男は明りのついていない部屋の中で、窓越しに眼下の光景を眺めていた。
煌々と輝くビル群、途切れることのない車のライト、そして川を進む無数の船……夜なお眠らない街ニューヨーク。国連ビルから見えるその光景を、彼はいかなる思いで見つめるのか。
月明りに浮かぶその顔は、物言わぬ彫像のように青白く、まるで作り物のような感じがした。すっと通った鼻筋、端正な唇、そして冷ややかな目。
年はロマンスグレイの髪のせいで年配に見られるが、まだ五十を越えてはおらず、まだ四十そこそこのはずだった。
ドアをノックする音がして、白衣を着た男が入ってきた。研究員の一人だ。
「また電気もつけずに……」
そう入ってきた男がいうと言うと、
「暗い方が好きなんだよ……」
と、部屋の主、ロイ・キャンベルは言った。
「何かあったのかな?」
「ええ、これなんですが……」
男が差し出すファイルを見て、ロイは眉をしかめた。
「日本で著しいエネルギーの増加が認められます。東京地区で特に……」
「ふむ……」
「いかがいたしましょう?危険レベルにはまだ達してしませんが?」
ロイはちらと研究員の方を見たが、ファイルを返しなが言った。
「放っておけ。多分彼女達のところだ」
「木島からの報告はありませんが?」
研究員が疑問を投げかけると、ロイは確信を持った口調で言った。
「私にはわかるのだよ。もういい、下がりたまえ」
ロイは研究員が部屋を出ていくのを見届けると、再び夜景を眺めやった。
「……いよいよ始るか。楽しみだよ、由莉、由魅」
ロイは肩を震わせながら笑い声をあげた。低く、うなるようなその声は、まるで地獄の底から響いてくるようだった。
美紀はまるで動かない自分を呪った。最後の最後で何も出来なかった自分を恨んだ。
……ごめん、絵美……ごめん
美紀は目を閉じようとした。その瞬間を直視することなど出来なかった。
と、その直前!
黒い影が美紀の眼前を横切った。それは倒れかけた絵美の身体を、車道の上から歩道の上に引き戻し、しっかりと抱き留めた。
「え……あ……た、隆君?!」
それは木島隆だった。彼は信じられない速度で二人に接近すると、倒れかけた絵美を救ったのだ。
美紀は急いで彼に駆寄ると、絵美の顔をのぞき込んだ。
絵美は苦しそうな息を吐きながら、苦痛に顔を歪めていた。
「絵美!絵美!!」
美紀が声をかけるが、うめき声をあげるだけだった。
「待ってて、今病院に……」
そう言って美紀がかばんから携帯電話を取り出して119を回そうとした。しかし。
「病院じゃ助からんっ。由莉と由魅を呼べ!」
隆はそう叫ぶと、絵美の身体を抱き上げた。
「え、でも……」
美紀は一瞬迷った。確かにあの二人は何とか出来るのかも知れない。しかし、力を貸してくれるのだろうか?
「医者じゃ直せん。このままこの子を殺したいのか!」
隆の言葉に、美紀は迷っている暇がないことを自覚した。
「ここから双子のマンションが近い。そこに来させるんだ!」
美紀はうなずくと、涼の携帯を呼び出すために、キーを叩き始めた。
由莉と由魅は学校が終わると、何する風でもなく、そのまま下校するようだった。
涼はいつものように二人の後をつかず離れず追いかけていく。
今彼は必死だった。明らかに、カウントダウンは始っている。そしてそれは、いつ勃発するかわからないのだ。何事か有れば美紀からすぐ連絡が入ってくるはずだが、時間的余裕は無いに等しかろう。だから、絶対に双子を見失う訳にはいかなかった。
一方、追われる双子達の方も、由魅はおくとして、由莉は切れかかっていた。周りの人間の無言のプレッシャーは、彼女の心を蝕んでいった。
彼女は好きで冷たくしているのではない。不確実なことは言わないだけなのだ。
……出来るのであれば、皆の期待に答えたい。
しかし、今それを口にすることは、由莉には出来なかった。なぜならそれは……。
由莉は由魅の顔をのぞき見た。うつむき加減で弱々しい表情……それでも最近は力強さが出始めていた。
何かが変りつつある……自分達も、そして、世界も。
だが、それがどのような結果をもたらすのかを、恐れているのだ。
そのとき、後ろからピリリリリッという音がした。
由莉と由魅が後ろを見ると、すぐ後ろに携帯電話を取り出している涼がいた。
「はい!美紀か?!……なに!!」
そのうわずったような声を聞き、由莉は何がおこったのか大体見当がついた。由魅も同じらしく、顔を青ざめてその声を聞いていた。
電話が終わると、涼はいつにも増して真剣な面持ちで二人の目の前に立った。
「聞いてただろう?仁科絵美が危ないそうだ。お前等のマンションに運びこもうとしてる。一緒に来てくれ」
由莉と由魅は互いに目を合わせた。由魅の表情が不安に揺れる。
「……行ったって、どうなるわけじゃないわよ」
そう由莉が言うと、涼は突如怒りの表情を見せて叫んだ。
「馬鹿野郎!!まだ何もやってない癖に聞いたような口叩くんじゃねえ!!」
そうして彼は二人の手を掴むと、無理矢理引っ張って歩き出した。
「ちょっと、放してよ!!」
「黙れ!!来るだけ来い!!」
由莉が抗議の声をあげるが、涼は物ともせずに引きずっていく。そしてタクシーを止めると、そこに二人を押し込んで自分も乗り込むと、二人の住むアパートに向かわせた。
由莉は騒いでタクシーを止めようかと思ったが、涼の迫力に押され、おとなしくしていた。
その横では、由魅は両の手をすり合わせるようにして動かしながら、何やらぶつぶつと呟いていた。
「由魅……?どうしたの?」
「……感じる……近づいてくる……どんどん近くなってる……」
震えるようなその声はひどく聞き取りにくかったが、恐怖の予感にあふれていることが十分に伝わってくるものだった。
由莉は由魅の手をを包み込むようにして、しっかりと握り締めた。
「……由魅、怖がらないで。あたしがそばにいるから、ね」
その時、由莉は自分の手も震えていることに気付かずにいた……。
美紀と隆は一路第12あかねマンション目指して走っていた。
隆に抱かれている絵美はなんとか息をしていたが、その苦しげなその表情は、美紀の心を締め付けた。
……早く早く!まだ大丈夫だよね?涼は絶対にあの二人を連れてきてくれるよね?きっと……助かるよね?
十分ほど走り続けて、ようやく二人はマンションにたどり着いた。エレベータで13回まで一気に上がったここが、目的の地だった。
美紀はチャイムを鳴らしてドアを開けようとするが、返事もなく、ドアも開かなかった。
「はあはあ……涼ったら何してるのよ!!」
美紀はヒステリックに叫ぶと、ドアを手で叩いた。
その時、別のエレベータが到着し、中から涼と双子が出てくる。
「涼!由莉ちゃん、由魅ちゃん!!」
美紀は三人に駆寄ると、まとめて抱きかかえるようにして部屋の方に押しやった。
「早く早く早く!!」
由莉はその勢いに押されるようにして部屋の鍵を開け、招かれざる客達を中に入れた。
「その子はこっちに寝かせて!」
由莉は寝室のドアを開けると、隆を呼び寄せる。
そこは8畳程の広さで、シングルベッドが二つ並んでいた。内装は白で統一されていて……というよりは、白で塗り固められているといった表現が正しいような、ひどく殺風景な部屋だった。
ベッドに横たえられた絵美は苦しそうな息をしながら、必死に死と戦っているようだった。美紀はその傍らにひざまつくと、絵美の手を握って声を声をかけ続けた。
「絵美、しっかりするのよ!負けちゃ駄目よ!!……」
その二人を残して、由莉達は部屋を出た。
リビングでは、由魅がソファに座って膝にひじをついていた。その隣では涼が腕組みをして仁王立ちをして、由莉と隆をにらみつけた。
「……どうするんだ、木島よ?」
涼は一方の眉をひねって話しかけた。隆は由魅を見、そして、由莉に視線を移しながら言った。
「僕にはどうにもできないさ。ひとまず、お膳立てだけはした。後は……二人の考え次第だ」
その視線を見返すように、由莉は隆をにらみつけた。
「どうしてもあたし達にやらせるつもりなのね?」
由莉は涼と由魅の間に割って入ると、ソファの背に腰掛けた。
「何度も言ってるでしょう?あたし達にあんた達が考えているような力なんて無いのよ!買いかぶりもいい加減にして!!由魅が不安がってるでしょう?!」
由莉は由魅の肩に手をおいた。その手に震えが伝わってくる。
「こんなに震えて……心配しないで、なにもさせやしないから」
その時、寝室の方からものすごい悲鳴が聞こえてきた。その悲鳴に美紀の叫び声が重なる。
由魅は身体を踊らせるように揺らせた。一同の顔に緊張の色が走る。
それと同時に玄関のドアが開く音がして、リビングにみどり、秀一、直純の三人が入ってきた。涼がここに来る前に連絡しておいたのだ。
みどりは、悲鳴を聞付けると、寝室の方に入っていった。慌てて全員がその後を追う。 中では、ベッドの上でのたうちまわる絵美を、必死になって押さえ付けている美紀の姿があった。
みどりは美紀と一緒になって絵美を押さえ付けるのを手伝った。
しばらくして絵美の動きは静かになった。呼吸も安定し、小康状態になったらしい。
みどりは汗だくになっている美紀の汗をぬぐってやった。
「美紀……気をしっかり持ちなさい。これからよ」
美紀は虚ろな目をしながらも、みどりの声にしっかりとうなずいた。
「さてと……これは一体どういうこと?」
みどりはにらみつけるように後ろの人間を見た。
「特に……隆君。なぜここに絵美ちゃんを連れてきたの?」
みどりの厳しい視線に対し、隆は平然として答えた。
「この二人にまかせる以外、その子を助けることは出来ないからですよ」
そう言う隆を、由莉は苦々しくにらみつける。そして由魅は、依然として畏れを含んだ目で皆を見ていた。
「ふうん……気に喰わないわねえ」
みどりは隆のすぐそばに立つと、にじりよってにらみつける。
「どれ程の確信があってそこまで言いきれるのかしら?あなたは一体何を知っているの?いいえ……どこまで話す権限が与えられているのかしら?」
「どういう意味ですか、みどりさん?」
秀一が丸で意味が判らないといった感じで訊いた。直純も同じ表情だ。
ただ涼だけは何らかの確信が有るのか、みどりと同じ目をして隆を見ていた。
「それは、隆君に答えてもらいましょう。……どうなの?」
探るような目で隆の顔をじろじろと見るみどり。
隆はちらりと双子の方を見て、それからみどりの方を見て言った。
「僕が知っているのは、彼女達にこの事態に対する力を持っているという事だけですよ。そして……その事実から逃げようとしている事を。違うかな?」
「勝手なことを!!これまであんたのその台詞でどれだけ苦労させられたか判ってるの?!」
由莉は隆に食ってかかった。
「そのせいで由魅がひどい目にあったこと、知ってるじゃ……あ」
由莉は慌てて口をつぐんだ。今の言葉はある意味で隆の言葉を認めていることに気付いたからだ。
その時、美紀がすっくと立上がり、由莉に迫った。
「み、美紀……」
「……教えて。絵美を救う方法はあるの?ないの?どっち?お願いだから答えて」
由莉はその目を反らすことは出来なかった。それほど、美紀の瞳には力がこもっていた。
「……あるわ。方法は」
由莉は大きく息を吐きながら言った。
「本当なの?!」
美紀の目に希望の火が灯る。
「でも……完璧じゃないわ。完璧じゃないのよ!今まで一度も成功していない!!それにあたし達にも危険な方法よ。そのせいで由魅は……」
皆の視線が由魅に集まる。何も感じていないかのような虚ろな瞳で、その視線を受けた。
「だから、どう言われても由魅を危険にさらすわけにはいかないのよ」
「ならどうして方法が有るなんて言ったの?!どうして希望を持たせるようなことを言ったのよ!!知らなければ……そんなこと知らなければ!!お互い苦しまなくたって良かったじゃない!!」
美紀は由莉の肩を掴み、激しく揺らしながら叫ぶ。
「みんな知らなければ……気が付かなければ……」
泣き崩れる美紀を、みどりが優しく抱き留めた。
「もういいわ、美紀ちゃん。もういい……これ以上あなたが苦しむ必要はない。これはあたしの責任……なんとかなるなんて、甘い見通しを立てていたあたしの。知ってしまうことを強制したあたしの……」
「……そうだな。知らなければ、な」
涼は無気力な声でそう言った。
「だが仕方ない。俺たちが知ることを望んだ。ありていに言っちまえば、無制限にお前達の力を信じ込んだ。そう、信じ込んじまった!これが俺たちの、限界だったのさ」
そこで一旦話を区切り、涼は双子の方に向き直る。
「下手な希望は絶望より残酷なんだぜ。さっきの言葉は、言うべきじゃなかった。救いようのない不治の病で終わらせておけば、こんなに苦しむことはなかった。お互いに……。だけど、心配するな。お前達を恨んだりなんかしないからさ。出来ないというなら仕方ない。……だが、本当に可能性はないのか?」
涼の射るような目が、由莉の心を刺し貫いた。
「俺たちには彼女を救う力は全く無い。だから、仕方なかったで済ませられるさ。その傷は、いつかは消えてしまう。だが……お前達は、永久にそれで苦しむことになる。永久にだ!それでもいいのなら、かまわねえよ。強制するつもりはないさ。少なくともこれ以上の犠牲は避けられる。そう、これ以上は。……それでいいな?」
涼がそう言うと、ILROの面々は無言でうなずいた。美紀も、力なくうなずく。だが。
「……だけど、あたしはまだ諦めないから」
そう美紀は言い、絵美のそばに寄ってその手を握り締める。
「しっかり……しっかりして……頑張るのよ……まだ他に方法が有るはずよ……最後まで……最後まで諦めないんだから!!」
「……あきらめ……ない?」
その時、由魅にも変化が見られ始めた。瞳が焦点を結び始め、それは絵美の方に向けられた。
「……来る」
由魅はゆらりと歩き出すと、絵美のそばに立った。そして彼女に向けて両手をかざし、何やら呟き始めた。
「……ゲートが、開きかけている。なのに……なぜここまで耐えられるの?どうして……?」
「由魅、あんた……駄目だよ、駄目!!」
由莉が由魅を後ろから抱き留めながら叫んだ。
「またこの前みたいに成りたいの?!もう嫌だって言ってたじゃないの!!」
しかし、由魅はゆっくりと首をふって言った。
「あたし……判るの。このままじゃいけないんだって。さっきまでの話は恐怖で閉ざしていたあたしの心にも伝わってきた。いくら耳をふさごうとしても聞こえてくるの。……みんな、やさしいね。たとえあたし達が、力があると判っていても、それを言いたくないのなら、そうしたくないのなら、それでもかまわないって。……でもそれじゃ、いつまでたっても抜け出せない迷路の中にいるのと変らない。このままじゃどこまで行ってもあたし達は逃れられない……全てから。あたし達が本当に変りたいと望むのなら、これは、避けては通れないのよ」
由魅は隆の方を見て微笑んだ。
「これで、正しいのよね?間違って、ないのね?」
「……それは、お前達自らが証明しなければ、わからないことだ」
由魅は大きくうなずいた。そして由莉と視線を合わせる。
「急ぎましょう。今まで保ったのが不思議なくらいなの……」
「由魅……わかったわ」
由莉も決意したらしく、涼を見返して言った。
「確約は出来ないわ。けど、最善は尽くす」
「……OK、だ」
涼はにやりと笑った。
「美紀さん」
由魅は美紀の手に自分の手を合わせながら言った。
「結果は判んないけど、それでもいいのね?」
「うん……信じてるから。きっと助かるって。だから……いいの」
「……ありがとう。それじゃ、助かるよう、祈っていて。……さあ、ここはあたし達に預けて」
美紀はうなずくと、立上がって寝室を後にする。それに合わせてみどり達も部屋から下がっていった。
寝室のドアが閉められたとき、部屋には由莉と由魅、そして隆が残された。
「……それでは、始めましょうか」
由魅の言葉に、由莉は小さくうなずく。
今、誰も見ることが出来ない戦いの幕が上がろうとしていた。