ISO9000との相違点
英語の「ステークホルダー」(株主、地域社会、顧客と社員のことを指すと単純に考えればよいと思う)および「アカンタビリティー」(新聞などでは、「説明をする責任」が一般的な表現となっている。正しいと思う。なぜなら、もとの会社では、「アカンタビリティー」を記入する欄がマネジャーの職務規定書にあった。何を定期的に上司に報告するかを明確にすること。)をキーワードとして二つのシステムを考察すれば、その相違点がくっきりと見えてくる。すまわち、ISO14000は、明らかに地域社会に対する「アカンタビリティー」に重点を置いたシステムであり、事業運営に関する透明性が求められている。一方、ISO9000は、地域社会を除く「ステークホルダー」に重点を置き、しかもこれらの「ステークホルダー」への「アカンタビリティー」に焦点が合わされている。この相違点を重大と見るかみないで意見は分かれると思うが、両者はお互いに補完しあう経営理念であると考える。とくに、日本の企業は、これらの概念を経営理念の中に早く取り入れて、新たな組織と構築し、事業運営を行わないと世界の中で孤児扱いにされるではないかとの懸念を持つのはわたし一人だろうか。
上記のことを繰り返すところもあるが、別の表現で両者の違いを述べる。すなわち、ISO9000の主たる利害関係者は、製品やサービスの購入者、すなわちお客さまである。社内の従業員や下請負業者もそうであるが、この際は簡略したほうが理解しやすい。一方、ISO14000は地域社会が主たる利害関係者としている。さらに指摘するなら、ISO9000の目的は、製品やサービスの品質の維持・改善であるに対して、ISO14000は、環境に影響を与える負荷(汚染物質などの排出)の削減を目的とする事業運営である。したがって、負荷がゼロもしくは許容範囲になるまで継続的かつ段階的に続けなければならない。以上のような違いはあるが、両者の経営理念の本質そのものには大きな相違は無いことを結論としたい。
話しは変わるが、あるISO14000に関する書籍に次のことが記載されていた。読んだときの驚きが大きかったので、あえてとりあげる。
「ISO9000を取り入れたら、作成しなければならない文書のボリュームは10倍になると思う。そんな大量のマニュアルをだれがよめるか?それこそ、忙しくてやってられないということになる。」
では、著者にお尋ねしたい。ISO9000の取得のためには、そのように大量になることを実証する客観的な資料もしくは発言者の名前を提示または公表できますかと。このような意見を述べるには、よほどの確証があってのことと思う。さもなくは、つぎのようなことが生じたときには著者はどうするのかと思った。すなわち、だれかがこのコメントを信じてISO14000の取得活動に入って終い、後から間違いだったと分かった人がいた場合である。思うに、すべての事象を記録による実証をもって判断しなけれならないのがISOの世界である。よって、このような誤解を招きやすい言動をするような人が作成したシステムに認証を与えた監査機関の判定に強い疑問をもったことを述べてたい。
(ホームページ・オーナーの感想:著者は取得の功労者であるらしく、本の中でいかに長時間の残業をして、死ぬほどがんばってシステム作りをしたことを、くどくどと書いている。そんなことを他人に言えば、自分の無能さを明らかにしているとは思わなかったのだろうか。こんな本を買って損をしたと思った。少なくともお金を払う読者がいてこその本である認識すらこの著者は持ち合わせていないとしか思えない)
ながながとつまらないことを述べたが、わたしが伝えたかったメッセージはつぎのことである。
ISO14000もISO9000も文書化に関しては企業の組織、製品の多様性、および製造工程の複雑さが同じなら、システムの要求事項がほとんど同じであるから変わらないことである。少なくとも10倍にはならないことだけは確かである。
ISO14000のシステムには、法規制に対する遵守がある。これは苦労の種となる。なぜか?経営者の方が、自分の事業所に関わる法規制がどれだけあるかの質問に即答出来る人はまずいないと考えるからだ。私自信の話しをしてみましょう。定年が近くなったころではあるが、ISO16000(ISOの京都会議で規格化は延期された)をベースにして、研究所の安全・衛生管理に関するシステムを作成したときに分かったことは、小さな規模であるにもかかわらず遵守しなければならない法規制が想像以上に多かったことである。しかるに、ISO14000の場合、システムを作るためには、まず、取得対象の事業所に適応される法規制を整理し、すべてをクリアーしなければならない。ある監査員の話しでは、法規制の面で苦労される企業が多いのだそうだ。もし現時点でクリアーできていなければ、まづ、それを処理しなくてはならない。この点は、決断する材料に入れておくべきと考える。<戻る>