救急車と共に警察もやってきたとき、学内はさほどの混乱は見られなかった。
普通ならいるであろう、やじ馬や物見高い連中も無く、事情聴取などもスムーズに……いや、聴取すべき内容すらろくに無しに、事件は終わりに向かった。
授業は再開された。何事も無かったかのように。
そうして、いつものように放課後を伝えるチャイムが鳴り響いた。
由莉と由魅は、校庭をとぼとぼと歩いていた。
あんな事件が起こったというのに、学校側の態度や生徒達の反応は、まるでそんなことなどなかったかのようであった(極一部をのぞいては)。
「……とんでもないことになっちゃったわね」
由莉は忌々しげに校舎を見た。
「で、どうだった、『感触』は?」
そう由莉が訊くと、由魅はほとんど独り言のように言った。
「……夢幻境……のっぺらぼう……睡眠不足……悪夢……眠りたくない……眠らせて……眠りたいの……楽に……楽になりたいの」
やがてそれは何かに取り付かれたような口調に変った。
「……ああ、見える。何かがあたしの中を通ってどこかへ行こうとしている……やめてやめてやめて……!!」
「由、由魅!?待った!待ちなさい!!」
由莉が慌てて由魅の肩を掴んで揺さぶった。
「……え?!あ、あたし、また?」
我に帰った由魅が不安気な表情で由莉を見た。
「あたしも悪かった!こんなとこで訊くんじゃなかったわ」
「……ごめんなさい」
「いいって……続きは帰ってからにしよ」
「うん……」
二人が校門に差し掛かった時、それまで門柱に持たれていた一人の女生徒が、二人の前に立ちふさがった。
「……ちょっと付き合って下さるかしら?」
すらりとした長身の、腰まで届く髪。半身に構えた姿勢が、実に挑戦的だった。
「自分から名乗らない人の言うことを聞くほど、お人好しじゃないですけど?」
最大限の皮肉を込めて由莉は言った。
「あらやだ……失礼」
みどりは優雅に一礼すると、にやっと笑った。
「あたしは3年A組の滝沢みどり。あなた達の事は美紀ちゃんから聞いているわ……転校早々、大変だったそうね?」
「なんの事ですか?」
すっとぼけて由莉が言った。しかしみどりの目は、その程度のごまかしは通用しないわよとばかりに由莉を見つめ、話し出した。
「……正直なところ、あなた達に話してどうにかなるとは思っていないわ。だけど、こんな状況であなた達がこの学校にやって来たことには、意味があると思っているの。……少しだけ、あたし達に付き合ってくれないかしら?」
由莉はじっとみどりを見つめ返し、そして、後ろを振り返って由魅の方を見た。いつものおどおどした由魅の姿はそこには無く、何かに立ち向かうようにぐっと唇をかみしめていた。
「……望むのであれば」
由莉の答えにみどりはうなずき、そして校舎の方に向かって歩き出した。
二人が連れてこられたのは図書室であった。中にはまだ人が残っていたものの、数は極端に少なかった。
みどりはその奥の方にある、談話室とドアの上に書かれた部屋に二人を招き入れた。
そこは八畳程の広さで、中央にテーブルが置かれており、彼女等三人を待ち続けた人達が座っていた。
「由莉ちゃん、由魅ちゃん!来てくれたんだね!」
美紀が立上がって、うれしそうな声をあげた。
「ほら、言った通りじゃん」
美紀は涼に向かってそう言うと、手を出した。
「はい、百円」
「ちぇっ」
涼はポケットから手を出すと、ぽーんと美紀に向けて放った。
「まいど!」
「……」
一同沈黙。
「あ、ささ、座って座って」
美紀は何事もなかったように話を進めた。
「……さて、みんな席についたということで。さ、美紀ちゃん、状況説明いってみよっか?」
「はい!」
みどりに促されて、美紀は話し出した。
「えっと、奇妙なことが起こり出したのは2ヵ月くらい前かな?ある日、朝礼中に女子が倒れちゃったの。ま、これはよくある話だったから誰も何とも思わなかった。で、その子は早退しちゃったんだけど、その翌日……死んでるのが発見されたの。単なる心臓発作だって言う話だったわ、その時は。ここまでなら極普通の、事件だったかも知れない」
美紀は一旦話を区切って、由莉と由魅を見た。二人はじっと美紀の顔を見ていた。
「……でもそれから3週間ほどして、今度は別の女子が体育の授業中に倒れて救急車で運ばれたの。そしてその病院で、そのまま、死んじゃった。……その二週間後には別の女子生徒が路上で急に倒れて、やっぱり、死亡……そして、つい1週間前、また女子生徒が自宅で突然死……そして今日また、犠牲者が出た、というわけ」
さすがに最後は嫌そうに、美紀の話は終わった。
「……それだけ続けば、今日の周りの反応はうなずけるわね」
由莉は納得顔で言うと、由魅もそっとうなずく。
「最初は単なるぽっくり病だと、誰もが考えてたんだな」
涼がつまらなさそうに言った。
「俺たちもそうだった(面白そうなネタには目がないんだがな)。二度目までもそうだった。だが、三度目にもなると……さすがに過去の事件のことが持ち上がってきたのさ」
「僕らの内でそれに一番早く気付いたのは僕だったんだ」
秀一が得意げに言った。
「共通点は……全員女の子だってこと。どの子も底抜けに明るくって、元気一杯で、毎日を充実した生活を送っていたんだ。人がうらやむほどにね。……でもそこからは彼女たちが死ぬ理由は見つけられない」
「それで、調査してみることにしたんだ」
直純はノートPCを広げながら言った。
「まず本当に単なる心臓発作なのかと言うこと。心臓発作と一口に言っても、その原因には色々あるから。でもおいそれとはカルテなんか見れないから、そこはそれ、邪の道は蛇というやつで……。結果は、極度の精神的疲労による、と判断されていることが分かった。多分、今日の子も同じ結果が出ると思う。……二人は見たよね?あの子の死に顔を。とっても苦しそうな」
由梨はかすかにうなずいた。
「でもあのときたしか……」
美紀はその時の場面を思い出していた。
虚空を見つめる落ち込んだ目、恐怖に歪む口もと……しかしそれは、千原姉妹が手をかざすことで、安らかな死に顔へと変ったのだ。
だが、みどりが目線でそれを押さえた。
直純の話はなお続く。
「……そこで気になったのは、これはうちだけの現象なのかってこと。おかしな話だけどね。ただでさえ尋常で無いこの現象が、他でも起こっているなんで考えるなんてさ。……でも、あったんだな、これが」
「………」
直純はノートPCの画面を二人の方に押しやるようにして見せた。
そこには様々なグラフが映っていた。
「ここ半年の間に中高生の突然死が増加している。不思議と、大学生や小学生には起きていない。そして、これは世界共通な出来事だった!全世界で、同じ年代の連中が死んでいるんだ……」
「これに対する医者や学校関係者の反応は……無反応と言ってもいいわ」
みどりは肩をすくめた。
「受験戦争によるストレスだと考えて、自分達に非難が向けられるのを怖がってるのか……いずれにしても、あたし達が簡単に調べられる範囲でも、これだけ異常な状況だということ、そして、それに誰も触れようとしないということが、わかってもらえたかしら?」
小首をかしげて由莉と由魅を交互に眺めるみどり。
「……偶然じゃないの?」
由莉がそう言うと、みどりはふふんとせせら笑った。
「偶然だなんて言える人は、よっぽどの楽天家か、ただの鈍感よ。自分の身の回りで起こっている出来事の意味を考えるとすらしない、下手をすると自分が生きていることの意味すら考えたことも無い連中を相手にするほど、あたしは暇じゃない」
挑みかかるようなみどりの視線をまともに受け、由莉はたじろいだ。
「いつだって、あたしは考えている。考えるという、この一点だけが、人間を人間足らしめている要素だとあたしは思うから……」
みどりが視線の先を由魅に変えると、由魅は前とは違う、生気のこもった瞳でみどりを見返していた。
その様子を満足げに肯いた後で、みどりは両手をぱんと鳴らした
「さ、これで今日の話はおしまい!付き合ってくれてありがとね」
「……これだけ、ですか?」
由莉が拍子抜けしたような表情で尋ねた。
「そ、これだけ。今あたし達が手に入れてるのは状況証拠ばっかりで、それでなにが出来る訳でも無いから、この程度なの。いつかこの事実を公表したいのは山々なんだけど、それで事態が変るという確証が無いとね……。でも、調査は続けるつもりよ。今日犠牲になってしまった女の子のことから、少しづつ、粘り強く、ね」
そう言って、みどりは立上がった。
「じゃあ、今日はこの辺で。そうそう、涼くん、二人を送ってあげてね」
外は夕闇に覆われていた。校庭にも、校舎にも、人のいる気配は無かった。
「じゃあねえ、由莉ちゃん、由魅ちゃん!」
秀一の腕につかまりながら、美紀は元気に叫んだ。
「それから涼ちゃん!送り狼になんかなるんじゃないぞ!」
「うるせー!!」
「じゃあな」
美紀と秀一、直純のグループが先に学校を後にした。
「じゃ、行くか。どこに住んでるんだ?」
涼がそう聞くと、由莉はじろりと彼を睨んで言った。
「送ってくれなくても結構ですから」
「つれないねえ……。でもみどりさんの言い付けじゃ、守らない訳にはいかないんでね。物騒な事件も多いんだ、この頃はさ」
「だから素直に送ってもらいなさい」
いつの間に来たのか、革のツナギを着たみどりが、バイクを押しながら現れた。
「こう見えても涼くんは優しいから……ね?」
「こう見えてもって……そりゃないでしょうが」
がっくりと肩をおろす涼。それを見た由魅は、思わず笑い声をもらした。
由魅の笑い声に、由莉はほっと息を吐き出すと、照れたように言った。
「……じゃあ、お願い」
「うんうん、それがいいわ。じゃ、後はまかせたわよ」
そう言うと、みどりはキック一発バイクのエンジンをかけると、華麗に跨がり、爆音を響かせて夕闇の中に消えていった。
「……で、さっきの続きだけど、どこに住んでるんだ?」
三人並んで行く道の途中で、涼がもう一度質問を繰り返した。
「第12あかねマンションってとこよ」
由莉の答えに、涼は口笛でそれに答えた。
「そりゃすげーとこに住んでるなあ!」
第12あかねマンションといえば、この辺りでは最高級のマンションである。家賃も6桁は下らない。
「親はなにやってるんだ?」
「……いないよ。小さいとき死んじゃった」
由莉はさばさばと言った。
「そうか……すまん」
涼はかくっと、頭を下げた。
「いいよ、慣れてるから……」
そう言って由莉は由魅の方を見た。物思いに耽るように、暝目する由魅……
「ところでさ、ILROってなんのこと?なんであなた達はあんなこと調べてたの?」
由莉が打ち解けたような口調で訊いた。
「あ、そのことか……」
涼は考え込むような顔になった。
「ILROがなんの略かっていうのは……みどりさんに言うなと言われてるから言えないんだが……もともとは、みどりさんの兄貴(去年卒業したけど)が創ったんだとさ。やってることは、興信所みたいなことかなあ。ま、学校の何でも屋ってとこ。今回のことはみどりさんの勘に引っ掛かったって奴だね。直感で動く人って言えばいいのかな?あいつとあいつの仲が綾しい!とか、結構鋭いんだな、これが」
「ふうん……面白い人ね」
「だろ?」
涼はにやっと笑う。
「それで……あなた達はどうしてILROに入ったの?」
「あ、俺たち?秀一と美紀と直純と俺って、家が十字路で互いに向き合っててさ、まあいわゆる幼なじみって奴。いっつも4人でつるんでいろんなことやってたのさ。で、乙夜に入って、まあ、事件に巻込まれたところを、みどりさん達に助けてもらったんだ。それが縁で、今一緒になって動いてる訳さ。面白いねえ、人の仲ってのはさ……これはみどりさんの受け売りだけど。だからさ」
涼はいきなり由魅の方に話しかけた。びっくりしたように目を見開いて、涼の顔を見た。
「ふさぎ込んで黙ってるのは良くないぜ。もっと声を出した方がいい。腹の底からさ」
しばらく呆然と涼の顔を見ていたが、やがて由魅ははにかんだような笑みを浮かべた。
「うーん、やっぱいいなあ」
涼の顔がでれっと崩れる。
「やっぱ女の子は笑顔だよ、笑顔!ね、今度デートしない?」
由莉はそれを聞いて、涼の足を思いっきり踏んづけた。
夕闇の中に、悲鳴が響き渡った。