パボーニ(3)

 前回までのあらすじ
 「雑記帳」で真のエスプレッソの味を知った我々は、家庭用の本格エスプレッソマシーンがパボーニ社から発売されていることを知った。当時の国内価格は21万円。とても手の出るような価格ではない。しかしF1モナコ観戦ツアーでイタリアに滞在した我々は、サンレモという街の小さな電気屋さんでイタリア国内品を買ってしまった。ちなみに日本円にして3万5千円程度。パボーニはがたいもでかけりゃ箱もでかい。サンレモから神奈川まで、道中幾多の試練を乗り越えてとうとう我が家まで運び込んだのだった。

 パボーニは家電製品であるが、すぐに使えると思ったら大間違い。まずはイタリアと日本の商用電圧は違うので変圧器を入手せねばならなかった。実はそんなもの簡単に自作できるとタカをくくっていたのだが、200Vの高圧電源をシロウトが扱うのも如何なものかと思い直し、東急ハンズに行ってみた。これが思ったより高いのだ。せっかく本体を安く手に入れたのに変圧器が同じような値段するんじゃ面白くない。そんな話を「雑記帳」でしたら、以前使っていたのでよければあげるよとの嬉しい申し出。考えてみれば鈴木さんも、昔は同じように変圧器を使ってイタリア製品を使っていたのだ。

 さあ準備は整った。水を入れて電源を入れよう。よしよし順調に温まってきているようだ。蒸気もちらちら出始めた。でもこんなところから蒸気が出ていいのか?よく見るとここのパーツ曲がってないか?おいおいこりゃおかしいぞ。でもイタリアで電源を入れたときはこんなことは無かった。きっと旅の途中で無理な力がかかって曲がっちゃったんだ。いきなりこれかあ。しかしこのまま部屋の置物にするのも惜しい。そこで我々がとった悪あがき作戦は、パボーニを当時国内で輸入販売していたイタリア商事に泣きつくことだった。事情を話して部品を取り寄せてもらい、専用工具が無いと言ってブツを事務所に持ち込んで修理までして貰った。エッチラオッチラ事務所に行ったかみさんによると国内に入っていないカラーリングが好評だったそうだ。

 さあとにかくこれで準備は整った。豆は雑記帳から買ってきた。それを電動ミルで細かく挽き、豆をセットして蒸気が溜まるのを待つことしばし。カップはもちろんイタリアで買ったジノリのカップ。それを抽出口に置き、正面に高々と突き出るレバーをおもむろに下げ、、、、出た。泡の立ったエスプレッソコーヒーだ。様々な苦難を乗り越えてようやく飲めたエスプレッソコーヒー。その味が美味しくないわけが無い。それからずっと、おぜき家に来た客人はこのコーヒーを半ば強制的に飲まされることになる。

 エスプレッソを上手に淹れるのは難しい。芯までしっかり焼きの入った新鮮な豆。細かく均一に挽くミル。適度な量を適度な圧力でマシンにセットする技術。幾度となく失敗し、豆をまき散らかしたこともあったが、このエスプレッソマシンは我が家の唯一のコーヒーメーカーとして大活躍だった。エスプレッソマシンの肝は如何に高い蒸気圧を豆に通せるかという点に尽きる。その当時の他の「電化製品」はその点で明らかに劣っていた。パボーニは人力で圧力をかけるのでその点は強い。シンプルな構造だけに心配した故障も無かった。

 時は流れ、近ごろはパボーニの出番が少なくなっている。雑記帳が移転して新鮮な豆が入りにくくなってしまい、それからだんだん使う頻度が減ったのだ。使わないと調子も悪くなる。時々火を入れても、どうもかつてのような濃厚なエスプレッソができないのだ。パボーニの商品を店頭に置いている新宿のヤマモトコーヒー店に相談もしてみた。パッキンの販売も交換もできるそうだ。一度ちゃんとオーバーホールしてみようと思いながらついつい先延ばしになり、にぶい光を放つパボーニは本当にリビングの置物になりかけている。でもパボーニには、いつでも僕らに日本とイタリアにまたがる想い出を鮮明に蘇らせてくれる、我が家自慢の一品である。

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