みどりは頭をひとふりして、職員室のドアを開けて中に入った。昼休み中なのでかなりの先生が残っている。その中で、みどりは窓際の席に座る男の先生に声をかけた。
「秋元せんせ!」
そう呼ばれた男は、食事の手を休めてみどりの方を向いた。
「ああ、滝沢妹か……」
秋元は三十才半ばの、商家の若旦那といった風情の人物で、将介たちの活動の顧問というか保護者のような立場にあった。その分気苦労も多いらしい。
「今日は一人なんだな。どうした?」
「あ、兄ですか?……いいんです、気にしないでください、あんなの」
「あんなのとはひどいな……けんかでもしたのか?」
「いえ、別に……」
視線をそらすみどりを、秋元は怪訝そうに見つめる。
「そんなことより……教えてほしいことがあるんです」
「……お前がそんな風に言ってくるなんて初めてだな。一体どういう風の吹き回しだ?」
「……」
難しい顔で黙り込んでしまうみどりを、秋元はじっと見つめる。
「……まあいいか。それで、なにを聞きたいんだ?」
「実は……昨日死んだ子のことで」
「ああ……篠田のことか」
さすがに秋元の表情も暗くなる。
「あたし、隣のクラスだったのによく知らなくて……」
「そうか……俺の知る限り、すばらしい生徒だった」
生徒だった、という表現がみどりにはひどく悲しく思えた。
「成績優秀、品行方正……問題のつけようのない子だった。特に料理の才能は……人並み外れていたそうだ……コンクールの話、知ってるか?」
「ええ……絵俐素……羽田さんに聞いてます」
「ああ、羽田か、うん……大変だったな、あいつも……」
秋元は一瞬目を細めた。
「ああ、で、そのコンクールで優勝すれば、次は国際大会に出場できたそうだ。そして彼女はその優勝候補の一角だった……実におしいことだな……」
「でも……死んだ?」
みどりはぐっと声のトーンを落として言った。
「そうだな……悲しい出来事だと言う他は無い……」
「でもどうしてみんな騒がないんですか?昨日の今日なのに……」
「……あの噂のことを言ってるのか?」
秋元は厳しい表情で言った。
噂……昨日も教室で持ち切りだった噂、そして今日も学校中で噂されるだろうもの。
……連続死?
「確かに、突然死が頻発しているのは事実だな」
「じゃあ……!」
「慌てるなよ」
秋元はみどりの顔に指先を突きつけて言った。
「だがな、それが噂みたいな呪いだのなんだのというのは、そういう話があるということだけで、それが真実だという証拠は何も無いんだ」
「でもおかしいですよ!」
思わず大声になってしまい、みどりは口元をおさえた。しかし、周りの誰も関心を持っていないのか、文句一つ上がらない。
みどりは小声でぼそぼそと話し出した。
「おかしいですよ……最初は一月半前……次が一ヶ月前……その前は十日!おまけに昨日一昨日と連続してるんですよ?これが……なんで関連無いなんて思えるの?先生はこれがただの偶然だと思ってるの!?」
みどりに睨まれて、秋元はばつが悪そうに頭をかいた。
「俺にはわからんよ……ただな……」
「ただ?」
「……誰も真剣に考えようとする者がいないのは確かだ。健康管理が問題になってもおかしくないと思うんだが……そういうこともない。PTAや教育委員会で問題にされたこともない。報告はしているはずなのにな……」
「学校側はいつだってそうじゃない。不祥事は隠そうとする……でもマスコミはどうなの?」
「特に何もない。取材に来たということも無い」
「そうなんですか……」
「まだ……聞きたいことあるか?」
「いいえ、もう……ありません」
「そうか……」
秋元は多少疑わしげにみどりの顔を見つめたが、優しい声でこう言った。
「まあなんだ、あんまり思い詰めるなよ。それと……変に深入りはするなよ?将介は何も動いてないんだろう?」
だが今の一言は、みどりにはむしろ逆効果だった。
「……先生まで」
みどりは秋元を睨みつけた。
「お、おい、滝沢?」
「あたし、絶対やめませんから!」
そう宣言して、みどりは職員室を走って出て行ってしまった。
秋元は箸で頭をかくと、ため息をついた。
「変わらんなあ、あの兄妹は……一体誰に似たんでしょうかねぇ……ね、先生?」
『真里?ああ……いい娘だったわよ。明るくて元気でさ。で、料理が上手だったでしょ?この前みんなでピクニックに行ったんだけど、その時はみんなの人気者よね。あたしもおべんとわけてもらったんだけど……とっても、おしかった。でももう……食べられないんだよね……』
『結構可愛い子だったじゃない?何度か告白されたらしいんだけど、でもねえ……』
『そう……あたしには今とってもやりたいことがあるんです、だから今はだめなんです、ごめんなさい……って、あんなに必死になって頭下げられちゃ、俺がわるもんみたいに思えてさ……でも、不思議といやな感じはしなかったな』
『こうするんだと決めたら一途に突っ走る、てな感じだったわ。ほんと、才能があったのに……どうしてこんなことになっちゃうんだろう……まったく、神様も残酷よね……』
『確かに具合は悪いみたいだったのよ。でも、持病があるなんて聞いたことないし、単なる一時的な疲労だろうって言ってたのに……無理にでも休ませればよかった……』
廊下を歩きながら、みどりは集めた様々な証言を思い浮かべていた。
篠田真里に対する人物評価はどれも満点に近いものだった。ふられた男子生徒ですら、悪い言い方はしていない。しかし……。
……前兆、か。
最後の話に、みどりは引っかかるものを感じた。と同時に彼女の脳裏に、絵俐素の表情が浮かんだ。具合の悪そうな顔。
「まさかそんな……ね」
その頃、絵俐素は図書館にいた。
借りていた本をカウンターに返却し、次の本を探すために二階に上がる。そして洋書やその翻訳本が並んでいる棚の前に立ち、その中のアメリカ文学の辺りを眺めた。そして少し厚手の大判なハードカバー本を何冊か手に取り、貸出カウンターの方に持っていって貸出依頼をする。
その時、後ろから声をかけられた。相手は絵俐素の所属する文芸部の部長だった。彼女は絵俐素の借りようとしている本を見ると、満足気に肯いて言った。
「あ、やっててくれてるんだ!」
「ええ、まあ……」
手続きが終わって帰ろうとする絵俐素に、部長が後からついてくる。
「で、どう、間に合いそう?」
「ええ……間に合わせますよ」
絵俐素の返事はやる気なさそうに聞こえた。それに気づいたのか、部長は哀願するように目の前で手を合わせながら言った。
「ごめんね、無理言っちゃって……でもさ、相手ももう待ちきれないって感じでさ……」
「……わかってます。ちゃんと期日までには仕上げますから」
「ほんと?悪いわね。じゃ、待ってるから。……あ、そうそう」
「まだなにか?」
「例の話ね、ちゃんと進んでるって言ってたから、なるべく早く、ね?」
「……はい」
「じゃあ、また」
そうして部長はそそくさと去っていった。
絵俐素は一つため息をつくと、とぼとぼと歩き出した。
……なにやってるんだろ、あたし……他人のために、他人の物を書くなんて。
絵俐素がその話を書いたのは、投稿作品が落ちて腐っていた時だった。なんの気無しに書いたホラー小説が部長の目に止まり、あの話を持ちかけられたのだ。
『あのね、あたしの知り合いでプロの作家さんがいるんだけどさ。ここんとこスランプでね……で、絞め切り間近で困ってるの。それがさ、ホラーの短編なんだけど、ちょうど……これと間尺がおんなじなのよねえ……。でさ、言いにくいんだけど……これ、もらえないかな?あ、もちろん、ちゃんとお礼はするわよ。デビューの口利きくらい、やってくれるって言ってたし……どう?だめ?』
それはとても魅力的であると同時に、小説家としては非常に危険な申し出であった。ゴーストライター自体はドキュメンタリーや自伝ではよくあることだったが、それが小説ともなれば盗作に等しい行為となる。無論、この場合は自分からそれを提供するわけだから違うと言えなくもないが、本質的には全く同じ行為だった。
だが、それには甘い蜜が付属していた。プロデビューという甘い蜜……それはたとえようも無いほど魅力的なことだった。
結局……絵俐素は引き受けた。原稿を最後まで書き上げることが要求され、それと引き換えにデビューの口利きを約束された。だがその作家の名前は明かされず、約束の履行はその作家が審査員に含まれるある投稿募集に応募することで成されるはずであった。
……早まったのかな、あたし?確証なんてないのに……そうまでして、あたしはプロデビューしたかったのかな?自分の書きたいものを書くのではなくて、いいかげんな気持ちで書いた作品で……しかも、それを他人の名前で発表されて……いいのかな?あたし、こんなのでいいいのかな?
そんなことを思いながら校門を出ようとした時、前の方から由莉と由魅が絵俐素に近づいてきた。
「こんにちは」
人当たりのよさそうな笑みを浮かべて、由莉が声をかける。その後ろでは由魅が不思議な微笑みを浮かべながら、絵俐素を見つめていた。
「ああ……ええと、由莉さんに……由魅さん、だっけ?」
「うん。あたしが由莉、あっちが由魅……まあ、一卵性でも雰囲気違うからわかるでしょ?」
「そうね……同じ髪型でも違う感じがするかも……」
なんで声をかけてきたのだろうと訝しみながら、絵俐素が言った。すると由莉は感心したとでも言わんばかり、大げさな口調で言った。
「さすが!小説家になろうかって人はやっぱり違うわね〜」
「……なんでそれを?」
絵俐素は思わず由莉を睨み付けるようにした。しかし由莉は慌てるぞぶりを全く見せずに言った。
「みんなから聞いたのよ。クラスのみんなそう言ってた」
「ああ、そうか……」
「今なに書いてるの?」
由莉が馴れ馴れしく聞いてくる。
「別に……なんだっていいでしょ」
絵俐素はぶっきらぼうに答えた。
「なるほど……秘密主義なんだ、羽田さんて。でも、できたら見せて欲しいな」
「ええ……できたらね」
どこまでついてくるつもりなのか、校門を出てしばらくたっても双子は後についてきた。一見して鞄を持っていないので、また学校に戻るのだろうが……。
「……なにか用なの?」
絵俐素は立ち止まると、振り返って二人に聞いた。
「ええ、まあ……あたしは別にないんだけど、由魅がちょっと、ね」
そう由莉が言うと、それまで少し引き気味についてきた由魅が絵俐素のそばまでやってきた。
由魅は目を細めながらみどりを見つめた。思わず絵俐素はその目を見返す。
……綺麗な目……強く引きつけられる……力を感じるわ。暖かくもなく、冷たくもない……何もかも見通すような瞳……。
由魅はしばらく絵俐素を見つめていたが、身を震わせて自分の肩を抱いた。
「……ああ」
由莉はそんな由魅の身体を支えるようにすると、絵俐素の方を見て言った。
「……気がつかないの、あなた?」
「え?……な、なにを?」
あっけに取られて二人を見つめる絵俐素に、由魅は憐れみとも慰めともつかない表情で言った。
「……ううん、いいの。いいのよ……あたしたちが見ていてあげるから……」
「え……?」
「そう……見届けてあげる……最後まで……あなたの全てを……」
「ちょっと……何言ってるの?」
しかし由魅はそれ以上何も言わずに、由莉に連れられて学校の方に戻っていった。その後ろ姿を、絵俐素は呆然と見つめていた。
……いったいなにを見ているっていうの?あたしのいったいなにを……?!
ぶるっ。
なんとも言えない悪寒が彼女を襲った。
……あたしに、なにかが起きるというの?
みどりが家庭科教室のドアを開けると、中では一つのテーブルを囲んで、クラブのメンバーが会話に興じていた。しかし、女子だけのはずなのに、男子生徒が一人そこに紛れ込んでいた。
「木島……くん?」
そこでは木島隆が微笑を浮かべながら、彼女たちの話に耳を傾けていた。テーブルの上には焼かれたばかりのクッキーやケーキが並べられ、お茶会の様相を呈している。
「ああ、確か滝沢さん……でしたね?」
木島は実にさわやかな口調で言った。
「あら、名前を覚えてくれてるなんて嬉しいわね」
多少嫌みっぽくみどりが言った。双子との関連は未だよく分からないが、怪しいと思ってる。
しかし、木島はしれっとして言った。
「記憶力は良い方でしてね」
「あら、みどりちゃん、なにか用?」
その時部長が声をかけた。彼女は以前将介の世話になったことがあり、みどりとは面識があった。
「ええ……その……」
「ああ、真里ちゃんのことね……残念だったわね、ほんとうに……」
部長は先回りして言うと、みどりに椅子を勧めた。みどりが座ると、部長はみどりにレモンティーの入ったカップを手渡し、自分も新しくカップに注いで椅子に座った。
「そうね……彼女の様子に気がつかなかったのは、あたしの人生最大の失敗ね」
「そ、そんなことないですよ……」
「いいのよ、気を使わなくったって」
「でも、それを言ったらあたし達だっておんなじですよ」
「そうですよ、部長」
部員たちが口々に部長をかばうようなことを言う。それだけ人望があるということなのだろう。
「うふふ……ありがと。でもねえ……もう少し気をつけていたらって、思わないではないの」
「……なにか前兆があったんですか?」
そうみどりが尋ねると、部長は目を細めて何かを考えるようにして言った。
「そうね……あれは、なにかにとりつかれたみたいだった……」
「とりつかれた……?」
「そう。ほら、あなたも聞いてるでしょう、料理コンクールの話?」
「ええ……」
「それで彼女、とっても頑張っててね……毎日遅くまで考えてたみたい。それで寝不足気味だったのね。あたし、注意はしていたんだけど、彼女、今が大事な時なんです、これが終われば休みますって言って……それであたしも安心しちゃってたのかしらね。そんなに深刻には受け止めていなかった……部長失格だわね」
そう言って彼女はカップに口をつけた。
「んー、ちょっとレモンが強すぎ……」
「……他には、なにか?」
だが、部長も他の部員たちも、ただ首を振るばかりだった。
「そうですか……」
「そういえば……」
部長が思い出したように言った。
「辻本さんが亡くなったという知らせがあった日……ああ、真里ちゃんが亡くなった日でもあるわね……お昼休みに気になって会ったんだけど……ひどく落ち込んでたわ……」
「落ち込んでた?」
みどりがそう言うと、部員たちが口々に話し始めた。
「そうだった……二人は親友で、一緒に頑張ろうねって言いあってたんだって。それがあんなことになっちゃって……」
「辻本さんも発表会控えてて、気合い入れてたみたいだよ」
「それは真里ちゃんだってそうだよ。真里ちゃん、料理コンクール、楽しみにしてたんです。これなら絶対優勝できるぞって彼女、嬉しそうな顔して……」
「そうそう……夢にまで見たんだって、その瞬間を!」
「そうだっけ?あたしが聞いたのは、夢の中で教えられたんだって。その優勝した料理の作り方」
「あ、それあたしも聞いた!それで見た料理が……えっと、なんだったけ?」
「確か……鳥の料理だったはずよ。あー、なんの鳥だったかは忘れちゃったけど」
「ああ、ちゃんと聞いとけばよかった。そうしたらみんなでそれを作って、真里ちゃんの供養になったかもしれないのに……」
「そうだね……ああ、その夢あたしも見れたらいいのになあ……」
「……夢」
みどりは冷めてしまったカップを両手で支えながら、考え込んだ。
……夢の中でヒントをもらったっていうことか……そして一生懸命頑張って……。
……夢……自分を苦しめてでも叶えたいもの……あたしにはそれがあるだろうか?
……篠田さんにはあった。辻本さんにもあった……これまで死んだ人にも、そんなのがあったのかな?調べて観る価値はありそうね……。
……でも……そんな人がどうして、死ななくちゃいけないんだろう?夢をもって、目標を定めて、それに向かって全力投球で、そして……それを叶えてしまえるような、そんな人達が……。
……絵俐素……ああ、そうだ。絵俐素も夢を追っていた……そして今もそれを追っている。
……だけどあたしは……ただ、それをうらやましがっているだけ……。
……そう、うらやましかったんだ、あの子が。夢に向かって、まっすぐに進んでいく彼女が……。
考え込んでるみどりの顔を、木島がじっと見つめていた。その表情からは、いったいなにを考えているのかうかがい知ることはできない。冷静に観察している、そんな感じだった。
しかし、みどりはそれには気づく様子も無く、気落ちした感じで椅子から立ち上がると、部長に一礼した。
「ありがとうございました。あたし、もう行きます」
「そお?もっとゆっくりしていけばいいのに……」
「いえ……まだやることがありますから。失礼します!」
そう言って、みどりは教室から出ていった。すると、それに合わせるように、木島も立ち上がった。
「あら、あなたも?」
部長がそう問いかけると、これまであーだこーだ言い合ってた部員たちが騒ぎ出した。
「えーっ、もう帰っちゃうの!?」
「まだいいじゃない!」
「急な用事を思い出したので……また今度来ますよ」
実にさわやかな笑みを浮かべる木島に、部員たちは酔ったような目を向ける。しかし、部長は何故か不安そうな目で彼を見ていた。
「紅茶、おいしかったですよ」
木島は部長の目をまっすぐ見返すと、そう言い残して教室から去っていった。
その時、部長は妙な肌寒さを感じた。
……なんでかしら?……うーん、なにも起らないといいんだけど……。
みどりがやってきたのは図書館だった。ここには新聞や雑誌が保存されているが、その中には学内で発行された新聞類も含まれていた。
そのバックナンバーを二ヶ月分ほど机の上に置き、みどりはひたすらページをめくり続けていた。
「……資料調べがこんなに大変だったなんて……もう……」
一人で愚痴りながら、みどりは汗まみれになって新聞をめくる。そして選り分けられたものが、次々と積み上げられていた。
……こんなこと、お兄ちゃんもやってるのかな……?
結局ひと通り目を通すだけで一時間以上かかった。そこで気がついたことは、情報量が非常に少ないことだった。噂の類さえろくに載っていない。乙夜学園にもゴシップ誌のような物があるが、そのような雑誌でも記事が載っているのは最初だけで、最近の物には全く出てこなかった。
だがさすがに生徒の死亡記事自体は載っていた。それは人が死んだという事実の持つ重みを証明してはいたが、それ以上にその人物に対する評価の大きさを示しているようにみどりには感じられた。
……死んだことへの哀しみというよりは……その才能を惜しむって感じね……その人の素顔なんてどうでもいいみたい……。
記事のほとんどは、その人物がいかに才能を発揮し、乙夜の名誉となっているかに注目したものだった。もちろんその人となりには言及されていたものの、いいことずくめで、なにか薄っぺらいものを感じさせた。
みどりは新聞の情報をまとめたノートに目を移した。そこには死んだ生徒の名前と死亡日時、場所、死因、その人物評などが書かれていた。
……榎本恵美子、三年A組、五月十五日午後三時頃、発表会中に昏睡状態になりそのまま死亡、心臓麻痺、天才ピアニストとして国際的に活躍。
……仁科葵、三年F組、六月九日未明、自宅にて昏睡状態で発見され当日死亡、心不全、天才ハッカーとしてネットでは超有名人、ソフトウェア会社設立を予定していた。
……寺田信子、二年D組、六月二十三日午前十時頃、競技場に向かう途中交通事故により死亡、女子陸上短距離の記録保持者。
……辻本雅美、一年C組、七月一日未明、自宅にて死体として発見、心臓マヒ、天才画家として将来を嘱望される。
そして……篠田真里、一年A組、七月一日午後一時頃、体育館の休憩室で死亡、心不全、料理家として注目を集める。
……以上が、今年度に入って死亡した生徒の一覧だった。その人物像は実に壮観と言う他無い。五人とも乙夜学園一の才能の持ち主であって、下手をすれば国際的に見ても指折りの才能を持った者たちだと言えた。
……これじゃ新聞が絶賛するのも無理無いわ。非の打ち所がないって感じ。でも……なにか引っかかる。例えば死因……みんな突然死って事になってる……あれ?一人だけ違う人がいるけど……関係ないってこと?
……それにしても……みんな何かを目前にして死んでいるのね。発表会に大会か……それで頑張りすぎたから?それで突然に?
……でも……偶然なんだろうか?全体として見ると……確かに人が短期間に集中して死んでいるように見える。けどそれが、個人にとって大事なことが目の前にあって、それに頑張りすぎたために起きたのだとしたら……しかも、その大事なことが全員に共通することじゃないし、時期もばらばら。全然関連性の無いことだし……だとしたら、ほんとにこれは、偶然が重なっただけの……それこそ、単なる偶然の出来事なんだろうか?
……あたしの考えすぎなの?でも、だとしたら……あの双子は何?あの忠告はどういうこと?……わからない……わからないよ……。
考え疲れて、みどりは机の上に突っ伏した。その傾いた視界に、新聞の山からこぼれ落ちたページが入ってきた。
……ん……『榎本さんとは共に競い合う仲でした。もちろんその分野は異なりましたが、相談したり、互いを励まし合ったりもしました。今はそのライバルを失って非常に残念に思います』……これ、仁科さんの談話?……ちょ、ちょっと待ってよ!?
がばっと起き上がり、みどりはノートを凝視した。
……最初に死んだのは榎本さん……それにコメントしているのは二番目に死んだ仁科さん……知り合い……ううん、もっと深い仲だった!?
みどりは資料の山を再びひっかき回し、そして部の連絡誌を片っ端から読んでみた。すると……。
……これは、対談集……榎本さんと仁科さんの?シリーズもの?……仁科さんと寺田さんのもある……中学からの知り合いなのか……え、辻本さんと寺田さんって幼なじみだって書いてある?そして……辻本さんと篠田さんも……なんなのよ、これ!?
みどりは資料を手にしながら、呆然として天井を眺めた。
……みんなつながっていたなんて……それも親友と言えるくらいの仲で……そう言えばさっきの話で……。
『そうだった……二人は親友で、一緒に頑張ろうねって言ってたんだって。それがあんなことになっちゃって……』
……そして、二人とも死んでしまった。辻本さんも、篠田さんも……それも間を置かず、連続して……連続して?
その時、恐ろしい想像がみどりの胸にあふれ出してきた。
……絵俐素も篠田さんを知っている……それに小説を見せたこともあるって……二人は夢を互いに語り合うくらい親しかったんだ。それはお葬式の時の姿を見ればわかる……。
……って、まさか……次はあの子が?!……そんな、まさか……そんな……でも……。
不安がみどりを震わせた。自分が出しかけている結論に、恐ろしさを感じた。
……もしかしてあたしの考えは間違っているんじゃないの?これは単なる偶然に偶然が重なっただけの偶然で、もうこれ以上何も起らないのかも……?
……でも……起こるかもしれない……怖い……こんなに怖いことって無い……偶然であって欲しい……あたしの考えが間違っていれば……でも……じゃあ、あの双子はいったい何?
……ああ、もうわかんないよ!……これ以上考えたってどうにもならない!それよりも絵俐素が無事かどうか確かめなきゃ……よし!
みどりはあわただしく資料を抱え上げると、元に戻そうとして走り出した。そしてやや乱暴に書棚に収めると、飛び出すようにして図書館を後にした。
と……先程までみどりがいた机に、どこからともなく木島隆が現れた。彼は机に残された校内新聞を手に取ると、ぱらぱらとめくった。
「ふうん……結構頑張るもんだ」
感心半分皮肉半分という感じで彼はつぶやく。そこには、さっき家庭科教室で見せていた優しげな雰囲気は微塵もなかった。しかし、今彼に注目する者は誰もいない。
木島は新聞をその場に残すと、悠然とその場を立ち去った。
すると今度は、別の人物がその新聞を手にとって眺めた……啓吾だった。
「うーむ……さすが将介の妹さんということなのかな……でも、これ以上は……」
啓吾は手に持った新聞をしまうために歩き出した。
……いやな気分だ……何かが近づいてくる……いやな感じがする……一体なにが?
日はすっかり落ち、暗闇が学園を覆い尽くしていた。もはや限られた者以外いないはずの校舎に、心なしかざわめきというか、妙にうわついたような雰囲気があった。
「そうか……意外に保っているな……」
校舎の影の中、輪郭さえ定かならぬその暗闇の中で若い男の声がした。生徒だろうか?
「あの子の言うことだから間違いないわ」
それに答える、今度は女生徒らしき声。
「そうか……それでいつになる?」
「ええ……おそらく明日の午後には……始まるわ」
別の少女の声。先程の声と同じようでいて、全く違う声のようにも聞こえる。
「もう……誰にも止められないのね……」
「いつものことじゃない……どうせあたしたちに選択肢なんて無いのよ」
しばしの沈黙。
「余計なことは考えるな。決められた通りにやるだけだ……面倒なことが起きる前にな」
「ああ、あの子のこと?なにやら動き回ってるみたいだけど……ほっとけばいいんじゃない?」
「面倒事は避けろとの厳命だ」
「厳命ね……へいへい」
「……」
「では、行くか」
男がそう言った途端、三人の気配が一瞬にして消え失せた。
後には、ただただ暗闇が残るばかりであった。