ。
さてと。
「どっか行くの?」
「うん、ちょっと図書館へ。デッサン関係の本を探しにね。あるのは分かってるんだけど」
「そう……行ってらっしゃい」
「うん」
……なんか彼女の声、元気なかったなあ。誘った方が良かったのかなあ……。
図書館は別棟になっていて、小さな町の図書館くらいの大きさになってるの。何万冊も蔵書があるんだって。とてもそんなには読む気がしないけどなあ。
入り口をくぐるとそこはちょっとしたホールになっていて、テーブルについて新聞や雑誌を読んでいる人達がいっぱいいた。更に奥に進んでいくと、途中にカウンターがあって、貸し出しや返却の手続きなんかをしているらしい……あ、あれ、春日君?
「こんにちは!」
あたしが声をかけると、春日君はびっくりした様子であたしの顔を見た。
「あ、こ、こんにちは!」
「へえ、春日君って、図書部に入ってたんだ」
「あ、うん、まあ……」
「ん?なんか顔赤いよ?」
「え?!い、いや……な、なんでもないよ。それより、何か探してんの?」
なんでそんなに慌ててんだろ?
「うん、美術史の本をちょっとね」
「それなら右手の棚の方だよ」
「あ、そう、ありがと!あ、そうだ!」
「え?」
「教卓のお花、きれいだね。あたし、ああいうの好きだな」
「あ」
あれ?なんか固まってる……?
「……そ、そう?」
「うん……あの、どうかした?」
「い、いや、な、なんでもないよ、あははは」
「ふうん……」
なんか、変……でも、まあ、なんか慌ててる春日君って、かわいいな☆
「今度は別な花見せてね。それじゃ!」
あたしは手を振ってカウンターを離れた。振り返ると、ぎこちなく手を振る彼の姿が見えた。
放課後、あたしは一目散に美術室へと向かった。
美術室は教室と同じ建屋の四階にあって、結構見晴らしがいいの。
部屋の入り口の前に立つと、なんか緊張しちゃって、なかなか扉を開ける勇気が出ない。こんなことで臆するようなあたしじゃないんだけど……。ええい、ままよ!
がらっ。
「こんにちわ!入部希望……なんですけど……はれ、いない?!」
そう、部屋には誰もいなかったのだ。
「おっかしいなあ……やってるはずなんだけど……」
さてどうしよう?どっか別の場所なのかなぁ?
とその時、突然後ろから声をかけられて、あたしは飛び上がった。
「あれ、入部希望?」
「ひゃっつ!?」
振り返ってみると、スケッチブックを抱えた男子生徒があたしを見下ろしていた。
きゃーっ、かなり格好いいかも!
「え、そ、そうですけど……美、美術部の方ですか?」
「うん。あれ、昼の放送聞かなかったの?中庭で勧誘を兼ねて写生会をしてるんだけど……」
「あ……お昼はすぐ図書館に行ったからそれで……」
「なるほどね、あそこは放送シャットアウトしてるからね。あ、まあ、はいんなよ」
「あ、ども」
先輩の後について美術室に入る。中はまあ、デッサン用の胸像や静物なんかが並べられ、イーゼルやキャンバス、画材なんかが机の上に並べられていた。
「まあ、座って」
「は、はい」
椅子を勧められて、ちょこんと腰掛ける。
「自己紹介がまだだったね。僕は入来達哉。二年生で、美術部の部長を務めさせてもらっている。君は?」
「あ、あたし、森村由布です!昔から絵を描くのが好きで、中学の時も美術部でした。よろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくね」
入来さんは笑ってそう言うと、ふと首をかしげた。
「えっと森村っていうと……もしかして、森村一郎さんの娘さん?!」
「ええ、そうです」
「驚いたなあ。近くに住んでるのは知ってたけど……」
あたしの父さんは、世界的に有名な油絵画家……ということになっているらしい。風景画が専門なんだけど、外を出歩くことがあんまり無いので、かなり不思議がられているんだ。だから心象風景画なんて呼ばれることもある。もっとも父さんは、昔見て回ったものを描いてるんだって言ってるけど。
「あの人の絵は好きなんだ。目で見るというよりは、心で見せられる、そんな感じがとっても良くってね」
「そうですか。こんど父さんに言っときます」
「ああ、頼むよ。さて、みんなの所に行こうか。新入部員も大勢来ているよ」
「はい!」
なんとか美術部に入れそうだし、部長さんは格好いいし、言うことないね!
さあ、今から頑張るぞ!!