のぢしゃ工房 Novels

Twins

ACT.4:予兆

「ふああ……」

直純は眠気に負けそうになりながら、なんとか立つことに成功していた。

昨夜はかなり遅くまで端末と向き合っていて、と言うよりは貫徹で全然寝ていないのだ。

そこへ制服姿の美紀がやって来て、大きな声で挨拶した。

「はよ〜ん!!直ちゃん!」

「うわああああ!や、やめて……」

直純は頭を抱えてうずくまった。

「ん?何してんのよ?」

「き、昨日は徹夜で……あ、頭が……」

「ふーん、なあんだあ……」

理由を訊いてつまらなさそうに美紀は言った。

「で、何かわかったの?」

「うん、いろいろと……」

その時家から秀一が出てきた。その姿を目ざとく見つけると、美紀は走っていって彼に抱きついた。

「おっはよ、秀ちゃん!」

「おう!元気だな」

「えへへ……」

それを見た直純はため息をつく。なにも見せつけなくったってねえ……

「じゃあ、行こうか」

そう秀一が言うと、美紀は辺りを見回して言う。

「あれ、涼ちゃんは?」

「あいつは今日は柔道部の朝練だろ?」

「あ、そっか」

涼は身体の鍛錬のために、運動部の朝練に良く顔を出していた。一時はなにか一つに集中してやろうと思ったこともあったが、生来の腰の軽さから一つの部には常駐しないで、様々な部、特に格闘技系の練習に参加するようにしていた。

「頑張ってるねえ……」

「さ、行こうぜ」

三人はぞろぞろと学校に向かって歩き出した。日常から、非日常の空間へと……


涼は道場から校舎に向かう道のりを悠然と歩いていた。

道の両脇にはイチョウ並木が立ち並び、陽光の中にその青々とした葉を伸ばしている。この季節にしては涼しい風が葉を揺り動かし、ざわさわ、ざわざわと、音を響かせていた。

校舎を左手に見ながら、校庭の方に近づいて行くと、生徒達のざわめきが聞こえてくる。その中でもとりわけ元気に聞こえる声は、涼にとってはずっと聞き慣れていたものだった。

「……ここまで聞こえてくるかね、全く」

涼はあきれたように言って、何気なく反対方向を見ると、そこには木のそばにたたずむ一人の女生徒の姿が目に入った。

「あれ……由魅ちゃん?」

その女生徒、千原由魅は、木に手を触れ、その額を木肌に押し付けて冥目していた。

木々の間を抜けて降り注ぐ光が、彼女を神々しいまでに優しく包み込む。背中に羽が生えていたのなら、天使ではないかと思い込んでしまいそうな、神秘的な姿……。

涼は、しばらくその姿に見とれ、誘われるかのように足を踏み出した、その時。

「ちょっと、邪魔しないでよ」

声のした方を見ると、すぐそばに千原由莉が腕組みをして立っていた。

「今大事な所なんだから」

「なんだ、おまえか……」

投げやりに涼が言うと、由莉はまなじりを逆立てて彼ににじりよった。

「なんだとはなによ!」

「人の足を踏んづけるような奴はそれくらいで十分だ」

「うるさいわねえ。男の癖に下らないことにいつまでもこだわってるんじゃないわよ」

「べ〜つ〜にぃ〜。こだわってるわけじゃないやい。だけどな」

「あー、もー、うっとしいわねえ……だからもてないのよ」

「どうしてんなことがわかる?!」

「だって……」

はたで見ていたものがいたら、その喧嘩の模様を不思議そうに見ていたろう。その口喧嘩は、ささやくような声で行われていたのだから。

先に根負けしたのは涼の方だった。当然の結果と言えよう。

「……くそ。負けない喧嘩はしないのが俺の流儀なんだが……」

「ふふん!……どうでもいいけど、さっさとどっかに行ってよ」

由莉が疲れたように言うと、涼はまだ木にもたれている由魅の方を見ながら言った。

「邪魔されたくないんだろ?だったらそんなこと言うなよ」

「はあ?あんたが邪魔だっての!」

「俺は邪魔しないさ。邪魔なんて……」

涼は由莉の目を見つめながら言った。その真剣な瞳に、思わず彼女の胸が鳴った。

「でも他の奴等は違うだろうな、興味本位の連中が多いから。お前一人じゃ抑えられないぜ、きっと」

「……あんた達がそうじゃないって、どうして言えるのよ?」

由莉は未だ彼らを信用しきれていなかった。まだ出会って一日しか経っていないのだ。それでは信用出来ないのも道理だろう。

だが、涼は疑うことを許さないように、力強く答えた。

「俺たちはいろんなことに首を突っ込むが、途中でほったらかしにはしない。ましてその当人が困るような真似は……堅く戒められている。ついでに言うと、その人間がやりたくないことを無理強いすることはない。今日みたいなことは……由魅ちゃんがなにか大事なことをしているのがわかるから……他から邪魔が入らないようにしてるってわけさ」

そう言って笑う涼の顔を、由莉は不思議そうに見つめていた。

今までに彼女達に絡んできた連中は、ナンパ目当てや、彼女達の行動をうさん臭く感じた者ばかりだった。だが、涼はそれとは少し違う気が、彼女にはしていた。

「お、終わったみたいだぜ」

涼の言葉に、我に返った由莉は、由魅がこちらの方を見ているのに気が付いた。

由魅は涼の姿を見て驚いたような表情をしていた。照れているのか、少し顔が赤いように見える。

「さて、行くか」

涼は荷物を肩に背負うと、校舎に向けて歩き出した。

「ホームルームに遅れんなよ」

そう言って手を振る……

由莉はその姿をしばらく眺めていた。そこへ由魅がやって来て、由莉に声をかける。

「由莉……」

「ひゃっ?!な、なに?」

「え、あ、あの……」

何故か慌てる由莉に、つられて由魅も慌てた。

「さっきの……坂上……くん?」

「そ、そうよ……由魅を邪魔しそうだったから、止めてたの」

涼が聴いたら怒るようなことを由莉は言う。

「でも……そんな感じはしなかったけど?」

由魅は小首をかしげて言った。

「ま、まあ、別に邪魔しようとはしてなかったみたいだけど……」

「……そうなの」

「それより……どうだった?感触は?」

そう由莉が話を変えると、由魅は険しい表情をして言った。

「……多分、ゲートが開きかかってるわ……ここに目がけて、力が集まってくるのがわかる……怯えていたわ、あの子達」

後ろを振り返り、木々を見つめる由魅。

「……後少し……後少しで時が満ちる……既に動き出している……止めなくちゃ……絶対に」

由魅の言葉に、不安を感じる由莉であった。


一限目が終わってすぐ、美紀達の教室に滝沢みどりがやって来た。

「あれ、みどりさん?どーしたんですか?」

美紀は秀一達から離れて、みどりの所までやって来る。

「早速だけど、やってもらいたいことがあるのよ」

みどりはウインクして美紀にメモを手渡した。

「なんですか、これ?」

「これまでの犠牲者と親しい関係に有った人たちのリストよ。この子達に会って話を訊いて欲しいの。三年生や大人達はあたしがまわるから、美紀ちゃんは二年生以下をおねがい」

「は〜い、わかりました……」

あまり気が進まないといった感じの美紀に、みどりはその頭をなでなでしながら言った。

「ごめんね、ほんとはあたし一人でしたいところなんだけど……」

「いいえ!あたしやります!あたしが一番適任ですから」

美紀はにっこり笑って答えた。

「……ありがと。それから直君!」

「はーい!」

直純は光磁気ディスクを持ってみどりのところにやって来る。

「これが昨日得た情報に対する報告書です。授業中にでも読んどいて下さい」

「ご苦労様。じゃ、詳しい話はお昼休みにね。次、秀君!」

「ほ〜い」

とことこといった感じで秀一がやって来る。

「君はやっぱり聞き込みだけど、学校全体のうわさ話関連の収集をお願い。ま、状況はそう変らないと思うけどね」

「ほいな!」

「それから涼君」

「はいはい……」

なんだかいやいやといった感じで、涼が歩いてきた。

「君は……わかってるわね?」

「はいはい、あの二人のお守りでしょ?」

片目をつむりながら涼が言った。

「いいないいな!おれ、こっちがいい!」

そう秀一がチャチャを入れると、美紀が思いっきり彼の耳を引っ張った。

「いだだだだ!」

「浮気は許しません!!」

「……ま、まあ、それはともかく」

みどりは苦笑しながら言った。

「あの子達、なにかと面倒に巻込まれる気がするから、守ってあげてね」

「妹の方はいいですけど……姉貴の方がねえ……気が進まないけど、ま、みどりさんの頼みじゃしょうがないか」

ちらっと双子の方を見る涼。

「でも……あんまり必要は無いんじゃないかなあ」

「どうして?」

「いやね……」

そこで涼は、今朝双子に出会ったことを話した。

「……で、その場を離れようとしたとき、誰かに見られている気がしたら、あの、木島隆がいたんですよ。あいつ、なんかあの双子にくっついてる見たいじゃないですか。美紀の話じゃ、前の学校でも一緒だったみたいだって言うし……。まあ、逆に双子のことを狙ってるってことも考えられるから、護衛ってことには反対しないけど」

「……ふうん」

みどりはしばし考える顔を見せたが、すぐにいつもの表情に戻って言った。

「ま、直接害を与えるみたいじゃないから、特にマークしておく必要は無いでしょ。それじゃあ、さっきのこと、お願いね。あと……くれぐれも気を付けてね」

そうして、みどりは教室から出ていった。

「……いよいよだね」

美紀がメモに目を通しながらぽつりと言った。

「あ、これ知った子だあ……そういえば、昨日死んだ子って、あたし達と同じ二年生だったのよね」

奇妙な現実感に、4人は言い様も知れない圧を感じていた。


昨日のことなど無かったかのような教室の雰囲気。にぎやかな話し声と馬鹿笑い、じゃれあい、プロレスごっこ……。いつもと同じ日常。

……ううん、そうじゃない。

仁科絵美は、弁当箱をハンカチでくるみながら、一人心の中で呟いた。

……どうしてみんなは、そんなに無関心でいられるのだろう?……クラスメイトが死んだのよ?それも尋常じゃない状況で。それでも、誰もお葬式にも行こうとしない……朝礼で話題なる訳でもない……絶対変よ。そりゃ、学校の面子とかいうのもあるんだろう。変にうわさになって、新入生が減っちゃうかも知れない。だけど……人が死んでるのよ、何人も!一人だけじゃない。もう五人も……そう、五人目の犠牲者が、ついにこのクラスから出たって言うのに……ああ、雅美!!

弁当箱を抱えこむように、絵美はうなだれた。

その時教室の中に、杉下美紀が入ってきた。美紀は絵美の姿を見つけると、とてとてと近づいていった。

「え〜み、どうしたの!」

「え?!あ、み、美紀!」

絵美は慌てて顔をあげて美紀の顔を見た。

「あ、ごめん、起こしちゃった?」

「う、ううん、ちょっと目をつぶっていただけだったから……」

絵美がそう言うと、美紀は隣に座って絵美の顔を見た。

「大丈夫?つらそうな顔してるけど……」

「うん、大丈夫大丈夫」

両方の手のひらを振りながら絵美が言う。

「……でも、珍しいね。美紀がここまで来るのって」

美紀の2−Aのクラスと絵美の2−Hのクラスはフロアは同じなのだが、ちょうど校舎の両端に位置していて地理的に離れており、また合同授業の組み合わせも違うために、普段は交流の少ないのである。それでなぜ二人が知り合いなのかと言えば、二人は中学時代クラスメイトだった時期が有り、乙夜入学当初は交流があったのだが、二年に上がってからは、先の事情で途絶えていたのである。

「うん……昨日のことで、ちょっとね」

美紀は頭に手をやりながら、言いにくそうに言う。

「わかってる……わかってるよ。雅美のことでしょ?」

「うん……」

「でも良くわかったわね、あたしが雅美と親しかったって」

「うん……みどりさん、大抵の人間関係記憶してるから」

「ああ、そうだってね……良く聴くよ、あの人の話……すごい人らしいじゃない?」

「うん、そりゃあもう……憧れてるんだ、あたし。絶対ああはなれないから」

「……雅美も、すごかったよ。あたしなんか思いもよらないくらい……」

絵美は遠くを見るような目つきで言った。

「もう自分のやりたいことを見つけてて、それに向かって全力を出し続けてた……。雅美ね、調理師になるんだって、いっつも料理の本ばっかり見てたの。家庭クラブで毎日いろんな料理の練習してた。あたしは何度も試食させられたけど、おいしいもの以外が出てきたことなんてなかったなあ……ほんと、美紀にも食べさせてあげたかったくらい、とってもおいしかったよ。なのに……あんなことになっちゃうなんて……」

絵美はうつむき、唇をかみしめた。

「……それで、最近、変ったこと無かった?」

美紀は絵美に済まないと思いながらも、あえてその質問をした。

「……あ、うん、そうだね、そう……なんだか、学校に来るのがつらそうにしてたわ。寝不足みたいな顔して、あたしがどうしたのって訊いても、ぼーっとしてるっていうか……思えば、あれが予兆だったのかもね。もっと早く気が付いていればこんなことには……」

「絵美ちゃん、そんなふうに考えるの良くないよ!」

美紀は絵美の手をとって言った。

「そんなふうに自分を責めるのは良くない。それで雅美さんが生き返ってくる訳じゃないし、責めすぎて今度は絵美ちゃんが変になっちゃったらどうするのよ!それこそ、雅美さんに笑われちゃうよ!」

美紀の真剣な表情に、絵美はほんのすこし、心の重みが消えていくのを感じた。

「美紀……ありがと」

「ううん、ぜんぜん……あたしはこうやって励ますことしか出来ないから……」

「それでも……ちょっと楽になれた」

そう言って絵美は微笑を浮かべた。

「よかった……。でも、雅美さん、それまでは別に悩み事とか無かった訳でしょう?両親に反対されてたとかあったのかな?」

「……それは無いみたい。昨日お家の方に言ってみたんだけど、そんな気は無かったって言ってたし……でも、お家の人も最近態度が変だって気付いてたみたいね。それから……よく夜中にうなされていたらしいわ」

「うなされてた……?」

美紀の目が輝く。

「うん……」

そう頷く絵美の表情は、今までで一番暗く、畏れに満ちていた。

「悲鳴をあげるくらいに……だからそのせいで寝不足になって、負担がかかって……。あの日もね、気分が悪いって言ってね、あたしが保健室に連れていったの。あの時まではまだ生きてたのに……」

「……ごめん、やなこと訊いちゃって」

美紀は本当に済まなそうに言って頭を下げた。

「ううん、いいの……聞いてもらえてよかったわ。きっと……」

「絵美ちゃん……」

「……あ、もうすぐお昼終わっちゃうよ」

美紀が時計を見ると、開始4分前になっていた。

「いっけない!早くもどんなきゃ!」

慌てて美紀が立上がろうとしたとき、絵美が美紀を呼び止めた。

「あ、美紀!」

「え、なに?」

美紀は立ち止まって絵美の顔を見た。絵美の不安気な表情が、なにかを訴えるように美紀を見た。

「あのね……あの……あ……やっぱり、いいわ」

「絵美?」

「なんでもないの……なんでも、ない」

絵美は目を反らしてうつむいた。

美紀はなにか声をかけたかったのだが、言うべき言葉が見つからなくて、静かにその場を去っていった……

後に残された絵美は、さっきまで美紀のいた空間を見た。

……言えば良かったのかな?でも……全部話しても信じてくれなかったら?たとえ信じてくれても、状況が変るっていうの?……わからない……でも……でも……どっちにしろ、もう手遅れなような気がするの……だってほら、聞こえるでしょう、あの声が。闇の中から呼びかけてくるあの声が。





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