夏の到来を思わせる厳しい日射しが、アスファルトの大地を焼き尽くさんばかりに容赦なく降り注いでいた。温められた地面から熱気が吹き出し、道行く人々から水分と気力を奪っていく。
異常な暑さだった。三十度は優に超えている。いや、四十度近いのかもしれない。
だが人の流れも、車の流れも、決して途切れることは無かった。まさしく、日常的光景に他ならない。
しかし……そんな流れとは切り放されたように、その建物は立っていた
それは十階建ての、かなり豪華なマンションだった。その壁面には、マンションの名前が誇らしげに刻まれている。
『あかね第一マンション』
乙夜学園から歩いて二十分、駅からは十五分。全室分の駐車場もあり、大きな公園がそばにある。実に立地条件に恵まれた高級マンションだった。当然家賃もそれなりのものだ。
だがその姿はひどく霞んで見えた。どことなくずれているというか、妙に存在感が感じられないのだ。そういえば人の住んでるという雰囲気もあまり感じられない……。
その最上階には、ペントハウス形式の部屋があった。もちろん最上級の部屋だ。
そのリビングの天窓から、日の光が中に差し込んでいた。
だが今、そこには誰の姿も無い。
それだけではなかった。そこには生活に必要に思われるものが、何一つ存在していなかった。テレビ、テーブル、ソファ……そしてむき出しのフローリングの床。ただカーテンだけが、唯一生活感を感じさせるものとして存在していた。
誰も住んでいないのだろうか?
と……隣の部屋から、ぴいぴい、というか、きいきい、というか……なにか小動物でも鳴いているような、かん高く、そしてか細い音がした。
しかし、音はすぐにぶっつりと消え失せてしまう。構造的にいえば、そこはベッドルームであるはずだった。
そしてそこから……複数の人間の蠢く気配が伝わってきた。
その部屋に入るには、このリビングを通らなければたどり着けないはずなのに、誰もリビングを通ってはいない。
一体誰が、いかなる方法でそこへたどり着いたというのか?
将介とみどりは、昼休み中の学園から、もちろん無断で抜け出すと、駅の方向に向かって全速力で駆けていた。
「ねえ、どこに行くの!?」
将介の後を追いかけながら、みどりは叫んだ。
「いいからだまってついてこい!」
怒鳴り返す将介に、みどりはかみつく。
「行き先くらい教えてよ!」
「とにかく走れ!すぐそばだ!!」
「だから、どこなのよ!?」
しかし将介はそれ以上答えなかった。息が切れてそれどころではないらしい。
……だから運動不足だってあれほど言ってたのに……。
そう腹の中でみどりは毒づいた。しかし今はただ走るしかない。
……絵俐素。
汗が滝のように流れ出る。炎天下の中での全力疾走は、さしものみどりも息が切れそうになる。
だがそれでも、みどりは足を緩めなかった。
そうしてしばらく走っていくと、みどりの視界に一際高いビルが見えてきた。
……あれは確か、ここいらじゃ一番人気のマンション……。
「ねえ、まだなの!?」
焦れて叫ぶみどりに、将介は目の前のマンションを指差した。
「あそこだ!」
それを聞くが早いか、みどりはダッシュして将介を追い抜いた。
……絵俐素、今行くからね!!
みどりは息を切らしつつ、マンションの入り口までたどり着いた。
途端、さっきまで流れ出すほどの汗が、あっと言う間に引いてしまう。
「あ……なにこれ?」
特に日影というわけではない。現に空を見上げると日の光がさし込んでくる。なのに、妙に薄ら寒かった。
しかし、そんなことに気を取られている暇はない。気を取り直して、みどりはマンションの入り口に近づく。
そこは自動ドアになっていて、コード入力式のセキュリティシステムで防護されていた。
「くっそ〜、鍵がかかってる!それに、いったいどこの部屋に行けばいいのよ!?」
どんどんとガラスを叩きながらみどりはわめいた。
と、その時。
「みどりちゃん!」
後ろから声をかけられてみどりが振り返ると、何故かそこに啓吾が立っていた。
「さ、里見さん!?どうしてここに?!」
驚いた表情で啓吾を見つめるみどり。だが啓吾は厳しい表情でその視線を受け止めた。
……なんで……里見さんが、怖い……。
みどりは何故か、自分がいけないことをしているかのような感覚に襲われる。
そこへ、ようやく将介が追いついてきた。
「はあはあ……早すぎるぞ、みどり……ん?なんでこんな寒いんだ?」
「そ、そんなことより!なんで里見さんがここにいるの!?」
しかしみどりの疑問を無視して、将介は啓吾に向かって言った。
「待たせたな、啓吾。開けてくれ」
「うん、わかった」
啓吾は肯くと、壁にビルトインされたテンキーを手を触れ、幾度かキーを叩いた。するとブザー音がして、自動ドアが音もなく開いた。
「え、なんで!?どうして里見さんがコードを知ってるの?!」
みどりは信じられないといった表情で啓吾を見るが、彼は無言だった。
「さあ、行くぞ」
将介が先に中に入り、それに啓吾が続く。慌ててみどりもその後を追って中に入ると、ドアは静かに閉じた。
そこはホールになっていた。さすが高級マンションらしく、床も壁面も大理石で覆われている。
「すごい……」
みどりが周囲に気を取られているうちに、将介と啓吾はエレベータに近づいていった。そして将介昇りのボタンに触れると、待たされることなく左側の扉が開いた。
「行くぞ!」
エレベータの中から将介が声をかける。
「あ、待ってよ!」
みどりがエレベータに飛び込むのを待って、啓吾が階数ボタンに触れた。最上階の十階。そして扉が閉まり、エレベータは静かに上昇を始めた。
「そこに……最上階に絵俐素がいるんですか?」
みどりが啓吾に聞くと、彼は静かに肯いた。
「でもどうしてそこにいると……」
わかったのか、とみどりが問いかけたその時、エレベータが止まり、扉が開く。
「ついたぞ」
将介が二人を促し、三人はエレベータを降りる。
そこは長い廊下になっていた。三人は無言で先に進んでいくと、廊下の一番奥に重厚な扉が見えた。
みどりはその扉に近づいてみたが、表札は掲げられていなかった。
「お兄ちゃん、里見さん、本当に絵俐素はここにいるの?どうして?誰かといっしょにいるの?これからどうするの!?」
まくしたてるみどりを手で制して、啓吾は扉に近づくと、ノブに手をかけて引いた。すると、鍵がかけられてなかったのか、あっさりと扉は開いてしまった。
「さ、里見さん!?」
「……さあ、中へ」
啓吾は扉を開け放ってみどりを促した。
扉と啓吾の顔を交互に見つめたみどりは、恐る恐る扉の中に顔を突き出し、中に声をかけた。
「あの……すみません。誰かいますか?」
しかし、中からはなんの返答もなかった。
みどりは更に一歩踏み込んで、今度はもっと大きな声で言った。
「すみません!……絵俐素いるの?返事をして!」
しかし、答えはない。
……こうなったら!
開き直ったみどりは靴を脱いで玄関に上がると、どんどん奥に入っていった。廊下の左右にはいくつか扉があったのだが、不思議とそれらには興味はなかった。ただひたすら奥へ向かう。
おそらくリビングへと続くだろうドアの前で、みどりは一瞬立ち止まり、後ろを振り返った。
将介と啓吾はみどりを見つめていた。彼女自身の意思を見守るように。
みどりはドアに向き直ると、ノブに手をかけ、扉を引いた……。
「やはりあなたたちでしたか」
「ひぃっ!?」
突如目の前に現れたのは、木島隆だった。
驚きのあまり転びそうになるのを、みどりは必死にこらえる。
「あ、あんた!な、何でここに!?」
しかし隆はみどりの発言を無視して、みどりたちの顔を見回して言った。
「まだ理解しておられないようですね。まして……彼女を連れてくるとはね」
隆の酷薄な視線を受けて、みどりはまなじりを上げて怒鳴り散らした。
「ちょ、ちょっと!あたしがどうしたっていうのよ!?それにあんた……やっぱりあんたも絡んでたのね!絵俐素はどこ?どこなのよ!?」
「ええ、こちらにいますよ」
背後のドアを示しながら隆は言った。
「え!?だ、だったらそこどきなさいよ!絵俐素を連れて帰るんだから!」
そうみどりが凄むと、隆は両手を大きく広げ、首を振りながら言った。
「それはできません。彼女たちの邪魔をさせるわけにはいかないのでね」
「やっぱり関係があるんだ、あの双子と!」
「関係と言っても、おつきあいさせてもらってるわけじゃありませんけどね」
隆は軽い口調でそう言った。
「でもとっくに気がついているものとばかり思っていましたが……特に後ろの方々にはね」
「え!?ほんとなの、お兄ちゃん!?」
振り返ったみどりの視線を受けて、将介は言った。
「ああ、まあな。転校初日からいろいろと動き回ってたし……おまけに双子の転校生の登場に、警告と来たもんだ。ぴんときたよ」
「そんな……わかってたんだったら、どうしてなにもしないなんて言ったのよ!?」
わなわなと肩を震わせてみどりは怒鳴った。
しかし、将介は全く動じずにふてぶてしく言った。
「相手の手の内が読めない内に、こっちの手の内をさらせるかよ」
「……なるほど。警告は無意味だったということですか」
感心したように隆が言うと、将介は心底嫌そうな顔でこう言った。
「俺は人に命令されるのが一番嫌いなんだ」
「なるほど、こいつは気が合いそうですね。でも……後悔すると思いますよ」
「後悔は、俺が二番目に嫌いなんだよ」
「なるほど、つまりは……」
「なにわけわかんないこと言ってるのよ!」
二人の会話に焦れたみどりが大声を上げた。
「そんなことはどうでもいいのよ!絵俐素はこっちね!!」
みどりが隆の背後のドアに近づこうとするが、隆はその前に立ちふさがった。
「おっと……行かせるわけにはいけません」
「どきなさいよ!」
「いいえ」
隆は半眼になってみどりを睨みつける。思わずその瞳を見つめてしまったみどりは、急に身体から力が抜けるのを感じた。
「あ!?なに、よ……これ……?!」
立っているのがやっとの状態になって、みどりは唇をかみ締めながら隆を睨みつけた。
「ほう……まだ立っていられるとは……」
隆は軽い驚きを示すと、将介と啓吾の方を見て言った。
「さてと……まだ時間がかかるようですから、ちょっとおしゃべりでもしましょうかね」
「誰が……あんたなんかと……」
「別に聞いてもらおうなんて思ってませんよ。ただの独り言です。……それにしても、よくここが分かりましたね。確かにここは彼女たちの部屋ですけど……非公開のはずなんですが」
「後をつけたんだ」
将介の答えに、隆はうんうんと肯きながら言った。
「なるほどなるほど。でもどうやってここまで来たんですか?玄関の鍵はどうやって?」
「まあ、蛇の道は蛇っていうやつでね」
「熱心なことで」
「じゃあ、お兄ちゃんたちは、あのあと、ずっと、こいつらのことを調べてたの!?」
みどりは苦しそうに息を吐き出しながら言った。
「そうだ。言ったろう?命令されるのは大嫌いだって」
「そんな……それじゃ……あたしがばかみたい、じゃない……」
「すまん……」
本当に済まなさそうに将介は言った。
「だがな、できればお前には関わって欲しくなかった……なのにお前ときたら勝手に突っ走りやがって……」
将介は苦虫をかみつぶしたような顔をして啓吾の方を見た。それを受けて啓吾が口を開いた。
「危険なんだ……本当に。できればみどりちゃんには一生知って欲しくない世界の話なんだ……特に彼らの存在は……」
啓吾らしくない、暗く澱んだ表情で言う姿に、みどりは悲痛な表情で叫んだ。
「一生、知って欲しくない?……いったいなにを……なにをなんですか、里見さん?!」
「待ってくださいよ」
隆が頭を振りながら言った。
「それじゃまるで僕たちが悪者みたいじゃありませんか」
「違うって言うの!?あんたたちが、転校してきた途端……立て続けに人が、死んだんじゃないの!それでも、あんたたちのせいじゃ、ないっていうの?!」
みどりの猛烈な剣幕を軽く受け流すかのように、軽い口調で隆が言い返す。
「とんでもない!僕たちは被害を食い止めるためにやってきたんですよ?それに事実関係が逆です」
「どう、違うって、言うのよ!?」
「僕たちが来る前から生徒の死亡事件は起ってたでしょう?そして事件が連続した……だからこそ、僕たちはここへやって来ることとなったんです。そして……立て続けに起ったのは、そういう時間の流れ……必然という奴です。そんなこと、とっくにわかってたんでしょう、滝沢将介さん?」
同意を求められた将介は、複雑な表情を浮かべて言った。
「ああ、そうだな。よくはわからんが、そういうことらしいな……よそでも同じことが起ってるとも聞いたしな」
「よそって……どういうこと?」
みどりの問いに、将介は静かに答えた。
「他の学校でも……いや、日本全国でも起ってるんだ、似たような事件がな」
「なんですって!?」
初めて聞く事実に、みどりは愕然となった。
「そんな……じゃあ、噂はほんとうの……」
「噂は噂だ。それ以上でもそれ以下でもない。事実の反映じゃない。人の不安な心がそれを生み出すんだ」
将介はみどりの疑惑を切って捨てた。
「だが、事実は……噂の一部分に含まれていた……人の口に戸は立てられんというのは本当なんだな」
「おかげでてんてこまいでしてね……」
心底疲れたという表情で隆は言った。
「人手が足りないので、こちらが後回しになった次第で……」
「それじゃ、五人も死んだのは、あんたらが、ちんたらやってたせいだって言うの!?」
みどりの怒りの声に、隆はやれやれといった感じで言った。
「それはあまりにもあまりな言い方というものです……なにもしていなかったわけじゃない」
「初動が遅いとろくなことにならんな」
将介の皮肉めいた口調に、隆は軽く受け流すように言った。
「過ぎてしまったことは、どうにもなりませんよ」
「止めてよ!!」
苦しい息を吐きながら、みどりは不毛なやり取りを終わらせた。
「そんなこと言い合ってる場合じゃないわよ!絵俐素は無事なの?!答えなさい!!」
みどりのものすごい視線に気圧されたかのように、隆が答える。
「ええ、まあ……無事とは言えませんが、まだ生きてますよ」
「だったら……会わせて、おねがい……」
「それはできません」
「どうしてよ?!あんたたち……いったいなにを絵俐素にしようとしてるの!?」
「それは……言えません。知らない方がいい世界というのもあるんですよ」
どことなく馬鹿にしたような隆の言い方に、みどりは心の中の何かが切れた。そして次の瞬間……みどりはあらん限りの力で絶叫した。
「そんなことはあたしが決めるわ!!」
まるで火でも吐き出しかねないその勢いは、他の三人を圧倒した。
「どうして誰も彼も隠そうとするの?!真実はつらいことだなんてそんなことわかってるわよ!でも、あたしは、それでも、知りたいの!知らないフリして生きるなんて嫌なのよ!他人の勝手な思い込みで、あたしの人生を決めないで!!」
悲痛な叫びだった。
誰もが言うべき言葉を見つけられないまま、ただ沈黙した。
しかしそれは……わずかの間だけだった。
隆が、暗く険しい表情でみどりを見つめながら言った。
「なるほど……決意の程はよくわかりました……しかし、もう彼女を助ける手段がないとしたら、どうしますか?それも……自分がその時を逃してしまっているとしたら?」
「そ……それはどういうこと!?」
絵俐素を救えないのは自分のせいだと告げられ、愕然となるみどり。そこへ追い打ちをかけるように、冷酷な口調で隆が言った。
「あなたは今回の一連の事件のことを色々と調査をした……そうですよね?その過程であなたは知ったはずだ。その者たちには共通するものがあることを……彼女たちの誰もが希望に満ちあふれ、将来を嘱望されていた。それが突然なにかにとりつかれたように、その夢に向かって暴走を始める。そのきっかけはコンテストや発表会……夢の実現に必要な登竜門とでも言うべき場。そして彼女たちは、必死になって努力をした。その結果目が落ちくぼみ、頬がこけても……寝不足で周りの人間が注意をしても、それでも彼女たちは歩みを止めなかった。それが夢を実現するために必要なことだと信じていたから。だがその結果は……知っての通りですね?」
そこで一旦話を切り、隆は視線をみどりに向ける。みどりは微動だにしない。いや、動けなかった。
「しかし……彼女たちにも疑問が無かったわけじゃなかった。なぜ、自分はこうまでして夢を叶えようとするのか?夢とは一体なんなのだろう、と……彼女もその一人だった」
「まさか……絵俐素が……?」
「そうですよ。でもあなたは……それに気がつかなかった。彼女の悩んでいることに気がつかなかった。彼女の状況が過去の犠牲者と似ていることを知りながら、自分の勝手な思い込み……彼女なら大丈夫だろうという希望的観測で、あなたは最後のチャンスを逃してしまった。彼女の送ったシグナルを、あなたは無視したんです」
「そ、そんなこと……ない……シグナルってなんなのよ!?」
「いつだって……彼女はあなたに訴えかけていましたよ。……不安そうな顔で」
「見、見てたわけじゃないくせに!」
「わかりますよ……ずっと彼女のそばにいたんですから」
「……え?」
「彼女はマーク対象でしたからね。それに離れていても心の動きくらい読めますよ。そういう風に訓練されているのでね」
隆の目が妖しく光った。
「まあそれはともかく……残念ながら、もはや手遅れなんですよ」
「見、見てきたようなこと言わないでよ!!手遅れなんてだれが決めたのよ!?勝手なこと言わないでよっ!!」
「いいえ……事実です」
隆は断言した。
「もっと早ければ……僕たちが到着するほんの少し前にあなたが気づいていれば……彼女たちでもどうにかできたかもしれません。しかし……もう手遅れです」
「ておく……れ?」
「これは、あなたが招いたことでもあるんですよ、滝沢みどりさん」
そう言って隆はみどりを哀れむように見つめた。
その視線を、みどりはうつむいて見ようとはしなかった。いや、見れなかった。
……そんな……あたし、なんにもわかんなかったっていうの?いつもあの子のそばにいながら、なんにも感じなかったってこと?
……確かにあの子の様子はおかしかったわよ……でも、大丈夫だろうって……あの子の顔見てたらそう思えたから……でもそれが勝手な思い込み?……絵俐素の空元気だったの?
……絵俐素の親友気取りで、なんだってするとか言っておきながら、この有り様……。
……あたしのせい、なの?あたしがばかだから、絵俐素が……絵俐素が……そんな……そんなのって……。
力尽き、崩れ落ちるように、みどりは床に座り込んだ。
「そんなのって……ないよ……」
その後ろ姿を将介と啓吾は沈痛な表情で見つめていた。特に将介は怒りに身体を震わせていたが、隆の放つ気に圧倒されて成す術無く立ち尽くしていた。
「ですが、あなたがそんなに苦しまなくてもいいんですよ!」
そんな三人に、隆は無責任とも取れるような、飛び抜けて陽気な口調で言った。
「たとえ気づいたとしても、結局あなたたちでは何もできなかったでしょう!自分にできないことまで責任を感じることはありません。今はただ、あの二人に全てを任せて……」
……自分にできないこと、ですって?
隆の言葉に、みどりは身体をかすかに震わせて反応した。
……自分にできないこと……そう、あたしは確かに絵俐素の苦しみを理解できないでいた……自分勝手に安心して……自分勝手に思い込んで……。
……だけど……だけど……だけどだけどだけど!!
……まだあたしはなにもやっていないじゃない……ためしてもいないじゃない!……これじゃ……あの時と一緒じゃない……そんなこと……そんなことじゃ……だめだ……!!
ゆらり……。
みどりは、まるで操り人形がつり上げられるように、ふらつきながらゆっくりと立ち上がった。
「ああ、無理はしない方が……」
そう言って隆がみどりの身体を支えようとすると、みどりは一瞬ぐらりと隆の方に倒れ込む。
「あ」
隆がその身体を抱きとめようと、手を差し伸べたその刹那……。
「うわ!」
隆の身体は美しいループを描いて宙に舞っていた。そして床にたたきつけられるまでのわずかな間に、みどりは絵俐素のいるはずの部屋の前に立っていた。
「あ、開けるな!!」
倒れたまま隆は叫んだ。今までと違う、うろたえた声で。
しかしみどりは意に介さなかった。みどりはドアのノブに手をかけて回し、扉を開いた。
「う……!?」
中は白い光で満ちあふれていた。その輝きに一瞬視力を奪われたみどりは、手をかざして光を遮った。
どれほどそうしていたのだろう……みどりは恐る恐る目を開けた。
見えたのは、なんの調度も無い殺風景な部屋だった。部屋中が白で塗りつぶされている。
だがその中央には怪しげな図形が描かれていた……魔方陣だ。魔術書にでも出てきそうな典型的な模様。
その魔方陣の外側には、由莉と由魅の双子が互いに向かい合うようにして跪き、祈りをささげるように両手を組んでいた。そしてその瞳は、みどりを哀し気に見つめていた。
その視線に一瞬たじろぐみどりだったが、魔方陣の中央に横たわる絵俐素の姿を見つけ、歓喜と絶望の入り混じった声で叫んだ。
「絵俐素!!」
だがみどりの叫びになんの反応も示さずに、絵俐素は、その身を魔方陣の内に横たえていた。
「これはいったいなんなのよ!?」
由莉が立ち上がって叫んだ。
「隆!あんたいったい何やってんのよ!?」
「それが……彼女、なかなかやり手でね」
頭をかきながら隆が部屋に入ってくる。将介と啓吾もその後に続いていた。
「眼力を外されたのは初めてだ」
「ふうん……」
一瞬興味深げな視線を送る由莉だったが、すぐさま怒りの表情で隆を睨みつけた。
「全く頼りにならないわね!これじゃまた一からやり直しじゃないの!」
「絵俐素になにをしようとしてたの!?」
由莉以上に怒りに満ちた表情でみどりが叫んだ。しかし由莉も負けてはいない。
「あんたなんかに言う必要なんて無いわね。外でおとなしくして待ってなさい!」
「いいえ……うさんくさいあんたたちに任すつもりはないわ」
その時、睨み合うみどりと由莉の間に由魅が割って入った。
「おねがいですからやめてください!時間が……時間がないんです!」
これまでの雰囲気からは信じられないような、慌てた様子で由魅が叫んだ。
「時間?」
「このままでは絵俐素さんだけではなく、この世にいるすべての人が危険なんです!だから……だから、あたしたちを信じて、あたしたちにこの場は任せてください!お願いします!」
「そうよ!四の五の言ってる場合じゃないの!部外者は黙ってそこで見てなさい!」
双子の放つ不思議な気迫に、みどりは一瞬言葉を失った。が、しかし、みどりは引き下がろうとはしなかった。
「ぶ、部外者ですって!?あんた何様のつもりよ!人をさらっておいてよくもそんなこといえるわね!?」
みどりはそう叫ぶと、絵俐素のそばに行こうとした。それを由莉と由魅がしがみついて止めようとする。
「だから黙ってろって……!」
「みどりさん、お願いですから……!」
「は、離しなさいよ!!」
三人は魔方陣の外でもみ合っていたが、力に勝るみどりが双子を引きずって魔方陣の中に足を踏み入れた。
と、その時。
「ああっ!?」
「うあっ!?」
「きゃっ!」
三人はバランスを崩し、絵俐素のそばに折り重なるようにして倒れ込んだ。そして、それほど激しく身体を打ちつけたわけでもないのに、みどりの意識は急速に失われていった。
……な、なんなのよこれ……気が遠くなっていく……。
……絵俐素……このまま助けられずに終わっちゃうの?……そんなの……そんなのやだよ……絵俐素!!
しかし、抵抗虚しく、みどりの意識はふっつりと途切れていた。
だが意識を失ったのはみどりだけではなかった。由莉と由魅もいかなる理由からか、共に意識を無くしてみどりの上に折り重なっていた。
「みどり!」
「待て!」
将介がみどりの所に駆け寄ろうとしたが、隆に静止された。
「どけ!」
「待つんだ、将介」
啓吾にまで止められ、将介は怪訝な表情で二人を見比べる。
「これは予想外の展開ですが……おもしろいことになるかもしれませんよ」
言葉とは裏腹に、真剣な口調で隆が言う。
「今は……待つしかない」
啓吾の呟きに、将介は唇をかんで、少女たちが倒れ伏す魔方陣を睨みつけた。
みどりの伸びた手の先は、絵俐素の手に重ねられ、しっかりと握りしめられていた。
……負けるなよ、みどり。
これから繰り広げられるであろう戦いを思いやりながら、将介はただ祈るしかない自分を詛った。