のぢしゃ工房 Novels

ナイチンゲールのさえずり

第一章〜予感

みーん、みーん。

窓の外からせみの鳴く声が聞こえてくる。

みーん、みーん、みーん……。

七月に入ったばかり、まだ本格的な夏の到来を前にして、この騒々しさ。

みーん、みーん、みー……。

……平和だねぇ。

滝沢みどりは、心の中でそうつぶやいた。

彼女のいる一年B組の教室は、繁華街のような騒々しさに包まれていた。始業前にはよくあることだ。

だが……なにかが違う。

所々でグループを作り、ある者はひそひそと、ある者は身振り手振りを交えながら、冷めた熱心さとでもいった感じで話をしている。そこには学生にありがちな、馬鹿にうわついたような感じは無かった。

しかしそんなことは自分には関係ないとばかりに、みどりは窓際の自席で頬杖をつきながら、怜悧なまなざしを外に向けていた。

二階の窓からは校庭を走る生徒たちが見えた。みどりはそれを興味無げに見過ごすと、校門から伸びる並木道に視線を移す。

夏の日射しを受けて、銀杏の葉が輝いていた。時折吹き抜ける風が枝を揺らし、葉のこすれる音が微かに聞こえる。

……平和、だね。

しかし、そんなみどりの感想は、周囲のざわめきには通用しないようであった。

「聞いたか?」

「聞いた聞いた!」

「一年生だって……今度死んだの」

「今度は一年かよ」

「これで何人目だって?」

「二人目?」

「四人目だろ?」

「やっぱ、なんかあるのかな?」

「んなわけないじゃん。偶然だよ、ぐうぜん!」

「映画や小説じゃないんだからさ」

「気にしすぎだって」

「どうでもいいじゃん、そんなこと」

「そうそう、あたしらには関係ない話じゃん」

「かんけーないけどさぁ。でも気になるじゃんかよ」

「隣のがっこでも噂になっててさ……」

「妹のとこでもそんな噂聞いたっていってたよ。ここじゃなくて別の学校の話」

「街中の噂ってこと?」

「うちだけじゃなくて、他のとこでもあったって話だぜ?」

「でも、やっぱりうちなんだよねえ、最初に流行ったの……」

「それ、ほんと?」

「でもさでもさ、死んだ人達ってぇ、みんな頭いい奴ばっかだって本当?」

「校内新聞に書いてあったろ?」

「でも最近見ないよなあ、そういう記事」

「まあ、あたしらには関係ない話でしょ?」

「そうそう、優等生のことなんて別にどうでもいいしね」

「うん、関係ない関係ない」

「でもさ……」

ざわざわ……ざわざわざわ。

みどりは目をつぶってため息をついた。そして再び目を開けようとしたが、どこからか反射してきた日光のせいで一瞬目が眩む。

そしてもう一度、今度は慎重に目を開けると、校門の方で何かが動くのが見えた。

目を凝らして見ると、それは一台の黒塗りのハイヤーだった。運転手が降りてきて後部ドアを恭しく開ける。すると、セーラー服を着た二人の女生徒が降りてきた。ここの学校の制服ではない。

……転校生か……しかし、ハイヤーで御登校とは……。

ハイヤーを降りた彼女たちは、校舎に向かって並んで歩き出した。二人は同じ背格好で、歩幅や歩き方がそっくりに見えた。いや、みどりには全く同じように見えた。

……双子?

どんどん近づいてくる二人を、みどりは見つめ続けた。二人は髪型こそ違うものの、その顔立ちやしぐさ、そして全身からあふれ出てくる雰囲気が、全くと言ってよいほど同じなのだ。

……間違いない、双子だ。それも、一卵性の……。

と、髪の長い方の少女が顔を上げた。

その視線は何の迷いもなく、まっすぐとみどりに向けられた。黒く濡れたようなその瞳は、何かを訴えかけてるようにみどりを見つめていた。

もう一人のショートの少女も、顔を上げてみどりを見ていた。こちらは挑みかかるような瞳をみどりに向けていた。口元が不敵に嗤う。

……なんなの?ずいぶんな態度じゃない。

みどりは頬杖をやめると、背筋を伸ばして二人の視線を真っ向から受け止めた。すると彼女たちはもう興味を失ったとばかりにふいっと視線を外して、そのまま校舎の影に消えていってしまった。

みどりは気を削がれて、窓の外を眺めたままぐったりと背もたれによりかかった。

……なんなのよあの二人……転校生なのはわかるけど……あの態度は、いったいなに?……気にくわない……。

とその時、みどりの視界の端に、慌てて教室に入ってくる女生徒の姿が映った。

……絵俐素か……ははあ、やったな……。

「絵俐素!」

みどりはそう声をかけながら手を上げたが、絵俐素は気がつかないのか、そのまま自分の席に座ってしまった。

……なんだあ?

その時ホームルーム開始を告げるチャイムが鳴り、持って行き場のなくなった手を中途半端に掲げながら、みどりは首をかしげた。

……あとでいっか……それにしても……なんか……変な日だな、今日は。


「えー、昨日の今日だが、今度は二人転校生がやって来ることになった」

担任の男性教師が気のない風に話す。一瞬教室の中に軽いどよめきが走る。

……二人?転校生?

教師の顔を見ながら、みどりはさっき見かけた二人の女生徒のことを思い出した。

……まさかそれって……。

「さあ、入ってくれ」

そう教師が言うと、ドアが開いて二人の女生徒が教室に入ってきた。思った通り、さっきみどりが見かけた二人だった。

……ほぉ……これはまた奇遇だわね。

みどりはすぐさま二人の観察を始めた。

先に目が向いたのは、後から入ってきた長い髪の少女の方だった。抜けるように白い肌はまるで日本人形のように美しく、肘まで伸ばされた髪は濡れ羽色に輝いていた。

しかし、より引きつけられた、というよりは吸い込まれそうになったのは、彼女の黒い瞳だった。どこか焦点のあっていないような、それでいて確固たる意思を感じさせるような、不思議な目……そしてその口元には、アルカイックスマイルの典型のような、淡い微笑が張りついていた。

……まるで……仏様というか……そう、観音様って感じ……。

率直な感想を洩らしたみどりは、もう一人の方に目を向けた。

こちらの少女は先の少女とは対照的に、あごの下のラインでばっさりと髪を切り落としており、快活そうな印象を与えていた。

しかし、顔の作りや口元に張りついた笑みは、全くと言っていい程、もう一人と同じだった。ただ瞳から放たれる光は、こちらの方が力がみなぎっている感じがした。

……こっちは……お不動さんってとこね。

「じゃあ、自己紹介して」

「はい!」

先に声を出したのは髪の短い少女だった。彼女は黒板の方を向くと、チョークで二人分の名前を書きつけてから、みんなに向かって元気な声で言った。

「はじめまして!あたしの名前は、数字の千に原っぱの原で『ちはら』、千原由莉っていいます。こっちは妹の由魅……っていっても見ての通りの双子なので、年は一緒ですけど、どうかよろしく!」

「千原由魅です。よろしくおねがいします」

優雅に頭を下げる彼女に対して、男子から歓声にも似たどよめきが起こった。一方女子の表情には複雑なものがあった。

「席は後ろのあの並んでいる席だ」

担任の指した席は、みどりから一列おいた斜め後ろの席だった。

由莉と由魅が席に向かう途中、みどりのそばを通りかかった。だがみどりの睨み付けるような視線を気にかける風もなく、由魅は涼しい顔で通り過ぎた。由莉の方はみどりの視線に気がつくと、口元で軽く笑った。

……むっ。

みどりは口をへの字に曲げて、二人の後ろ姿を睨みつけた。

二人が着席すると、担任は出席簿を開きながら間延びした声で言った。

「それから……既に聞いた者も多いと思うが、昨夜、一年E組の辻本雅美さんが亡くなった」

担任の言葉に、教室全体が暗い雰囲気で覆われた。いや、そう見せかけているだけかもしれない。

「突然の死で大変悲しいことだと思う。詳しい事情はまだわからないが、みんなも身体には十分気をつけるように。それでは出席をとる」

そう言って担任は生徒の名前を呼び上げていく。その途中、生徒の返事が途絶えた。

「木島……ああ、彼は午前中は用事があると連絡があった。午後からは来るそうだ」

教室がざわめく。女子はがっかりと、男子は安堵というかせいせいするとでも言いたげに。

木島というのは昨日転校してきた男子生徒だった。彼はそのルックスと優雅な物腰で、学園中の女子をあっと言う間に虜にしてしまったのだ。そのせいで男子には非常に受けが悪い。

……昨日転校してきたばかりで、午前中おやすみねえ……用事なんて普通は転校前に済ましとくもんじゃないの?

みどりは木島の席を睨み付ける。

……何の用事か知らないけど……午前中で済むんだったら、大した用事じゃないってことだしねえ……。

「滝沢……滝沢?」

……ほんとに大事な用事なら学校休んじゃうわよ。寝坊でもしたんじゃないの?まったく、だからあの手の男子は……。

「滝沢!」

「え!?あ、はい!!」

思わずみどりは席から立ち上がった。周りのみんながくすくす笑っている。

「あ、あの……」

「ぼーっとしてるんじゃない!」

教師の叱責に、みどりは首をすくめた。

……あちゃ……気がつかなかった……。

「今度からは気をつけろよ」

「はい、すみません……」

恐縮して座ろうとするみどりは、背中から変な雰囲気を感じて後ろを振り返った。

すると由莉(短髪だからそうだろう)が、口元を必死に抑えながら身体を震わせていた。由魅の方は、不思議そうな目でみどりを見ている。

みどりは顔をそらしてどすんと椅子に座ると、腕組みして唸った。

……うー、なんなのよ今日は!……転校生が絡むとろくなことがない……厄日なのかしら、まったく……。

こうして、転校生以外はなんの変わりも無い、退屈な一日は始まった。


一限目の授業が終わると、教室中の興味はさっそく転校生に向けられた。特に由魅は男子の注目を一身に集めていたが、男子の露骨な問いかけにも彼女はただ微笑むだけで、そんな連中は由莉が適当にさばいていた。

みどりは、そんな光景をちらちら振り返りながら見ていた。自然と表情が険しくなる。

……彼氏だのスリーサイズだのと……よくもまあ、そんな馬鹿げた質問するもんね……まあいいけどさ、そんなことは。

……そんなことより……なんなのよ、あの双子!さっきからずいぶんと……ああ、それに付き合っちゃったあたしも修練足りないわね……こんなこと話したら師範に怒られちゃうわね……もっと平常心で、自然の流れを見極めて……。

「みどり、おはよ……」

前から声をかけられてみどりが顔を上げると、目の前にさっき声をかけそこなった絵俐素が立っていた。

「あ、おはよ、絵俐素。今日は遅かったね」

「うん、ちょっとね……」

絵俐素はちらちらと人だかりを見ながら言った。

「あ、廊下出ようよ」

それを見たみどりが立ち上がり、二人は転校生で騒がしい席を離れて廊下まで出た。

「なんかすごいね」

絵俐素は教室の中をのぞきながら言った。

「まあそりゃ……女の子だから男子がばか騒ぎしてるだけよ」

「ふふ……手厳しいよね、みどりって」

絵俐素はそう言って笑顔になると、茶色のかわいらしい目を細めた。同時にポニーテールにした、茶色の柔らかそうな髪が揺れる。

「でも、ちょっとはそういうことに興味持った方がいいんじゃない?」

そう言って、絵俐素はみどりの頭を撫でようとする。しかし背伸びをしないと手が届かない。みどりの方が頭半分以上背が高いのだ。

「な、何言ってんのよ!?」

みどりは後ずさって絵俐素の手から逃れる。その様子は追い詰められた子うさぎみたいで、微笑ましささえ感じさせた。

しかし子うさぎというには、彼女の身体は大きすぎるようだ。身長は百七十以上、モデルのように均整の取れたスタイルをしている。半そでからのぞく腕は見事に引き締まっていて、力強さを感じさせた。目鼻立ちはめりはりがきいていて、少々吊り気味の細い目とほっそりとしたあごが特徴的だった。そして腰まで伸ばした黒髪は、由魅に負けず劣らずの美しさで、彼女はその髪を首元と先端で二重に縛ってまとめていた。

際立っているのは顔立ちやスタイルだけではなかった。制服のブレザーのボタンは全部外しているし、緑色のタイは申し訳程度に首にぶら下がっているだけ。スカートの長さはひざ下十センチ近くあり、ぴしっと履かれた黒いハイソックスの上のラインとの隙間はわずかだった。

トレンドというか、一般的な女子高生像からは外れている。少々だらしのないその格好は、陰で昔の不良みたいだなどと言われていた。だがそれを知ってか知らずか、みどりは入学以来ずっとこのスタイルで通していた。

「そ、そんなことよりさ、遅刻しそうになるなんて、久しぶりじゃない?」

そうみどりが聞くと、絵俐素は少し疲れた表情で答えた。

「あ、うん……また始まっちゃってね……」

「ははぁ、小説書きね」

みどりは納得した表情になって肯いた。

絵俐素は常々、将来の夢は小説家になることだと語っていたのだ。

「そうなの。おまけにちょっと煮詰まっちゃっててね……で、ぎりぎりってわけ」

「でも、夜更かしはしても学校にはきっちり来るからえらいよねぇ……で、今なに書いてるの?」

「あ、うん……歴史小説……といっても、いわゆるシミュレーション小説なんだけど」

「うーん、良くわかんないけど……」

みどりはすまなそうに頭をかいた。

「でも、早く認められるといいね」

「うん……」

その時、絵俐素の表情が陰ったように見えた。

「どうしたの?なんだか元気ないね?」

「え!?」

絵俐素はひどく驚いたような表情をした後、憂鬱そうな顔をして言った。

「あ、うん……ほら……また人が死んだって聞いたから……」

「ああ、また、ね……」

みどりは興味なさそうに言った。

「確かに亡くなったのはかわいそうだと思うけど……『また』なんて言って不安になるのって、なんかやだな」

しかし絵俐素は気にかかるのか、ますます暗い表情になった。

「でも……今年に入ってから続いているわよね。これで終わりならそれでいいけど……でも……まだなんかあるような気がして……」

「それって……小説家としての勘?」

「うん、そうかも……」

しゅんとなる絵俐素に、みどりは彼女の肩を叩きながら言った。

「だっから考えすぎだって!そんなお話みたいに世の中動いてたらやってらんないよ」

「そうだけど……事実は小説よりも奇なりって言うから……」

そう言う絵俐素の顔に、怯えにも似た色が浮き出ていた。

「だから考えすぎだって……さ」

そう否定しながらも、みどりも同じことを考えてしまっていた。

……まさか、よね。また人が死ぬなんてそんなこと……考えちゃいけない、考えちゃ……そういうの、なんてんだっけ?……そうそう、言霊だ……確かに、変なことばっか考えてたら暗くもなるわよね……。

その時予鈴が鳴り始めた。

「と、とにかくさ、考えすぎない方がいいよ!それより小説の方を頑張んなきゃ」

「そ、それはそうなんだけど……」

「だったらそんな顔しないの!さ、教室もどろ!」

みどりはそう言って、なかば強引に絵俐素の手をとって教室に入った。

「あ、そんな乱暴なぁ!」

みどりは絵俐素の抗議を無視して、彼女を席に座らせると、いきなり彼女の額を指で弾いた。

「いたっ!ちょっとなにす……」

「笑う門には福来たるってね」

そう言ってみどりは見事なウインクをした。

「どんなときだって笑ってなくちゃ」

その顔を見た絵俐素は苦笑するしかなかった。

「もう……能天気なんだから」

「えへへ……じゃ、またあとで」

みどりは絵俐素に笑いかけてから、自分の席に戻っていった。

その後ろ姿を、絵俐素はまた不安な表情で見つめていた。


昼休みになると、さすがに関心が薄れたのか、千原姉妹はようやく通過儀礼から解放された。その間、二人は取り巻き?を引き連れて、校内中を歩き回っていたらしい。

みどりはそんな二人の行動が気になってしかたなかった。後を追ってみようかとも思ったが、初めての場所をぶらぶら歩いてみるのは別に不思議なことではなかったし、それに追っかけみたいな真似は自分の主体性の無さを暴露してるようで、到底受け入れられなかった。

結局世話好きな女子が双子を食堂に連れて行ってしまい、関心の対象を失ったみどりは、三時限目の休み時間に買っておいたパンと牛乳を詰めた紙袋を片手に教室を出た。

その時、後ろから絵俐素に呼び止められた。

「あ、みどり、また図書館?」

「う、うん、まあね」

多少動揺気味にみどりが言うと、絵俐素はにやにやしながら言った。

「すぐに顔に出るわね、みどりって」

「な、なにがよ……?」

「ほんと、素直じゃないんだから」

どんと背中を叩かれて、むせるみどり。

「げ、げほ……ちょっとあんた……」

「ま、もたもたしてて、取られちゃっても知らないんだから」

「だーかーらー、何の話なのよ!?」

「照れない照れない」

「ああ、もういい!あたし行くからね!」

顔を赤くしながら、みどりは早足で行ってしまう。その後ろ姿を、打って変わって不安そうな表情で見つめながら、絵俐素はつぶやいた。

「がんばれ……あたしも、がんばるから」


みどり達が通うこの乙夜学園は、明治初期に設立された古い学校である。元々この敷地はある華族の所有地だったものを学園の創立者が譲り受けたもので、現在は同じ敷地に高校と大学の校舎が併設された、設備の充実した人気校となっていた。

高校の校舎は三階建てで二棟に別れており、それを二本の渡り廊下が各階をつなく構造になっていた。

みどりはその校舎の外に出ると、緑地に設けられた連絡道路を通って、別棟になっている建物に向かった。それは高校専用の図書館で、二階建てのその建物は公共図書館並みの大きさがあった。

入り口を通って中に入ると、みどりは一階の閲覧スペースを通り過ぎ、その奥にある階段を上り始めた。二階には主に書棚が並べられているのだが、それらにも興味を示さずに、彼女は更に奥へと進んでいった。

奥の書棚の裏側には、ドアがずらりと並んでいた。ドアの上には視聴覚室という文字と通しナンバーが表示されている。ここはその名の通り視聴覚設備が整えられている小部屋で、生徒の自己啓発用にと設置されていた。しかし、実際は単なる生徒のたまり場と成り果てている。

その一番奥まった所にあるドアの前にみどりは立つと、最初二回、ちょっと間を置いて三回、リズミカルにノックをした。

ここん、こんこんこん。

すると中からどうぞという声がして、みどりはドアを開けて中に入っていった。

部屋の中は十人用くらいのカラオケボックス程の大きさで、中央に大型のテーブルと椅子が四脚置かれていた。壁際には学習机があり、その上にミニコンポとヘッドホン、TVモニター等が載っている。

「こんにちわ〜」

みどりが声をかけると、椅子に座って何ごとか話をしている二人の男子生徒が顔を上げた。

「なんだ、お前か」

制服の上着を肩にひっかけている生徒が、ぞんざいな口調で言った。少し角ばった顔の輪郭にちょっと吊り目の、鼻は高からず低からず、美男子とは言えないが、人好きのする好青年という感じの男……彼の名は滝沢将介という。みどりの一つ年上の兄だ。

「久々のお客かと思ったのに……」

「それはそれは、残念でした」

みどりは舌を出して顔をしかめると、一転して笑顔でもう一人の方を見た。

「こんにちは、里見さん!」

「こんにちは。いつも元気そうだね、みどりちゃん」

里見と呼ばれたその生徒は、さわやかな笑みを浮かべながらみどりを見た。

彼、里見啓吾は将介のクラスメートだった。色白で端正な顔立ちときゃしゃな体つきは、美少年的な要素を充分以上に持っているのだが、黒縁の眼鏡越しに見える黒い瞳の発するなんとも言えない“気”のようなものが、そんな脆弱なイメージを払拭していた。

「え、ええ、元気ですよ!」

みどりははにかんだ笑みを浮かべながらそう答えると、ふっと彼の視線を外すようにうつむいた。その様子を将介がじっと見つめている。

「で、でもおなかすいちゃったから、ここで食べますね」

そう言ってみどりは空いて椅子に座ると、袋の中身をテーブルに置いた。

「なにが、おなかすいちゃったから、だよ」

将介はしかめっ面を作りながら言った。

「そんなもんばっか食べてるからだ。もっと中身のあるもんをだな……弁当くらい作ればいいじゃないか」

「朝は修練で時間無いの、知ってるじゃないのよ」

みどりは憮然として言った。彼女は中学に入ってから合気道を始めていて、その修練の一環として毎朝トレーニングをしていた。

「ははーん……わかった」

鋭い目で将介を見るみどり。

「な、なんだよ?」

「お弁当作って欲しいならそう言えばいいのに……」

「え、じゃあ……」

期待したような声で将介が言うと、みどりは冷たく言った。

「自分で作れば?どうせ暇なんだし」

「あ、あのなあ……俺はそんなに暇じゃないって、何度も言ってるだろう?」

「あたしだって暇じゃないわよ。自分のお弁当だって作れないのに……」

「だけど決めたじゃないか、弁当作りはお前の役目だって。約束を守れないような奴はろくな奴にならないんだぞ」

「でもさ……この前お風呂掃除サボったじゃない」

じと目でみどりが将介を睨む。

「う、そ、それは宿題が忙しくてだな……」

「……うそつき。誰かとデートだって聞いたわよ」

「う……そ、それはだな……」

「将介の負けだね」

啓吾はくすくす笑いながらそう言った。

「ですよねぇ?」

「あ、でも、ご飯はちゃんと取った方がいいと思うよ」

「えへへ……」

みどりは顔を赤くしてうつむいた。その顔を、将介はにやにやしながら見つめる。

「な……なによ?」

「別に。何でも無いさ」

将介はそう言いながらも、にやにや笑いをやめない。

「ふんだ……それよりも、最近暇そうねぇ」

室内を見回しながらみどりは言った。

「わざわざ見回すな。ああ、そうだよ。ここんとこ依頼はさっぱりだ」

むすっとして将介は言う。

実は将介と啓吾がこの部屋にいる理由というのが、乙夜学園の生徒からの様々な相談事を受け付けることなのであった。これは将介が中学生の頃からやっていることで、自ら進んでもめ事の仲裁や失せ物探し、人生相談から果ては恋のキューピッド役まで、あらゆることを請け負っているのだった。最初は将介一人だったこの活動も、とある事件をきっかけに啓吾とコンビを組むことになり、こうして図書館の一室を占拠することになったのだが……。

「でもいいことじゃない。心配事がないってことでさ」

「そりゃそうだが……それも変な話だぜ?」

「どうしてよ?」

「誰でも、少しは悩み事を抱えているもんだ。他人には小さく見えても、当人にとっては重大な悩み……俺たちが扱うのはそんな悩みだ。だがそれが全く無い……ここ一ヶ月そう言う状態が続いてるんだ。確率論的に言っても変だよ」

「でも、元から信用されてないから……」

みどりはそう言いかけると、ものすごくきつい目で将介が睨んだ。慌てて顔をそらして、みどりは啓吾の方を見て聞いた。

「さ、里見さんはどう思うんですか?」

「そうだね……僕も将介と同じ意見かな」

啓吾はゆっくりとした口調で言った。

「普通はなにかと騒々しいものだけど……今は少し静かすぎるように感じるんだ。ま、何も無いのはいいことだけどね」

「そうですか……」

みどりはなにか歯切れの悪い様子で、パック牛乳を一口飲んだ。

「お前らしくないな。なんか気になることでもあるのか?」

そう将介が尋ねると、神妙な表情になってみどりは言った。

「ん……ほら……またうちの学校の生徒が死んだっていうから……知ってるでしょ?」

「ん……まあな」

将介は校内では地獄耳で通っている。それが悩みごと解決に大いに役立っていることは言うまでもない。

「一年生だったな、お前と同じ」

「そう。でも授業で一緒にならないからよく知らないの」

「昨夜だそうだが……気の毒にな」

「そうなんだ……でも変だよねえ。先月だって二人……あ、もう三人も死んでるのに……まただよ?」

「新学期が始まってからだと、これで四人目なんだよな」

将介は難しい顔になって唸った。

「何かあるのかもな……」

「伝染病とか?」

「ばか。それじゃとっくに学園閉鎖だよ」

「ばかとは何よ……じゃあ、単なる偶然?」

みどりはパンを口にくわえたまま、身を乗り出して言った。

「死んだ理由も急性心不全とからしいし、そう考えるのが普通だろうな」

「そっか……そうだよねえ……」

どこか安心した口調でみどりはつぶやいた。

「なんだよさっきから……いったいなにを心配してるんだ?」

「ん……そんなことないけど、気になるじゃない?クラスのみんなはたたりだとか呪いとか噂してるけどさ……」

「やっぱりお前らしくないな」

将介は困ったような口調で言った。

「噂は噂さ。ちょっとした不安の裏返し。次はもしかしたら自分じゃないかっていう他愛のない思い……だがそんなこと考えられるってことは、まだ余裕があるって証拠さ」

「そりゃそうかもしれないけど……ねえ、調べたりしないの?」

「頼まれてもいないのに、調べたりはしないぞ」

「なんで!?いつもは関係なくても自分の方から首を突っ込むくせに!」

「あのなあ……」

将介はあきれたように言った。

「人が死んでるんだぞ。そこに俺たちみたいなただの学生が出ていってだな、遺族に聞いてまわるのか?なんでお子さんは死んだと思いますかって?」

「そ、それは……」

口ごもるみどりに、将介は断言するように言った。

「これは俺たちが首を突っ込むような話じゃないよ」

「で、でも……うん……それは……わかるけど……だけど……」

もじもじと身体を動かすみどりを見て、将介はゆっくりと、言葉を区切りながら言った。

「なんで、なにがそんなに、不安に思うんだ?」

「いや……なんか気持ち悪くて……」

本当に気持ち悪そうな顔でみどりは言った。

……そう、気持ち悪い……胸がつかえる、むかむかする……いらいらする……なんで?……別にあの日でもないのに……。

「気持ち悪いっていうのは、僕も同じだよ」

突然啓吾がそう言った。将介とみどりは彼を見つめる。

「偶然だとしても、同じ学校に通う生徒が何人も死んでいるんだからね。不安になるのが当たり前だと思うよ」

「そ、そうですよね。きっとそう……ですよね……」

啓吾の言葉に、みどりはうっとりとした表情で彼を見つめていた。

……ああ……里見さんの言葉を聞いてるととっても安心できる……だから、あたしはきっと……。

「なににやけてんだ?」

そんなみどりに将介が声をかける。みどりは完全に慌てふためいた。

「え!?ちょ、やだ、な、なに見てんのよ!?」

「お、赤くなった赤くなった。いやさ、さっきから啓吾の方ばかり見てるから、どうしたのかと……」

「ほ、ほっといてよ!お兄ちゃんのばか!!」

みどりは怒って立ち上がると、ゴミを置き去りにして部屋から出て行ってしまった。

後に残された将介はにやにやした表情のまま啓吾の方を見た。だがその目は笑っていなかった。

「さて、どうなさいますか?想われ人としては」

「さあそれは……」

啓吾は笑みを消した表情でそれに答える。

「でも、今はまだ気味悪がっているだけみたいだけど……」

「そうじゃなくて……あいつの気持ちさ」

将介は少しがっかりするような口調で言った。

「あいつ感情表現が下手だから、いつも見てられなくてなあ……」

そう言う将介の目は優しかった。そもそも将介と啓吾が知り合うきっかけとなったのは、二人が出逢った一人の少女の恋の願いだった。それだけに、恋の悩みには敏感なのだ。

「で、正直言ってどうなんだ?ま、ちょっとがさつに見えるが、家事もできるし良い奴だよ……兄貴の俺が言うのはなんだけどさ」

しかし啓吾は微笑を浮かべたまま、ただ黙って将介を見ていた。

「まあ……いいか。お前とみどりの問題だものな。しかし、いじましくてなあ……」

「妹思いなのだね」

啓吾がそう言うと、将介は照れたような表情を浮かべる。

「……かもな。まあ、あいつがどう思ってるかは知らんけど」

「それを素直に出せばいいのに……でも、正直になれないんだね」

「いい兄貴じゃなかったからな、いままで」

将介はあきらめたとでもいうような表情で言った。

「でもいいさ、言い訳はしない。それが俺のポリシーだからな」

「でも……だからこうして一緒に行動していられるんだよ、僕は」

啓吾は将介を見つめながら言った。

「君たち兄妹は、ほんとにすばらしいと思う。ご両親の教育がよかったんだろうね……僕は好きだよ、君たちが」

「うーむ……」

困ったような表情を浮かべる将介。

「それをさ、みどりに言ってやってくれよ。俺はお前のそんな台詞を聞けるが……あいつには、お前とまともに話す勇気すらないんだからな。まったく、困ったもんだ」

「それは……そうだね。でも……」

「でもなんだ?」

啓吾は顔の前で手を組みながら、上目使いに将介を見た。

「何かが変わりそうな……そんな気がするんだ。いや……もう変化が起きているのかもしれない……」

「うーん……」

将介は頭をかきながら唸る。

「あのさ……そいつは予言かい?」

「僕にもよくわからないよ」

啓吾は薄く微笑むと、瞑目してこう言った。

「ただ……強く感じるんだ……何かが蠢くのを……だから、不安なんだ……とても」

将介は微かに震える啓吾の肩を見ながら、つぶやくように言った。

「不安なのは誰でもそうさ……きっとこの学園にいる人間全員がそれを感じている……ただ、気づかないふりをしてるだけなんだ」


「なによなによ、ばか兄貴!!」

みどりはものすごい剣幕で廊下を歩いていた。そばを通った生徒は一様にびくつく。

「まったくもう!」

……せっかくいい気持ちでいられたのに……なによ!あたしの気持ち、知っててあんな意地悪するんだ!

だが、自分でも見当外れな事を言っていると、みどり自身気づいていた。事実はまったく逆で、将介はなんとかしてきっかけを作ってやろうとしているのだ。自分が憎まれ役になることで、二人を近づけようとしてくれている。それをみどりが変に照れくさがって、逃げてしまうからうまくいかないのだ。

そんなことはとうの昔にわかっていた。初めて啓吾と言葉を交わした時からそうだったのだ。おせっかいが過ぎるのかもしれないが、良い兄ではあった(ただその場にずっといるのは問題だが)。

……あたしは……ただ里見さんのそばにいれたら……それだけでいいのに……今は、それだけで……今はそれで?じゃあその後は?……わからない……わからないけど……そばにいたい……。

なんとか気持ちが落ち着いてきたみどりは、少し急ぎ足で教室に向かった。

教室の入り口が見えてくると、そこに人だかりができていた。女子がきゃーきゃー言ってるその輪の中に男子生徒が一人、優雅な笑みを浮かべながら彼女たちに話しかけていた。

……あれは……木島君か。ようやくご登場ね……ふん、もてもてで結構なことで。

そして今度は廊下の向こう側から、こちらは男子を引き連れた千原姉妹が現れた。男子の話を適当にあしらい、それでいて不快感を感じさせない話しっぷりや態度は実に見事だった。みどりには到底真似は出来ない。

……ああ、あんな風に……里見さんと並んで歩きながら楽しく話せたらいいのに……う、だめだだめだ、そんな弱気じゃ!……うじうじしてたってしょうがないのに……だめだな、あたしって……。

……でも二日連続で転校生か。それもかたや女子、かたや男子の注目の的……こんなに重なるものかな?

……昨日の今日、か……うん?そういや昨夜は……辻本さんが死んだって……。

その時、恐ろしい想像がみどりの頭の中を駆け巡った。

……まさか……まさか、今日もなにかあるっていうんじゃ無いでしょうね!?

だが……すぐさまそれを打ち消した。

……ははは……いくらなんでも考えすぎよね……いくらなんでも……。

その時、双子と木島隆の集団が教室の入り口で交錯した。

じゃあまた、とかいって教室に入ろうとする双子と木島隆がすれ違ったその時……みどりは、三人がたった一瞬だが、それぞれ視線を交わし合うのを目撃した。

……あれ?今の何?……まだ会ったことないはずなのに……まるで全てわかってるとでも言ってるみたいに……。

しかし他の人間は何も気がつかなかったのか、後を追う者、自分の教室に戻る者に別れて、喧噪は去っていった。

みどりの胸に、なにか釈然としない思いがあふれてくる。

……知らないはずの人間同士が、意味有りげなアイコンタクトをする?……そんなことってあるわけ……でも、はっきりと見たわ。

……うーん、実は単純な話で、あの三人は知り合い同士なのかも……あ、でも、知り合いなら、もっと普通に挨拶するんじゃないの?それに……いくら知り合いだからって同じ学校に転校してくる?それも一日違いで?

……なにかあるわね……実は三人は同居していてそれを隠さないといけないとか?……うう、我ながら陳腐な設定……それじゃ昔の漫画だよ……。

……前提が間違ってるのかも……単に視線が合っただけで、何の関係も無かったのかも……あたしの気のせいなのかな?

「みどり!」

「うひゃあ?!」

突然背中から声をかけられて、みどりは跳び上がって驚いた。

「び、び、びっくりさせないでよ!!」

驚かせてしまった本人、絵俐素の方もびびりまくる。

「それはこっちの台詞よ!ぼーっとしてるから、ちょっと脅かそうと思って……いったいなに突っ立ってたわけ?」

「そ、それは……」

辺りを見回すが、もう千原姉妹と木島隆の姿は無い。

「ど、どうだっていいでしょ!」

「確かにどうでもいいけど……あ、それより早く準備しなきゃ。午後一で体育だよ」

「あ、そか……じゃ、急ごう!」

みどりは頭を振って、さっきまでの考えを振り払おうとする。だが、どうにも気になって仕方なかった。

……でも……やっぱりなんかひっかかる。のどに刺さった魚の骨みたい。あれは……どう見てもアイコンタクトにしか見えなかった……ほんの一瞬のことだったけど、あたしはこの目ではっきりと見たんだ……そういや、お兄ちゃんが、自分の直感を信じて行動するって言ってたっけ……だとしたらあたしは、一体なにをすればいいんだろう?

「みどり?」

立ったまま固まっているみどりに向かって、絵俐素は不安そうに声をかけた。

「え?……あ、ご、ごめん」

再び頭を振りつつ、みどりは教室に向かって歩き出す。

……でも……やっぱり、偶然よね……いろんなことが立て続けに起ったから、単に不安がってるだけ……そう、お兄ちゃんの言う通り……。

「なんでもないんだよね……」

みどりはそうつぶやきながら、教室の入り口をくぐり抜けていった。

……何事も無く……そう、何事も無くこのまま過ぎ去ってくれれば……そうしたら……。





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