のぢしゃ工房 Novels

ナイチンゲール・ジェネシス

第4章:非存在証明

乙夜学園とは幼稚園から大学院までを擁する複合学園施設である。広大な敷地の中に統合化された校舎や運動施設が点在している。その中には学生寮もあり、分譲マンション並みの規模があった。

将介はその中の一棟に向かっていた。それは学院生向けの建物で、ワンルーム形式の三階建ての建物だった。

その最上階のもっともはずれの部屋の前に将介は立つと、例のリズムで扉をたたいた。

どどん、どん、どん、どん。

中の返事を待たずに将介は扉を開ける。扉の鍵は開いていた。ワンルームにしては広い玄関を上がり、奥に入っていく。

その奥の部屋では本棚やラック類で壁が埋め尽くされており、さながら要塞のようだった。そのかわり床には広いスペースが与えられており、内容物のわりにはすっきりとした印象を与えていた。

その更に奥にはこちらに背を向け、椅子に座りながらモニターを前になにやら作業をしている一人の男がいた。将介の気配を感じてか、椅子をくるりと回して後ろを振り返った。

「おう、来たな」

その男は銀フレームの眼鏡を左の中指で軽く押さえ上げながら言った。

「久しぶりだな、元気だったか?」

「そちらこそ」

将介はその男の前であぐらをかいて座った。

「いてくれて助かりましたよ、寺沢さん」

「……その表情だと、よほどの話らしいなあ」

寺沢は腕組みしながらそういった。

彼は乙夜学園の大学院二回生で、情報工学を専攻している。とあることから将介と関係を持つようになり、今は将介の情報収集をサポートする間柄となっていた。その情報収集能力、とりわけ学外のことに関しては将介も及ばない。

「で、なにを知りたいんだい?おっと、その前に、問題の依頼のことを聞かなきゃな」

「ええ、もちろん」

とりあえず将介は奇妙な依頼内容と、その経過について説明した。

「……ふうん、確かに変な依頼だが、友達云々は口実じゃないかというお前さんの想像は、まあ予測されうる範囲内だな」

「まあ、これまでの所は」

「なにが引っかかる?」

「そうだねえ……やっぱり、人、かな?」

「……人?」

「人物さ……関係者の人物像って奴」

「人か……」

「俺さ、里見の奴が単なる奥手で人見知りなやつだと思ったんなら、こんなには入れ込んだりはしなかったと思う。だけど……なにか引っかかるんだ。あいつには、影って言うのかな、生きてるって感じがしないんだ。ただそこにいるだけって言うのか……希薄なんだな、存在が」

「……」

「だから、知りたいと思ったんだ。あいつは、一体今までどうやって生きてきたのかって……でも……」

「そこで問題が生じたわけか」

「そうなんだ……どうにも解せないことがね。だから確認をしたいんだ。そしてそれは、先輩にしかできない事だと思う」

しばらく寺沢は将介の顔をじっと見つめていたが、くるりと将介に背を向けてディスプレーと向き直った。

「わかった……やってみよう」

「ああ、ありがとう!恩に着ます!」

将介は喜び勇んで立ち上がり、寺沢の背後からディスプレー画面をのぞき込んだ。画面内にはいくつかのウィンドウが広がっていた。寺沢自身が開発したOSのものだ。ちなみにハードも自作、設計から自前のものだ。

寺沢は素早いキー捌きで複雑な操作を行った。将介にはまったく理解できない。

「それで……具体的には何が知りたい?」

寺沢は将介を振り返って言った。

「ああ、その前に……俺の調査結果の方を言った方がいいでしょう」

「なるほど」

「最初は里見の調査が依頼にあったんで、プロフィールやらを調べようとした。ところがこれが難作業でね。なにしろ奴は一か月前に転校してきたばかり。クラスメイトにも打ち解けないで、自分のことを話すなんてことは皆無。転校元を調べようとしたけど、奴が病み上がりでそれまで病院に缶詰めになっていたとなれば、それ以上は進まない」

「病院はどうなんだ?それに、ずっと病院にいていきなり編入にしてくるなんて変だと思うが?」

「さすがだね、寺沢さん」

我が意を得たりとばかりに目を輝かせる将介。

「もちろん、ぬかりはない……と、言いたいところだけど……そうはいかなかったんだ」

「病院は患者の情報についてはガードが固いからな。カルテを見てどういう状況だったのかまで確認したいところだが……」

「まさしく、その通り……やってくれるかい?」

「ま、そういう約束だしな……」

寺沢はそういって、再びキーボードをたたき始めた。

「で、その病院は分かってるのか?」

「いいや……それも駄目だった。先生に聞いても分からない。本人に聞いてみても答えてはくれない……そんな調子なのさ……家族にも聞いてみようとした」

「で、だめだった?」

「ああ、皆目連絡が取れない。家にいないんだな」

「……いないだと?病み上がりの息子をおいてか?」

目許を歪めながら寺沢が問う。

「そう、家には使用人しかいない。それもえらく事務的なのが。もうこうなるると……警告灯がびーびーさ。で、両親のことをちょっと調べてみた。これは案外簡単」

「で、その親ってのは?」

「職業は国家公務員、それもキャリア」

「ほう。で、どこの部署にいる?」

一瞬の沈黙をおいて、将介は言った。

「……宮内庁」

「……あの伏魔殿か」

二人とも深刻な表情で押し黙った。

苦い経験がある。二人が調査していた事柄で、唯一壁となった存在だった。それに比べたら世の情報機関なぞ無いに等しい。

「で、そのキャリアってことは……」

「かなり特殊な役割だとおれは想像している」

「なぜだ?」

「ああ、一応調べられるだけ調べてみたのさ。あの家は……里見家は、あの辺りじゃ古株だ。知らない者はいないさ」

「ふるいって、どのくらい?」

「ふるいさ……下手すりゃ高天原までいっちまうかもな」

「……皇族か」

「明治期に臣籍降下して華族扱いになってる。正確言うと母方がね。父親の方もそれなりに由緒正しい家系さ。日本におけるエリートってわけさ」

「ふむ……なる程ね」

「だがそこまでだった。なんの職務をしているのか、結婚はどのようないきさつか、どんな顔かすらよく分からない。近所付き合いも無し。生活の臭いがしないんだな……」

「そして息子の病気か……」

「もちろん近所の人間は知らない。最近息子がいるのだと知ったということだ。もちろん、病院のことなんて分かるわけは無い」

「定時診療なんてのは無かったのかい?」

「ないね……あったら今ごろ病院はわかってるさ」

「だな」

「後は戸籍とか調べようとしたけど、最近は厳しいからね。名簿類も調べてみたけど流出してない。どうやら表技じゃ、情報は引き出せそうにない……」

「弱気だな」

「ああ……かなり歩が悪いね。だからさ……余計に気になるんだ。なにかあるって、俺の勘が訴えている……」

「……お前の勘って言うのは無視できんな。……ではまずは……息子の方の身元調査からいくか」

そういって寺沢はキー操作を始める。将介にはそれが何をしているのか理解できない。それほどに早くて複雑な動きだ。

「生年月日はどうなってる?」

「1982年一月一日」

「へえ、そりゃめでたいな」

そうしゃべる間もキー操作は休みなく続く。

「どう?」

「もうすぐ……出た」

画面には何らかのリストが表示されていた。……戸籍データベースだ。通常では見ることのできないものだ。

「ああ、あるな……といっても大した情報があるわけじゃないぞ。本籍地……案の定千代田のお城になってるな」

「皇居、ね……住所無き住所か」

「やはりだめだな。医療データベースをそうざらえしないと明確なことは分からん」

そういって寺沢は再びキー操作を始めた。別のウィンドウが開き、文字の羅列が上から下へ流れていく。

「……いっつも思うんだけどさ」

「ん?」

「よくこんなことができるなって……」

「ああ……俺にもよく分からんがな……」

寺沢はいわゆるハッカーだ。まあ、不法アクセスと言われる分野もサポートしているのでクラッカーの一種かもしれない。その辺りは見解の相違だと、寺沢は言う。

「まあ、見よう見まねでこうなっちまった。性に合ってたんだろうな……と、なんだこれは?」

「どうかした?」

「……見つからん」

「え?」

将介は画面を見た。検索結果が小ウインドウに出ている……unkown。

「どういうこと?」

「生年月日と名前のANDをとった。同姓同名で同じ生年月日の奴は病院にかかっていないことを意味する……」

「要するに?」

「……病院にいたって線は薄いな」

「うーん……ま、それも想定内だけどね」

「あんまりあたって欲しくないな、それは」

「だからこそお願いしてるんですよ、寺沢先輩」

将介は寺沢の顔をのぞき込みながら言った。かなり挑戦的な目つきだ。しばらくその視線を真っ向から受け止める寺沢。

「……まったく、しょうがないな」

寺沢はディスプレーに向き直ると、再びキーをたたき始めた。

「隠しデータのアクセスは、手順がより複雑になり、暴露する可能性も高まる……だいたい、アクセス可能な状態で情報が残っているかどうかも怪しいぞ……やはりない……接続解除……完全に隠されてるな……」

「だめかぁ」

将介は落胆した表情で天を仰いだ。

「でも逆に燃えてきたね」

眼鏡の奥で寺沢の目が光った。

「検索の目を広げよう……生まれてからずっと病院もしくは類似の施設にいたということなら、何らかの情報がやり取りされているはずだ。その痕跡を探す……」

「頼める?」

「もちろん……こいつはやりがいがある。できればもう少し情報が欲しいが……」

「親の情報じゃ足りないかい?」

「それも重要な情報さ。重い病気なら大金が動く。そのあたりもポイントだ。人が曲がりなりに生活しようとすれば、世捨て人だろうとも何らかの情報網に引っかかるんだ。まったく世間から隔絶されて生きるなんて無理なのさ……まして都市ではな……こいつはかなり時間がかかる……少しだけ時間をくれ……なに、一日二日の話だ」

「それくらいならなんとか……」

「そうだ。まだ気になってることがあるんだろう……その、依頼者のことで」

「ええ、まあ……」

依頼人、天野せりなが編入されてきたのは二週間前。両親はいない。身寄りもいないらしい。編入前はアメリカの高校にいた。

「ふむ、かなりましだな。特別不審な点はないが?」

「これけだと、そうだね」

「他にもなにかあるんだな?」

「そう……これは確たるものがあるわけじゃなくて、俺のまったく感覚だけなんですが……なんか変なんですよ、彼女」

「変?」

「ええ。そのなんというか……一回だけ、彼女が彼女じゃないんじゃないかって、そんな気がしたんだ」

「……彼女が彼女じゃない?」

「ああ……よく知りもしない子にそんな感じがするのはおかしいんだけど……なにかが変なんだ。それは里見の方にも感じることで……それと似たような感じもする……よく分からないけど、気になってしょうがない……そんな感じなんだ」

「ふう……ずいぶんと曖昧な理由だが、関係者には違いない……分かった。で、なにか他に情報あるか?」

「ああ、あるよ……そしてもう一つの気になっている理由でもある」

声のトーンを落として言う将介に、寺沢は疑問のまなざしを向けた。

「なんだ、それは?」

「それは……生年月日。1982年一月一日……同じなんだよ、里見啓吾と。これが偶然だって言うんなら、俺はもうこれ以上やってく自信がないね。自分が信じられなくなる……それくらい、今回の依頼はなにかある……だからこそ、なんとしてでも納得のいく答えが欲しいんだ……だから、なんとしても探り出して欲しいんだ……たのむよ」


みどりは誰もいない道場の中心、板の間に正座をして瞑目していた。

もうすぐ昇段試験が目前の彼女は、帰りがけに瞑想をしてくのが最近の習慣となっていた。

しかし、彼女の心は曇ったままだ。

主たる原因は将介だが、より大きな遠因がある……両親との別れだ。親離れをしない内に、ある意味親に捨てられるような形で別れたということが、彼女の心に大きな傷跡となって残っていた。おそらく、永遠に拭い去られることは無いだろう……。

みどりは目を開くと、ゆっくりと息を吐く。一つ、そして二つ。

「は……く……だめだ……こんなんじゃ……こんなんじゃ……」

……こんなんじゃ、なんだっていうの?べつにどうなったってかまやしないのに……。

みどりは荒々しく立ち上がると、道場から出て行こうとした。

と、出口である人物と鉢合わせた。ここの道場主でみどりの師……この道では知らぬ者とてない偉大な人物。

「……帰るのか?」

師はみどりの顔を見上げながら言った。

みどりよりは頭二つは低い、小柄で頑強には見えない身体から、みどりはなんとも言えないプレッシャーを感じてたじろいだ。

「は、はい……」

「そうか……」

師はただそう呟くように言うと、みどりの横をすり抜けて道場の方へと向かった。

思わずみどりはその背中に声をかけてしまう。

「あ、あの!」

はっとなって口をふさぐがもう遅い。師はゆっくりと振り返ってみどりを見据えた。

「……なんじゃな?」

「あ……いえ……」

言葉を言いあぐねて視線を泳がせるみどりに、師は答えかけた。

「昇段試験が気になるのかな?」

「はい……あ、い、いいえ、そんなことは……ありません……」

確かに今気になっているのは昇段試験の事ではないから嘘ではない。だが、みどりは全てを見抜かれているような気がしていた。

「そうか?」

師はじっとみどりの目を見つめた。その瞳は澄みきって、みどりの心を奥底まで見透かすようだ。目をそらそうにもそらすことはできない。

……なぜ……なぜ何も言わないんだろう……こんなふぬけになっている奴に昇段試験なんて受けさせられるかって……そうすれば……。

「流れに逆らおうとすればするほど、押し流されてしまうものじゃ……」

「!?」

不満げな表情を浮かべるみどりに、師は静かに言った。

「いつもわしが言っていることを覚えておるな?……ゆっくりとやることじゃ。……ゆっくりと、な」

そう言い残して、師は道場の中に消えていった。その後ろ姿を見送りながら、みどりは心の中で呟いた。

……流れに逆らうな。でも流れに流されるのではない。流れを見極め、その流れを己が流れと成して……そんな無理よ……どう考えたって矛盾してる……流されずに流れていくなんて……取り込まれずに取り込むなんて……そんな……あたしには、できないよ……。

いつのまにか、彼女の目から涙がこぼれ落ち、頬から伝わって床にいくつかの染みを作っていく……みどりはなんとも言えない寒さを感じて、自分自身の身体を抱き締めて何度か身震いした。


ほの暗い室内の中でディスプレイモニターからの光だけに照らされながら、寺沢は作業を続けていた。将介からの依頼を受けてからずっとこの方、その姿勢を取り続けている。室内はマシンの作動音で満たされていた。電源ファンの音、時折鳴るディスクアクセスオン、明滅するLED……いま、この部屋はありとあらゆる情報網を通じて世界とつながっていた。

いわゆるインターネットが公知のものとなって以来、それまでとは比べ物にならないほど様々な情報がネット上を流れるようになった。日々のニュース、技術情報、経営データといった公の物から、個人レベルの情報まで、情報として流通する面の全てが世界中を駆け巡っており、その情報量は天文学的数値にまで上る。もちろん本当に重要なデータ、流れてはいけない情報がその上を流通することは無かったが、それらとて電子データという形を取らないことは希で、情報というものが人から人へ伝えられる以上何らかの痕跡を残すはずだ。たとえそのもの自身はなくても、その存在を指し示す何かが。

それを寺沢は探していた。

キーワードは多くない。里見啓吾、天野せりな、1982年1月1日、宮内庁、病院、難病、編入日のずれ、家族構成、経済状況、金回り……人が生きてきたという証の全て。基準日である1982年1月1日を中心軸に、関連するであろう情報をフィルタリングし、現在流れるパケットを全てトラップして情報収集に当たっている……もちろん彼一人でそんなことができるわけは無い。彼を取り巻く様々な人々がそれを支えている……あ、いや、人とは限らないが、様々なものが寺沢をサポートしている。

しかし、見つからない、まだ。

「……ふむ……資金の動きが見られない……やはり変だ……このままだと、里見啓吾なる病人はいないとしか判断できない……それに……」

別ウィンドウの中に展開されているのは、天野せりなに関するデータだった。こちらも思うように情報収集がいかないのか、達成率を示すバーは半分にも達しない。

「……こちらも同じか。本当の依頼人は彼女の幼なじみだったな……そして里見啓吾と接触する可能性のあった人物……その場所は病院だと考えるのが筋だが……病院そのものの実在が疑わしいのでは……それに、幼なじみというのにもぶれがある……今までずっとそばにいたのか、それとも幼い頃の一時期を共に過ごしたのか……天野せりな自身は元々アメリカ在住で……国籍は日本か……一体生活資金はどこから来る……」

ゴールはまだ見えそうに無かった。


将介はメモを片手に住宅地を歩いていた。学園から程近い、新興住宅地といった趣の地区だ。

「先生に教えてもらった場所はこの辺りのはずだけど……ああ、あれか」

彼の目に留まったのは、三階建てのいわゆるワンルーム形式のンションだ。将介は歩みを早めてそばまでたどり着くと、階段を上り三回の一番奥まった部屋の前まで進んだ。その表札には、天野、とだけあった。

将介はしげしげとドアを見つめ、ノブに手をかけて回す。もちろんまわらない。

「……当たり前だな」

ドアそばにある電気メータをみると、メータはまわっていない。

……別に不思議ということではないのだが……やっぱり変か?

将介はその場を去ると、帰りがけにせりなの部屋の郵便受けを見た。そこにはチラシが無造作に突っ込まれていて、郵便物が届いているようには見えない……。

次に将介が向かったのは、商店街にある不動産屋だった。せりなのいるマンションを所有している。

「いらしゃい!」

将介を出迎えたのは40すぎの男だった。人好きそうな顔が商売人っぽいと将介は思った。

「あの……このマンションなんですが……」

と、将介がせりなのいたマンションの説明書きを指差す。

「ああ、あそこね、空きまだあるよ」

「場所はいいんですけど、家賃とか……どうなってますか?」

そう水を向けると、敷金はどうだ礼金はどうだといった会話が交わされた。取引銀行の話等も聞く。その途中、将介は聞いた。

「そうそう……最近入った人っていますか?」

「ああ、いたな……そう10日くらい前かな……そっちはすんなりいったんだけどねえ……」

さぐるような店主の目つきを躱しつつ、将介はまた来ますと言って店を出た。

足で稼ぐ地道な調査活動。別に望まれてやっていることではない。ただ、自身の好奇心のため……いや、それだけではない。里見啓吾と天野せりなの、二人一緒にいる姿を見たときから、何かが変わった。

……不安感。急がなくては。……なぜ急がなくてはならないのか?わからない……分からないこそ、こうして探している……答えを……。


二日目を迎える。

寺沢はほぼ不眠不休で調査を続けてきた。途中幾度か将介からの情報を入手し、それを調査対象に加えつつ情報のスクリーニングを続ける……その繰り返しだ。

だが、いくつかの事実が何らかの方向性を示し始めている。

「……天野せりなの生活費はアメリカの奨学資金からか……しかし、降りた理由が不明だ。身寄りも不明、身元引受人も不明……ん?これは……ふむ、彼女への資金移動に同調するような動きが同じ銀行で……時間も近いな……国連からの入金?大した額ではないが……国連付属保健機構?なんだこの部署は?世界保健機構ってのは聞いたことが……設立年月日……1982年設立……二月?はは、さすがに一致はしないか……ん?旧正月か……なんだ、気になるぞ?……やるか」

寺沢は身を乗り出してディスプレーを食い入るように睨み付けた。

「……国連の情報網への侵入か……ま、難度は低め……」

そのとき画面の端からうさぎが二本脚でとことこ歩いてきた。そして手紙のようなものを見えるようにかざした。

「ふむ……国連付属保健機構……設立意図……奇病の発生だって?」

それは当時の新聞の一部らしい。機関設立の記事で、理由事項に当時世界的に多発していたある病気があったのだという。

「……俗称は眠り病……十代の若者が突如として昏睡状態になる……眠り病というとツェツェバエを媒介とする伝染病の一症状だったような……それではないということか……だがなぜに国連に……病気以外の何かがあったんだろうな……それと天野せりながなんの関係がある?……情報が足りない……まだ……」

そうしている間にも侵入作業は続いていた。が、思いの外プロテクトが固い。接近経路の選択に手間取り、発覚する危険性が増していく。

「……駄目か……これ以上はさすがに……お、と……やった!いける……検索システム……使えるな……日付……天野せりな……里見啓吾……眠り病……さあ、こい!……」

検索結果には幾つかヒットしてきた。が、眠り病に関するものしかヒットしてこないらしい。

「やはりな……一般DBから独立している……さて、これからが本当の勝負だ」

今度はシステムの管理者権限を奪う作業だ。一般ユーザのままでは極秘資料など見れたものではない。

「……ふむん……ルート権限……よし、取れた……次はDBシステム探索……ある……これは扱ったことがある……よし、検索開始……さて……何が出る?……パスワードロック!……フリーワードだ……こいつは厄介だな……見つかるまでに破れるか……」

早速パスワード破りのプログラム作成と同時に、あり合わのプログラムでハッキングを試みる。いつまで見つからずにこの作業を続けられるかどうか分からない。時間の勝負だ。しかし、このパスワード破りは自由文字数設定が相手だけに、なんの取っかかりもない現状では徒手空拳もいい所だ。

そのうち幾つか状況証拠らしきものが見つかってきた。医学分野の論文、分子生物学、薬学、遺伝子工学、複雑系、カオス、フラクタル……最近のトレンドは全て網羅するような、ある意味とりとめのないものだ。

「……3分経過……だめだ、文字数すらヒットしない……言語特定……これもなあ……そうか……管理責任者リスト……トップな奴……これか?……フレデリック・ハイゼンベルク……医学博士……ドイツ人?……検索……国籍はドイツ……ドイツ語……名前なわけはないよな……だめ……」

その時、メールを着信を知らせる音が鳴った。リストを見てみると、題名にはおしらせとある。しかしこのアドレスは親しい者しか知らないはずだ。

「……だれだ?」

ウイルスチェックもかけてみたが、ただのテキストメールであることが分かった。開けてみると、そこには……。

「……なに?……『小夜鳴き鳥は死告げ鳥 そのさえずりは世界を包む』……日本語……どういうことだ?」

しばらくじっと画面を見つめたまま硬直していた寺沢は、もはやこれまでと、そのメールのセリフをパスワードとして入力してみた。

「監視されている……同じ目的で侵入しようとしてるやつがいるのか……いや、ならこれがパスワードってことはないはずだし……もしそうだとしたら……そうだな、俺を引き込もうとしてるってことになるが……どっちにしても……お、やったか?」

画面にはDBへのアクセスを許可する文言が表示されていた。時間を無駄にはできない。早速検索キーを入力する。若干の待ち時間の後、幾つか情報が引っかかってくる。

「ええと……日付はとりあえず無視……くそ、ここでも反応無しか……おや、なんだこれは?」

日付でヒットしてきた情報の中に、複数の計画案らしきものがある。なんとか計画とか、進捗率がどうとか。人員名簿らしきものまである。かなりの人数が関わっていることがうかがいしれる。

「こりゃ……ここで素読しても収拾つかないな……とりあえずごっそりぶっこぬき……う、なんだ?見つかった?!」

突然画面が明滅する。別のウィンドウでは逆探知が開始されたことを示すインジケータが徐々に減り始める。そう、接近されつつあるのだ。

寺沢は恐ろしいスピードでキー操作を開始する。侵入経路を途中から切り替える。入手した情報を侵入路の途中にキープして接続を切断し、孤立させる……そしてようやく逆探知の手をかいくぐり、取り残した情報を吸い出して全ての接続を切断する頃には、夜が明けかかっていた。

「……ふう……えらい目にあったな……さて、どれくらいもってこられたかな?」

あらためてリストを見てみると、全ては一つの計画に行き着くようだった。

「これか……Nachtingale Project……ナハティンガル・プロイェクト……ドイツ語……ナイチンゲール?看護婦……じゃないよな……待てよ……さっきのパスワード……たしかナイチンゲールは……小夜鳴き鳥だ」

その時、またメールの着信音が鳴った。題名はまた、お知らせ、だった。

さすがに気味の悪さを感じずにはいられなかったが、かといってそのままにしておくわけにもいかない。意を決して、寺沢はそのメールを開いた。そして、そこには……。

「……貴殿の健闘を讃えるとともに、これ以上の詮索は身の破滅を招く危険性があることを認識せらるることを切に願う。我々は友を失う可能性について思考することにも耐えず。ただ、憂えるのみ。しかして、なおも初志を貫徹せしめんとする貴殿の意思の強きこと万丈にあれば、ただただ、我らと共に行かれんことを欲っす。……messiash、ね……どうやら保健機構とやらとは別口らしいな……共に行かれん……ふん、パスワードは破ったが、それ以上は進むことができないでいるらしい……でなければ俺のような部外者が侵入することを恐れるはずだからな……ましてや引き込もうなどとはしないだろう。……さてどうするか?」

しばらく考え込んでから、寺沢はメールの発信人を探り始めた。処理が行われている間、取ってきた資料の調査に入る。いくつかの内容が欠損していたが、概ね読取可能な状態であった。

……ナハティンガル・プロイェクト。元々は眠り病の治療方法を発見するための計画だったらしいことが分かった。参加者名簿にはその筋ではメジャーな医学者が載っていて、かなり大規模な調査が行われたことが資料からうかがいしれた。しかし、数年後の書類からは計画が縮小されていったことも分かった。ところが、研究予算はむしろ増大しており、そのことは別の隠された計画の存在を示唆していたが、あいにくとそちらの方の情報は断片的で、充分な推測を立てるには情報が不足していた。

「……ここまで来て手詰まりか……まずいぞ……かなり本題からかけ離れてきたな……謎のプロジェクトも結構だが……肝心の里見啓吾と天野せりなのことがまるで分からん……と、なんだこれは?……アレフプラン?」

これまた断片的な情報だったが、確かにそんなフレーズがある。

「進捗に関する件か……1997年九月……なんだ、明日の日付じゃないか……機能停止……ナンバーの破棄を提唱……データ収拾後……ん、封印、か?」

他にもないかと探してみると、断片情報にはアレフなる単語が多数使用されていることが判明する。

「アレフ……ヘブライ語の第一文字……数学的概念……始まりをさすものか……象徴的だな。だが、具体的な記述は見当たらない。脱落した部分になにかあるのか、それともこれさえも隠されたものの表面的なものでしかないのか……おっと、見つかったようだな」

先程のメールの差出人をほぼ特定できた。といっても個人ではないらしい。しかもそれがダミーである可能性は高い。このアドレスにメールを打つことはかなり危険度の高いものだと言える。侵入の方がよっぽど楽だ。

「……どうする?これでこちらの所在はかなりの確率で漏れる……そうまでしてこいつらとアクセスする必要は……それで二人の謎が分かるというのか……しかし、手づるはこいつしかない……もう一度侵入するのは当分無理だし……できたとしても、危険性は前とは比べ物にならない……どうする……どうする……」

将介とは確かに親友だし、その依頼を完遂することは、それを引き受けた以上は寺沢の責務となる。しかし、どうにも今回のこの騒動は今までとは違う。軽い気持ちで望めるものではないらしい。しかし……しかし……。

元々持っていた好奇心は、恐怖を克服したようだった。

「……敵の敵は味方だ……そう、保健機構には敵対組織が存在する……ダミーかも知らん……だが、ここで引き下がるのは趣味に合わん……あのシステムをハックできなければ、俺のこれまでやって来たこと全て、無駄になってしまう……そう、無駄にしてはいけない……」

寺沢はメールを打った。題名も内容もないメールだ。しばし間を置いて、折り返しメールが帰ってきた。これでお互いのメールアドレス、そしてそこからお互いアクセス可能なアドレスが判明したことになるはずだ。

突然彼のマシンのチャットプログラムが作動した。どうやら既に侵入されていたらしい。だがセンサーには反応がなかった。ただその事実だけで、寺沢は敗北を悟った。と同時に、自らの判断の正しさをも悟った。

チャットウインドウに最初の言葉が流れ出していた。

『Hello,World!...君は今いずこに有や?全世界はそれを知らんと欲す……』

寺沢はその文字を身を乗り出して食い入るように睨み付けた。

……将介、もう後戻りはできないみたいだな。


将介は寺沢の部屋に向かっていた。

彼の方の調査は行き詰まっていた。里見の方は両親の職場まで押しかけてみたが門前払い。せりなの方は転入してくる迄の足どりを終えたが、その前がアメリカではいくら彼でも調べに行きようがない。あとは寺沢の調査が頼みの綱だ。

ところがその寺沢とここ何日か連絡がつかない。メールは届いているようだが返事がないのだ。扱っていることが事だけに、何かあったのかと思わずにはいられない。

その寺沢から久方ぶりの連絡が入ったのがついさっきだった。部屋まで来て欲しいという内容のメールが届いたのだ。だが調査内容については何の記載もなかった。

将介は部屋の前にたどり着くと、いつものノックをしてドアを開ける。

「先輩、一体どうした……え?」

部屋の中には誰もいなかった。中の様子は前来たときと変わりはない。ただ、部屋の主だけがいなかった。

「どういうことだ……鍵のかけずに部屋を出るなんてあの人らしくない……ん?」

OAデスクの上のキーボードの上に、封筒がおかれていた。表には何も書いてない。

将介は嫌な予感を振り払うように、乱暴にそれを手に取ると、中を開けて手紙を読み始める。読み進めていくうちに、将介の表情が暗く険しくなっていく。そして手紙を読み終わる頃には絶望の色がありありと見て取れた。

「そんな……そんなばかな話があるか!!……い、いやしかし……あの人が情報を捏造するなんてあり得ない……じゃ、じゃあ、里見は……それに彼女は……」

はっとなって時計を見る。もう放課後を過ぎてだいぶたっている。今ごろは里見とせりなが話をしている最中だろう。

「もしこの内容が本当なら……まさか……い、いかん!!」

将介は手紙を握りしめると、ものすごい勢いで部屋を出、階段目指して全速力で駆け抜けていった。

……里見……せりな……俺がいくまで待ってろ……待つんだぞ!!

その人の居なくなった部屋に、落ちかけの日の光が弱々しく差し込んでいた……。


『そろそろ予定時刻です』

『新旧交代か。これでようやく全ての準備が整うな』

『道程は長かったが、決着の時はすぐそこまで来ている』

『これからは何もかもが急激に進む……』

……怠るなよ。計画の漏れは全てを破壊しかねない。注意しろ。

『はっ』

……先はまだ長い……先はまだ、な。





©1996-2002,のぢしゃ工房/RAPUNZEL